11 明日は
本日2回目とはいえ、憑依されるのはやっぱり慣れない。
晩飯にチンジャオロースを出された俺は、一瞬辟易した。大嫌いなピーマンが、山のように積まれている。しかしそれを見た葵は、目を輝かせた。
「……いいか。ちゃんと俺のふりするんだぞ。余計なことは言うなよ。お前はただ、チンジャオロースを食べればいいんだ。分かったな?」
小声で釘をさすと、妹は超のつく笑顔でこくこくと頷いた。
『じゃ、お兄ちゃん。身体借りるね!』
その声と同時に、俺の意識は押しつぶされた。
暗闇から意識が戻り、俺はハッとする。目の前には、チンジャオロースの油の跡だけ残った皿。視線を上げると、呆けた顔で俺を見ている母さんと目があった。
「夏樹、いつの間にそんなにピーマンが好きになったの?」
俺は隣にいるであろう妹の方を見る。葵は満足したのか、お腹をさすりながら椅子にふんぞり返って座っている。……よっぽどおいしそうな顔で食べたんだろう。いつもは鼻をつまみながらピーマンを処理している俺が、いきなり美味しそうにムシャムシャ食べたら、不自然に思われて当然だ。
「……まあ、いつの間にか食べられるようになったんだよ。大人の味覚に目覚めたんだ。苦いのが素敵な野菜だね、うん。はっはっは」
我ながら意味不明な弁解をして、席を離れようとした。それを見た母があわてて、
「明日は? 何が食べたい?」
『肉じゃが!!』
葵が嬉しそうに言ったのを聞き取って、俺はほほ笑む。そして、言う。
「ハンバーグ。あと、にんじんのグラッセ」
『肉じゃがって言ったじゃん! お兄ちゃん、ちゃんと聞いてた?』
俺の部屋に入るなり、葵はむくれながら言ってきた。
『あたしがにんじん嫌いなの知ってて、わざとにんじんって言ったんでしょ!』
「当たり前だ。そう毎日毎日憑依されてたまるか。明日の晩飯は俺が食う」
『じゃ、明日のお昼ご飯は私が食べるから』
「どういう理屈だよ、それ!」
俺がベッドに寝転がると、葵がベッドの端、俺の足元にちょこんと腰かけた。ベッドは、1人分の重さしか支えていないけれど。
「……チンジャオ、美味かったか?」
俺が天井を見ながら訊くと、葵は頷いた。
『おいしかったよ。お兄ちゃんの身体だと、いっぱい食べられるんだね。あたし、生きてた頃はあんなにいっぱい食べられなかったよ』
「そりゃお前、胃袋の大きさが違うんだよ」
『そっかあ……』
珍しく、葵が黙りこむ。俺は上半身を起こした。ベッドが軽く軋む。
「母さんの様子はどうだった。お前がチンジャオ食べてる時とか」
『目を丸くして見てたよ。葵みたいな食べ方するのね、って』
その言葉を聞いてギクッとする。
「お前、どういう食べ方したんだ?」
『普通だよ。普通に食べたつもり。とにかく無言で食べた。そういう約束だったでしょ?』
俺は頷いて、それから考える。母の勘なのか、葵が憑依してるとまでは思わなくても、葵のようだ、とは思ったらしい。それはピーマンをおいしそうに食べたからなのか、それとも……。
俺の身体に葵が憑依する。それをばらしたら、親はどう思うんだろう。俺を通して葵と話したいと思うのか。それとも、タチの悪い冗談で通してしまうのだろうか。
そこまで考えたところで、携帯が鳴った。――美鈴からだ。
「……葵。ちょっと席をはずせよ」
『え、なんで?』
「いいから!」
不思議な顔で部屋を出ていく……というか、すり抜けていく葵の姿を確認してから、俺は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「あ、夏樹君? 今、大丈夫?」
俺はもう一度、部屋を見渡す。葵は、いない。
「大丈夫だよ」
「あの、今日レンタルショップで会った時、夏樹君の様子が変だったから。……なんて言えばいいのか、分からないけど」
「ああ」
俺は苦笑して、壁にもたれかかった。
「大丈夫だよ。暑さにやられて、ちょっと頭が痛かっただけなんだ」
「そっか。なら、いいんだけど……」
安堵した空気。それから沈黙。そもそも美鈴は、自分から電話をかけたりするのが苦手だったはずだ。本当に気を遣わせたなあ、と思う。
「……夏樹君、明日は何か予定ある?」
「え? いや、特に何も……」
また、沈黙。美鈴は、自分から誰かを誘うのも苦手な子だったはずだ。俺は思わず笑う。
「美鈴も暇なら、どっか行こうか?」
俺の方から提案すると、美鈴は嬉しそうに、笑った。
『明日、美鈴ちゃんとデートなの?』
電話を切ると、隣から声がした。慌てて左隣を見ると、葵の頭だけが、壁から生えてこちらを見ていた。
「おわあっ!!」
ホラー映画さながらのそのビジュアルに、俺は声を出す。葵は笑いながら、全身をするんと壁から出した。というか、すり抜けたというか。
『いやあ、すり抜けられるって便利だね!! 頭だけ出したら、盗聴もできちゃったりね!』
「お、お前……」
『明日、美鈴ちゃんとデートなんでしょー』
「ついてくるつもりか!」
『ううん』
葵は少しさみしそうに、けれども無邪気な笑顔で首を振る。
『あたしは、明日は一人で行動するよ。いつもお兄ちゃんの後ろにいたら、お兄ちゃんもストレスたまるでしょ?』
「…………」
こいつ、そういうところで気を遣う奴なんだよな。
『ていうか、お兄ちゃんとずっと一緒だとあたしのがストレスたまるしさあ』
「ああ!?」
『えへへ、嘘! 冗談!』
葵は舌をペロッと出すと、『いつも悪いから』と、小さな声で付け足した。
『だから明日は、美鈴ちゃんと遊んで来い! あたしが許す!』
「お前、なんでそんなに偉そうなんだよ!」
『へへーんだ』
妹はあっかんベーをすると、そのまま自分の部屋にすり抜けていった。
俺はベッドの上に仰向けに寝転がり、天井を見上げた。
――明日。
明日は、どこへ行こうか。




