10 身体貸して!!
ものすごく長い旅に出ていたような気がする。今日はひどく疲れた。
「……ただいま」
玄関で靴を脱ぎ、早足で自分の部屋へと向かう。
本屋でこれだけ疲れたのは、生まれて初めてだ……。
自分の部屋に入った俺は、買ってきた少女漫画を葵に手渡そうとした。しかし、
『あたし、読めないんだけど……』
困ったように葵は笑った。
そうだった。葵はもう、本を持つことすらできないんだった。
夕飯まではまだ時間があったので、今のうちに読んでおくことにする。俺は椅子に座ると、本屋の紙袋から例の漫画を取り出した。葵は俺の後ろに立つ。
「じゃ、俺がページをめくるから。めくってほしいときは、『めくって』って言えよ」
『うん!』
ということで、早速1ページ目をめくった。
いきなり、キスシーンだった。
「うえあ……」
少女漫画に免疫のない俺は、いきなり現れたそのシーンに気持ちの悪い声を漏らした。どうも、主人公とその彼氏のラブラブシーンらしい。葵は俺に一切構わず、黙々と漫画を読んでいる。
『めくってー』
言われた通り、次のページをめくる。どでかい目をした女の子が、口元に手をあてて「どうして……?」と言っている。あれ? さっきキスしたのは彼氏じゃなかったのか、これ。
どうして? に対する男の回答は、「好きだから、キスしたくなった」。
「う、うおあ……」
『お兄ちゃん、うるさい』
葵に言われて、黙る。それにしても、なんなんだこの漫画は。
めくってと言われてページをめくるのを、何回か繰り返した。そして、なんか疲れたなあ、と思った矢先だった。
『あーもう! いちいちいちいち、めくってって言うの面倒くさっ!!』
葵も同じことを思っていたらしい。いらいらした声で、
『お兄ちゃん、身体貸して!!』
「え!?」
次の瞬間、俺の目の前は真っ暗になった。
目が覚めると、俺は泣いていた。
「は……?」
後ろにいるであろう葵の方を見ると、葵もめちゃめちゃ泣いている。
『やばい。この最終回はやばいよおー』
……どうも、漫画の最終話に感動したらしい。で、憑依してたせいで俺まで泣いていると。
俺は服の袖で涙を乱暴に拭いながら、言った。
「満足したか、おい」
『うん』
それはよかった。しかし俺にも言いたいことがある。
「お前、勝手に憑依するなよ……」
『勝手じゃないもん。貸してって言ったもん』
確かに、憑依する寸前に『貸して!』とは言っていた。が、
「俺、返事も何もしてなかっただろうが!!」
『いいじゃん、ちょっとくらい』
葵は涙を拭きながら、けらけらと笑った。
今日、分かったことがある。
葵が憑依しようと思えば、無理やりにでも憑依できるということだ。つまり、
葵が憑依したいと思ったとき、俺には拒否権が、ない。




