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白い月を見ながらうがいする//12月25日



「レフト来るぞ!」


    バンッ


 「センター!」


    パン  シュルルルル  パシン 


  ガシャン   ピーーー!



 私の足下に、ネットにかかって落ちた、くすんだ青と白の生地が縫い合わされたボールが転がってきた。そこに、私の俯いた顔からしたたり落ちた汗がヒタリと付く。

 せめてこのボールがネットの向こう側に落ちてさえいてくれれば、と悔やむのも束の間だ。


 ビー! という電子音が9×18メートルのコート一杯に響く。コート内の十四人が一斉にエンドラインに整列する。その時の味方六人の目が、私に向けられているような錯覚を起こす。いや、これは錯覚かもしれないし、若しくは皆が、私を睨み付けているのかもしれない。一人ぐらいは例外がいるかもしれない。


 体育館の隅に置かれた得点板を見る。


 23対25 


 惜敗、か。私にトスが上がった時点で、この紅白戦は負けていたのかもしれない。

本当なら、レフトにいた唐沢か、バックにいた安城にトスが上がる筈だった。トスが上がるべきだった。しかし、トスは私に上げられた。

 セッターでありキャプテンである宮原が、その瞬間に何を思ったのかは今のところ分からない。もしかしたら、私に一縷の期待を賭けたのかもしれない。しかし、宮原の期待は大ハズレだったらしい。そして、これは偶然だとすれば、それににまとめ込んでしまった方がいいことだ。


 横目で宮原の顔を見る。今日一日の疲れが遅れてやって来たような顔をしていた。目が合うのが恐くて、私はそっと目を逸らした。


 再度電子音が鳴り響き、それを合図に、宮原の「集合!」という声で、部員全員が顧問の下に集まる。私や、その他あまりよい姿を見せられなかった部員たちにとっては、これから説教会になるのか、それとも、このままお開きとなるのか、揃って顔を曇らせたくなる間だ。


 その場で顧問の錠口先生が口にしたのは、「明日は朝七時半から一日練習だから、弁当を忘れるなよ」と、明日の予定だけだった。


 終わりの挨拶をしながら考える。何も言われないというのは、かえって意味深なものだ。



 私が、中学に入って、部活でバレーボールを始めたのが去年の春。

 その時から、身長が170はあった私は、錠口先生や先輩たちに目をかけられ、何かと重点的に指導を受けたものだ。それから一月ぐらいしか経たない内に、先輩たちに混じってアタックを打たせてもらえていた。(もっとも、それは男子バレーボールが人気薄で、先輩たちの中でのアタッカー人数が少なかったこともあるし、更には、小学生の頃からクラブチームでバレーをしていて、身長も当時から170あった安城は、その時既に下手な先輩よりも上手くアタックを打てるようになっていた)


 だが、もともとサッカーボールを真心で捉えて蹴り上げることさえ無難にこなすことのできなかった不器用な私だ。安城ほど早くアタックが上達する訳はない。ましてや、腕と腕との隙間にボールを当てて返すアンダーハンドパスなどはできる訳がない。

 今現在、レギュラーの位置を確保し、アタックではエースの安城に追い着き始めている私も、そのアンダーハンドでのパス、レシーブに色濃く難が表れているために、チームの中での存在感も日々変動している。

 更に言うならば、さっきエースの安城にアタックが追い着いてきた、というのも怪しい話で、練習で打つアタックには体重が乗り、気持ちよくドカンと落とせるのだが、試合形式になると、全くそうはいかなくなる。


 つまり、試合では、練習の時のようにしっかりと両足を地に付けて、リラックスして助走することができなくなるということだ。

 そんな実態が次第に仲間に広がっていくと、自然に試合中、トスは上がってこなくなった。そして、殆ど何もできないまま、(レシーブはミスりっぱなしで)毎回試合が終わり、まあ、今日のようになる訳だ。



 「おやじ、何であそこで外すんだよ。点数考えてるのか?」


 話しかけてきたのは、私の息子……ではなく、リベロレシーバーの仮屋だ。おやじというのは、私の渾名だ。

確か、俺が打ったアタックのボールも、仮屋が上げたものだったと思う。それだけ、仮屋の言葉は重い。重ねて彼は意見を歯に衣着せず口にする奴だ。私は、今回も、彼に対して「悪い」としか言うことができなかった。

 だが、彼は、もとからそんなこと気にしていないというように、一つ二つ、例えば「メリークルス伊達キミコ!!」とか冗談を叫んで、顔一杯に笑った。


 私も、今日はクリスマスだった、ということを思い出しつつ、「うるせぇ!」とか言ってつっこんで笑った。


         そんな日々だ。



 ネットを片付け終え、皆、分厚い上着を着て外に出た。私も釣られるようにして、体育館の扉をくぐる。すると、待ち構えていたかのように、ひんやりとした空気が口から喉を通って肺に流れ込んだ。太陽を目で探すと、それは西の空にのしかかっていて、雲の向こうにいくらかぼやけていた。朱を帯びた黄金色が、私をいくらか元気づけたようだった。そして、冬の空の暮れる速さを、改めて実感したように思えた。



 一人、端から見ればとぼとぼと、それでいて私自身は鼻歌を混じらせながら、家路を歩く。これもいつものことだ。

 最近、いつも通る歩道が、冬らしく拡張工事されていたりする。この時間、作業は終わっているようだが、灰色の作業着を着た、本物のおやじが、拡張予定の田んぼをを埋め立てた土台に佇んでいたりする。

 赤みがかった青空に向かって煙草をふかしている、そんな彼の姿を眺めていると、彼がどんどん石化して、その内に風化していきそうな感覚にとらわれる。そう感じる時、きっと私自身も、この世界から風化して、粉々の砂になって舞い上がってしまいそうになっているのではないかと思う。そんな訳はない。


 とりあえず、そんなことを考えながら、歩いている。



 すると、私の体の横を、小さな風が、音と実像を伴って吹き抜けていった。髪の長い女性が乗った、赤色の泥よけをつけた自転車だった。私は、それを、レンズの焦点でも探すように目で追い続けた。そして、それが見えなくなってからも、それについて考え続けた。というのも、私は「それ」に見覚えがあったからだ。


 私は、以前あれを目にしたことがあるような気がした。但し、それが長い髪の女性の方なのか、赤色の泥よけをつけた自転車のほうなのか、はっきりと分からなかった。ただ、漠然と、頭の中に「長い髪の女性」と「赤色の泥よけをつけた自転車」がイメージとして残っていただけの話だ。


 長い髪の女性も、赤色の泥よけをつけた自転車も、どこでも見ることができる物だ。長い髪の女性がのった赤色の泥よけを付けた自転車もそうであろう。

しかし私は、それに意識を傾けずにはいられなかった。一種の運命とか、必然性とか、そんなものを感じずにはいられなかった。そこからなんの物語も発展しないと分かっていてもだ。


 頭で、今起こったことを整理してみた。髪の長い女性が乗った、赤色の泥よけをつけた自転車が、私の横を通り過ぎていった。どれだけ考えてみても、思い出せた情景はそれだけだった。

もしも赤色の泥よけをつけた自転車に乗っていたのが私の同級生だったりとか、髪の長い女性が乗っていたのが足の長めなポニーだったら、もっと沢山のことを思い出せていたかもしれない、とも思った。が、結局の所、それを目撃したとしても、私は目を軽く逸らすか、驚くか、それだけのリアクションしかしなかっただろうと思う。


       そんなものなのだ。


 そうして私は、あれについて考えるのを諦めた。しかし、私は何も考えずにいるというのができない性分だった。そこで私は、必然的なことについて考え出した。


 私は元々、偶然を簡単には信じない質だった。そうなれば、必然的に、ものごとの必然性を考えることも多かった。今日のように。


 例えば、今日、部活でアタックを外した。それも、23対24、あと一点取られれば負けてしまう場面でだ。


 例えば、今日、錠口先生は私に対して何も言わなかった。失敗についても、成功についても。


 例えば、そう、あれに意識を奪われたことも。


 きっと何かが絡んでいるんだと思う。大抵の宗教が言っているような、神とか、始祖とか、第一原因とかが。それが、自分とは関係していないところで関係してきている。何十ものクッションを経て。


 そこまで考えて、私は必然という言葉を頭から振り払った。空を見上げてみると、丁度信号が赤から青に変わっていた。その向こうには、薄白い半分だけの白い月が漂っていた。そして、今日、部活を終えた直後に、野外の水道でうがいをしたことを思い出した。


 水を口に含み、顔を上に向け、白い月を見つけ、それを見つめたままガラガラとうがいをした。


 ただ、それだけのことだ。


   そして私は、このことを忘れないために、とどめておくために、悪あがきとして、今日のことを書き留めることにした。そして、メリークリスマスを呟いた。



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