均衡
ぼくが持つ国語辞典の付箋が貼られた唯一のページを開いてみる。
【「均衡」とは、2つ以上の要素(力、重さ、需要と供給など)が互いにつり合い、バランスが保たれている状態を指します。】
ご丁寧に、毒々しい色の蛍光ペンで線まで引かれている。
ぼくは常々、均衡のとれた人間で在りたい、と考えている。だから、「おはよう」と挨拶されれば「おはよう」と返すし、「おやすみ」と言われれば「おやすみ」と返す。たとえ、ぼくの「こんにちは」の境界線を越えた11時過ぎでも。たとえ、まだ全く眠たくなくても。しかし、意識して均衡をとるための行動をしている時点で自分の心と自分の体の均衡がとれていないのではないか。と考えていると今日も眠れなくなるのだ。早く寝ないと昼と夜の均衡が崩れてしまうのに。
この世で最も均衡がとれていないもの、母親の無償の愛。ぼくはそう考えている。だから、あの日あの瞬間から私と母の間の愛情の秤は傾き続けている。
ぼくの母親は、それはそれは優しい人だった。母親としても人間としても。子供の側から言うのは変かもしれないが、目に入れても痛くない、それくらい愛されていた自覚がある。(母の目にレモンを盛大に入れてしまった時は流石に怒られたが。)
母による充足した教育の甲斐もあり、小学校2年生のときに、気になっていた女の子から「可哀想」と言われるまで、母子家庭であることをハンディだなんて微塵も思ったことがなかった。無論今でも、世間一般では哀れみの対象であることは理解しつつも、母子家庭であることが原因で自分を可哀想だなんて思ったことは一度もない。
「あなたは生きてるだけで私の宝物よ」
「しってる」
ぼくらの定番のやりとりだ。幼いぼくは、当たり前のように母の愛を一身に受け、自分自身が母の宝物であると自認していた。しかし、今となっては母の愛、ないしは母そのものが、ぼくにとって「重り」となっている。
なぜならば、母の愛とぼくとの均衡をとることが永遠にできないからだ。永遠に。
小学五年生の春、ぼくと母が手を繋いで横断歩道を渡っていると、寝ぼけたトラックが突っ込んできた。ぼくは母に突き飛ばされ、擦り傷ですんだが、母は死んだ。母は、猛スピードで突っ込んでくる4tの鉄の塊からぼくを守ったのだ。ドラマチックに語るには、あまりにありきたりだが、日常を語るにはあまりに非日常的な話だ。
あの日、交差点でぼくを突き飛ばした母の腕は、ぼくがこれまでの人生で受け取った中で、もっとも温かく、そしてもっとも不条理な「重り」だった。母は何も求めず、ただぼくを生かした。
それは世に言う「無償の愛」という美しいものだったのかもしれないが、ぼくにとっては、永遠に返済不可能な巨大な負債だった。母の死によって、母とぼくとの均衡は永遠に失われた。だからぼくは、その欠落を埋めるように、せめて手の届く範囲の均衡だけは守り抜かなければならないのだ、という使命感から、ぼくの心には「均衡」という単語の刺青が彫られた。とかシリアスなことを言っているが、実際はどこかのニュース番組で見た、需要と供給の解説にでも出てきた「均衡」という言葉を、幼いながらに自分の心境と結びつけてしまったのだろう。あの頃に抱いた自分勝手な使命を、母のせいにしながら10年以上、高校3年生という人生の岐路に立つ時期になっても背負い続けているのだ。
「内村くん、進路どーするの?どこ大?」夏課外(地方のいわゆる自称進学校に根強く残る悪しき慣習)の休み時間に隣の席から気怠げな声が飛んできた。
「まだ決まってないよ。塩川さんは?」彼女は塩川さん。席が隣なだけで親しくはない。元気な女の子、という印象だ。
「K大かH大で迷ってるの。どっちがいいかなー。」見た目によらず頭いいんだな塩川さん。
「見た目によらず頭いいんだ」口をついて出てしまった。冗談として受け取ってもらえるほど親しくはない。席が隣なだけだ。焦って言葉を続ける。
「いい意味でね、ほら、その、元気そうなのに、?」
「無理しなくていいよー、よく言われるし。」笑いながら返してくれた塩川さん。勝手に好感度がかなり上がった。元気で優しい女の子という印象にグレードアップしとこうと思う。
そんな失礼なことを考えていると、チャイムが鳴った。このチャイムのもとで学ぶようになってから、2年と4ヶ月ほど経ったが、ツボを全部1音ずつ外していくような独特な音程の鐘にまだ慣れることは出来ていない。正直言って気持ち悪い。
始業と終業で合計12回もの気に食わないメロディを聞いて帰宅するぼくを出迎えるのは、母方の祖父と祖母だ。突然転がり込んできたぼくを放り出さずに受け入れてくれたということだけで、彼と彼女がとてもできた人間なのは想像に難くないだろう。しかも、何不自由なく10年間育ててくれた。しかし、どうしてもどうしても居心地がよくないのだ。どういう事情か詳しくは知らないが、ぼくにお父さんというものが居ないことについて母と母の祖父母が揉めた過去があるのは間違いない。そういう流れもあって、母の生前は繋がりがそこまでなかったし、それについての負い目が彼女の両親にもあり続けているのかもしれない。
無償の愛と呼ぶには少し打算的すぎる、祖父母からの施しは、これまたぼくの持つ天秤にとっての「重し」となる。衣食住を提供してくれるだけで十分、いや十二分、さらに二十分といったところなのに、どんどん均衡がとれなくなっていく。少しでも天秤を水平に近づけるために、高校生になってからはバイト代を家計に入れているのだが、きっと雀の涙のようなものだろう。一学期が終わる前に配られた、三者面談のお知らせをまだ祖父母に見せられていないのはここだけの話だ。
ある日の夏課外前のショートホームルーム、進路希望調査票が配られた。票を埋めていく表情に個人差はありつつも、クラスメイトのみんなのボールペンは少なからず動いている。ちなみに塩川さんは自信に溢れた手つきで一目散に第3希望まで埋めていた。K大かH大、どっちかに絞れたのだろうか。
それに対してぼくは、「3年6組7番内村颯汰」まででペンが止まってしまっている。そりゃあそうだ。大学に進学するかどうかすら決めあぐねているのだから。家に持ち帰って考えよう。
自慢したいわけではないが、ぼくらが通っているK高校は四年制または六年制大学進学以外の進路を選択する生徒がほとんどいない、いや全くいないくらいには進学校である。(先程は自称進学校と自称してしまったが)そんな環境の中にいながら、どこの大学に行くかではなく、大学に行くかというところからの選択を迫られているのはきっとぼくくらいであろう。少なくとも、弊校に同じ境遇の生徒はいない。学力的には、地元の国公立大学に問題なく入れる水準にはあるのだが、ご存知の通り考慮すべきファクターが比較的多い。祖父母に相談すれば、大学くらいどうぞ行きなさいと言ってくれるのは間違いないだろう。だからこそ悩ましいのだ。これ以上天秤を傾けてしまえば、天秤自体が倒れてしまうのではないだろうか。天秤が倒れてしまえば、二度と均衡のとれた関係には戻れないのではないのだろうか。そんな正解のない疑問を頭の片隅に追いやって、今日も均衡のために眠りにつく。
結論から言えば、一先ずは大学進学の予定で学業に励もうということになった。冷静になって考えれば、人生にとってとてつもなく大事な選択を、同居する心優しき老人たちに隠し通せるわけがなかったのだ。バレた経緯はシンプルだ。三者面談の日程希望調査に回答していなかったため、担任から家電に電話が行ったのだ。(担任いわく、定年を迎え自宅にて悠々と余生を過ごす祖父母夫妻は2コールで電話に出たそうな。)
大学にまで進学させていただけるという恩義と均衡をとるためには、それなりの大学に進学して、それなりの収入を得る必要がある。だから、地元の国立大学である、K大を目指すことにする。大学に通う費用は、バイトや奨学金でなんとかしてみせるが、どうしても受験料や送迎などの負担を強いることにはなるだろう。その施しとの均衡はどうにか保たなければならない。自分でも、均衡への病的なまでの執着はどうかと思っている。均衡教を信仰していると言っても過言ではない。あの日、心に刻まれたのは均衡という言葉の「刺青」だ。簡単に消えることはないだろう。温泉に入れなくても、プールで遊べなくても、我慢して付き合っていくしかないのだ。
大学進学に方針が固まったことで、夏課外への気持ちの入り方も変わった。3年生の夏にまで、方針が固まっていない方がおかしかった。それでも鳴り響くチャイムのメロディには、例えると、階段を下りていると思っていたより1段少なくて膝がガクッと落ちるような気持ち悪さがあった。
「塩川さん、ぼくK大受けるよ。」あの時の質問に対して、ようやく答えられた。質問には絶対に答える。これもぼくと塩川さんとの均衡だ。ちょっと無理やりすぎるこじつけかもしれないけれど。
「えー! じゃあ一緒だね。」つまり塩川さんはK大に絞ったということか。彼女の印象を、同じ大学を目指す元気で優しい女の子、にグレードアップ?だ。
「一緒に頑張ろうね!」
「うん、一緒に頑張ろう。」これも、均衡。
夏課外の間、こんな意味があるようで意味がないような励まし合いを続けた結果、彼女とぼくとの間には絆と呼べるものが生まれた。少なくともぼくはそう思っている。以前より、言葉のラリーが速く、長く、深くなったことは間違いない。少しずつ、塩川さんという女性に惹かれていっているような気がした。均衡という調和がもたらしてくれた成果だろう。神様、仏様、均衡様。
風が頬を滑るように流れる秋。
踏み潰された銀杏が鼻の奥に攻め込んでくる秋。
少しずつ受験が目の前に近づく秋。
ぼくらの均衡が崩れた秋。
ぼくらの均衡が崩れた、ということは、ぼくと塩川さんの均衡が崩れた、ということだ。
端的に言うと、ぼくは塩川さんに告白された。愛の告白を。
惹かれているとは言え、自分に人を愛せるのだろうか。あんなに愛してくれた母に何も返せなかったのに。均衡を追求するなら、ぼくも彼女を愛さなければならないだろう。これは母に対して抱いている未練だ。「無償の愛」に甘え、何も返せなかった。何も返せないまま、居なくなってしまった。傾いたままの天秤を残して。
「ぼく、両親がいないんだ。」塩川さんの愛の告白に対して、ぼくは正直に話すという誠実さの方向で均衡を取ろうと試みた。
「 そうなんだ」
「ちょっと長くなりそうなんだけど、聞いてくれる?」
「うん、聞かせて」なぜか塩川さんの方が涙ぐんでいる。
「お父さんのことは何も知らないんだけど、お母さんはぼくが小学生のときにぼくを助けて亡くなった。」
「お母さんに貰ったものを何も返せないまま、死んじゃったんだ。だからぼくは、自分のことが許せない、このまま一生許してあげれそうにないんだ。塩川さんからの好意を返し切れないかもしれないのが怖い。どうにか返すためにあなたに嘘をついてしまうんじゃないかって自分も怖い。」
塩川さんは涙を滲ませながらもはっきりとした口調で言う。
「私は、少なくとも私は、見返りが欲しくて内村くんを好きになったわけじゃないよ。私なんかにお母さんのこと言われるの嫌かもしれないけどさ、お母さんもきっと同じだったと思うよ。内村くんが生きてくれてるだけでお返し貰えてるって感覚だったんじゃないかな。」
「あなたは生きてるだけで私の宝物よ」
母の、お母さんの、この言葉が頭に浮かんで、ここ10年で一番の大粒の涙がこぼれた。愛に、無償だとか有償だとか、勝手に価値を決めて、返さないといけないと思い込んでいたのは自分だけだったんだ。
ぼくは気づいた。均衡とは、わざわざとろうとするものではなくて、自然と釣り合うものなのだって。
「もう1回言うね。内村 颯汰くん、あなたのことが好きです。」
「ぼくもあなたのことが好きです。塩川 愛さん。」




