第15話 梟娘は代弁する
「……その女は、ジャンヌか? ジャンヌがあそこにいることを、やはりお前は知っていたのか」
その視線はエマではなく、シギュールへ向けられていた。
『灰色の瞳』の青年は微動だにしない。
「北塔に誰がいるのか」
「……」
「なぜ黙っていた」
なおも『灰色の瞳』の青年は黙り続ける。
「答えろ」
「答えられません」
「命令だ」
バルテレミの声が一段低くなる。
エマには、その沈黙が反抗ではなく『答え』のように見えた。
この人には、答えられない理由がきちんとある。
シギュールは初めて顔を上げた。
灰色の瞳に、かすかな怒りが差している。
「答えられないのです……あなたには、分かるはずです」
王子の眉がぴくりと動く。
「私が、あなたに隠し通せることなど一つもありません」
「……だから、この侍女の口を使ったと?」
二人の会話を聞いていたエマは小さく目を見開いた。
青年の口を閉ざした人物の名は出なかった。だが、出せない名なのだとわかった。
シギュールの口を、王子相手にも閉ざさせた人物。
この城で、王子より上に立つ者。
王か。
王妃か。
あるいは――その両方。
「逆らえる相手なら、とっくに話している」
その言葉は、刃のようだった。
暖炉の火がまた揺れ、バルテレミの表情が止まる。
「……命じられたのか」
王子の声から怒りが消えていた。
「……ええ」
「俺に言うなと」
「はい。……あなたは当時まだ八歳だった」
「お前の母親が十二年も閉じ込められているのに?」
あの女の人は、このシギュールと言う青年の母親。
シギュールの表情が初めて崩れた。
「殿下」
「黙れ!」
鋭い声だった。
だがその怒りは、シギュール個人へ向けたものではない。
王子の中に長く積もった疑念が、ようやく形を得て噴き出したように見えた。
シギュールは答えず、視線を伏せる。
バルテレミは卓から手を離し、数歩下がった。
「俺は、十二年、妹を探した」
誰に向けるでもなく言う。
「妹の墓を暴き、あの日の記録を漁り、孤児名簿まで見た」
エマの胸がどくりと鳴る。
王女の墓を暴いた?
それほどまでに、王子は『死』を信じていなかったのだ。
「その間、お前は知っていて、黙って見ていたのか」
シギュールが顔を上げる。
「違います」
初めて、はっきりした声だった。
「私も知りません」
「何だと」
「あの夜、母が何をしたのか。姫様がどこへ行ったのか。何一つ存じません」
灰色の瞳が揺れる。
「ただ、口を閉ざせと命じられただけです」
その声音には、十二年分の苦さが浮かんでいた。
「私は、何も知らぬまま、あなたに睨まれてきた」
バルテレミの喉がわずかに動く。
「……それでも、従ったのか」
「従うしかなかった」
短い返答だった。
バルテレミは何も言わなかった。
エマはその沈黙を見ていた。
怒りが消えたのではない。きっと言葉が出なくなったのだ。シギュールの言葉が、バルテレミの怒りの行き先を塞いでしまったように見えた。
エマにはその理由がわからない。でも、この二人の間には、エマには踏み込めない何かがある。
十二年かけて積み重なった、言葉にならない何かが。
シギュールは視線を伏せたまま動かなかった。
怒っているのか、詫びているのか、エマには判別できない。
ただ、その『灰色の瞳』が、どこか王家の肖像画と同じ色をしていることが、エマの頭の片隅にひっかかる。
バルテレミがゆっくりと目を閉じた。
その横顔は、冷徹な王子でも謎めいた碧玉の青年でもなく、ただ、何かを十二年間ずっと抱えてきた人間の顔だった。
部屋の中で、蜜蠟の炎だけが静かに燃えていた。
エマは、震える手を膝の上で固く握りしめた。
二人の言葉は激しくぶつかり合った。けれどエマの目には、二人の男の子が同じ欠落を埋めようともがいているように見えた。
王子は妹を。
シギュールは母親の真実を。
何かが、二人の目を曇らせている。
見えているのに、見えていない。
今ここでこの沈黙を破らなければ、この歪みは永遠に正されず、真実は再び深い闇へと沈んでしまう。
この歪みを正せるのは、さっき、あの部屋で『見た』自分しかいない。
不敬への畏れを忘れ、エマは気づくと口を開いていた。
「……あの、エリュディウスが……申しております」
二人の視線が同時にエマの方に向く。
エマは背筋を伸ばす。
「よく見てごらんと……」
バルテレミの眉間に皺が寄る。
「……エリュディウスだと? 神の目か」
「はい」
「俺の前で妖精の名を出すな。お前の目で見ろ、梟娘」
バルテレミは冷えた声だった。
しかし。
――梟娘? ふくろう、むすめ?
それは、わたしのこと?
エマは首を傾げた。
「……で、では、殿下。わたしの目で見たものを申し上げます」
暖炉の火が揺れ、三人の影が近づいたり離れたりする。
エマは続ける。
「今、お二人は、違うことで争っているようで……同じものを見ています」
「……どういう意味だ」
王子の声は、先ほどより静かだった。
エマはまっすぐ見返した。
「――たぶん、こうだと思うんです。
お二人とも、マルグリット王女様は……生きている
と思っている」
長い沈黙が続いた。
薪の爆ぜる音が遠く聞こえるほど。
「まず、墓を暴くのは赦し難い大罪です。王女様が亡くなったと思っているなら、神に背いてまで墓を暴いたりしません」
バルテレミの碧玉の瞳が揺れる。
「そして、何も知らぬ者を、十二年も黙らせたりしません。あなたは王子殿下に言えない何かを知っているのではないですか?」
今度は灰色の瞳のシギュールを見る。
「つまり、お二人とも、王女様は死んでいないと、ずっと思っている」
二人とも否定しなかった。
「……あなた方は、王女様を探しているんですね」
バルテレミが、ゆっくり椅子へ腰を下ろした。
疲れたように、額へ手を当て息をはく。
バルテレミは何も言わなかった。
また長い沈黙が続いたが、
「ジャンヌに会いにいく」
バルテレミは急に立ち上がると、扉の方へ向かう。
しかし、シギュールは立ちはだかってそれを止めた。
「会わせることはできません!」
「十二年、乳母にも会っていない。俺は妹だけでなく、あの日消えた乳母も探していたんだ」
エマはジャンヌの今の状態を思い出した。
精神を病んだ女性に、今バルテレミが会いに行くことが良いことだとはエマには思えなかった。
「殿下、わたしが、そのジャンヌさんの顔を描きます」
エマは机の上の紙とペンを借りて、記憶の中の顔を辿り始めた。
白髪交じりのダークブラウンの髪。小さく丸めた背中。焦点の合わない目。膝の上の人形。
ペンが、紙の上を走った。
しばらくして、エマはペンを置いた。
「……こんな感じです」
バルテレミが紙を取った。
その顔から、長く張りついていたものが一度一瞬だけ崩れた。
ほんのわずかだったが、エマには見えた。
紙を持つ手が、かすかに震えていた。
シギュールが一歩踏み出し、バルテレミの手元を覗き込んだ。
シギュールの目は驚きで見開かれる。
バルテレミは紙をそっと机に置くとエマを見た。
「今夜のことは、誰にも話すな」
命令ではなく、どこか切実な響きがあった。
「……はい」
エマは小さく頷いた。
「梟娘、お前の名は?」
「エマと申します」
バルテレミはシギュールに視線を移した。
「部屋まで送れ」
シギュールが頷いた。
エマは立ち上がり、シギュールに連れられて扉に向かった。
扉の前で、ふと後ろを振り返る。
バルテレミは机の前に立ったまま、エマが描いた肖像を見ていた。
その横顔に、エマは何も言えなかった。
扉は静かに閉まった。
閉ざされた王女の部屋 終
次回 5/16 20:10更新します。




