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美少女天使(中身おじさん)は、できるだけ頑張らず楽しく生きたい  作者:


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第28話 春の祭礼――息継ぎ

 社務所の奥に引っ込んだ瞬間、外のざわめきが、防音壁を隔てたみたいに遠のいていった。


 ……息が、浅い。

 袖口を握りしめた指先に、じわじわと痺れが残っている。

 黒を保つ。黒を保つ。黒を——


「シエル」

 結衣が、私の視界の端へすっと入ってきた。

 笑ってる。いつもの、軽い調子の笑顔。けれど、目だけがきちんと私の状態を測っている。


「一息ついたらさ。住居のほう、行こ?」


「住居……」


「うん。おじいちゃん、留守番してるし。ここ、人がくるでしょ。——いったん、息継ぎ」


 “息継ぎ”

 その言葉だけで、胸の奥が少しだけほどけそうになって、逆に怖くなる。

 ほどけたら、銀が透ける。碧が(にじ)む。

 ここでは、まだだめ。

「……大丈夫です。まだ——」


()()って言った!」

 結衣は私の返事を途中で切った。責めるんじゃなく、淡々と。

 それが、なぜかいちばん響く。


「由奈には、言っといた。暫く休憩するって、だから行こ」


 結衣が、指でちょいちょいと廊下の先を示す。

 社務所の裏手へ抜ける、関係者しか使わないほうの導線。人目の少ない、木の匂いが濃いほう。


 私は小さく頷いて、足を踏み出した。


 ——その瞬間

 足元に、白い影がぬるっと滑り込んできた。


「……雪」

 呼ぶと、猫は「当然ですけど?」みたいな顔で尻尾を立てる。

 白くて、図々しくて、距離の詰め方が上手い。鳴瀬神社の(ぬし)

 そして今、私たちの護衛でもあるらしい。


「先導する気満々だね」

 結衣がくすっと笑い、しゃがんで雪の頭を一撫でした。

「うちらの休憩に、ついてくるんでしょ。はいはい、許可!」


 雪は「にゃぁ」と一声鳴いて、私の足首へ頬を擦り付けてきた。

 その温かさが、妙に現実的で、ありがたかった。


 社務所の裏口を抜けると、空気が変わる。

 境内の人の気配が薄くなり、代わりに、木と土と、古い家の匂いが前面に出てくる。

 鳴瀬家の住居は、社務所と繋がってはいない。

 けれど、ほんの十数歩、裏庭を横切れば、引き戸の向こうに“生活の気配”が存在する。


 結衣が、滑らせるように引き戸を開けた。

「おじいちゃーん。休憩、もらいにきたー」


「おう」

 返事は、居間の奥から返ってきた。

 座椅子に座る武臣が、湯飲みを置いて顔を上げる。テレビはつけていない。新聞でもなく、文庫本でもなく——腕時計を、ちらり。時間を見ていたのかもしれない。

「おもったより、早いな」


「早いんじゃなくて、シエルが頑張りすぎ。だから、強制ストップ!」


「……」

 私が黙ると、武臣は目を細めた。叱るでもなく、からかうでもなく。

 わかってる目。


「まずは、座れ」


「……はい」


 結衣が私の背中を、ほんの少しだけ押す。

 それだけで、足の力が抜けそうになるのを、私は必死に堪えた。


 ここなら。

 ここなら、たぶん——


「……閉めるね」

 結衣が、居間へ続く(ふすま)を一枚、すっと引いた。

 武臣も何も言わない。

 ただ、湯飲みをもう一つ、手元へ寄せてくれる。


 襖の向こうとこちら。

 それだけで、世界が二つに分かれたみたいに静かになった。


「……シエル。解除、していいよ」

 結衣が小声で言う。

「だって、ここ、身内しかいないし…

 しかも、おじいちゃん。最強の口止め要員」


「……言い方」

 思わず、小さく笑ってしまった。

 笑った瞬間、張りつめていた糸がぷつんと切れそうになって——私は慌てて息を整える。


 袖の内側で、指がロザリオに触れた。

 冷たい金属が、私の意識を引き戻す。

(……大丈夫。ほどいていい。ここでなら、息をしていい)


 ゆっくりと、息を吐く。

 色を保つために、ずっと力を入れていた“どこか”が、ふっと緩んだ。


 髪の根元が、ひやりとする。

 光を含んだ銀が、黒の下から浮かび上がってくる感覚。

 視界の滲みが、すっと引く。


 結衣が、目を丸くした。

「……うわ。やっぱ戻ると、空気感変わる!」


「やめてください……」

 声は小さいのに、頬だけが熱い。

 銀髪碧眼。()()の私。


 ——すると。

 横にいた雪が、いきなり態度を変えた。


「にゃぁ」

 低い声で鳴いて、まっすぐ私の膝へ跳び乗る。

 どっかりと、迷いのない着地。


「……重い」


「安心してるんだよ。あ、こっちが本体だって」


「……猫なのに、失礼ですよ」

 言いながら、指先が勝手に白い毛並みを撫でていた。

 掌の下で、雪が喉を鳴らす。ゴロゴロと、低く、満足気な振動で…


 部屋を出た武臣が、襖の向こうから声だけ寄こした。

「無理はするな。——休憩も仕事のうちだ」


「……はい」

 さっきより、ずっと素直に返事ができた。


 畳の匂い、湯気の匂い、猫の体温。

 そして、張りつめていた糸を、いったん外せる場所。


 結衣が、私の向かいにぺたんと座り込む。

「よし。

 ちょっとだけ、銀髪タイム」


 言い方が、変で可笑しいのに、泣きそうにもなる。

「……結衣」


「なに?」


「……ありがとうございます」


 結衣は一瞬きょとんとして、それから、いつもの顔で笑った。

「どういたしまして。

 はい、次、チョコ食べて、お茶飲んで。あと、雪は……そのまま貸し切りでいいからね」


 私は湯飲みに手を伸ばした。指先が、もう震えていない。

 襖の向こうでは、祭礼のざわめきが続いている。

 でも今は、その音が怖くない。


 ——息継ぎをしたら、また戻れる。


 そう思えた。

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