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美少女天使(中身おじさん)は、できるだけ頑張らず楽しく生きたい  作者:


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第14話 銀の少女の居場所

天宮家(あまみやけ)に来て、幾日かが過ぎた。


 ──玄関先で震えていた少女は、いまや「この家の一員」として、ごく自然に朝食の席に座っている。


 その朝も、食卓には焼き魚と味噌汁と卵焼き。

 テレビからは、どこか他人事のようなニュースの声が流れ、武臣(たけおみ)は新聞を半分だけ折り畳んで目を通していた。


「ごちそうさまでした」

 シエルは、箸を揃えて小さく頭を下げる。


「ごちそうさまー」

 結衣(ゆい)も、口の端にご飯粒をつけたまま、同じように頭を下げた。


「結衣、そこ」

 (さき)が、指先で自分の口の横をちょん、と突く仕草をする。


「あ、やべ」

 結衣は慌ててティッシュで拭き取り、ふう、と息をついた。


「……で」

 食器を流しに運び終えたタイミングで、武臣が新聞を畳み、咳払いをひとつ。


「そろそろ本格的に決めておこうかと思うんだが」

「なにを?」

 結衣が、マグカップを抱えたまま首を傾げる。


「シエルの部屋だ」

 その一言で、テーブルの空気が少しだけ変わった。


 結衣が「あ」と声を漏らし、美穂(みほ)は「そうね」と小さく頷き、咲は腕を組んで「ようやく来たか」という顔をする。


「今は結衣の部屋に布団敷いてもらってるが、いつまでもそのままというわけにもいかんだろう」


「べ、別にいいけどね?」

 結衣は、慌てたように言った。

「私のベッドの横に銀髪美少女が寝てる生活、悪くないし…」


「表現が独特なんですが……」

 シエルは、思わずツッコんだ。

「でも……結衣の負担になるなら」


「負担じゃないって。ちょっとゲームのボイスチャットの音量に気をつけるようになったくらいで」


「それは負担って言うんじゃないかしら」

 咲が、呆れたように笑う。

「夜中に“あと一発! そこ! そこっ!”って叫ぶの、だいぶ近所迷惑よ…!」


 そんなやりとりをひとしきり見てから、武臣が改めて口を開く。

「結衣の言う通り、今すぐ無理に部屋を分ける必要はないかもしれん。

 ……が、それでも()()を自分の家だと思える()()は、ちゃんと用意しておきたい」

 その視線が、シエルに向く。


「そういう意味で──候補がひとつある」

 美穂と咲が、同時に少しだけ姿勢を正した。


「……お父さん」

「分かってる」

 武臣は、自分に言い聞かせるように頷く。


「二階の、一番奥の部屋だ」

 シエルの胸の奥で、何かが小さく唸った。



 ──天宮大和(あまみややまと)の部屋。


 実家暮らしの頃の、自室。

 その後、ひとり暮らしの賃貸から運び込まれた遺品を受け止めるために、半ば「記憶の倉庫」と化した部屋。


「大和の部屋をそのまま残しておこう、って言い出したのは私だけどね」

 美穂が、どこか気恥ずかしそうに笑った。


「倒れて帰ってこれなくなったから……せめて、“帰ってこれる場所”は残しておきたくて…」


「十五年か…」

 武臣は、指先でテーブルを一度だけ軽く叩く。

「あの部屋の時間を止めたままでいるのが、いいことなのかどうか…

 最近、ようやく自信がなくなってきた…」


 咲が、シエルの方を見た。

「シエルちゃんに“ここで暮らしてほしい”って思ってるのは、本当よ。

 でも同時に、“大和の部屋”でもあるから……押しつけるのは違うとも思ってる」


「だから、決めるのは、君自身だ」

 武臣の言葉は、静かで真っ直ぐだった。


「そこを自分の部屋にするかどうか。

 もし嫌なら、別の部屋を空けることだってできる。倉庫を片付けてな」

 視線が絡む。

 シエルは、膝の上で握りしめていた自分の手の存在に気づいた。


 この家に来てから何度も心の中で、二階の廊下の突き当たりを思い浮かべた。


 ドアと……ドアノブ

 取っ手に触れたときの、ひやりとした感触


(……そこを避けて通っていたら、きっといつまでも()()()()()のままだ)

 そう思った瞬間、口が先に動いていた。


「……見せて、もらってもいいですか」

 自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。


「嫌だったら、その時にちゃんと言います。

 でも、見ないまま嫌だって決めるのは……もっと嫌なので…」


 武臣の眉が、ほんのわずかに柔らかくなる。

「そうか」


 短くそう言って、彼は立ち上がった。

「じゃあ、様子を見るくらいのつもりで、行ってみるか。ダメそうなら、すぐ引き返せばいい」


「私も行く」

 結衣が、すぐに手を挙げる。


「わたしも」

 咲も立ち上がった。


「大丈夫? シエルちゃん」

 美穂が、そっと問いかける。


「……はい」

 胸の奥で、何かがきしむ気配はある。

 けれど、それごと抱え込んで立ち上がった。


(大丈夫。……多分、大丈夫)

 ロザリオの小さな十字架が、胸元で小さく揺れた。


 


 

 二階の廊下は、朝の光を横から受けていた。

 窓ガラスに映る自分の姿は、銀髪碧眼の十五歳の少女。

 けれど、その足取りには、三十五歳の男の記憶が薄く滲んでいる。


 突き当たりのドアの前で、武臣が足を止めた。

 ドアノブに手をかける前に、一度だけ深く息を吸い込む。

 その背中には、父親としての揺らぎが、ほんのわずかに見えた。


「開けるぞ」

 小さくそう告げてから、ノブを回す。

 ドアは、若干のきしみを伴いながら開いた。



 


 そこは──


 時間が、半分だけ止まったような部屋だった。

 カーテンは閉められていたが、わずかな隙間から差し込む光が、舞い上がった埃を薄く照らす。


 部屋の中央には、シングルベッド

 その横に、木製の学習机

 壁際には、本棚と、段ボール箱がいくつか積まれている。


「……」

 シエルは、敷居をまたいだところで足を止めた。


 畳ではない、フローリングの床、歩くたびに、小さく軋む。

 ほこりっぽさの奥に、微かに残っている…


 洗剤と、紙と、インクと──かつての自分が(まと)っていた、安いスーツの生地の匂い。


(ただいま、と言ったことのある空気だ)

 それに気づいてしまった瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられた。


「ここが……お兄ちゃんの部屋」

 結衣が、小さく呟く。


 本棚に並ぶ背表紙を眺め、机の上の文房具に視線を走らせる。

 机の端には、ホコリを被ったマグカップ。

 中には、当時のボールペンが数本。


「出ていく前は、この部屋で暮らしていたのよ」

 美穂が、少し遠い目で言った。


「そのあと賃貸に移って……倒れたあとに、向こうの部屋から持って帰ってきたものを、こっちに全部まとめて…」


 段ボール箱のいくつかには、宅配業者のラベルがそのまま残っている。

 送り主:(なにがし)不動産管理会社。

 宛先:天宮武臣。


(あのときの、部屋か……)

 大和として最後に暮らしていた空間の残り香が、この部屋には確かに宿っている。


「とりあえず、カーテン開けようか」

 咲が、部屋の奥に歩いて行き、カーテンを引いた。


 陽光が、一気に流れ込む。

 埃が舞い上がり、(きん)の粒子のように光る。


 その光の中に、銀髪の少女が立っていた。


 一瞬、その姿が、どこか()()()に見える。

 だが次の瞬間には、妙にしっくり馴染んでいた。


「どう?」

 咲が、シエルの方を見る。


「……思ったより」

 シエルは、ゆっくりと視線を巡らせた。


「普通の部屋ですね…」

 もっと劇的なものを想像していた。

 遺影と線香と涙と後悔が、物理的に堆積しているような部屋を…


 けれどここには、そういうものはない。


 使いかけのボールペン

 読みかけの小説

 プリントアウトされた何かの資料

 きちんと畳まれたまま、着られなくなったワイシャツ


 生活の途中で、ただページをめくられるのをやめてしまっただけの部屋。


「……嫌か?」

 武臣が、慎重な声で問う。


「ここを、自分の部屋にするのが…」

 シエルは、少しだけ考え、それから首を振った。


「嫌、ではないです」

 言葉を選びながら、続ける。


「怖くないと言えば、嘘になりますけど……それ以上に、ちゃんと向き合いたいです」


 咲と美穂が、目を合わせる。

「じゃあ……」


 咲が、手を合わせてぱちんと鳴らした。

「今日は、大和の遺品整理兼、シエルの部屋づくりってことでどうかしら?」


「二つは、別々にしちゃいけない気がするしね」

 美穂が、少し照れたように笑う。


「残しておきたいものと、しまっておいた方がいいもの。

 それを一緒に選んでいくのって、家族の作業かなって」

「……はい」

 シエルは、小さく頷いた。


 それが自分にとって、どれほど贅沢な言葉なのかを噛みしめながら。


 


 


 作業は、まず段ボール箱から始まった。


「こっちは仕事関係っぽいわね」

 咲が、一つの箱を開けて顔をしかめる。


「全部、紙の束。……システムの仕様書っぽい」

「それは……しまっておいてください」

 シエルは、即答した。


 元SEとしての職業病が疼きそうな書類群は、今すぐ目を通すには負担が大きすぎる。


「了解。これは押し入れ行きね」

「こっちは?」

 結衣が別の箱を開け、目を丸くする。


「わ、ゲームソフトいっぱい。古い据え置き機のやつと、PCのやつと……

 あ、これ知ってる、リメイク版出てたやつだ」


「……ああ、あった、そんなの」

 シエルは、箱の中身に視線を落とした。


 前世の疲れ果てた夜に、現実逃避のように立ち上げては、すぐ寝落ちしていたゲームたち。


「それは、結衣に整理してもらおうか」

 武臣が提案する。


「処分するにしても、売るにしても、俺たちじゃ分からん」

「やった!」

 結衣の目が輝いた。


「じゃあこれは一旦、私の部屋で保管しておきまーす。供養も兼ねて」

「供養って言わないでください!」

 シエルは、苦笑した。



 三つ目の箱。


 美穂が、そっと蓋を開ける。

「これは……本?」

 

 中から出てきたのは、コミックスの背表紙がぎっしりと並んだ光景だった。


「シ〇ニアの騎士……?」

 最初の一冊を手に取った結衣が、タイトルを読み上げる。


「へぇ……」

 厚みのある黒い背表紙に、整然と並んだ巻数。

 箱には、「全巻セット」と殴り書きされた大和の字。



 その隣には、白い背表紙のコミックスが並んでいる。

「バイ〇メガ……?」


 結衣が首を傾げる。

「なんか、表紙からして……不穏」


 ページをぱらぱらとめくった瞬間、眉がぴくりと動く。

「うわ、これ……グロい」

「ちょっと見せて」

 咲が隣から覗き込み、同じように眉をひそめた。


「これは、高校生にはちょっと……いや、結衣なら平気?」

「いや、わりとギリな線な気がする……」

 そんな会話を聞きながら、シエルは思わず口を挟んでいた。


「あ、それ、()()()()()()()()()!!」

 三人の視線が、一斉にこちらに向く。


「即答だよ…」

 結衣が、じっとシエルを見る。


「今、一瞬も迷わなかったね!?」

「えっと……」

 口ごもりながら、正直に告げる。

「それ、()()()()なので……」


 沈黙……


 次の瞬間、結衣が吹き出した。

「バイブル?」

「マンガが?」


「バイブルです!」

 シエルは、どこか居直るように胸を張った。


「前世でも、何度も読み返して……

 あの、宇宙とメカと…人類の悲壮感と世界観が……その……」

 言葉を探しているうちに、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。


「とにかく、()()()()でお願いします!」

「分かったわ……」

 美穂が、笑いを含んだ声で言う。


「そういうもの、誰にだってひとつやふたつあるものね。

 ……大和にも、こういうバイブルがあったってことか…」

「伯父さんのバイブルが、こういう系統なの、なんか納得かも」


 結衣が、シド〇アの背表紙を眺めて言う。

「私も今度読んでいい?」

「……あんまり友達には、勧めない方がいいかもしれないですけど、結衣なら……」

 シエルは、少し悩んでから頷いた。


「うん。じゃあ、“大和お兄ちゃんの遺伝子”を感じるためにも、じっくり読ませてもらおうかな」

 それは、どこかくすぐったくて、少しだけ誇らしい言葉だった。



 


 本棚の方には、また別の種類の本が並んでいた。


 技術書

 戦史関連のノンフィクション

 航空機や艦艇の写真集


 それらを手に取るたび、シエルの中の()()が、静かに頷く。


(ああ、これも……私だ)

 そして今の自分が、そこから完全に離れているわけではないことも、よく分かった。


「このへんの“ミリタリー棚”は、触らずに残しておこうか?」

 咲が、冗談めかして言う。

「シエルちゃん、また読みそうだしね」


「……否定はしません」

 シエルは、小さく笑った。


 


 


 机の引き出しの中には、もっと個人的なものが詰まっていた。


 書きかけのメモ

 仕事のアイデアの断片

 役所への手続きの控え

 そして、折り畳まれた何枚かの手紙


「これは……」

 美穂が、一枚をそっと手に取る。

 封筒に、走り書きのような字で「お父さんへ」と書かれていた。


 封はされていない。

 中身の紙も、途中までしか埋まっていない。


 ──仕事が落ち着いたら、直接話そうと思っていたのですが──


 そこまで書かれて、ペンが止まっていた。

「……」


 誰も、続きを読もうとはしなかった。

 静かな沈黙が、部屋に満ちる。


「それは……」

 シエルが、言いづらそうに口を開いた。

「しまっておいてください!」

 それは、シエルにも読む資格がないものだと思えた。


 大和としての自分が、父に渡せなかった言葉。

 それを、別の人生を歩んでいる自分が盗み見るのは、何か違う気がした。


「分かったわ」

 美穂は、そっと手紙を封筒ごと畳み直す。


「これは……仏間の方に移しておきましょう」

「そうだな」

 武臣も、小さく頷いた。


 机の上を片づけ、本棚の埃を払い、段ボールの中身を分類していくうちに──

 部屋の空気が、ほんの少しずつ変わっていく。


 “亡くなった息子の部屋”から、“これから暮らす少女の部屋”へ――


 その移行の途中で生まれる、説明しがたいざらつきと、温かさ……


 


 


 一段落ついた頃には、陽は西に傾きかけていた。


「ふぅ……」

 結衣が、床にぺたんと座り込む。


「思ったより、運動量あるね、遺品整理って」

「そうね」

 咲も、肩を回しながら笑った。


「でも、だいぶ部屋っぽくなってきたんじゃない?」

 見回せば、ベッドの上に積まれていた段ボールはなくなり、机の上はノートとペンが並ぶだけの、シンプルな状態になっている。


 本棚には、大和の本とシエルの本(とされる予定のスペース)が、自然に混ざり合っていた。


「カーテンと、ベッドカバーは、そのうち新しくしましょう」

 美穂が、部屋の隅に立ったまま言う。


「今のも思い出があるけど……さすがに色あせてきてるし」

「机はそのままでいいか?」

 武臣が尋ねる。


「新しいのに替えることもできるが……」

「このままで、いいです」


 シエルは、迷わず答えた。

()()で宿題してた記憶も、経費精算の愚痴を書いてた記憶も……全部まとめて、()()()引き受けます」

 自分で言っておいて、苦笑が漏れる。


「経費精算の愚痴って……」

 結衣が、半笑いで突っ込んだ。


「リアルだなぁ、お兄ちゃん……」

「現実なんて、そんなものです」

 そう言いながら、シエルは机の天板にそっと手を置いた。


 木の冷たさが、手のひらから腕へ、そして胸の奥へと伝わっていく。

(やっと、触れられた)


 前世の自分が、何度も「帰りたい」と思いながらも、結局長く離れてしまった場所。

 その帰り道の終点が、今ここにある。


 “天宮大和”としては二度と届かなかった場所に、“天宮シエル”として、こうして手を置いている。


「シエル」

 名前を呼ばれて、顔を上げる。

 武臣が、部屋の入り口から静かに言った。


「今日から、この部屋は()()()()()だ」

 その言葉は、ゆっくりと、しかし確実に胸に沁み込んできた。


「大和の痕跡は消さない。

 だが、お前のものも遠慮なく増やせ。

 ここは、“亡くなった息子の()()”じゃなく、“今生きている()()()()()()”であってほしい」


「……はい」

 視界が、じわりと滲む。

 泣くつもりはなかったのに……


「シエル」

 今度は、美穂の声。


「この家に来てくれて、ありがとうね」

 その言葉は、これまで何度か聞いたはずなのに──


 自分の部屋を目の前にして聞くと、まるで違う重さを帯びていた。


「こちらこそ……」

 喉の奥が熱くなる。


「ここに置いてくれて、ありがとうございます」

 どうにか、それだけを絞り出した。


 


 


 その日の夜

 結衣は自分の部屋でゲームのログボだけ受け取り、すぐにログアウトした。


(さすがに今日は、夜更かしする空気じゃないしね)

 そして、二階の廊下の突き当たりに新しく貼られた、小さな紙を眺める。


 ──「シエル」


 咲が半ば冗談で書いて貼った、仮のネームプレート。


「……ふふ」

 結衣は、そっとドアをノックした。


「シエル、起きてる?」

「起きてます。どうぞ」

 中から返ってきた声は、どこかくすぐったそうだった。


 ドアを開けると、そこには──

 ベッドに腰掛けた銀髪の少女がいた。


 その背後には、見慣れた本棚と、見慣れなかった段ボールの山が消えた壁。

 机の上には、孤児院から持ってきた安っぽいノートと、天宮家で新しく渡された筆記用具が並んでいる。


「……似合ってるじゃん」

 結衣は、素直に言った。


「部屋も、シエルも」

「ありがとうございます」

 シエルは、照れくさそうに笑う。


「まだ、誰の部屋なのか、と戸惑ってる部分もありますけど……」


「いいんじゃない? ()()()()()ってことで」

 結衣は、ベッドにどさっと腰を下ろした。


「大和お兄ちゃんと、シエルの…」


「……それ、一番贅沢な表現ですね」

「でしょ?」

 二人の笑い声が、小さく部屋に広がる。


 結衣は、本棚に目を向けた。

「あ、シ〇ニア、ちゃんと一段占領してる」

「シ〇ニア段です!」


「バイ〇メガ段は?」

「下です。精神的ダメージが強いので、視線より少し下に置くのがマイルールです!」

「マイルール細かい…」

 そんな他愛もない会話を交わしながら、結衣は〈新しい家族〉の部屋をじろじろと眺めた。


「机の上、ノートしかないね」

「ここに、パソコンが欲しいですね」

 結衣は苦笑しつつも、どこか嬉しそうだ。


「じゃあ、そのときまでにちゃんと“シエル仕様”の部屋にしておかないとね」

「はい。……少しずつ、やっていきます」

 シエルは、胸元のロザリオにそっと触れた。


 孤児院の匂いを残した銀の十字架が……

 いまは、天宮家の空気の中で、ゆっくりと別の意味を帯び始めている。





(大和として、ここを去ってしまった分)


(シエルとして、この部屋と、この家と、この家族の中に、ちゃんと場所を作れるように……)


 そう心の中で静かに誓いながら──


 銀髪の少女は、亡き男の部屋で、ようやく自分自身の「今」を始めようとしていた。


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