異端戦争編 4話
神麗ゼラフィム法皇国とノートレッド公国――後に異端戦争と呼ばれる、その戦いの火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。
ゼラフィム軍は、完全に敵を侮っていた。 なぜなら、圧倒的な「数の暴力」で、この小国の首都をすぐさま制圧できると、彼らは傲慢にも驕っていたからだ。兵士たちの意識は、戦闘そのものよりも、その後の略奪行為へと向いている。
しかし、その士気の緩みを、「ノートレッドの剣鬼」と「元勇士」は見逃さなかった。
ライゼンは内心で舌を打った。 (しめた。こちらを舐めてかかっているな) 百戦錬磨の兵法達者であり、生粋の武断派であるライゼンの研ぎ澄まされた勘が、そう告げていた。
そうこうしているうちに、敵軍の先陣、およそ三千もの兵が、首都ノルトダンの市内に突入しようとしていた。 (まずは敵の出鼻を挫けば、少しは警戒させ、多少の時間稼ぎができるはずだ……)
ライゼンは、自身が率いる六百の兵からなる連隊に命じ、市街の入り口で**「盾の壁」**を築き、強固な防御を固めた。
その間にも、警備隊隊長となったアイルは、市民の避難誘導を急ぐ。 「皆さん! アーセンベルク城に、早く避難してください!」 彼の声が、混乱する市民の中に響き渡る。 「持ち物は、手に持てるだけの水と食料だけです! 足元に注意してください! 女性と子供を優先でお願いします! 次に、お年寄りとケガ人、病人の順番で!」
アイルは、目一杯の大きな声で市民たちの安全を第一に考え、かつ的確に誘導していく。彼の真剣な眼差しと落ち着いた指示は、パニック寸前の人々に、かすかな安心感を与えていた。
ライゼンの連隊と、ゼラフィムの先鋒部隊が衝突した。 「盾の壁、構えぇい!」 ライゼンの咆哮と共に、兵士たちは一枚岩の盾となり、敵の歩兵隊の突撃を巧みにいなし、その衝撃を殺していく。
「訓練通りやれば大丈夫だ! 皆、上手くやれているぞ!」 ライゼンは兵士たちを鼓舞し続け、現場の士気を寸分も下げないよう、戦いを進めていく。そうしなければ、地力が敵とは格段に違う彼らの隊は、瞬く間に維持できなくなってしまうだろう。 ただでさえ、圧倒的な兵力の差と、リアルな戦争経験値の差は致命的だ。これまでのんびりと平和に暮らしていた者たちと、毎度徴兵を受け、血生臭い戦場に明け暮れてきた連中とでは、戦の根性が根本的に違うからだ。 だが、「剣鬼」たるライゼンに直接仕込まれた一部の兵士たちだけは違った。彼らの奮戦なくしては、この戦いは戦いの形にすらなっていなかっただろう。
そして、ライゼンが再び咆える。 「騎兵隊の突進が来るぞ! 盾を傾斜に構えろ!」 彼の指示通り、兵士たちは盾を地面に傾けて構える。
「盾の隙間から槍を突き出せぇ! 今だぁっ!」 ライゼンの号令と共に、騎馬隊が傾斜の盾に乗り上げようとして馬の蹄が滑り、態勢を崩したところを、狙いすましたライゼン隊が一斉に槍の猛攻を仕掛けた。
敵の指揮官が、舌打ち混じりに苛立ちを露わにする。 「ちっ……馬鹿どもが」 彼は、歯噛みしながら指示を飛ばした。 「一度反転して下がれ! もう一度距離を取って、勢いを使って盾の壁を乗り上げろ!」
敵の騎馬隊が、ライゼン隊に背を向け、反転しようとする瞬間を、ライゼンは見逃さなかった。 「馬鹿め……! 今だぁっ! 弓兵、矢を放てぇっ!」 建物の陰に隠れていたおよそ二百名の弓兵が、敵の騎兵が無防備になったところに、一斉に矢の雨を降らせたのだ。矢は正確に騎兵たちを射抜き、敵兵はみるみるうちに屍の山を築いていく。
その時、アイルからライゼンへと、準備完了の合図が送られた。 「ピィー……!」 短くも澄んだ口笛の音。ライゼンはそれを聞き、確信する。
(市民の避難が完了したな) 「よし、これから市街戦に切り替えるぞ! 敵の数を、できるだけ削る!」
ゲリラ戦は、数で劣るノートレッド側にとって、まさに上等の手段だ。もちろん、街にはいくつもの罠が仕掛けられている。アイルが避難誘導と同時に、綿密に作業を施していたのだ。
ノルトダンの南口。そこでは、ゼラフィムの先鋒部隊と、ノートレッドの防衛隊、ライゼン率いる精鋭が睨み合っていた。 ゼラフィム軍の将校が、軍団の先陣を任された将軍、「狂戦刃」の異名を取る男、ゲラハルトに進言する。 「向こうは明らかに市街戦でこちらを消耗させる気ですね。ゲラハルト将軍、ここは火矢を放って、邪魔な建物を焼き払いましょう!」
だが、ゲラハルトは不機嫌そうに鼻を鳴らした。 「レンガ作りの街だぞ。火が回るまで時間がかかりすぎるわ!」 「しかし……!」 なおも食い下がろうと将校が口を開こうとした、その時だった。
空から、パラパラと乾いた雨粒が降り始めた。それはすぐに、地面を濡らすほどの勢いとなる。 ライゼンの頬が、ほんの僅かだけ緩んだ気がした。そう、この男も気にしていたのだ。街の焼き払いは、攻め手の定石。もし街を焼かれれば、身を隠して戦うことができなくなり、ゲリラ戦の利も何もかもが消え失せる。
ライゼンは思わず空を見上げ、静かに呟く。 「これぞ、天恵よ……!」 (天も運も味方につけたぞ……!) 幸運は、常に勇敢な者に微笑む。
「ええぃ、もうよいわ!」 焦れたゲラハルトが、周囲の制止も聞かずに吼える。 「全軍突撃! 俺に続けぇいッ!!」 「あっ、お待ちをっ!!」
将校が叫ぶも虚しく、短気で血気盛んなゲラハルトは、ライゼンが待ち受ける市内に、文字通り猪突猛進に侵入していく。 だが、ライゼンが大人しくそれを受け入れるはずもなかった。




