異端戦争編 2話
長い旅路を終え、故郷へ戻った一行は、ライナに別れの挨拶を済ませると、それぞれの場所へと帰って行った。
彼らを見送ったライナが家の前に辿り着くと、そこには見慣れない人々が何人か立っていた。
そのうちの一人は、銀色の美しい細工が施された甲冑を身に纏い、厳重な警備を指揮しているようだった。おそらく隊長格だろう。 さらに奥には、いかにも高級な生地で作られた法衣をまとった男がいた。それは高位の聖職者のみが許される装束だ。その男からは、荘厳なオーラと神秘的な佇まいが、あたりに漂っている。
奥にいた男がライナに気づき、声をかけてきた。 「いやぁ、聖女様、お勤めご苦労様でした」
男はにこやかに、しかしどこか探るように続ける。 「道中、何か不便なことやお困りのことはありませんでしたか?」
ライナはわずかに警戒し、注意深く周囲を見渡しながら、その問いに答える。 「いえ、大丈夫です」 そして、わずかに困惑した表情で尋ね返す。 「あの、どちら様でしょうか?」
「ああ、これは失礼いたしました。私としたことが、憧れの聖女様にお会いできたことに興奮し、つい舞い上がってしまいまして」 男はそう言って、不気味な笑みを浮かべながら頭を下げる。
「申し遅れました。私は、神麗ゼラフィム法皇国、聖光十字星教団の光の十二使徒が一人、憂いの司教ホールキンスと申します。どうか、お見知りおきを」
ライナは、この男から言いようのない胡散臭さを感じ取っていた。
(神麗ゼラフィム法皇国? 聖光十字星教団?) ライナの脳裏に、馴染みのある、しかしどこか不穏な響きの名前が浮かんだ。 (確か世間では、単に『ゼラフィム教』と呼ばれていたかしら……?)
彼らはとてつもなく大きな国だ。世界中に多くの信者がいて、その影響力は計り知れない。 (父様も、ゼラフィムには気を付けろと言っていたけれど……一体、何事かしら?)
ライナは嫌な予感を感じていた。胸の奥で、漠然とした不安が膨らんでいく。 ライナは、その嫌な予感を振り払うように問いかける。 「それで、私に何用でしょうか」
ホールキンス司教は、口元に下卑た薄笑いを浮かべながら答える。 「はい、私は貴女、**聖女様をお迎えに参りました。**そう、お向かいにあがった次第でございますぅ〜」
「はいっ?」 ライナはわずかに驚き、戸惑った。
彼女の反応を見たホールキンス司教は、内心で舌打ちした。 (あれ、もしかしてこの方、何も知らないのか? チッ、これだから布教が進んでいない地域は……)
仕方ない、と言いたげな顔で司教は説明を始めた。 「我々、聖光十字星教団――世間ではゼラフィム教と呼ばれておりますが――は、聖女様を神聖な象徴として、今まで何千年もの間、歴代の聖女様をそのお役目後にお迎えし、庇護してまいりました」
ホールキンスはさらに言葉を続ける。 「そして貴女も例外ではございません。こうして庇護するため、お迎えにあがった次第ですぅ~」 ホールキンス司教は、満面の笑みを浮かべて言い放った。
ライナは戸惑いを隠せないまま、切り出した。 「何を言っているか分かりません。困ります」 (一体この人は、さっきから何を勝手なことを言っているのかしら)
彼女は続ける。 「私は今、やっと長旅から帰ってきたばかりなんです。まだ、父のライゼンにも会っていないのですから」 そして、ハッキリとした口調で告げる。 「すいませんが、遠いところからいらしたのに悪いのですが、どうかお引き取りください」
ホールキンス司教は、慌てて言葉を継いだ。 「いや、ちょっと待ってくださいよ」
ライナは少し苛立ちを滲ませながら、素っ気なく言い放つ。 「いえ、結構です」
司教はたじろぎつつも、「聖女様、何か誤解をなさっておいででは?」と、なおも食い下がろうとする。 「いいえ、何も問題ありません」 ライナは語気を強めて言い放つ。 「こっちは長旅で疲れているんです。帰ってください!」
そう言って、ホールキンス司教と取り巻きたちを押し退けるようにして、ライナは家の中へと入っていく。 「それでは、ごきげんよう」 彼女はそう言い放つと、バタン、と音を立てて扉を閉めてしまった。
(何あれ……宗教の勧誘?) ライナは呆れたように息をついた。
司教の誤算
バタン、と目の前で扉が閉ざされた後、ホールキンス司教はうなだれたまま、呆然と立ち尽くしていた。 「そんな、バカな……」 彼の口から、か細い呟きが漏れる。
(前代未聞だぞ……ゼラフィム、何千年もの歴史の中で、今まで一度たりとも断られたことなど聞いたことがない) 内心の焦燥が、思考を駆け巡る。 (通例として、例外なくお勤めを終えた聖女様は、必ずゼラフィムの庇護の下、管理下に置かれるはずなのに……!)
「どうしよう……」 ホールキンスの呟きは、彼がどれほどこの事態を想定していなかったかを物語っていた。周囲の騎士たちも同様に、困惑した様子で互いの顔を見合わせている。 「と、とりあえず、枢機卿閣下に報告しなくては……!」 司教はかろうじてそう絞り出し、冷や汗を拭う。
家の扉を開けた瞬間、ライナは言葉を失った。 (なにこれ……汚い! 足の踏み場もないじゃない。お父さんったら、掃除してないの?!)
彼女の目に飛び込んできたのは、散らかり放題の室内だった。長旅の疲れも吹き飛ぶような光景に、思わずため息がこぼれる。 「もうっ! しょうがないわね。私がいないとすぐこれなんだから……」 そう怒りつつも、どこか嬉しそうな表情でライナは呟いた。 「疲れてるけど、まずは掃除から始めるか」
ライナの父、ライゼンは、ノートレッド公国の兵士長兼剣術指南役を務めている。 ライナが幼い頃、彼の妻、つまりライナの母は流行り病で亡くなった。それからというもの、ライナは一生懸命に家事の手伝いをしてきたのである。
ライナが家の中を片付け終え、ソファでうたた寝をしていた頃、父のライゼンが帰宅した。 「ふいー、疲れたわい……」 仕事からの帰り道、どこかで一杯引っかけてきたのだろう。少し顔を赤らめたライゼンは、ぶつぶつと愚痴をこぼしている。 「まったく、こんなオッサンをこき使いやがって……今時の若い者は、なっちゃ……んっ!?」
いつもは雑然と散らかり放題の部屋が、まるで別世界のように整理整頓され、ゴミ一つなく綺麗に片付けられている。 そして、その部屋の片隅にあるソファには、疲れて眠ってしまった愛娘、ライナの姿があった。
彼女が旅立った当時は、まだどこか頼りなく、心配なところもある少女然とした姿だったが、今、目の前で健やかに眠っているのは、まごうことなき立派な大人の女性に成長した娘だった。 「……大きくなったな」 ライゼンは、自然と口から漏れた呟きに、目頭が熱くなるのを感じた。
涙がこぼれそうになるのを、父としてのつまらないプライドか、あるいはこの男の性分か、ぐっとこらえ、彼は娘を見つめる。
人の気配を感じたライナが、ゆっくりと目を開いた。彼女の目に映ったのは、少し慣れない一人暮らしでくたびれた様子ながらも、相変わらずあごに無精髭をはやした、見慣れた大好きな父の姿。 ライナの頬には、温かい涙が伝っていた。
そして、どちらからともなく、言葉が紡がれる。 「ただいま、お父さん」 「……おかえり、ライナ」
ライゼンは、なぜか自分が「ただいま」と言われたことに、少し照れたように頭をかいた。 「あれ? なんかおかしいな? 帰ってきたのは俺の方なんだけどな、ははっ」 ライナは、そんな父の姿を見て、照れくさそうにふわりと笑った。
ライゼンは娘の顔を覗き込み、心配そうに問いかけた。 「元気だったか? 病気やケガはなかったか?」 ライナは満面の笑みで答える。 「うん、大丈夫よ! 元気だよ」
今度はライナが、父の顔をまじまじと見つめる。 「お父さんこそ、元気だった? 少しやつれたみたいだけど……」 彼女の言葉に、ライゼンは苦笑いを浮かべる。 「ちゃんとご飯食べてる?」 「ああ、一応食っているよ」 (屋台飯ばっかりだけどな……) ライナの心配そうな目に、ライゼンは「参ったな」というようにごまかすような笑みを浮かべる。
「もう! しっかりと健康のこと考えて、野菜も食べてよ〜」 娘の小言に、ライゼンは肩をすくめるしかない。 「部屋も散らかり放題だし……もうっ!」 まるで母親のように怒るライナに、「ノートレッドの剣鬼」と称されるはずの男は、叱られた子供のようにしょげ返り、最早形無しだった。
「ははっ、すまんすまん」 ライゼンは汗を拭きながら、形無しになった自分を誤魔たすように笑う。 そんな父の姿を見て、ライナは一転、にこやかに顔を輝かせた。 「よしっ、今日は私が久しぶりにご飯作るからね! お腹いっぱい食べてよ〜!」
こうして、何気ない会話のやり取りが、親子の失われた数年分の時間をゆっくりと埋めていく。




