嘘つき勇者
ある時、勇者が隠遁した魔女の庵に現れた。
「あのぅ……」
勇者は入口をこわごわと開いて震えた声で家主を呼んだ。
すると、まるで苔と枯木の化身に見えるほどに古めかしい姿をした魔女が現れて勇者はビクリと大きく震えた。
「おや。これはこれは勇者様。一体なんのご用事で?」
魔女はそう言って少年と呼ぶのも憚られるほどに幼い勇者に問う。
「あなたは魔王を倒すために生まれたのですよ。こんな婆のところに寄っている暇などないでしょうに」
そんな魔女の問に対し勇者は声を震わせながらも短く答えた。
「かけてほしい魔法があるんです」
「魔法をかけてほしいのですか。どんな魔法がお望みですか? 力を何十倍も強くするものですか? それとも当代一の賢者にもなれるほど知恵を授けるものですか?」
魔女はそう言って次々に魅力的な魔法を提示してきた。
しかし、そのいずれにも代償が必要だった。
例えば力を何十倍にもする魔法であれば代償として優しき心を失い、当代一の知恵を授ける魔法であれば代償として自ら立つことが出来なくなるほどに体から筋肉を失う。
「強い魔法であるほど代償は大きくなります。故に人は気づくのです。結局のところ自らの手で何かを手にするのが一番なのだと」
その言葉は魔法という概念の事実にして魔女の本心でもあった。
既に世から離れている身であれど、やはり魔女は人間の味方である。
故にこんな場所で油を売っていないで、すぐにでも勇者には魔王を討伐してほしい……これが嘘偽りのない気持ちなのだ。
「えっと、その……」
勇者は躊躇いがちに、それでも息を大きく吸って答えた。
「僕に人を騙す魔法をかけてほしいんです」
「人を騙す魔法を……? 教えて欲しいのですか?」
「違います……僕にその魔法をかけてほしいんです」
魔女はもちろんその魔法を知っていたし、使うことができた。
だが、その魔法は数ある魔法の中でも最も危うい代償を伴うものである。
「勇者様。あなたは何故こんな魔法をかけてほしいのですか? そもそもあなたはこの魔法を自分に使ってどうしたいのですか?」
問いかける魔女に勇者は言った。
「僕は僕自身を騙したいんです……。弱虫で臆病者である僕を騙して、英雄に……勇者に相応しい存在だと騙され続けたいんです」
ビクビクとしながらも、真っ直ぐな視線で自分を見つめている勇者を見て、魔女はしばし息を呑み込んだ。
神様はなんて残酷なことをするのだろう……気づけばそんなことさえも考えていた。
「勇者様。魔法には必ず代償が必要になります。もちろん、この魔法にも」
「わかっています……それでも、僕は魔王を倒さなきゃいけないんです」
「勇気を出す魔法ではダメなのですか?」
「僕に勇気がないことは僕自身が一番わかっているんです。だから、そんな魔法じゃ意味がないんです」
そう言って俯いた勇者の目から涙が落ちた。
魔女は大きく一つ息をついて言った。
「わかりました。ですが、魔法をかける前に代償について話しましょう。それを聞いた後でもよろしければ魔法をかけます」
魔女の言葉に勇者は泣きながらも強く頷いた。
「ありがとう。それじゃ、行ってくる」
来たときとは全く違う力強い声を出して勇者は魔女の庵から出ていった。
その姿を見送りながら魔女はため息をつく。
勇者にかけた人を騙す魔法の代償。それは『自分自身を永遠に失う』というものだった。
勇者の背中が完全に見えなくなった後、魔女は無言で扉を閉めた。
そして、その扉が開くことは二度となかった。
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後年。
歴代でも最も強く勇敢であったと称される勇者の歌は今日でもあらゆるところで聞くことが出来るが、彼本来のことを伝えている歌は一つとしてこの世には存在しない。
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