導きの地
英雄が横たわる大地の上。蒼みが薄れ、闇が濃さを増していく夜空に、星が一つ。
他の星々がゆっくりと瞬きながら数を増していく中で、その星は輝きを増しながら、暗い地平の彼方から天空を横切り天頂に向かって明確に移動していた。
目を見開いた英雄の真上で、星はその動きを止めた。
微かに虫の羽音のような唸りが聞こえ、あたりの乾いた空気に不意にヒヤリとして水の気配が漂った。霧のように体が濡れるわけでもなく水の匂いもしないその不思議な霞はうっすらと辺りを覆い、周囲の光景の輪郭をぼやかした。
「なんだ?……何が起こっている?」
ザワつく兵たちの中央で、大地に張り付けられた英雄の腹に真っ直ぐ突き立てられている銀の槍の先が、ボウっと光った。
毟り取られた穂先の飾り物の代わりに、金色の光の穂が軽やかに立ち上る。
「は?」
金の穂がゆらりと揺らめいたとき、辺りに細い光条が奔った。
兵たちの奥にあった軍の兵員輸送用車両とそれを引く荷役動物が両断され、燃え上がった。
突然背後から上がった炎にパニックになった兵士が手にした武器が、前触れなく赤熱する。手を焼かれたものや、慌てて武器を投げ捨てたものの叫びで辺りは騒然とした。
そして、算を乱して逃げ出しかけた兵士達の足元を狙って再び光条が閃いた。
足を失ってその場にうずくまり呻く兵士や、腰を抜かしてへたり込んだ兵士達の中央で揺らめいていた金色の穂が真っ直ぐに天頂の星を指した。
星から降るかのように、中空から現れた白い光の粉がサラサラと銀の柄に降り注いだ。
「なん…だと……」
英雄を罠にはめた男の目の前で、銀の柄を腕に抱き、静かに佇む白いエイダの姿が光の粉で形作られていった。
"導き手"
常に英雄とともにあった美しき栄光のシンボル。それは英雄がまだ取るに足りない若造だった頃、彼の故郷で彼を導き、果てしない冒険の旅へいざなった一人の若いエイダの娘の姿だという。
チラチラと微かに瞬く光で象られた導き手は、まるで生きているかのようにゆったりと姿勢を変えて、横たわる英雄に手を伸ばした。
兵士達は己の苦痛や恐怖をも忘れて、その光景に思わず見入った。
それはあまりに神聖で美しかった。
『来てくれたのか』
『私、約束は守るのよ。不甲斐ないから叱りに来たわ』
『すまない』
『謝らないで。不甲斐ないからっていうのは嘘よ。あなたはよくやったわ』
『だが、色々失敗もしたよ』
『気にしないで。そんなの誤差だから』
仄白く輝く乙女は、英雄の上にかがみ込むと、愛おしそうにその白い星がある額を撫でた。
『帰らなくてごめん』
『いいのよ。私の望みはあなたに帰ってきてもらうことではなくて、あなたが夢を果たすことだったから……あなたの望みは叶った?』
『ああ……ああ。叶った。最期に君にも会えた』
『こんな形だけどね』
『ここが花の咲く緑の野だったら良かったな』
『花が好きだったの?どんな花?』
『覚えていない。なんでもいいんだ』
君しか見ていなかったから。
『そう。わかったわ』
光の導き手は、自分の額を英雄の額に合わせた。
『あなたの願い、叶えてあげる』
二人の姿が一つに重なろうとしたとき、そのすぐそばで狂乱した甲高い叫び声が上がった。
「彼から離れなさい!この化け物!!」
それは英雄への叶わぬ愛を歪ませ、彼の死を望んだ女だった。
腰が抜けて這うようにしか動けないその女は、それでも英雄にすがりつこうと、執念で這いずって来た。
白い導き手は女の方を向いて立ち上がった。
『どうする気だい』
『止めないで。私、怒っているの』
『止めないさ。君が怒ったところも、実はちょっと見てみたかった』
『あまり見なくていいわよ』
『では、少し目を閉じているよ。なんだか眠いんだ』
光の乙女は眠りにつく英雄に美しい微笑みを見せた。
『おやすみなさい、愛しい人』
英雄にしばしの別れを告げた導き手は、その顔から笑みを消し、昂然と胸を張って、真っ直ぐに立ち上がった。
彼女が右手を上げるのに合わせて、深く打ち込まれていたはずの導きの杖がズルリと抜けた。金色にたなびく穂先を高々と掲げ、彼女は醜い妬みで英雄を殺めた者共を睥睨した。
英雄の身体に手をかけようとしていた女の体表が内側からフツフツと泡だった。悲鳴をあげて仰け反った女の口や眼球から湯気が上がる。悲鳴がふつりと途絶えて、かつて女だったソレの全身は炎に包まれた。
白の乙女が導きの杖を大きく横に振ると、強い風が起きて、燃え盛る松明と化した元王女を吹き払った。
「邪悪な魔物め……神は必ずや正義の雷で貴様を滅ぼすであろう!」
恐怖にひきつりながら、狂ったように叫ぶ裏切り者の長を一瞥して、白の乙女は導きの杖を軽々と回してから、天に向かって振り上げた。
暗かった全天周を取り巻くように、赤と緑の2層の光の膜が出現した。刻々と変化しながらダイナミックに揺らめく天の光の膜を貫くように、雷が天に向かって、幾本も立ち上がった。
白の乙女が楽しげに白銀の杖を振るうと、雷鳴が轟き、天頂の星から無数の何かが放たれて、荒野全域に穴をうがった。
「ああ、神よ!この悪魔から我を救い給え」
この惑星をしろしめす白銀の女神は、無力な人の子の祈りを嘲笑った。
世界を救い給えと言えぬ愚かな独善者よ。お前の神なら、私が降した。
§§§
その日、聖地と呼ばれていた荒地に、流れ星が降った。
赤茶けて乾燥した荒地の中央には巨大な湖ができ、荒地はいつしか花の咲き乱れる緑の野となった。
多種族の連合国家が樹立し、様々な文化の交流によって文明が発展していく中で、緑の野は開墾され、多数の人々を養う大穀倉地帯となった。
収穫期には、広大な畑に見事な金色の穂が揺れる様が見られるその地を、人々は"導きの地"と呼んだ。
次回、最終話「星を拓くもの」
このあとすぐ!




