大地は血の色に染まり、空は闇に開かれる
赤茶けた荒野のただ中にあるその地は、帝国を支配し続けた聖女が星を降ろす奇跡を成したと言われる禁足地だった。
狂信的な神聖帝国の残党が、そこを拠点にしていたが、制圧に成功したという報を得て、俺は迎えに来てくれた友軍の兵士と共にその地を訪れた。
「油断したな。英雄殿」
赤茶けた硬い大地に横たえられ、鉄の杭を四肢に打たれて仰向けに拘束された俺を裏切り者は見下ろした。その顔にはあからさまな愉悦と軽蔑が浮かんでいる。
異種族でもその手の感情はなぜか無駄によくわかる。あまり感情を表さない無口なやつだと思っていたが、よほど俺が嫌いだったとみえる。まあ、なんとなくそりが合わないタイプだというのはわからんでもない。以前、コイツの好物をうっかりゴミと間違えて捨ててしまったことがあるし……虫が湧いてたからもうダメだと思ったら、それが良い帝国風珍味だったらしい。食い物の恨みとは根深いからな。
とはいえ、ここまで思い切りよく手ひどい手段にうったえられるほどとは思わなかった。
自由のきかない体勢ながら、目線だけを動かして周囲を確認する。
周囲には武器を構えた兵士達……友軍のフリをして俺を迎えに来た裏切り者の部下達が、俺をぐるりと遠巻きに囲んでいる。人数はさほど多くないが、この状態からなんとかできる人数ではない。
「一息には殺さん。このままここに捨て置いてやろう。日照りに苦しみ抜いて見苦しく干からび、屍食いの虫の餌となるがよい」
食い物の恨みにしては根深すぎやしないだろうか?
だだっ広い荒野は周囲に集落もない。
どんな偶然が重なっても助けが来ることはないだろう。
俺はふと裏切り者の後ろによく知った相手がいるのに気がついた。
それは、昔、辺境の村で出会って以来、ずっと俺に懐いていた末の王女だった。なんども危険だからと言って、置いていったのだが、なんだかんだ理由をつけては、戦いが終わると無茶な命令で王城から俺を呼び出したりしてきたやつだ。
正直、煩わしいと思って邪険にしていたので、会ったのは久しぶりだが間違いない。出会った頃と比べると、随分と貫禄が出て見違えたが、あの垂れ耳の感じは彼女だろう。
俺の視線に気付いたのかどうかは分からなかったが、彼女は裏切り者の背後から静かに近づいて……その腕にしなだれかかった。
「これで帝国はあなたのものね」
「ああ。そして貴女は聖女として全ての民の心を照らす光となるのだ」
あー……なるほど?
そこが組んだ末の罠なのか。
架空の帝国残党との戦闘で俺は死亡という筋立てか。いや、帝国残党自体は存在して、彼らと手を組んで帝国を再興する腹かもしれない。俺は戦闘での名誉ある死ではなく、何かしら不名誉な嘘っぱちを擦られて、堕ちた英雄として正史から退場させられるのだろう。
「貴女こそはまつろわぬ唯一の星。まさに聖女にふさわしいお方」
裏切り者が美辞麗句を捧げている。
王女はそれを心地よさそうに受けて、どうだとこちらに見せつけるような素振りをしてくる。
これはまいった。
食い物の恨みではなく、双方ともに色恋の怨恨か。俺の一番苦手な部分だ。
その女には全く興味がないので、好きなら勝手に添ってくれ、とか言うと、二人とも怒るのだろうなぁ。面倒くさい。
「まつろわぬ星は唯一ではない。俺が見ただけで各地に少なくとも三つある」
気になった点を訂正すると、二人はひどく怒り出した。
「お前達がやって来た呪われた地に聖なる星などあるわけがない!お前達の話はいい加減でデタラメばかりだ」
「あなたはいつだってそうだわ!そうやって知識をひけらかして」
ひけらかしているわけではないのだが、知っていることを口にすると、エイダ以外の種族からはこういう非難を受けやすい。
エイダでは、モノを知っていることは知らないことよりずっと良い、とする風習がある。ただし知識の有無とそいつの人徳や身分は完全に分けて考えられる。エイダには市井のマニア、学者バカ、マッドサイエンティストがちょくちょくいるからだ。
元帝国支配域の種族の場合、この感覚が理解できないらしい。帝国には強い身分制度があって、知識は上流の一握りにだけ割り振られていたかららしい。
被支配階級の下層民は基礎教育の機会さえ与えられず、指定された肉体労働を最低限こなすだけの知識しか持っていない有り様だったのだ。中流の専門職も、その職は割り振られたものであり、職能に応じた知識を与えられるだけという具合だった。彼らには新しい分野に首を突っ込んで自分から学ぶという意欲も、無駄知識という概念もない。与えられた土地や職分を動くこともない。だから、広範囲の知識を知っている事が身分が高いとひけらかす事と同じ意味に感じて、劣等感を抱くようなのだ。
まったくもって難しい。
反乱軍に長く参加していたなら、エイダ流に慣れても良さそうなものだが、そういえば反乱軍でも俺と一緒に転戦するのはもっぱらエイダ族で、解放した種族はそこの拠点防衛が多かった。幼少期からの習慣と基本発想というのは代え難いものなのかもしれない。
もっとも……"エイダは好奇心で死ぬ"と言われているぐらいなので、エイダ流が一番良いかというと、それはそれで間違っている気もするのだが。
どうでも良いことを考えながら、目の前の二人からの罵声を聞き流していると、その事自体が彼らの怒りを煽ってしまった。
"お前は面白くない"というのはエイダにおいては最大級の侮辱だが、それは通じるのか。罵詈雑言は翻訳不要とは本当だな。
末の王女は金切り声で俺をなじった。
曰く、俺は尊大で思いやりに欠け、夢想家でいつもありえない先ばかりを見て、周囲にいるものの事を考えていないくせに親切なフリだけは上手い偽善者なのだそうだ。
「空の彼方にだっていけると信じていそうなその目が嫌い。みんなあなたのその目に騙されて夢を見てしまう」
そんなことを言われても……。
俺の心の奥底でいつか聞いた囁きが疼く。
『あなたの目が欲しているその先の光景を確かめに行きなさい。私はあなたの進む未来は価値あるものだと信じてる』
ああ、なんと遠い日の囁きだろう。
緑の丘と花の咲いた木々。
それがどんな花木だったのかすら、俺は覚えていない。
言葉を返さない俺を、裏切り者が糾弾する。曰く、俺は強欲で、一国を手にしただけでは飽き足らず、もっと!もっと!と地平の先の土地を欲した外道らしい。世界を戦火に巻き込んで、焼け野原の世界を丸ごと手に入れて、そのくせ民をまともに管理することもできない無能。それが彼から見た俺らしい。
「お前の無法をこれ以上野放しにはできない。臣民には秩序が必要だ」
秩序ぐらい自分達でどうするか決められるのが自立というものではないのだろうか。"臣民"ではなく"人民"による国家とはそういうものだ。
俺を強欲となじるのは、自分が手に入れたかったものを、俺が手にしながら捨てているように見えるからなのか。
世界と女が欲しかったのは自分のくせに、己の欲を俺に重ねるなよ。
俺にだって欲はある。だが国を欲したことも、ましてや戦乱を欲したこともない。
俺はただ知らない世界をこの目で見たかった。あの山の、あの水平線の向こうに、何があるのか知りたかった。
導き手の示す方向に舵を取り、新天地を見いだしながら世界を巡る旅は面白かった。ただひたすらがむしゃらに前へ前へと生きてきた。
だからここで何もかも失って死ぬことになっても、俺の一生は充実していたと断言できる。
血のように赤い夕日が乾ききった赤茶けた大地の彼方に没していく。大地に張り付けられた俺の上に広がる空もまた赤い。
星は見えない。
この地の導きの星は、聖女の没した後、輝きを失ったという。
星とはなんだろう。まつろう星、惑う星、まつろわぬ星……。
聖女はこの地に星を降ろしたと伝説は語る。星とは何だ?降ろすことができるなら、昇ることもできるのだろうか。
太陽が最後の輝きの一雫を瞬かせてから没し、空がゆっくりと深い色に移っていく。空の帳が開く。星はその先にある。
知りたい。
「この期に及んで、あなたはまだそんな目で何も無い空を見るの!?」
王女が叫ぶ。
「思い知るがいいわ。あなたは大地に打ち付けられて、もうどこにも行けないのよ」
王女は背後にいた兵士に命じて、銀色の槍を持ってこさせた。
……いや、あれは俺の船の"導き手"が持っていた杖だ。
エイダの子供が遊びで使う草の穂を模した房飾りは無惨に毟り取られている。
「なぜそれがここに?」
「貴様の船は今後、新生帝国軍が管理することになる。その船にあのような邪教の偶像は相応しくないからな。引き剥がして海に捨てた」
「いいざまね!やっとあなたのそういう顔が見られたわ。せいぜい後悔して苦しみながら死ぬといい」
彼女は両手で掴んだ槍を大きく振りかざし、仰向けで拘束されている俺の無防備な腹に向かって、深々と突き刺した。
……俺に悔いはあるのだろうか?
手から零れ落ちたもの、この手に掴めなかったもの、本当は欲しかったものはなかったか?
『一緒に来てはもらえないのだろうか』
『行かないわ。私はあなたと同じようには生きられないもの』
先日、完成したばかりの探査船を見上げていた彼女は、振り向いて俺の目を真っ直ぐに見た。
『でも、約束するわ。あなたがこの世界の果てまで行って、あなたが成し遂げた冒険の数々が世界に轟いたとき、私はあなたのことを誰よりも称賛してあげる』
彼女の表情が柔らかく緩む。
『そして、あなたが何もかも失って、失意の底に沈んだら、たとえそこが世界の果てだって、私が行って叱ってあげる』
『おいおい、そんなことを聞いたら、君に会うために挫けてみたくなるじゃないか』
『いいの?私、怒ると怖いわよ』
『やめておこう』
俺は彼女が首元に着けているメダルに、そっと触れた。
『会員番号一番には良い配当を渡さないといけないからな』
彼女はメダルをくるくる撫でていた俺の指を両手で捕まえた。
『私、富も名声もいらないわよ。使い道がないから』
『困ったな。では、なにか君の役に立つものを送ろう。何がいい?』
『欲しいものはあるけど、あなたを困らせるから貰わないわ。でも、そうね……』
彼女は捕まえていた俺の指先を軽く噛んで、ニッと笑った。
『あなたが夢を果たしたとき、私のことをまだ覚えていてくれたら、その時、話すわ』
ああ……ああ…………!




