通過列車
初投稿です。
お手柔らかにお願いいたします。
「まもなく、一番線を列車が通過します。危ないですので...。」
少し顔を上げて電光掲示板を眺め、またすぐに手元のスマートフォンに目線を落とした。
もうTwitter もインスタも最新の投稿まで見終えてしまった。
憂鬱な朝はSNSも静かなものだ。
仕方なくニュースアプリを開いてみるが、どれも興味のない記事ばかり。
何度も下にスワイプして更新するが記事は変わらない。
仕方なくアプリを閉じて、今度はホーム画面を意味もなく行き来する。
ああ、何してんだろ俺...。
馬鹿馬鹿しくなって電源を消した。
少し顔をひねって掲示板を見てみるが、どうやら電車が来るまでまだニ分ある。
地獄のように長いニ分だ。
またスマートフォンの電源をつけて時間を確認する。さっき確認したのにな。
再び電源を消すと、前掛けしているリュックに腕を回して顔を上げた。
同じような格好をしたサラリーマン達が皆斜め下を見ながら手を忙しく動かしている。
何も変わらないいつもの光景。
退屈なほど平和な日常だ。
だんだんと通過列車の音が近づいてくる。
ふと、向かいのホームに一人の女の子を見つけた。
いつもは見ない制服を身に纏った、地味な女の子。
下り線だからかこちらよりは空いたホームで、何も持たずに少し俯いている。
何も持たずに?
彼女はカバンもスマートフォンも、何も持ってはいなかった。
何故だか急に鼓動が速くなってくる。
彼女から目を離せない。
列車の轟音がさらに迫ってくる。
彼女は手のひらを握りしめて、まっすぐ前を向いた。
一筋の涙が頬を伝ってホームに落ちた。
目が合った。
彼女は少し驚いたような顔をした後、寂しげに、それでも少し微笑んで何かを呟いた。
聞こえるはずもないその呟きが、ハッキリと聞こえた。
ありがとう。
真っ赤な華が、咲いた。
、、、っ!!
声にならない叫びと共に飛び起きる。
夢...。
こわばった身体から一気に力が抜け、深く息を吐いた。
服が汗でベッタリと張り付いて気持ち悪い。
良かった...。
妙に生々しい夢だった。
いつもの駅、いつもの情景...。
まるで予知夢のような...
考えすぎか。
まだ鳴り止まない心臓に無理やりそう言い聞かせて身を起こした。
ベッド脇のスマートフォンを確認すると、もう家を出る時間まであまり時間がない。
急いで立ち上がると、タオルと下着を掴んでシャワーを浴びに向かった。
「まもなく、ニ番線に、列車がまいります。黄色い線の...。」
いつもの駅、いつもの時間、いつものアナウンス。
しかし、今日はただ無為にスマートフォンを眺める気分にはなれなかった。
夢で見た彼女が現れるんじゃないか?
あり得ないとは理解しながら、それでも無意識に向かいのホームを探してしまう。
程なくして自分の乗る列車がやって来た。
まぁ、いるわけないよな
そう小さく呟きながら、それでも少しホッとしながら、いつものように列車へ詰め込まれていった。
それからニ週間ほどが過ぎた。
あの夢を再び見ることはなかったし、それらしい女の子を見かけることはなかった。
それでも未だに彼女を無意識に探してしまう。
夢で一度見ただけだ。
もう顔も朧げで、もし本当に見かけてもわからないかもしれない。
しかし、最後に呟いたあの言葉。
なぜ、見ず知らずの自分に語りかけたのか。
なぜ、”ありがとう”だったのか。
夢の中の彼女が残した言葉が、どうしようもなく自分の中で燻っていた。
その日はいつもよりも焦っていた。
前日にスマートフォンの充電を忘れて、目覚ましが鳴らなかったのだ。
言い訳をしても列車は待ってくれない。
どうにか、普段より数本後の、それでもギリギリ間に合う時間にホームに着くと、肩で息をしながら列に並んだ。
「まもなく、一番線を列車が通過します。危ないですので...。」
身体がびくんと跳ねた。
あの、アナウンスだ。
ごくありふれた通過のアナウンス。
いつもとは違うアナウンス。
夢で見た、あのアナウンス。
鼓動が速くなってくる。
もちろん周りの人は意に介することなく目線を下に落としている。
向こうのホームを見たい。
列の後ろから、強引に身を乗り出して向こうのホームを覗き込んだ。
いた。
彼女だ。
もう顔も覚えていないのに、すぐにわかった。
夢と同じく何も手に持たず、しかし真っ直ぐこちらを見ている。
目が合った。
彼女は少し驚いたように目を見開いた後、何かを小さく呟いた。
一筋の涙が頬を伝ってホームに落ちた。
ありがとう
そう聞こえた。
途端に身体が動き出した。
人をかき分けて階段へ走る。
周りの人は怪訝な顔で一瞥するだけで、みなまた視線を下に戻していく。
間に合え!間に合え!
何度も人にぶつかりながら階段を駆け上がって、連絡橋を走る。
なんてことない通過のサイレンが、急かすように頭に響いてくる。
この時のために今まで生きてきたような、そんな気持ちだった。
階段を駆け下りてホームに着いた。
後少し、並んだ人の列の向こうに彼女がいる。
再び駆け出したその時、列車の轟音と共にうるさいくらいの警笛の音が鳴り響いた。
ああ...。
身体から全ての力が抜けて、その場で膝から崩れ落ちた。
もう、何もかもどうでも良かった。
ただ地面だけを見つめていた。
たくさんのシャッター音が聞こえてくる。
追いついたところで何が出来たんだ。
そんな考えも頭によぎる。
しかし、どうしようもなく悔しくて、何もかもが無駄になった気がして、下を向いたまま動けなかった。
そのとき
「あの、すみません...。」
遠慮がちに肩を叩かれる。
顔を上げると、彼女がいた。
ぼんやりと状況を理解してきた。
乗れるわけもない通過列車に向かって走って来て、膝から崩れ落ちた男。
スマートフォンを向けられているのは自分だった。
警笛はきっと線の内側を歩いていた人へだろう。
別に珍しくもない。
何より、彼女は目の前にいる。
どっと、目から涙が溢れ出した。
「あの、あちらに座りませんか...?」
彼女は困ったように言うと、駅のベンチを指差す。
「そうですね、行きましょう。」
嗚咽混じりの声でなんとかそう搾り出すと、立ち上がってニ人で歩き出した。
ちょうど列車が来て、人々は扉に吸い込まれていく。
もうこちらを気にする人などいなかった。
「ほんとは、死ぬつもりだったんです。」
彼女はポツポツと話し出した。
朝のラッシュの時間は過ぎて、周りに人はまばらだ。
モバイルバッテリーに差したスマートフォンが先程からずっと震えている。
「周りの人は誰も助けてくれなかった。興味も持ってくれなかった。だから、もういいかなって。」
「だから、今日、死ぬつもりで、でも最期くらいたくさんの人に見て欲しくて、いつもは来ないけど、この駅で死のうって。」
「でも昨日、夢を見たんです。駅で飛び込む夢。周りの人は誰も自分のことなんて見てなくて。でも、最後、顔を上げたらこっちをちゃんと見てくれてる人が居て、目が合う人がいて、それが嬉しくて。だからもし、本当に今日そんな人が居たなら、もう少しだけ生きてみようって。」
「そしたら、本当にあなたがいて。目を見てくれて。こっちに走って来てくれて。だから私は今生きてるんです。」
ゆっくりと、しかしとめどなく彼女は話した。
「僕も...。」
同じ夢を見たんです、と続けようとしてやめた。
彼女を止めたのは僕ではなく、僕を探した、生きる理由を探した彼女自身だ。
今、夢の話をしたら、彼女のその思いに割り込んでしまう気がした。
「いえ、思いとどまってくれて良かったです。」
彼女は、なぜこちらに走って来たのかも、そして僕が誰なのかも聞かなかった。
ただ、記念にニ人で写真を撮りたいと言ってきた。
「御守りです。」
彼女はそう言うと、ぎこちなく笑った。
そこにもう寂しさはなかった。
あれから彼女と会うことはなかった。
連絡先も聞いてないし、名前も知らない。
この先もきっと会うことはないだろう。
でも、彼女のスマートフォンの中には確かにあの写真があると思うと、なんだか不思議で、少し誇らしかった。
いつものようにホームの列に並んで、ぼんやりと前を眺める。
今でも無意識に、向かいのホームを探してしまう。
「まもなく、ニ番線に、列車がまいります。黄色い線の...。」
いつもの一日が、また始まった。
読んでいただきありがとうございます!
かなり暗いテーマですが、作者自身が何か闇を抱えてるとか、辛い思いをしているということは全くないです。
思いついてしまったので書いちゃいました。
ぜひ、何かを考え直すきっかけになってくれればと思います。