群島の女神
「やれやれ、歩いてくるのもなかなか疲れるものだ」
海が割れてから数十分後、ネロはとうとう島にたどり着こうとしていた。
相変わらず海は割れていたが割れた部分が狭まってきており、元に戻ろうとしていた。
ネロは島への坂を上っていたが、ふと顔を上げると島に誰かがいた。
さらに近づいていくとくっきりと見えるようになり、やがて誰かわかる距離まで来た。
「何だこれは?お前がやったのか?」
そこにいたのはマイケルだった。彼は見るからに怒っており、肩を震わせていた。
◇
「そのとおりだ。そこまで強くはしていないからお前の仲間は大丈夫だろう。」
俺の目の前にいた男はそう言った。
「そういう問題じゃねえ!人間がこんな事できるわけないだろ。お前は一体何者なんだ」
俺は奴に対して凄んでいたが内心は恐怖しかなかった。
最初、屋台で見たときはちょっと痛い目見せて立場をわからせようと思っただけなんだ。
しかし、結果的に痛い目を見たのは俺だ。
あいつの邪魔をするために企んだ裏回しの労力も金も全てが無駄になったんだ。
誰が分かる?そんなものすら一瞬でなかったことにしてしまう化け物だと。
こいつは間違いなく人間じゃない。
この時ほど自分の行いを後悔したことはなかった。
「その問いに答えるつもりはないよ」
そう言うと奴は俺の方に向かって歩いてきた。
どうして近づいてくるんだ?やっぱり昨日のことを根に持っているのか?
「待て!これ以上近づくな。俺がこの島に着いた時点でこの大会は俺の勝ちだ。」
「そんなに怖がらなくてもいいよ。別に君に対して何かすることはないし」
誰がそんなこと信用できるか。
敵意があるかないかに限らず、奴が危険であることに間違いはない。
しかし奴はそう言うと立ち止まった。
「たしかに私の負けだ。でも、私の噂をばらまかれたら困るんだよね。どうしたものか」
そういうと奴は俺を蛇のようににらんだ。
「わかった。お前の噂なんか流さない。というか、金輪際お前に干渉しないって約束する。だから許してくれ」
こうなってしまえば恥も外聞もなかった。
今の俺には波にのまれていった仲間の安否もどうでもよかった。
俺はこんなところで死にたくない。
俺は金縛りにあったカエルのようにようにこう言うしかなかった。
◇
「それでは帰るか」
ネロはこれでもかというくらい顔を青くしたマイケルを見て満足したのか踵を返した。
しかし、それを呼び止めるものがいた。
「待ちな。お前さん一体何者だい?」
島の方から着物を着た艶やかな女性がやってきた。
彼女は紫色の長い髪を後ろにたなびかせながらさらに言った。
「さっきの衝撃に驚いて来てみたら、このありさまだとは。どきなマイケル、いつもの調子はどうしたんだい?」
そう言うとその女性はマイケルを足で蹴った。
「いってぇ!ん?誰だよおばさん」
いまだに顔を青くしていたマイケルだったが謎の女性に蹴られ、我に返った。
「おばさん?失礼なことをいいなさんな。これでも数百歳だよ。」
女性はネロの方を向き、やがてこう言った。
「私の名前は琴。この国では群島の女神とも言われておる」
「群島の女神かどこかで聞いたことのある名前だな?」
「私はこの国の守り神なのさ。お前さんはちょっと危険すぎる。一体どこから来なさったんだい?」
そう言うと群島の女神もとい琴はネロをじっと見たが、やがて何か思い出したかのようにはっとした顔になった。
「あら?なんだか見たことあるような顔だね。・・・まさかお前さんカエサルはんの子孫かい?」
「確かにそうだがそれがどうかしたのか?」
それを聞くや否や琴はたちまち懐かしそうなうれしそうな顔になった。
「あらー。カエサルはんの子孫とはね。どうしてこんなとこに来なさったんだい?」
それからネロは今までの経緯をかいつまんで説明した。
「なるほどね。大使になってこの国に来て、この馬鹿男にこんな大会に参加させられたとは。」
そう言うと琴はマイケルの方を見た。
「この子に勝負を挑むとはお前も焼きが回ったね。勝てるわけがなかろうに」
「うるせえ!そもそも俺はあんたに会ったことなんかないぞ」
「それはそうだろうよ。私は普段姿を現さないんだから」
そしてネロの方を見て言った。
「しかしカエサルの子とはいえこんなに彼ほど強いとはね。見たところ神の一歩手前まで行っているようだし。」
「神の一歩手前?神とはなんです?そもそも守り神とは何ですか?」
「あら、知らないのかい?でもわざと教えられてないかもしれないから私から言うことはないね。国に帰ったらお年寄りに聞いてみな。」
「あと、これは忠告だけどそれ以上強くなろうと思わんことだね」
「どうしてです?」
「あんまり言いすぎてもあんたのためにならん。自分で調べな」
「はあ…。」
ネロはこれ以上何も言えなかった。
「しかし、何というめぐりあわせだろうね。言い忘れていたけど私は昔カエサルに助けられたことがあるんだよ」
「そうなんですか。」
「そうそう・・・・・・」
それから琴の会話は何時間も続き、結局帰れたのは夕方になってしまった。
セドリックとラシャがそれまで待っていたのは言うまでもない。
◇
アナトリコン半島東部の都市ルガリアの辺境伯の城にて
「失礼します辺境伯閣下。」
「どうしたのですかそんなに急いで?大学の方で何かありましたか?」
「いえ、そちらではなく。皇帝陛下からの使いが送られてきました。」
「なるほど、通しなさい。」
やがて、皇帝陛下の使いの者がやって来た。
「お久しぶりですヨーゼフ辺境伯閣下。お元気そうでまことに喜ばしく思います」
「社交辞令は結構です。こちらも時間がないのではやく要件をいいなさい」
「はっ!!皇帝陛下より手紙を預かってきました」
そう言うと使いの者は一つの封筒ををヨーゼフに手渡した。
「では私の用事はこれで以上です。失礼いたします」
「・・・お気を付けて」
ヨーゼフは渡された封筒を見つめた。その顔は何か思いつめているようにも見えた。
しかし、やがて決心がついたのか手紙の封を開け中に入っていた手紙を読み始めた。
「・・・・・・」
ヨーゼフは無言で内容を目で追って読んでいたがやがて読み終わったのか手紙をそばにあった机に放り投げた。
その顔は喜びとも苦しみともつかない顔をしていたが、彼の半生が刻まれた顔のしわによってよくわからなかった。
しかし、やがて顔を上げて扉の方を見るとひねり出すように言った。
「当然の報いですね」
部屋には誰もいなかった。
次の投稿は土曜日にしたいですが作者が忙しいので次回の投稿は遅れるかもしれません。あしからず。