「聖女と婚約破棄してお前を選ぶ!」と言い出したわがまま王子を宥めていたら「じゃあ王位継承権を捨てる!」と言われてしまった
聖女は大抵、次世代の王――つまり王位継承権の最も高い王子と婚約する。
その例に則り、天から聖女に選ばれた私もまた、王子との婚約が定められたのだけれど。
「納得いかないわ」
十五歳の日、私は自室で頭を抱えた。
十五歳の誕生日が来るまで、私は平凡な貴族令嬢としてごく普通の生活を送ってきた。
社交界に顔を出し、学校に通って基礎知識や作法を学ぶ。
それなのに。
急に聖女だなんて言われて待遇が変わるのは納得いかない。
百歩譲って国のために力を使わなければならないのは分かる。
だけれども、王子と婚約? そんなの聞いてないわ。
そして私が婚約するのは第一王子フレデリック。
彼はわがままで有名だ。
唯一の正妻の息子として国中に甘やかされて育ったらしく、その悪名は絶えず耳に入ってくる。
最近だと気に食わない侍女をその手で一人殺したのだとか。
とんでもない事だと思う。
そんな王子に嫁ぐのなんて嫌すぎる。
だって、いつ殺されるかもわからない環境で過ごすのなんて辛いもの。
「そうだ。王子がどんな人間か、この目で確かめてみよう」
私は思い至り、実行に移した。
◇
「俺はフレデリックだ。この国の第一王子である」
「ジャネットでございますわ」
向日葵のような暖かさを思わせる黄色の衣装に身を包んだ男。
名乗った通り、彼が第一王子のフレデリックである。
私より一つ年下の十四歳という事で、身長は私よりも少し低い。
ハイヒールを履いていることもあるかもしれない。
彼は目の前にいる、自分よりも身長の高い女が気に食わないのか、生意気そうに顎を上げて仁王立ちした。
「お前、南方の島国の王女なんだって?」
「はい。その通りでございます殿下」
「仕方ないから数日間案内してやる。お前の接待役はこの俺だ。ありがたく思え」
「えぇ。嬉しい限りですわ」
第一印象、最悪。
相手を小馬鹿にしたような態度につい顔を顰めたくなるが、ここは我慢だ。
何しろ私は今、南の島から留学に訪れた小国王女を演じているのだから。
「あ、いくら俺がカッコいいからって惚れるなよ? 俺には聖女という婚約者がいるのだ」
「えぇ。存じております」
「はは。物分かりが良い女だ。木陰から見つめるくらいは許してやろう」
「……」
鬱陶しい人ね。
そもそもそのあなたの婚約者である聖女は私なのに。
と、一応ここで状況を説明しておかないとね。
私――本名エロディー・シャロンはあの日、王子の人となりをこの目で確認しようとして計画を立てた。
それは、内密に王宮に忍び、直に彼と接してみること。
だけれども、聖女として会ってしまっては意味がないわ。
私はこの目で王子を判断し、婚約を受けるか否か判断したかった。
この国の最高権力者は王だけれど、王子に比べると聖女である私の権威は同格かやや上回る。
そこで私は図った。
まずは王に直々に頼み込み、思惑を飲んでもらった。
渋い顔をしていたけれど、次期聖女の頼みとあっては断る事でもなかったのだと思う。
第一、次期聖女に変わりはいないけど、王子の替えはいくらでもいるんだから。
というわけで計画は始まった。
私は同盟関係にある国の王女を演じ、王子に近づく。
しばらく王宮に滞在し、彼をじっくり観察するの。
完璧な作戦に、私はにやりと笑みを浮かべる。
そんな私に何も知らない王子は首を傾げた。
「なんだ、急に笑い出して」
「いえ、なんでも」
「そうか。行くぞ」
フレデリックはそう言って手を差し出してくる。
なんだろうこれは。
「何をしている。早く握れ」
「え? ……はい」
「ふん。とろい女だな。そんなだから小国はいつまで経っても小国なのだ」
私のせいで悪口を言われてしまった小国に申し訳なく思いつつ、私は疑問を抱く。
話し方や内容は噂通りのわがまま王子だが、なんだかんだエスコートしてくれる。
それなりに常識は身につけているみたいね。
悪名絶えないと言えど、やっぱり王子。
フレデリックに連れられて私は中庭に着いた。
一本の大樹と、その周りに綺麗な花が咲き乱れている。
知っている。
万民を癒す力を持つ世界樹だ。
「綺麗だろ?」
「えぇ。世界樹ですね。学校で聞いたのと違って、実際に見ると存在感や生命力に溢れてますわね」
「ほう。小国の学校でも世界樹の話を知っているのか」
「はっ!」
ついやらかしてしまったわ。
私がこの国の学校に通っている、つまりこの国の民であるのがバレてしまうところだった。
気をつけなくっちゃ。
「この世界樹は我が母上である現聖女が管理している。代々この国では聖女が世界樹に力を注いでいくのだ。もうすぐ俺の妻となる次期聖女が受け継ぐ」
「……殿下は、聖女様との婚約を望んでいますの?」
私は王子の噂を多く聞いている。
悪い話がほとんどだが、それでもある程度情報を入手したうえで婚約の話を聞いている。
だけれども、フレデリックはどうなのかしら。
私は今年まで、どこにでもいる貴族令嬢だった。
良くも悪くも情報なんて知らないはずだ。
と、そんな私にフレデリックはあどけない笑みを見せた。
「あぁ! 楽しみだ。なんたって次の聖女は見た目麗しく、聖女としての力も素晴らしいものだそうだ。年齢も俺と近いし、早く会ってみたい」
「そうですか……うふふ」
「そう言えばお前も十五歳だと言っていたな。ふむ」
フレデリックは私の頭から足先までを、無遠慮に眺めた後に言う。
「地味だな」
「……」
やっぱりこの王子との婚約は嫌ですわ。
◇
それから数日が過ぎた。
小国王女の留学(設定)は順調。
「おいジャネット、こっちに面白そうなのがあるぞ!」
「殿下、はしゃぎすぎです」
「黙れ。誰に口をきいている! ……あ、あっちに露店だ!」
「……」
首を振りながら視界に入るモノ全てに興味を示す彼、フレデリック。
今日は王都の散策をしている。
私の手を握りつつも、大きく振って歩く彼の興奮が伝わって来るわ。
これは、あれね。
「殿下」
「なんだ?」
「私の接待を口実にご自分が王都を楽しんでいるだけですね?」
「なっ!?」
フレデリックは言う事を聞かない王子だ。
おいそれと外に出すわけにはいかないのだろう。
いつも王宮内に閉じ込められているため、私と一緒に外へ出ることができて、今思いっきり羽目を外していると。
そういう事に違いない。
ふと後ろの護衛騎士を見ると、苦笑された。
やっぱりそうね。
「お前は随分とつまらなさそうだな」
「それは何度も来た事があr――っと、こほん。淑女たるもの、男性の前で感情をあらわにしないものでしてよ?」
「ふん。そうか」
ぼろが出そうになった。
身分を偽ってフレデリックと会うこと数日。
早くも何度も余計な事を言いそうになっている。
「俺は嬉しいとか楽しいとか、全部素直に言ってくれる女の方が好きだ」
「へぇ……」
「お前は楽しくないのか?」
若干不安げに尋ねてくる王子。
私はそんな彼の表情に、少し心が揺れた。
「楽しいです。殿下の笑顔が見れて」
「ッ! 黙れ! そんな事は聞いておらんだろうが!」
「うふふ」
繋いでいた手を振りほどいてそっぽを向くフレデリック。
年相応な反応が可愛らしい。
だけれども、あれ?
どうして私、初めはあんなに不快な気持ちでいっぱいだったのに、この男に対して好意的な感情を抱いているのかしら。
そんな事を考えながら歩いていると、人が少ない道に出た。
どうやら変な道に入ってしまったらしい。
「ここはどこだ?」
「平民の住宅街であります」
「なるほど」
護衛と会話する王子。
私達の視線の先に、子供が二人いた。
「誰か!」
子供の一人が声を上げる。
もう一人は蹲っていて、声を上げなければ動きもしない。
怪我でもしたのかしら。
周りに人はいる。
大人が数人歩いている。
だけれども、誰も子供の声には耳を傾けず、近寄るどころか視線すら向けようとしない。
薄情な人達ね。
でも、そこでふと考える。
自分の侍女ですら殺めてしまうという暴虐王子。
きっと彼も見て見ぬふりをするのだろう。
しかし、そんな私はすぐに己の考えを悔い改めることとなった。
「おい! 大丈夫か!?」
「き、貴族!?」
「王族だ」
「王族!?」
「そんなことはどうでもいい。……ふむ、この足はどうしたんだ?」
真摯に子供の話を聞くフレデリック。
膝をついているため、当然彼の煌びやかな衣装に土汚れがつく。
だけれども、王子は気にしない。
「おい、重症だぞ。俺には怪我の処置は分からん」
私達を呼ぶ声にハッと我に返る。
私はすぐに駆け寄った。
蹲っていた子供を見ると、足をざっくりと切っていた。
かなり深い傷なのか、出血量も凄い。
「どうしましょう?」
「治すわ」
正体を知っている護衛の問いに、私は迷わず頷いた。
本来なら簡単には治らない傷かもしれないけど、ここにいるのは国の未来を託された聖女だ。
この程度の治癒は一瞬でできる。
私は袖を捲り、そのまま患部に触れた。
血がべったり付着するが、なんのこれしき。
王子の汚れた衣装に比べれば、私の手のひらなんて洗えば一瞬で綺麗になる。
数秒後、傷口がふさがって元通りになった足に、子供は目を見開く。
「なに今の!」
「痛くないぞ!」
「うふふ。気を付けて遊ぶのよ?」
しっかり注意をしてから子供たちを返した。
立ち上がった私にフレデリックが呟く。
「今の力は……?」
さて、困ったことになったわね。
◇
その日の晩、私はフレデリックに呼ばれた。
一緒にお茶をしようとの事だったけれど、話したい内容はわかっている。
「お前、治癒魔法が使えるのか」
「……少しですわ」
「治癒魔術師にとって、あの程度の怪我は治せるという事か」
「そうですね」
嘘だ。
確かに治せるかもしれないけど、あんな一瞬で傷跡すら残さない処置をするのは聖女の力。
「なるほど。さっきの手際、見事だったぞ」
「お褒めに与り光栄ですわ」
相変わらず上から目線なこと。
だけど、さっきの姿を見てしまっては、もうこの王子の事を非情な人間だとは思えなくなった。
確かにわがままだし、礼儀知らずな物言いが多い。
でも優しい人だ。
「一つお聞きしても?」
「なんだ」
「先日、侍女をその手で殺めたとの話をうかがったのですが……それは本当ですか?」
どうもこんな彼が容赦なく人を殺すような人間には見えなかった。
私の問いに、フレデリックは目を見開き、そして唸る。
「何故それを?」
「噂ですので」
「ふん、あくまで出所は喋らんか。まぁいい」
フレデリックは鼻を鳴らした後に、目を細めた。
「奴が悪いのだ。母上がくださったリングを私欲のために盗んだ。だから俺は制裁を加えた」
「……なるほど」
「だが、殺したのは俺じゃない。どこで聞いた噂か知らんが、元より俺は評判が悪い。少し問題が起きれば、勝手に貶めるような話に変わっている」
納得した。
私が王子の人となりを確かめたいと言った時の王の顔。
あの時の渋い表情は、フレデリックが噂とは異なる人間だとわかっていたからなんだ。
そうと分かると、胸がすく思いがした。
この人と婚約か。
確かに口は悪いし、わがままだけれど、嫌じゃない。
「きっといつかわかってくれる方が現れます」
「え?」
「フレデリック様が優しいお方だという事は、いずれみんな気付きます」
「ジャネット……」
「確かにわがままなのは事実ですけど、私は好きですよ?」
「なんだお前!」
椅子から立ち上がって私を指さすフレデリック。
「殿下、淑女を指さすものではありません」
「一歳しか変わらないくせに生意気だぞ!」
「うふふ。私の方が年上なのですからいいじゃありませんか」
杞憂だった。
この人との婚約に不安はない。
「殿下、私の滞在はあと何日でしたか?」
「……明日で別れだ」
「そうですか」
良い頃合いね。
フレデリックの良さもわかったし、楽しい数日間だった。
なんだかんだ王宮での暮らしも幸せだったし、夢みたいだわ。
茶会も終わりに近づく。
私がのんきに紅茶を啜っていると、フレデリックは椅子から立ち上がった。
何事かとティーカップを置く。
と、彼は私の手を握った。
「本当に行ってしまうのか?」
「はい?」
「島に帰るのか?」
「……えぇ。それは勿論」
急な行動に面食らいつつも、なんとか設定を思い出す。
だけど、そんな私にフレデリックは真面目な顔で言った。
「俺は、お前に惚れた」
「……は?」
「ジャネットと結婚したい」
「えぇ!?」
あり得ないことを言い出す王子に、さっき飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
何を言っているんですの!?
「い、いや。殿下は聖女様と婚約が……」
「知った事か。わがまま王子が今更何を言ったところで、国は驚かん」
「で、ですが……」
嬉しい。物凄く嬉しい。
でも違うのフレデリック!
その聖女は私なのよ。
結局あなたはどう足掻いても私と結ばれる運命なのよ!
それなのに……。
「聖女との婚約を破棄してお前を選ぶ!」
あぁ、なんでこんなことになってしまったのかしら。
私は必死にフレデリックを説得しようと試みる。
「せ、聖女様との婚約を心待ちにされていたではありませんか? いいのですか? 聖女様は地味な私と違って麗しいのでしょう?」
「知らん! 地味なお前が好きだ!」
「……っ! お、王位はどうなるのですか? 代々この国の王は聖女との婚約が決定事項なはずです。小国王女の私と結婚したら、王位は……」
「そんなものいらん! じゃあ王位継承権を捨てる! それだけだ!」
「あぁ……」
真っ直ぐな眼差しに、嘘偽りはない。
彼は本気で言っているのね。
今日の昼の事を思い出す。
『俺は嬉しいとか楽しいとか、全部素直に言ってくれる女の方が好きだ』
好きも何も、あなた自身が素直過ぎるのよ。
物凄い照れに襲われるけど、それ以上に一つ年下の王子への愛おしさが止まらない。
「殿下……いえ、フレデリック」
私はそんな彼に全てを話すことにした。
彼の好きな素直な女になろうと思ったからだ。
その後、フレデリックに驚愕の念が押し寄せたのは言うまでもないわね。
◇
次代、国は栄えた。
平民の子一人にまで慈悲をかける慈愛王としてフレデリックは名を残す。
そんな彼を支えたのは、隣にいた一人の女性。
聖女エロディーは、時折素直過ぎる王のわがままに振り回されながら、幸せに暮らした。
読んでくださった方、ありがとうございます!
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