2.
ぼんやりと心地よい暖かさの中を、まだ名もない命はたゆたっていた。
暗い。しかしながら不安のない暖かな環境。
聞こえる鼓動の音が心地よい。
突然、身を締め付けられ、苦しみが襲う。
永劫にも思えた苦しみの後、まぶしさに身をすくめた。
それまで安心を与えてきた鼓動の音はもう聞こえない。
思い切り息を吸い、激しく声を上げた。
それは声にならず、ただ泣き叫ぶだけであった。
こうして彼は生まれた。
◇◇◇◇◇◇
(明るい、暗いしかわからない。目がよく見えない。)
(耳鳴りがするようで音がよく聞こえない。)
(おなか減った。お、口に何か触った。うまうま。おいしい。げっぷ。)
(眠い。)
かつて難波健斗と呼ばれた男は、生まれ変わってカールと名付けられた。
体は頼りなく、ふにゃふにゃして自由が利かなかった。
思考もままならない。
空腹に不快になり、それを全身で表現する。
即ち泣く。
口に何かが当たり、本能的に吸い付く。
口の中に広がる甘露を貪る。
満足して笑う。
下腹部が濡れて気持ちが悪く、不快さを全身で表現する。
即ち泣く。
不快さが取り除かれ、乾いた何かに包まれる。
そして笑う。
そのうちに眠くなり、スイッチが切れるように意識を落とす。
その繰り返し。
快不快を表現し、そして眠ることに忙しく、他の事を考える余裕はなかった。
そう、カールは嬰児であった。
嬰児の本分を実に全うしていた。
首がすわるころになって、多少なりとも他の事を考える余裕が出てきた。
「カール。カール。良い子でちゅね~♪」
母親と思しき女性が話しかける。
名前はまだわからない。
自分におっぱいをくれるのだから母親なんだろうと思っているだけで、実は乳母か何かかもしれない。
抱き上げられ、ゆっくりと揺さぶられる。
心地よい。
思わず笑みがこぼれる。
「ああ、笑いまちたね~♪ご機嫌でちゅね~♪」
濃い灰色に見える髪の毛。恋灰色に見える瞳。
カールはまだ色の区別がうまくできていなかった。
女性はご機嫌な様子でカールを抱き揺する。
カールは心地よさに眠気を誘われる。
「あらあら、お眠でちゅか~?」
女性はカールをベビーベッドに横たえると、しばらく様子を見、ぐっすりと眠ったのを見てそばを離れた。
「おやすみなさい、カール。」
◇◇◇◇◇◇
はいはいが出来るようになると、カールの思考はさらにはっきりするようになった。
自分が転生したことも思い出した。
魔術師の遺産とやらは、確かに知識として己の中にあった。
(へその少し下、おなかの中の方に熱を感じること。それが第一歩か。)
カールは魔力を感じる鍛錬を始める。
意識を集中させて、体の中に熱を感じようと試みる。
なかなかうまくいかない。
それでも続ける。それが第一歩であるから出来なければ何も始まらない。
1日目は何も感じられなかった。
2日目も同様であった。
3日、4日と続けるうちに、いつしか体の中にほんのりとした温かさを感じるようになった。
(熱を感じるようになったら、それをもっと熱く、もっと大きくしていく。)
カールは体の中に感じた温かさを、もっと熱く、もっと大きくするように念ずる。
ひと月もたつ頃、体の中の熱は、はっきりと感じられるようになり、温かいというよりも、はっきり熱いと感じられるようになってきた。
(体の中にある熱の塊を、大きく広げたり、圧縮して小さくしたりを繰り返す。)
なかなかうまくいかない。
大きくしようとして、熱を感じられなくなる。
小さくしようとして、熱の気配を見失う。
そんなことを繰り返しながら、根気よく、倦むことなく魔力を感じる鍛錬を続けていく。
熱を感じられようになった当初、自分の思い込みではないかと考えたこともあった。
しかし今は気のせいではないと思っている。
それは感じている熱を小さくしようとすると、熱が上がってくる。指の先ほどまで小さくすると、火傷をするかと思われるほど熱くなる。
逆に大きくしようとすると、熱が下がってくる。お腹の中いっぱいにまで広げると、ほんのりと温かいぐらいの熱になる。
カールはこれを具体的な何か(この場合は魔力)を圧縮伸張しているからじゃないかと考えた。
これが本当に魔力なら、魔力量を増やすにはもっと集めればいいのだろう。
カールはお腹の中に感じる熱を増やすべく、体中から何かを集めて熱の塊に加えるという操作を行うのだった。
こうして暇を見つけては魔力を操作する訓練を行い、数カ月が過ぎた。