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スプリング・エフェメラル

作者: 青蛙

この作品は文樹妃さまの企画された

「春・花小説企画」に参加した作品です。

「ひいお祖母ちゃん、何で断らなかったの?」

 九十を超えても元気だったわたしの曾祖母がこの春急に体調を崩した。 ただの風邪だとは言うが年寄りに風邪は結構やっかいなものだ。

 もう咳が治らないまま一週間以上も寝込んでいる。 問題はその曾祖母が、ひ孫のわたしに春恒例の山菜採りに自分の代わりに行ってくれと頼んできたこと。

 ――なんでわたし?

 大学一年のうら若き乙女が、ひいお祖母ちゃんの代わりに年寄りに混じって山菜採りなんてはっきり言って嫌だ。 だが、小さい時から結構ひいお婆ちゃんが好きで部屋にもぐりこんで世話になっていた。 ここは――仕方ないか……。

「行ってあげるよ。どこだっけ、そこ」

 わたしの返事にベッドの中のひいお祖母ちゃんはにっこり笑った。



 電車の中でさんざん飴やら、みかん、お菓子を食べさせられてわたしはうんざりしながら単線の無人駅に降り立つ。

 ひいお婆ちゃんの友達だとかいう年寄りたちもひいお祖母ちゃんよりは二十も若い人たちだが、うちのひいお祖母ちゃんは気が若いんだと皆口々に言う。 聞かせたいんだか、言いたいだけなのか、どの人もわたしの相槌なんて聞いていない。 あと十分も一緒にいたら、全員の口を捻りたい衝動に負けていたかもしれない。

「この駅だよ、お嬢ちゃん」肩を思いっきりたたかれてわたしは立ち上がるが。

 一緒に降りると思っていた年寄り連中は次の駅まで行くと言った。

「え? どういうこと?」

「奈美姉ちゃんは」とリーダー格の金屋さんとこのおばあちゃんが笑う。 奈美とは、うちのひいお祖母ちゃんの名前だ。 九十超えたうちのひい祖母ちゃんをお姉さん扱いという豪快さにわたしは、口元を緩める。

 金屋のおばあちゃんが言うには、山菜採りに行くグループに混じって毎年このあたりには来るものの、ひいお婆ちゃんはいつもここでみんなと別れて一人で出かけていたらしい。

 夕方、同じ電車に乗るまでの時間。 何をしているのか、自分たちは知らないと金屋のおばあちゃんは言う。

「あの道をどんどん山に向かって歩いて行くんだよ。あの山さ、あの山」

 指差した山はそんなに大きくも遠くもないが。


 取り残されたような気持ちでわたしは、天を仰いだ。

 毎年何やってたの、ひいお祖母ちゃん? そう思いながら未舗装の道を仕方なく歩いていく。 フェーン現象とかで、暑いくらいの気温だったのに、緑が深くなると途端に体に当たる風が冷やりとしてくる。 木々の小さい新芽がモザイク画のような風景を作っていた。

 緩やかな斜面を登りきった辺りに急に広がっているお花畑。 薄いピンクとも紫とも見える色の花びらが可憐だが、外国の花のように派手では無い清楚な凛とした色合い。

「今年は来ないかと思ったよ」

「きゃあああああっ」

 花に心を奪われていたわたしは、いきなり背後の男性の声に心底驚いて大声を上げた。

「何、人をお化けみたいに。奈美?」

 振り返ると、そこには目を見張る美人が立っていた。 なんで男が美人なんだと思ったのか自分でも不思議だったが、ゆっくり見ても美人だと思った。

 ――にしても不思議な人。

 何が不思議って、ツッコミどころはたくさんあるが、まず髪が真っ白なのだ。 うちのひいお祖母ちゃんを名前で呼ぶくらいだから年寄りなのかと言えば、明らかに見た目は自分に近い。 髪が白いと言っても透き通るような綺麗な白さ。 その髪は長くて背中の方で一本に結ばれている。

 着ているものは、黒っぽい大昔のそれこそ平安時代くらいの人が着ていそうな神官みたいな装束。 そして、目が、瞳が紫色なのだ。 はっきり流暢な日本語を話すこの男は紫水晶のような瞳が今は好奇心でキラキラと輝いている。 薄桃色の唇がにっこりと微笑みながら、意外と低い声で私に声をかけてくる。 顔立ちはしっかり日本人なんだけど。

「奈美かと思ったら、君は彼女に縁がある子なんだね」気配が似ているから、つい間違えたと言って彼は涼やかに笑った。

 リンと鈴が鳴ったかと思うほど涼やかな笑顔で。

「わたしが、似てる? ひいお祖母ちゃんに?」

「うん、良く似ている。奈美のほうが断然綺麗だけど」

 ――んだってぇ? 過去形じゃなく現在形? いや、確かにひいお祖母ちゃんは、年寄りにしてはいい線いってると思うけど所詮年寄りじゃないの。 そう思っているのは自分だけなのか。 わたしは九十すぎの年寄りに負けてるのか。

 来年成人式のぴちぴちのわたしを差し置いて、目の前の男ははっきりと断言する。

「君が来たってことは、奈美はもう来れなくなったんだな」

 顎に手をやって男は、考えるように呟く。

 しかし、この時代錯誤のビジュアル系みたいな男の人とうちのひいお婆ちゃんと何の関係があるのだろう? すごく親しそうなのにひいお祖母ちゃんは、こんな人の事なんか誰にも言ってないみたいだ。 勿論わたしも知らなかったし。

「あなた、ひいお祖母ちゃんとどういう関係なんですか?」

「関係?」

 ふふと笑いながら男は、「恋人だよ」と応えた。 その後に熱々の、とまで言う。

 ――こ、恋人? そ、そりゃあひい祖母ちゃん今は独身なんだけど。 だけど……。

「冗談は、止めてください! うちのひいお祖母ちゃんは九十二歳なのよっ。それとも財産かなんかが目的なの?」

 人の良い年寄りをだまくらかしているのかと詰め寄ると、男は面白そうに手を上げながら二、三歩後ずさる。

「それなら大丈夫、俺も結構年寄りだから。俺のほうが年上だ。金なんて俺には用の無いものだし」

「すっごいお金持ちなの?」

 だからそんな酔狂な格好をしてふらふらしているの? と、口から出そうになって会ったばかりの人に失礼だと今更気づいて黙り込む。

「ははは、君は面白いね。俺の事を奈美のようにはっきり見ることができるんだね」

 目の前の男は、さも面白いように笑うがわたしには言っている意味がわからない。 はっきり見えているって、当然じゃないの。 そう思いながら見返すと、男は白い手をすっと差し出してきた。

「それで、奈美から預かったものがあるんじゃないのか?」

「え? ああそう言えば」

 わたしは、昨日のひいお婆ちゃんとの会話を思い出した。

 日当たりの良い離れの一室がひいお祖母ちゃんの部屋。 わたしが声をかける間も無く、いつものように中から「理奈ちゃんかい、お入り」と声がした。

 ひいお婆ちゃんは勘がいいのだとお母さんもお婆ちゃんも言っている。 誰が家にやって来るのかを事前に言ったり、今日の天気を気象予報士より当ててみたり。

 小さい頃から、わたしにとってひいお祖母ちゃんは謎の人だった。 お店で働くお祖母ちゃん以下大人たちは皆毎日忙しくて、話相手やご飯の世話などほとんどをひいお祖母ちゃんがしてくれていた。

 小さい体でくるくると良く動く彼女は、九十を過ぎているとは思えないほどだった。 だから……見逃していたのかもしれない。今回の不調を。

「明日、暑いだろうから下は薄着でね。山に入ったら寒くなるから上着はやや厚めがいいよ、理奈ちゃん。それとね、これを」

 和室にデンと置かれたベッドの中から手を出すと、わたしの手に小さな銀色の鈴を落とす。

「これ、何?」

「これを渡して欲しい。そしてこう言って欲しいんだよ」

 ひいお祖母ちゃんは、にっこり笑いながらわたしに言葉をことづけて目を閉じた。 いつ、言うのか? 誰に渡すのかさえ「行けばわかるよ」と言われてしまって。

 それを――思い出した。

「あなたに渡すのかしら。これ」

 ポケットから出した鈴を差しだされた男の手のひらにのせると彼は、「奈美」と小さく呟く。

「お待たせしましたって。ご一緒しますって、そうことづかったんだけど。どういう意味なのかしら」

 首を傾げるわたしを前に、男の顔には先ほどとは打って変わって晴れやかに笑みが広がる。

「そうか、やっと決心したんだな。奈美は俺が連れて行くよ」

「連れて行くって」

 随分と待ったんだと男はしみじみと語る。 その話にわたしは引き込まれてしまった。



        ***



「今から七十年以上は昔の話だ」

 俺は近くの地神との争いで傷ついて倒れていた。 しばらくそのまま傷を癒せばいいと、そう思ってあの樫の大木の根本にたどり着いてそのまま気を失っていたらしい。

「ねえ、大丈夫ですか? こんなところで寝てると風邪ひきますよ」

 若い女性の声に目を開けた俺の前に映ったのは、お下げ髪の女性。 歳の頃は十代後半くらいか。 まあ、人間の歳など細かくは分らない。

 まさか、神である俺に風邪ひくとか言ってくるやつがいるとは長年生きてきた俺も思わなかった。

「俺が見えるのか?」

「普通に見えているけど。あなたが見えるのはおかしいの? なら、私と同じね」

 にっこりとしながら、俺の額に手をのせてくる彼女に俺は心底驚く。

「おまえは、ただの人間に見えるが?」

 だって、ただの人だものと言いながらその女性は俺の顔を覗きこむ。

「でもね、人で在らざるものも普通に見える。あなたどちらの神さま?」

「神だと思うのか? 妖かもしれないし、人の霊かも。もっとおぞましい魔物だったらどうする?」

 俺の言葉に彼女は口に手をあてて笑った。

「何がおかしい?」

「だって、そんなものならとっくに襲われているんじゃないかしら。少なくとも私にはあなたは、悪いものには見えないわ。でも、どうかしら。この国にいる八百万の神は慈悲ばかりの神では無いものね。荒ぶる神かも?」

 変わった奴だとため息をついた俺に彼女は、いつも言われているわと応えた。

「私は奈美といいます。あなたのお名前は?」

「俺は……」

 うっかり名前を言いそうになって危うく踏みとどまる。 相手に自分の本当の名前など教えるなど俺はなんと無防備だったのか。 危ない危ない、こいつは危険なやつだ。 知らずに相手のペースに引きずり込まれている。

「カタタゴという。この森の地神だ」

「カタタゴ? ふうん」

 首を傾げながらも変な名前ねえと言いながら、彼女はカタタゴともう一度口の中で復唱した。

「ねえ、顔色が戻ってきたみたいだけど具合はどう?」

 神だと分っても相対する態度の変わらないのに内心驚く。 神だと知ってても失礼な口調は何だと思うが、怒る気になれない。 そういえば体をおこしても痛まないのに気づく。

「おまえが治したのか?」

「さあどうかしら。あたし、もう行かなきゃ。さようならカタタゴさま」

 あっさり立ち上がる奈美になぜか、このまま帰らせたくなくて手を掴んだ。

「明日も来るか? 奈美」

 いいわと奈美が頷いたのを見てやっと手を離す。

 そして姿が見えなくなるまで彼女を見ていた。 それこそ山を降りた先まで。 なんで人ふぜいがこんなに気になるのか分からない。 ただ、俺が見えただけ。 いや、傷を癒してくれた。

 心も――癒されたと、そう思った。 神が慈悲深いなど人間の側の勝手な思い込み。 神というものは、人と同じくこの世界に別の生き物として存在しているものだ。 そしてその神にだって階級というものが歴然としてあり、自分はこの地に縛られている地神という存在。

 同じ地神と小競り合いを続ける孤独な存在だった。

「また明日も来るのだろうか」

 彼女が消えた方向を見ながら俺は考え込んでいた。この気持ちはなんだろうかと。



「カタタゴさま、今日も来たわよ」

「奈美? なんだ来たのか」

 さも今気が付いたような顔をしてみせたが、実はもう朝日が昇るころから待っていたのだ。 山道を登ってくるのを今か今かと見ていたのは内緒だ。

「体を触ってくれ」そう言ってやると、奈美は驚いた顔を見せたが黙って俺の手を握る。 やっぱり、奈美が触れると体から澱のように溜まっていたどす黒い怨念のような思念が綺麗に消えていく。

「癒しの力があるのだな」

「神さまにも効くとは驚いたわ。いつもはひた隠しにしているから。力をあるのを人前で見せるとおまえはお終いだと母に言われているから」

「何でだ? 病を癒せるなら感謝されるだろう」

 昔ならねと奈美は笑う。 力のある者は巫女として尊ばれた……そんな時代もかつてあった。

「私のお祖母ちゃんがね、私と同じだったんだって。それで近所の人を治していたのだけど。次から次へと人が押し寄せてくるんだって。お祖母ちゃんはそれで疲労困憊して一日十人までにしてもらったのよ」

 奈美は寂しそうに続ける。

「体が持たないのよ。自分の生きる力を分けているのだから。だけど縋ってくる人たちは必死で。待たされて怒り狂った群集にお婆ちゃんは殺されたわ。まだ小さい母たちの前で。だから母は私にお婆ちゃんと同じ力があると知って嘆いたわ。そして人前で絶対使っちゃダメだと小さいときからそれこそ呪文のように言われたの」

「そう……か、隠すのはつらいか?」

「まだ、つらいとは思ったことは無いけど。この先大事な人を亡くす場面が出てきたときに果たしてじっとしていられるかどうか。それが心配だわ」

「なら、俺と来い。こっちの側に来ればそんな心配は要らない」

「それは、無理よ」

 すっぱり断られて酷く動揺してしまう。 会ったばかりの人間に何でこんなに執着しているのか分らず、苛々と声を荒げてしまう。

「人間なんて、すぐ死ぬし、怪我をする。病に負ける生き物じゃないか。おまえはこの先何人も親しい人間を見送って苦しむだけだ。おまえはそっち側じゃ幸せになれるものかっ」

「カタタゴさま」

 手を握られてはっと我に返り、ばつの悪い思いで奈美を見ると彼女は「さては、私を好きになったのね」と笑いながら言った。

「好き?」

「そうよ、私って結構可愛いから」そんなずうずうしい事を言って奈美は一人笑い転げる。

「俺がおまえを好きだということがそんなに可笑しいことか?」

「いえ、そうじゃなくて……」

 会話の途切れた二人の間に風の通り道が出来たように、急に風の存在を感じる。さわさわと葉を揺らす音も聞えて。

「ごめんなさい。そんなばかなことがあるわけ無いと思って。だってカタタゴさまってすごい綺麗なんだもの。あたしなんて相手になるわけない。きっとどこかの綺麗な女神さまがいるんだろうなぁって思っていたのよ。さっきのは冗談。悪かったわ、神様相手に冗談なんて失礼だわよね」

「綺麗なのは、奈美のほうだ」

 気がつくと俺は奈美を抱きしめていた。 そうか、俺は一目見たときから奈美を好きだったのだ。 だから奈美がこの先苦しむのを見ていられない。 その可能性があるのなら排除したいと思って。

「母が見たら、なんてふしだらな娘だと嘆くわね」

 重なり合って倒れた二人の周りに咲き誇る紫の花。

「良い匂いだわ。あなたからも花の香りがするのね」

「おまえのほうが良い匂いだ、奈美」

 俺と奈美はそのあとも、毎日のように会って体を重ねた。



       ***



「ちょ、ちょっと待ってよ。ひいお祖母ちゃんってあなたと会った二日目でえっと、その、あの……」

「愛し合ったな。ダメなのか?」

 カタタゴとかいう自らを地神と呼ぶ男が真面目に聞いてくるのを「い、いけなくは無いけど」と言葉を濁す。 とんだ発展家だよ、ひいお祖母ちゃん!

「だけど、奈美は人間と結婚したよ」

 そりゃそうでなくては、わたしという存在がいなくなるんだけど。 なぜか、カタタゴの言葉に息を飲んだ。 ――なんで? カタタゴと愛し合っていたんじゃないの? ひいお祖母ちゃん。

「奈美の姉が嫁いでいたが、幼い子供を残して死んでしまって。代わりに奈美を嫁に欲しいと言ってきたそうだ」

「ええ? じゃあ、お姉さんの代わりに妹を後釜にするってこと?」

「まあね、昔はままあった事らしい」

 ひいお祖母ちゃんはどういう思いで嫁いでいったのだろう。 それからの日々をどう暮らしていったのか。

「俺はずっと待っていた。奈美は夫とある契約を交わしていたようだ」

「契約?」

 うんと頷いてカタタゴは続けた。

「表面上はきっちりと妻と母を務めるが、夜を共にはしない。それでいいなら嫁に行くと」

「それで、ひい祖父ちゃんはうんと言ったの?」

「そのようだな。彼にしても好きでもない娘との縁談を断りきれなかったのと、幼い子供の世話を誰かに託したいと思っていたろうし」

 カタタゴの話にそうだろうかと奈美は首を傾げる。 初めはそうだったにしろ、そんなことが果たして続けていけるのだろうか。 そういえば、お祖母ちゃんがひいお祖父ちゃんは遊び人だったと言っていたのを思い出した。

「それなのにお義母さんときたら、悪いのはわたしだからって全然怒らないのよ」と愚痴っていた。

「それじゃあ、飲み会が重なっただけで怒ってる私が心が狭いみたいじゃない」と苦笑いして。

 そういうわけがあったのか。

「戦争時代と戦後を除いて奈美は年に一回、この時期に俺に会いに来た。 その度に俺はこっちに来いと言っていたが、彼女はまだダメだと言い続けていた」

 子供たちが結婚するまで。 傾きかけた店が立ち直るまで。 主人がいる間は無理だ。 気になることが次々におこって、ひいお祖母ちゃんはなかなかうんと言わなかったらしい。

「二つの鈴をお互いに次に会うときまで持っていようと交換していたんだ。会えば、またそれを交換して、次に会うときまでずっと側に持っていた」

 そこまで話してカタタゴは、薄く笑った。

「最近は、たぶんおまえのことが気がかりだったようだ」

「え? わたしが?」

 そうだと言って彼は頷く。

「見える力がひ孫に授かってしまったらしい。あとの能力は無いみたいだけど暫くは見ていないと心配なんだと言っていた」

「ひいお祖母ちゃん」

 いつも柔らかく包んでくれたひいお祖母ちゃんを思い出しなぜか涙が出てくる。

「もう、いいと思ったってことかな。早くあなたのところへ行きたかったろうに、ひいお祖母ちゃん。あんな歳になってからやっと恋人のところに行けるなんて」

 頬に触れる感触に驚くとカタタゴが指でわたしの頬を拭ってくれていた。

「長かったけど。奈美は今でも綺麗だ。俺と情を交わしたせいで奈美の体は会った頃のままなんだから」

「はっ?」

 泣いていた涙も引くくらいの衝撃。 あの姿が元のままって。

「ひいお祖母ちゃんは、正真正銘お年寄りに見えるけど」

「うん、そう見せているから」

 って……えええ?

「奈美がいなくなっても心配するな。奈美は俺のところにいる。会いにおいで、ここに」

 今まではっきり見えていたはずのカタタゴの姿が曖昧になる。 背景の山が透けて見える。

 きっとひいお祖母ちゃんはわたしにこの事を知らせるためにここに寄越したのだ。 お別れの時がきたのだと言いたかったんだ。 どんどん薄くなるカタタゴに何か言わなくては! 

 大事なわたしのひいお祖母ちゃんの事を――。

「待って、ひいお祖母ちゃんを幸せにしてあげてね」

「当然だ。奈美と俺は熱々だからな」

 その声を最後に彼の姿は消えた。 見えていたのじゃなく、見せてもらっていたのか。

 いずれにせよ、突拍子も無い話のはずなのにわたしはカタタゴの話を信じていた。 そしてまた、泣いていた。


 ひいお祖母ちゃんと別れる寂しさとこれまでの辛抱を思って。


 ひいお祖父ちゃんの気持ちを考えて。


 だけど、辛いばかりじゃ無かったと思いたい。 本当の子供じゃなくっても、家族として過ごした日々は真実だと思いたいから。

 そして、ひいお祖母ちゃんを待ち続けたカタタゴを思って。

 鼻をすすると一層匂い立つ紫の花の香りが体を包んだ。



 家に帰る途中でわたしの携帯に母からの慌てた声の電話が入る。 それでひいお祖母ちゃんが亡くなったことを知った。 お葬式で泣いてしまったけど、心の中で「会いに行くよ」と呟いた。


 次の年、大学からの帰りに寄った本屋でちらっと見かけた写真集に目が釘付けになる。

 思わず手に取った写真集にはピンクがかった紫の花が写っている。 それは、「かたくり」と書かれていた。

 説明文には、花が開花するには七年もかかるらしい。 三月から四月ころに咲く花で「スプリング・エフェメラル」春を呼ぶ花だと書いてあった。

 花言葉は「初恋」「嫉妬」「寂しさに耐える」だとも。

 昔の言い方で堅香子かたたごという。




 もう春だ。ひいお祖母ちゃんに会いに行こう。 カタタゴにも会いに行こう。 そう思った途端にあの花の香りと鈴の音がしたように感じた。




    おわり





この小説は「かたくりの花」を題材にしました。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/Mikan/hana/index.htm「雑学花言葉」

から引用してます。


参加させていただいてありがとうございました。

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[一言] 春・花小説企画に参加させていただいておりますイリです、お世話になっております。 全体をとおして和むというか、ほんわかとあたたかいお話で何よりもドラマチックでした! ファンタジーのジャンルは…
[一言] 企画一緒に参加させて頂いています飯野です。 拝読させて頂きました。 優しい雰囲気のお話でした。カタタゴさんのおばあさまに寄せる想いが伝わってきました。長い年月、一年に一度の逢瀬。それでもお互…
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