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幻獣たちの恋  作者: クインテット
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ゾンビの恋

 私には恋人がいる。いや、いた、と言った方がいいかもしれない。

 私の彼氏、真生(まさき)は、どうやら生前感染していたらしいのだ。


 私が小さな頃から、ゾンビウィルスというのが世界的に蔓延(まんえん)し始めた。

 子供の頃は感染者は珍しかったけれど、大人になる頃には風邪よりも知名度を誇る病となった。

 この病には死後感染と生前感染があり、初めは死後感染しか見られなかったが、次第にウィルスが変異し、生前感染というおぞましい機能を搭載(とうさい)してしまった。


 死後感染は主に遺体を土葬する地域で流行したが、次第に火葬する地域にもウィルスが持ち込まれ、焼却前の遺体が生き返るようになり。生者に害をなすようになった。

 不死の軍団、街を襲う。

 そんなニュースが、連日報道されていた。

 その映画のような症状から、ゾンビウィルスと呼ばれるようになったそれは、生きている人には感染しないため、すぐに注目されなくなったのだが、私が大学に入った頃、ゾンビウィルスは生前感染をするようになった。

 生きている間は何の変化もない。しかし、感染者は死後蘇る。

 死後感染との違いは、人を襲うようになるまで1年程猶予(ゆうよ)があることだ。

 それまでは本当にこの人は死んだのかと不思議なくらい人と変わらない生活を送ることが出来る。

 また、1度死亡した人から生きている人には感染しないため、生き返った人は友人達と過ごすことを許可されている。

 ただ、少しずつ生前の記憶が無くなり、体の機能は停止していくのだけど。

 というのが、ゾンビウィルスに関する私の経験とwikipediaからの引用。


 真生(まさき)が現場での作業中に転落死してから、1週間が経った。

 彼は、どうやら感染者だったらしい。

 役所から分厚い封筒が届いたかと思うと、無機質な文字でそう伝えられた。きっと、定型文なんだろう。決まりきった慰めの言葉の数カ所が、真生の名前になっているだけ。

 私はやさぐれたが、真生との時間はあまりない。

 1年後には人を襲うようになるため、その少し前、10月には射殺されてしまう。その間に、真生は親戚や友達、そして私の所を転々として過ごすのだ。

 私の所へ来るのは2週間に1度。真生は友達が多い方だから仕方ない。だから、1回、1回を大事にしなくては。

 もう、3度目はないし。2度目も、本当はいらない。


「このオムライス美味しいね。

 奈央のオムライス食べるの初めてだけど、何食べてもやっぱり美味しい。」

 真生は本当に美味しそうに食べている。スプーンを使って器用に食べている。

 ああ、良かった。まだまだ大丈夫だ。

「ありがとう。

 真生は本当、卵料理好きだよね。」

 私は胸に(うずくま)っているもやもやが少し晴れた気がして、笑いながら答えた。

 真生も私の笑顔を見て笑う。

 大丈夫。まだ何も変わらない。ネットの記事は嘘っぱちなのだ。

 真生は、記憶も失わない。

 いつまでも、このまま。


 だが、ふと私は思った。

 真生が来る度に、オムライスを食べて貰えばいいんじゃないか。どのくらい真生が離れていくのか分かるから、きっと諦められる。まだ生きている感じがするからいつまでも誰も前に進めないのだ。と。

 真生は、素知らぬ顔で食べている。これも、いつか幻になるのだから。


「ごちそうさまでした。」

 ふたりで手を合わせ、私がお皿を洗う。真生はお風呂掃除。

 変わらない。変わらないな。

 シンクから見える景色も、お風呂場から聞こえる水音も。

 真生も、私達も、死という出来事がなかったかのように過ごしている。それがきっと最善だから。

 お風呂場からは、とあるロックバンドのデビュー曲の鼻歌が聞こえてくる。


 結局、また真生が訪ねてきたのは1ヶ月後となった。

 どうやら、予想よりも真生との生活を希望する人が多かったらしい。

 それに関してはある程度予想していたから、そこまでショックではなかった。

 ただ、久しぶり。と、笑う真生の歯が数本、抜けていた。

 黒くなった真生の口。

 私は、上手く笑えていただろうか。こんなに、痛いとは思わなかったな。


「いただきます。」

 ふたりで手を合わせる。

 ふたりの前には、オムライス。

 真生はからかうように、またオムライス?と言った。

 ああ、覚えていてくれているんだ。記憶まで抜け落ちたわけじゃないんだ。

 そうだよ。と私は真生と同じように笑みを混じえて返した。


 いつもと同じようにお皿を洗う。

 そして、ほら、また真生は自分からお風呂を掃除している。鼻歌を歌いながら……。

 いや、歌ってはいる。でも、何だか、途切れ途切れなような。うろ覚え、なような。

 ほら、真生、カラオケでいつも歌ってたじゃない。忘れないでよ。真生。


 それから暫く、真生は来なかった。

 携帯の使い方も忘れてしまったのか、連絡もない。

 生前感染の人の中には、次第に醜くなっていく自分を友人や家族に見せたくないと次第に交流を絶っていく人もいるらしい。

 真生もそうなのかな。私はまだ会いたいのに。


 午前(れい)時。インターホンが鳴った。

 一人暮らしの私には相当怖いものだったが、一応ドアスコープを覗く。

 真生だ。多分。断言は、できない。

 頬はこけ、髪は随分と減っている。顔色も土色をして、いかにも生前感染者、という感じだ。真生が誰かに後ろ指を指されていないといいのだが。


 私は意を決して、そっとドアを開けてみた。アパートのドアが重い。

 一方、真生は嬉しそうだ。

「奈央。久しぶり。」

 枯れ木のような片手を挙げながら、真生はしゃがれた声で言った。私も同じ言葉を下手くそに言う。

 真生は難しそうに靴を脱いで、綺麗に並べることなく部屋へと上がった。


 まさかこんな時間に真生が来るとは思っていなかった。

 要するに、オムライスはない。

 でも、真生にオムライスを食べさせないわけにはいかない。

「待ってて。今、晩御飯作るから。」

 私は適当に髪を結び、エプロンを着た。

 真生をちらりと窺う。

 真生はにこにこしながらこちらを見ている。


「晩御飯何かなぁ、楽しみ。」

 真生の言葉を聞いて、私の胸は、うるさいくらいどくんと言った。

 真生は察しがいい方ではない。とはいえ、いい加減分かるだろう。私が、いつもオムライスを食べさせることを。

 忘れて、ないよね。

 私はぎこちなく微笑み返し、卵をかき混ぜ始めた。


「へえぇ、オムライスかぁ。」

 きらきらと(にご)った目を輝かせる真生の一挙一動を見守る。

 真生は、私の視線に気づいたのか、はにかみながらオムライスから私へと視線を移した。

「奈央がオムライス作るの、初めてだよね。

 本当、奈央は何でも作れるね。」

 そう言って、真生は卵をぱくついた。

 私の動きが、(なめ)らかさを失う。

 真似して食べた卵は腐っていたのだろうか。縁起でもないが、味を感じない。

「そう、だね。

 初めて作る。オムライス。」

 私の下手くそな嘘を、真生は(とが)めなかった。あまつさえ、笑って、美味しいよ、と言った。


 真生に味覚は残っているのだろうか。

 残っていないのなら、きっと私と同じ味を感じていることだろう。辛いだろうな。笑ってる場合じゃないよね。


 食べ終わった食器には、米粒ひとつ残っていなかった。

 真生はお風呂場ではなく、ダイニングにいた。

 それだけでも違和感を感じるが、何より物音がしない。私の耳に聞こえるのは、水音、食器の鳴る音、響き渡る心音。それくらい。


 私が食器を洗い終え、手を拭きながらリビングへと向かうと、真生が真剣な顔をしてこちらを見ていた。

「あのさ。」


 私は黙っていた。続きを促さなければ、聞かなくて済むだろう。しかし、真生はそれを許さなかった。目の前の椅子を指差し、私に座るよう促すと、話し始めた。


「実はね、見たら分かると思うんだけど、結構、腐敗が速いんだ。俺。

 記憶の消失も、人より速いみたい。

 だからさ……。」

 ボロボロになった肌を、皮膚の薄くなった手でさすりながら真生は話している。

 私は、続きが分かっている。何となく。

 このタイミングで真生が来た時から。気づいていた。だから。


「来月に、射殺処分が早まったんだ。」

 ショックなんて、受けるわけが。


 真生は、俯きながら言った。

 それでも、口角はいやらしいほど上がり、焦点の合わない目は(まぶた)で覆い隠されている。

 私は、返事をすることができなかった。


 何を言えばいい?

 この日が来ることは分かっていた。だから、ずっと考えていたのだ。いくつか候補はある。常套句(じょうとうく)だけれど。

 今までありがとう、とか。私のことは忘れてね、とか。


 でも。私は。

「来月まで、ここに居てくれない?」

強請(ねだ)ってしまった。

 この世に引き留めることだけは絶対にしないように、何度もイメージトレーニングをしていた。

 でも、こんなことを願うなんて、思ってもみなかったのだ。


「それはできない。」

 俯いたまま、真生は言った。しかし表情は相応に強ばり、両手を強く握り合わせている。

「今日で最後にしようと思うんだ。

 これ以上こんな俺と一緒にいたら、思い出してもらう時に、俺の顔、腐っちゃうだろ?」

 その声には自嘲(じちょう)が多分に含まれている。

 抱き締めたかった。

 でも、そんなことをしたら、脆く崩れてしまいそうに見えた。


「それでもいい。

 綺麗な顔で思い出せるかどうかは重要じゃないの。

 思い出せるかどうかが問題なの!

 どうして今の真生と一緒にいたいか分かる?

 真生を思い出せなくなるのが怖いからでしょ!」

 気がつけば怒鳴っていた。

 真生は呆けた顔でこちらを見ていた。

 暫く後、少しだけ笑って。小さく呟いた。


「お前は、忘れないよ。」


 6月14日。晩ご飯は、オムライス。

 頂きます。と手を合わせる。

 もうスプーンを握れなくなった真生は手掴みで食べている。

 もう声も出ていない。

 それでも、その満足そうな顔を見ていると、私の料理はまあ美味しいのだろうと思う。

 私は、上手く笑えるようになっていた。きっとこれが、死ぬまで特技。ああ、もしかしたら死んでもかも。


 翌日。

 良くデートの時に乗っていた白いワゴンに、ふたりで乗り込む。

 あの頃と変わらず真生は助手席にいる。

 変化をあげるとすれば、シートベルトを自分でつけられなくなったくらいだ。

 面影のない彼にシートベルトをつけ、ゆっくりとペダルを踏み込んだ。

 窓の外は、恐ろしく高速で流れていく。

 ちらっとスピードメーターを見た。30km/hだった。


 私は、大回りして車を走らせた。彼とのデートスポットを極力通らないように。

 ラジオは爆音でかけた。

 この走っている光景、音。何もかも、覚えたくない。忘れたい。この雑音で、全て消えてしまえばいい。

 しかし、鳴った音は確かに私を引き戻した。あの曲だ。あのバンドのデビュー曲。

 助手席を見た。真生は笑っている。

 私は、そっとラジオを切った。

 相変わらず、真生は笑っている。


 バタン、と運転席のドアを閉め、助手席のドアを開ける。シートベルトを外し、痩せ細った真生の手を取って、車から降ろす。

 感染症研究所。

 感染症の拡散を恐れ、一般人はこの駐車場までしか同行できない。

 いい法律だなあ。

 私は柄にもなくそう思って、左前方にいる人影に近づく。

「お待ちしておりました。

 この方は田川真生さんで、間違いないですね。」

 暑そうなスーツに身を包んだ男が、そう言って私の方をちらりと見た。

「はい。それが、真生です。」

 私は力強くそう言った。

 男はそうですか、と無関心そうに返すと、真生の腕を自らの肩に引っ掛け、歩き始めた。

 真生は自分で歩こうと足をばたつかせている。


 その背中を見守っていると、真生と男が立ち止まった。

 注視していると、真生がゆっくりと振り返り、私と目を合わせた。

「お前は、忘れないよ。」

 真生の声が、耳元で聞こえた気がした。

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