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幻獣たちの恋  作者: クインテット
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ドラゴンの恋

「困ったわね……。」

 リュックサックが、歩く速度に合わせて揺れている。

 空を見上げると、今にも雨が降りそうな鉛色の空を、大きな樹の葉が隠していた。


 地質学者の彼女は、密林の奥深くで、道に迷ってしまった。コーディネーターとも通訳ともはぐれ、薄暗い木下闇(こしたやみ)にひとりきりである。彼らは無事だろうか。

 幸いにも、食料や水、応急処置セットなどは数日分持っている。

 しかし、未知の密林の中でひとりというこの状況は、彼女の心臓を早めた。

 なんとか獣道を歩いているが、木の上から蛇が飛びついてきやしないか?という不安が足に絡みつく。この密林には、人など容易に殺せる動物がいくらでもいるのだ。

 しかし、進まなくては、帰れない。


 私は、今どこにいるのだろう?

 黒い空のせいで、今が昼か夜かさえ分からない。

 知らぬ間に息は上がる。


 そんな彼女の目を、(まばゆ)い光が(くら)ませた。

「何……この光は……。」

 危険だ。引き返せ。

 誰かにそう言われ、右肩を引かれたような気がした。

 しかし、彼女の足は、光の中へと向かっていた。


 光に目が慣れたとき、彼女は巨大な生物を見た。

 密林を突き抜けんばかりの巨体。

 背中には、密林に群生する木が生え、擬態に適しているようだ。その背はラクダのように盛り上がり、その足は象に似ている。頭は彼女の視線を遥かに超える程、高い位置にある。ハケのような乾いた(ひげ)を垂らし、尾っぽの先を天に向かって真っ直ぐ向けている。


 その落ちくぼんだ瞳が、彼女を見据えた。

 彼女は逃げようとするも、足がすくんで、まったく役に立たない。

 その視線を交わらせたまま、彼女は尻もちをついた。


 それを見て、巨大な生物は尾っぽを伸ばし、そっと彼女を立たせた。

「あ、ありがとう……。」

 彼女は思わずお礼を言った。

 すると巨大な生物は、また尾っぽを天へと突き立てる。

 神々しい。その様は、いかにも幻想的。大学時代読みかじった神話の挿絵のようだ。


 巨大な生物は、あまり動かなかった。その巨体ゆえ、食べ物の調達が困難なのだろう。


「あ、あの。帰る道を知りませんか?」

 彼女は、声を張り上げた。

 その知的な居住まいに、この生物は何でも知っているのではないか、と感じたのだ。

 しかし、その生物は何も答えず、その居住まいを変えることもなかった。


 それもそうだ、と、彼女はしゃがみこんだ。すると、またその長い尾っぽを差し出された。


 彼女は大人しく、その尾っぽを握って立ち上がった。

 彼女は感じ取った。

 これは、慰めているのではない。この生物には、何か目的があるのだ。と。


 生物は尾っぽを戻し、またピクリとも動かなくなった。

 彼女はその様子を、黙って見据えている。

 可哀想だな。寂しかろうな。

 彼女は、少し悲しくなった。

 神々しく知的な居住まいは、何かに縛られた悲しい居住まいになった。


「何かを示しているのかしら?」

 そう口に出した。何とはなく、音が欲しい。

 この生物の周りには風もなく、しんとしている。どことなく漂う疎外感は、そこから来ているのかもしれない。

 彼女は、この生物を助けようと心に決めた。密林からの脱出は、もう半ば諦めている。どうせなら、何か善行をして死にたかった。


 彼女は眩しさに目を細めながら生物に近づき、上を見上げた。やはり、鬱蒼(うっそう)と茂った木々が、空を覆うばかりである。生物の頭上まで高く茂った木が、ドームのようにふたりを包み込んでいる。

 少し目眩がした。


 これが原因かしら?彼女は心の内に、そっと呟いた。

 その木々は生物の頭ごとすっぽり覆っている。

 しかし、その生物は空を見上げ、尾っぽを空に捧げることをやめようとしない。

 何か、意味がある気がした。意味の推測はできないのだが。


 彼女は、横たわった生物の体に、そっと触れた。

 やはり、ピクリとも動かない。

 それに安心し、生物を傷つけないように、ゆっくりと生物の体を登り始めた。

 生物の皮膚は硬く、象に似ている。

 体に生えた木の幹に手をかけ、少しずつ上へ向かう。どうか、折れませんようにと願いながら。

 少しずつ、息はあがる。見上げた首は痛み、腕も悲鳴を上げていた。

 それでも、と。彼女は手を伸ばし、上を目指した。


 とうとう、背と思われる部分に辿り着いた。

 相変わらず、生物の反応はない。

 彼女は、そこで腰を下ろさないように立ったまま休むと、今度は木登りを始めた。

 生物の背にある木はレプリカなどではなく、どうやら本物らしい。彼女の体重にも耐えられそうだ。

 とはいえこれは素手では困難なので、ロープを引っかけ、上を目指した。


 最も背の高い木の1番上に辿り着くと、リュックに手を伸ばし、マチェットを取り出した。

 まさか、神経は通っていないよな、と自分に言い聞かせ、自分の視界にある葉を切り落とした。すると、ようやく生物を覆っている葉の天井が見える。それに向かって手を伸ばす。

 マチェットが、その天井を捉えた。

 天井を形成する葉を切り落とした。

 木々を移動し、その数は増えて行く。

 はらりはらりと落ちていく葉。

 これで良いのだろうか。分からない。

 私は学者なのに、環境を破壊して、正しいかも分からない。

 それでも、彼女はがむしゃらにマチェットを振り続けた。


 振って、振って、振り続け。彼女の腕は疲弊(ひへい)しきっている。

 それでも、天井に大穴を開けるまで、彼女は諦めなかった。

 少しずつ、生物から発せられている光が、天へと伸びていく。小さな穴から、曇天(どんてん)の日、天使が降りてくるように。


 果たして、穴は開いた。

 肩で息をする彼女を乗せたまま、生物は立ち上がった。頭と尾っぽを器用に折り曲げ、その穴をすり抜けて。

 見上げる彼女に天井は近づき、やがて突き抜けた。

 綺麗だ。空というのは。

 彼女は一種の感動を覚えた。

 鈍い色の空は、生物を隠すためにあるかのように見える。決して、醜くないのだ。


 しばらく空を見上げ、首が疲れたので見下ろしてみる。

 高い。

 先程までは夢中で気づかなかったが、いつの間に私はこんなところに。

 高所恐怖症ゆえ地質学者になった彼女は目を瞑った。

 地面の動くのを感じる。

 恐ろしい。

 やはり、間違えたのだろうか。どうしよう。

 彼女の頭の中は、希望的な意見と、絶望的な意見が、混ざりあって不快な音を立てている。


 やがて、揺れは、止まった。

 彼女は、密林の入口に座っていた。

 地面には、コーディネーターと通訳が転がっている。

 陽の光に目が慣れた時、その手に彼女の切り落とした葉が握らされているのに気づいた。

 その葉は、何の因果か、綺麗なハートに見える。

 密林を振り返った。

 生物が、空へと上っていく。巨体も、小さく見えた。


 国へ帰る空港の途中で、彼女は考察し、結論を出した。

 あの生物は、きっとあの密林の木々を傷つけられなかったのだろう。そして、彼は昔天に住んでいたのだ。

 密林に降り立った彼はいつしかあの天井に阻まれ天に帰れなくなり、ずっと尾っぽで天を指して助けを求めていた。

 そうだ、そうに違いない。と。


 しかし、それが正解かどうかということと、彼から渡されたハートが何を意図しているのかは、彼女には分からなかった。


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