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幻獣たちの恋  作者: クインテット
18/36

お稲荷様の恋

とある少女がいる。

彼女には無神論者の両親と、

信心深い祖父母がいる。

彼女は、おばあちゃん子だった。

成長するにつれ、

祖父母の家に行くことは少なくなったが、

信仰心を捨てることはなかった。

祖母はたくさんのものをくれた。

優しさ、厳しさ、礼儀、友情。

そして祖父もまた。

色んなものを押し付けた。

安全に生きる術、計算術、

夢の見方とかその他諸々。

それらをもらえることは、

きっともう二度とないんだろうな。

彼女は滑り落ちないようにそれらを

抱きすくめて生きる。


ある日のこと。

彼女はバスの窓を流れていく景色を

ぼんやりと見ていた。

なんとなく、何もしたくなかった。

いつもは勉強をしたり、

本を読んで過ごすのだが。

何だか疲れていた。

文化祭から続けざまに首を絞める

定期試験のせい?

なんだか重たくて粘っこい

生理痛のせい?

あるいはその両方か。

気力を川に投げ込んで、

窓の外を見ていた。


彼女はいつも終点で降りる。

終点の前でズラズラと並ぶ

バスに顔を向けていた。

蛇みたいだな。

いや、なんだか節があるし

虫っぽい?

なんてことを考えていた。

そんななか、ふと朱が目に入った。

なんだろう。

注視してみると、どうやら鳥居らしい。

それはミニチュアのようで、

しかも視線上に街路樹が植わっているので、

神社らしきものは見えない。

外国人観光客向けのレプリカかな。

少女ー今更ながら有希というーは、

そんなことを思った。

バスはつっかえて止まっている。

しげしげと見てみるが、

やはり本物には見えない。

だが良く見ると、すぐ横に慰霊碑がある。

もしかしたら、本物かもしれない。

何より、あの鳥居いや、

神様に呼ばれたような気がする。

有希はひとまず様子を伺うことにした。

もし神社なら、参拝した方がいいかもしれない。

鳥居が近づいてくる。


「終点です。

忘れ物のございませんよう……

ありがとうございました。」

有希はいつもと反対方向へと歩き始めた。

見慣れない景色、

近づいてくる鳥居。

初めは見間違いに思えたそれは、

やはり本物らしかった。

ひとまず巨大な慰霊碑を確認する。

どうやら、戦争の犠牲者を悼んだもののようだ。

この国では散見するものの、

やはりどの碑にも重みがある。

とはいえ、今の目的はそれではない。

あえて先送りにした、鳥居である。

有希は鳥居をふっと見上げた。

やはり、本物らしい。

木に囲まれているものの、

小さな神社がある。

だがそれは慰霊碑よりもはるかに小さく、

ともすれば鳥の巣箱にも見える。

鳥居も小さければ、神社も小さいのだろうか。

そもそも本当に神社なのか?

有希はもう一度鳥居を見た。

「稲荷大神」と書かれている。

疑う余地はなくなった。

有希は頭を下げて鳥居をくぐると、

社の前に立った。


有希は二度手を打った。

これも祖父母に教えられた作法である。

パン、パン。


久しぶりに人が手を叩く音が

聞こえたので急いで様子を見に行くと、

1人の少女が手を合わせている。

少女と言っても歳の頃は16かそこらで、

そろそろ少女を卒業するような年である。

珍しい客だなと思った。

私の元を訪ねてくる人はそもそも少ない。

この辺りは随分開発が進んだものの、

御神木と私の社だけは

残されていたのだ。

その御神木は私を守るように

生えているために、

社があることを知っている人が

どのくらいいるのかさえ分からない。

現代は即物信仰が進んでいるし、

結果はすぐにスクリーン越しに分かる時代だ。

いるかどうかも疑わしい、

本当に願いを叶えてくれたのかも

良く分からない得体のしれないものに

時間を費やすより、

資格のひとつでもとりたいのだろう。

そんななか、老人ならともかく

若い娘が来たのは衝撃だ。

どんな願いだろう。

とはいえ、私も人が来なくなって久しい。

私たちは信仰が薄れると力も弱まってしまう。

あまり大それた願いでは、

叶えられないかもしれない。

少女は特にこれといったものがないのか

しばらく悩んでいたが、

やがて静かに願いが聞こえてきた。

「明日、ちょっといい日になりますように。」

川のせせらぎのような声だ。

心の内に編んだ声は

実際の声と異なることもある。

だがそれはどうでもいいことだ。

この少女は恥ずかしがり屋らしいから。

恐らく、願いを声に出すことはないだろう。

彼女は人目を嫌って、

すぐに去っていってしまった。

確かに人の通りは多い。

私のところに来ないだけで。

私は少女の歩き去る姿を見ていた。

御神木の葉が風で揺れている。


翌日も、彼女はやって来た。

なぜか名を名乗らないので

名前は知らない。

だが、気づけば愛着が湧いていた。

背中が見えなくなったあとも、

ずっと彼女のことを考えていた。

どうやってここに来てくれたのだろう。

どうやって、私を見つけたのだろう。

「お礼参りに来ました。」

川のせせらぎがまた聞こえる。

「お稲荷様のおかげで、

今日は良い1日でした。

実は明日小テストがあるので、

良かったら……。点を上げて欲しいです。」

彼女はそう一方的に言うと、

また行ってしまった。

しばらく私は呆けていたが、

すっと腕を組んだ。

なんだろう。何か、糸口のようなものが。

そうだ。枕詞。

「お礼参り」だ。

彼女の願いを叶えれば、

また来てくれる。

真面目な彼女のことだ。

何度でも来てくれるだろう。

私は嬉しくなって、

彼女のヤマが当たるように術を施した。


かくして、彼女は来た。

お礼参りに来た。

私は幸せだった。

彼女の小さな願いごとを、

ただ叶えるだけで。

こんなことで、幸せになるとは思わなかった。

でもその翌日、彼女は来なかった。

私は狼狽した。

願いは叶えたはずだ。

なのに、なぜ。

私は御神木を駆けるように狂い回った。

だがふと気がついた。

今日は土曜なのだ。

彼女はどうやら

学校帰りに通っているらしいから、

今日は来なくても無理ない。

私は胸が鳴り響くのを

努めて無視して、木から降りた。

なんと浅ましい。

こんなことで動揺するとは。

何より、1人の信者にここまで

肩入れするなんて。

頭を冷やそう。

私は土日の間、次々とやって来るバスを

眺めて暮らした。

久しぶりに、穏やかな日々だ。

胸をかきむしられることもなければ、

楽しみもない日々。

そんな日が帰ってきたのだ。


それからも彼女は毎日のようにやって来た。

彼女は私が稲荷と知ってか知らずか

学業のことばかり頼んでくる。

別に分野でないだけで、

簡単なものなら私でも叶えられるのだ。

だがある日、ふと思った。

もし彼女が大学に行ってしまったら、と。

きっともう、ここには来ない。

バスではなくて、

電車で遠くの街に運ばれてしまう。

それは……嫌だ。

でも、きっと彼女はいつかこう願うだろう。

「第1志望合格!」


「はぁ……。」

私は溜め息を吐いた。

それは川のせせらぎに

かき消されてしまって、

御神木の葉音だけがこの場を包んでいた。


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