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幻獣たちの恋  作者: クインテット
12/36

死神の恋

 こんな単純な始まりがあっただろうか。


 昼間なのにコウモリが飛び交っている。

 そんなおかしさに拍車(はくしゃ)をかけるように、崖の上には1人の女性がいた。

 彼女は火曜のドラマに出ているわけではなく、死を考えているわけでもなかった。

 そこは観光地。今日は平日。無理やりとらされた有給休暇。

 要素を書き並べればそんなところだ。

 彼女はコウモリにはいっこう気づかず、(まれ)に見られるというイルカを探していた。

 約束事は、崖から1mは離れること。

 それでも、大丈夫。あと1歩、あと1歩。

 今ではもう1歩踏み出せば虚空(こくう)、というところにいる。

 それにも彼女は気づかない。


「あっ……。」

 その「あっ」、には、イルカらしき背びれを見つけた嬉しさ、崖から落ちようとする悲鳴が込められていた。いささか過重労働である。

「おっ、と。」

 そんな彼女を、後ろから誰かが抱き抱えた。

 彼女の冷えきった(きも)を、あたためることを許さない体温のない腕。

 服越しでは、こんな事態では。

 そんなことさえ、分からない。


「大丈夫か?」

 振り返ってみれば、見慣れぬ男性が立っていた。

 どうにも無個性な顔をしている。

 日本人男性の全ての顔を集めて、平均的な顔を計算したコンピュータが勝手にプリンタから吐き出したモンタージュのような顔。

「はい……。」

 女性―今更ながら名前は夏菜子(かなこ)という―は、恐る恐る答えた。

 すると、平均男は舌打ちして、頭をくしゃくしゃとかいた。

 行動は平均ではないようである。

 夏菜子はそんな男性の態度に、靴先を踏みつけてやりたい衝動に駆られたが、常識がそれを咎めた。

「やらかした……。

 俺は明日の午前0:00、死んじまう。

 この責任はとってもらうぞ、人間。」

 男性はそういって夏菜子の額に人差し指を突き立てた。

 いよいよおかしいのではないか。こんな状況、この男。

 夏菜子は常識がぐらつくのを感じて、男の靴先を踏みつけた。

 しかし男は痛がる様子も見せず、話を続けた。


「俺はお前ら人間に分かりやすく言うと、死神だ。

 とはいえ、今日は非番だ。お前を殺したりはしない。

  えー、それで、俺たち死神はな、お前ら人間を助けると、次の日の夜明けも待たず死んでしまう。

  そりゃそうだ、警官が一般市民に拳銃ぶっ放す様なもんだからな。」

 男はそう言って溜息(ためいき)()いた。

 死神も呼吸をするんだな、なんてことを夏菜子は思いながら、死神の足元を見た。

 ちょっとがっかりだ。

 狂人か演劇団の一員なら、もっと凝った設定を練り、実行すべきだ。人間臭さなど出してはいけないのである。

「おい、聞いてるのか?木村 夏菜子。

 お前が俺を殺したようなもんだ。

 今日は1日、俺に付き合ってもらうぞ。」

 見ず知らずの男に自分の名前を呼ばれ、夏菜子は、はっと顔を上げた。

 ストーカーの(たぐい)だろうか。

 私に好意を向ける人なんて誰も。

 いやそうか、それなら、この人は貴重なのかもしれない。私をストーキングするような物好きは、大切にしなくちゃ。

「危険なことでなければ……。」

「当たり前だ。お前に死なれては困る。

 俺のことは好きに呼べ。

 この仕事をして、人間界を見て。

 行きたかったところが、いろいろあったんだ。」

 急に現れて、急に死んで。

 全てを夏菜子に押し付けた。

 だからか、夏菜子はしおらしい死神の語感に怯んだ。

「ごめんなさい。あなたを殺してしまった。」

 急に体が冷えた。潮風は絶えず夏菜子の足を引っ掻いていた。それに、今更気づいたのである。

 足元から冷えていく。

 ひんやりとした静脈血は足元からすぐに全身を巡って、罪悪の毒素を回していく。回って、回る、回る時。

 夏菜子は謝った。静脈血は噴き出した。

 風は()いだ。

「捕まらずに殺しができるって、最高の気分だろ。

  知り合いならともかく、見ず知らずの人を殺して罪の意識なんか感じるなよ。」

 びゅうと吹いた風は、夏菜子の前髪を吹き飛ばし、適当にセットした髪型を乱した。

 この男と話していると、頭がおかしくなりそうだ。知らぬ間に常識が変わっているような、そんな気がする。


 死神と夏菜子は電車に揺られ、繁華街に到着した。

 電車の中では夏菜子は声を出さないように努めていた。

 この男に興味がないわけではない。だが、会話は必要最小限にしたい。それだけだ。

 景色は単調に流れていく。

 夏菜子の頭の中、ループし続けるピアノ協奏曲はト短調だ。

 死神はぼうっと車窓を見ている。


「これを。食べてみたかったんだ。」

 タイルで敷き詰められた道を歩いていると、死神が不意に止まって指さした。

 アイスクリーム。

 別段有名な店というわけでなく、特別なフレーバーということもない。

 バニラ味の、雪だるまアイスだ。

 ブラックボードにチョークで丁寧に描かれたそれは、夏菜子の目にも美味しそうに映った。

 夏菜子は両手に雪だるまアイスを持って、席で待っている死神の元へ向かった。

 死神はしきりに指を組みかえながら待っている。

 既に正午近いからか、死神の頭上のパラソルは濃い影を地面に投げかけている。


「冷た。」

 夏菜子は思わず1口目の感想を述べた。

 死神は驚いたようにそれを見ている。

「冷たいのか?

  俺は分からん。

  最後くらい、神経の1つも通りゃいいもんを。」

 死神はそう愚痴り、雪だるまアイスに噛み付いた。

 死神がアイスを噛んで食べるタイプなのか、それともアイスを舐めることを知らないのか、夏菜子には分からなかった。夏菜子はこれ見よがしに歯ではなく舌を使ってアイスを食べた。

 雪だるまは次第にとけて、コーンの底へ沈んでいく。

 夏菜子はコーンごとかぶりついて、最後の1滴まで胃に入れた。

 死神は両手を溶けたアイスでねちゃねちゃにしながら、溶け残った部分だけ食べた。

「溶けたのも、ここも、食べれるんだよ。」

 夏菜子が指導すると、死神は素直に従って液体化した雪だるまも、コーンも食べ切った。

 その間に取ってきておいたナプキンでべたべたの手を拭ってやると、死神は微笑んだ。

 夏菜子はその時確かに自分の心が動いたことに気づいたような拒否したような。

 少なくとも、0.3mmの胸の(うず)きくらいは感じた。


「次は、あそこ。行ってみたかったんだ。」

 そう言って、死神が指さしたのは、コインランドリーだった。

 夏菜子はもっと豪遊するとか、常識外れなことをすると思っていたので、少し拍子抜けしながら入店した。

 だが、しかし。

 夏菜子は洗濯する衣類など持ち合わせていないのである。

 とはいえ幸いにも、利用客はなく、夏菜子は監視カメラの向こうに勤勉な警備員がいないことを祈るだけで良かった。


 人がいないだけで、洗濯機自体は起動していた。

 ウォーというモーターの唸り声に被さるように、ゴトンゴトンと衣類が底面に叩きつけられる音がする。

 それはなんだか機織(はたお)り機の奏でる曲にも似ていて、結局布は作られる段階に帰着(きちゃく)するのだなと思わせる。

「死にたい人間はここが好きだ。

 服と一緒に飛び込みゃ、いつでも死ねるなんて考える。

 そんな勇気もないからここに座ってるってのに。」

 死神は誰にとなく言った。

「ここで、何人の人と会ったの?」

 夏菜子は出来るはずもないのに同情した。

 同じ体験が出来ないのに、同情など不可能なはずである。しかし、時に人は不可能を可能にする。

 気のせいかもしれないが。

「さあな、覚えちゃいねえ。」

 死神はかき回される服を見ながら言った。

 やおら洗濯機の窓を指さして、

「あれよりも多い。」

と言った。

 あの中に何枚あるか分からないが、少なくとも30はあるだろう。

「古いものね、ここ。」

 と、夏菜子は的外れか、ギリギリ的の縁を(かす)めるくらいの回答をした。

 死神はまた笑った。鼻から息を吐き出した。

 夏菜子の心が、さっきとは逆方向に動いた。


 パイプ椅子に座ってしばらくして、その洗濯機の中身を取りに、青年が入ってきた。

 夏菜子は死神を肘で小突いて退店した。

 気づけば街は朱色に染まっている。

 思っているより長く、ここにいてしまったようだ。

 夏菜子の腹がぐうと鳴る。

「お腹空いた。

 そういや、私お昼飛ばしたんだったわ。

 もう材料買ってあるし、晩御飯は私の家でいい? 」

 と、半ば強引に誘った。

 死神は、

「まあ、人間らしいこと1度してみたかったし、いいぞ。」

と言って、夏菜子に着いて行った。

 夏菜子はアパートにひとり暮らしで、特に気兼ねすることもない。

 材料はひとり分しかないが、まあなんとかなるだろう。


 307号室の鍵穴に自作したキーホルダーをつけた鍵がささる。

 一応アパートの住人に見られないように警戒しながらここまで来た。

 とはいえちらほら空室のあるからか、誰かとすれ違うこともなかった。

 それでも夏菜子は出来るだけ解錠音が出ないようにしている。この行動に深い意味は無いが、こういうことはしめやかに行われるべきだと夏菜子は思い込んでいるのだ。

「どうぞ。」

 夏菜子は一応声をかけたが、返事もなく死神はあがってきた。

 靴を脱ぐという最低限のマナーは守ったが、倫理的な面で期待することは避けた方が良さそうだ。


 死神を居間のソファに待たせ、夏菜子は夕食を作り始めた。

 ご飯は出発前に炊いておいたため、あとはご飯の上に乗せる具材の処理をすれば良い。

 今日の木村家の夕食は、3色ご飯である。急遽(きゅうきょ)二人分にしたため小盛になってしまったが、夏菜子は少食なので問題ない。

 死神がやたら人間じみた姿をしているからか、夏菜子は普通に空腹になった。胃の()が縮んでものが入らないとか、そういうことはなかった。


「できたよ。」

 実家から母が来た時用に常備してある椅子に死神を座らせ、その向かいに夏菜子は座った。

 死神はしばらくスプーンで料理をつつきまわしていたが、決心したのか口に入れた。

「美味い……。」

 死神は一言そう言うと、それからは無言のまま完食した。

 夏菜子はそれを呆然と眺めながらいつものペースで食事を楽しんだ。

 死神は、死神が退屈しないように、と気を使ってつけておいたテレビに釘付けになっている。

 それほど物珍しい番組をやっているわけではない。

 よくあるバラエティ番組だ。

 死神の椅子はテレビに背を向けるように置かれているのにも関わらず、上半身を捻って画面を見ている。


「ごめんね。最後の日がこんな終わり方で。」

 夏菜子はそう言ってスプーンを置いた。

「いや、構わん。

 だがな、お前は俺に名前をつけなかった。

 どうしてだ?

 人間は名付けが好きだと聞いた。

 この『死神』なんて名も、お前たちから頂戴したもんだ。」

 死神は、ようやくテレビから目を離し、夏菜子をじっと見た。目から答えを聞くつもりだろうか。

 夏菜子は、実を言うとそんなことは忘れていた。

 そういえば出会ってすぐ、「好きなように呼べ」とかなんとか言われた気はするが、大して気にも留めていなかった。死神はそれが不満なようだ。

「そりゃ、死神にも色んなやつがいるでしょ?

 人間にも、いろいろいるのよ。」

 夏菜子はそう言って、何だか答えをはぐらかしたような気がして、またスプーンを置いた。

 死神はほぉん、と言ってまたテレビを見始めた。

 夏菜子はようやくスプーンを取り戻して、3色ご飯を完食した。


 それから少しして、夏菜子が食器を洗っていると、死神がおぉーっと声を上げた。

 何だろうと思ってテレビを見てみると、コマーシャルが映っている。何がそんなに珍しいんだろうと夏菜子は思った。

 その疑問はすぐに解消された。

「おい、人間、俺、これを見に行きたい!

 映画!

 人間が、他の人間になれる時間なんだろ?

 面白そうだ!」

 現在時刻、20:20。

 夏菜子は食器を洗う手を止めて、携帯で上映スケジュールを調べ始めた。

「観たいものとかあるの?」

 夏菜子がそう声をかけたが、

「いや、何が見れるのかわからんから、勝手に決めていいぞ。」

と事も無げに言われた。

 夏菜子はそうは言っても一応先程のCMの映画を探した。

「レイトショーならあるみたい。行こうか。」

 夏菜子がそう言うと、死神は花火が弾けたような笑みを見せた。

 いいのか!

 夏菜子の心が、10mm動いた。

 でも、方向が分からなくて、夏菜子は愛想笑いを返すので精一杯だった。


 話の筋は1文字も分からない。

 キャストも、顔と名前が一致しない役者ばかり。

 それでも、何故か夏菜子は楽しみだった。

 こんなに私、映画好きだったっけ、夏菜子は独り言にも似た無言の独白をする。そんなものでは、当然答えは出せなかった。


 夏菜子のアパートから1番近い映画館は、決して大きくない。

 せいぜい50人ほどしか入れないが、ホームページと売店だけはきちんと持っている。

 夏菜子は月に2度、水曜日にそこを訪れて、意味もなく劇場の空気を吸ったり、本当に映画を観たりしている。


 人気の映画ではないのかもしれない。

 予約無しで、2席確保することができた。

 約50席の、前から数えても右から数えても真ん中。長所は映画が観やすいこと、短所はトイレに行きづらいこと。

 夏菜子と死神はそこに座り、まだ何も映っていないスクリーンを観ている。

 死神はポップコーンを片手に持ち、何も考えていなさそうな顔で正面を見ている。

 夏菜子はどうせなら映画を楽しもうと腹を決めた。

 今日は、水曜日ではないのである。


 しばらくして予告が始まり、ほの暗かった劇場も黒の色調を強くする。

 夏菜子は爆音に耳を慣らしながら、死神はポップコーンを口に運びながら、それを見ていた。

「俺、お前に言いたいことが2つあるんだ。

 聞いても、聞かなくてもいいけどよ。

 俺、お前のことが好きなんだ。

 仕事のために、お前のことを調べて、知って。

 鈍感なとことか、馬鹿なとことか、単純なとことか。好きになっちまった。

 死神のくせにな。」

 褒めているのか貶しているのか。

 そんな疑問よりも、彼の言葉が地面に突き刺さって、夏菜子の心をてこみたいに動かした。

「俺は、24時間だけでも、お前と笑っていたかったんだ。」

 死神はそう言って、ポップコーンを握り潰した。

 粉々になったそれは、床に落ちることなく死神の手の中で消えた。

「それと、最後に、人間界でやりたいこと。

 俺に、名前をつけてくれ。

 他でもない、お前に呼ばれて消えたい。」

 夏菜子は音に慣れるどころか、もはや死神の声しか聞こえていなかった。

 その小さな声が、夏菜子の頭の中で回って回って巡り巡って、どこにもいけない。


 映画が中盤にさしかかると、夏菜子は気がついた。

 この映画の主要人物ふたりは、ふたりに良く似ている。

 ヒロイン ヘレンは、彼が死神とは知らずジェニファーという男に恋をしてしまう。

 ジェニファーが近づいたのは本来ヘレンを殺すためなのだけど、ヘレンは彼に猛アタックを仕掛ける。

 ジェニファーは彼女の好意を受け取ることができないことに苦悩する。

 そんな、お話。

 夏菜子は、矢印を逆にしたら、まるっきり私たちと同じだなと思った。

 だが今はそれどころではない。

 死神に、何か名前を贈りたい。

 しかし、良いものは浮かばなかった。


「駄目なんだ。

  死ぬ直前しか一緒にいられないから。」

 ヘレンの好意を受けてみればと(そそのか)す死神に対して、ジェニファーはぼつりと返した。

 夏菜子は頬をぶたれた気がして、私は何を見ていたのだろう、と呟いた。

「ジェニファー、私、あなたのこと、ジェニファーって呼ぶわ。」

 夏菜子は小声のまま早口に(まく)し立て、死神の方を見た。

 そこにいたのは、虚無だった。

 劇場特有の、薄い黒。

 夏菜子の喉が笛を鳴らし、どこか冷静な右目が腕時計を見た。

 午前0:4。

 不意に空いたFの18を黙殺しながら、映画、「さよならレイトショー」はやたらと複雑なハッピーエンディングに差し掛かっていた。

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