花吐き病患者の恋
ある館は昔大層な子沢山で有名で、
子供たちの声が絶えず聞こえることで
有名でした。
しかし今では、
婿を取ろうとしない偏屈なご令嬢が、
有り余った部屋に、
信用する友人を何人か住まわせており、
子供らの笑い声は消えてしまいました。
陰鬱な雰囲気のする館。
そこに住む病弱なある友人が、奇病にかかり、
使用人の1人が付きっきりで
看病することになりました。
「げほっ、げほっ、ごめんなさいね。
あなたにも仕事があるでしょうに。」
私を気遣うなんて変な人だ。
私は面倒な窓拭きから解放されて感謝していると言うのに。
ああ、口に花びらがひっかかっている。拭ってやろう。苦しそうだ。
「ありがとう。」
綺麗な花びらだ。なんて花だろう。この人は花に詳しいのだろうか。
「いっそここから逃げ出したいわ。
でも家も何もかも捨ててここに来てしまった。
あなたの厄介になるしかないわね。
ごほっ、ごほっ。」
この人は。
こんな時まで誰かのことを想っているのか。
想わなければ、花を吐くこともない。
およそ関わりのない私と寝起きを共にする必要もないのに。
ああ、寝てしまった。
不思議な病にかかったものだ。
治したければ片恋人と両想いにならねばならないことを、お嬢様は知っておられるのだろうか?
「おはよう。」
声が掠れている。
やはりあんなに咳込んでは無理もない。
「相変わらず無口ね。げほっ、ごほっ。」
返事を返さないことに怒りもせず笑うなんて。変な人だ。
そういえば、初めて笑顔を見た気がする。
案外綺麗な顔をしている。
いや……そんなことより、ベッドが花だらけだ。掃除しなくては。
「自分でやるわ。えほっ、けほっ。」
また増えた。
大人しく寝ていてほしい。言えはしないけれど。
無視して拾おう。
どうせ私に治すことなどできないのだ。
それでも適当な仕事はできない。
「ねぇ。げほっ。」
なんの音だろう。
ああ、ベッドの軋み。
吐き疲れて眠ったのか。掃除が楽で助かる。
懲りない人だ。好きな人のことなど忘れれば、治りはしないが症状は出ない。それなのに。
「ごめんなさい。私、眠って……。けほ。」
またか。やっと片付いたのに。
朝食も冷えた。
起き抜けに考えるほど好きなら、その人のところへ飛んでいけば良いのだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい……。」
謝るのはいいけれど、花を止められないのか。
何とかして。
そうだ。他のことに集中させれば良いのだ。
お気に入りの本を何冊か持ってこよう。
「どこに行くの?
いえ、何でもないわ。待ってる。えほっ。」
そう言いながらまた、花。
嫌になりそうだ。
この本と、この本も。これも好きだなぁ。
私があの病気になったら、この本を思って花を吐くのだろうか。
……何を。バカバカしい。
「おかえりなさい。本?げほっ、げほっ。」
部屋を出た時よりも花が増えている気がする。
それもそうか。
私がいなかったから、思う存分想い人について考えられただろう。
ひとまずこれを渡して、少し休みたい。
「ありがとう。聞いた事ないものばかりね。」
この部屋の隅の隅に行こう。
花よ止まれ。
「病気になって、半年経ったわね。」
本を薦めても花は止まらなかったし、むしろ増えていた気がする。
この人とずっといて分かったことはたくさんある。
でも、想い人は分からない。
その人をこの部屋に連れてきて、半年の間にどれほどの花が吐き出されたか見せてやりたいのに。
部屋中、花臭くてたまらない。
「あなたと暮らし始めても、ちっとも治らなくて……げほっ、ごほっ。
ごめんなさいね。」
ああ、イライラする。
今は私の話じゃないのか。
私の話をしながら、どうして想い人のことを考える。
ああ、いやだいやだ。まるで嫉妬じゃないか。
何とも思っちゃいない。この人のことなんか。何とも。思っちゃ。
「このまま一生治らないのかしら。」
1週間前から泣き言ばかり。
治らない、治らないばかり。
私だって、どうにかしたくてもできないのだ。
半年と1週間咳き込み続けることを、心配しないほど冷淡じゃない。
「ねぇ。げほっ。
あなた、好きな人はいるの。げほっ、げほっ。
ごほっ。」
なんて?なんで。
そんな質問しながら別の人のことを考えているの。
いろいろあなたについて考え始めたのに。
まだはっきりとはしてないけれど。
もしかしたら。あなたのことが。
「いないの?げほっ、ごほっ。」
嫌いだ。嫌いだ。
大嫌いだ。
口を効かなかったのは初めから。
目も合わせなくなったのは一昨日から。
考え続けた。
少し見えてきた。
確かめる方法も思いついた。
どうせあなたは傷つかない。
あなたは幸せな恋をしている。
だから。
「おはよう。」
そんな、顔をし続けて。
傷ついた顔し続けて。
だって、嫌いだから。
挨拶しても使用人が目も合わせないことに傷つけば良い。
花ばかり増えて、挨拶が減った。
疑問ばかり増えて、躊躇が減った。
「げほっ、ごほっ。」
ほら、また考えている。
私もあなたのことを考えた。
私はきっと、あなたのことが。
世界で1番、だいっ嫌いか大好きだ。
「あなたのことが、好きです。」
久しぶりに見た瞳は綺麗だ。
さあ。こう言えば。私で頭がいっぱいだろう。
無口な使用人が喋って。しかも愛の告白をした。
嘘っぱちだけど。
きっとあなたはやっぱり花を吐く。
その時、余計な仕事増やしやがってと思えば私はあなたが嫌いだ。
愛を囁いても別の人のことしか想わないあなたに、傷つけば、私はあなたが好きだ。
「げほっ。」
ほら。花を吐いた。
どうして。泣いてる?
私も、あなたも。
「嘘よ。げほっ、ごほっ。
あなたは私のことを好きじゃない。げほっ。
だって。」
えっ。待って。
今、眠らないで。
だって。だって、何?
ああ、涙が止まらない。
花を吐かれた。
私の告白を、きっとあなたの想い人の声で置き換えて聞いたのだろ。
ああ、ああ。ああ。おかしい。
愛おしい。好きだ。この胸の痛みは。
でも、嫌いだ。どうして私を想わない?
どうやったら、私で頭をいっぱいにできる?
いいことを思いついた。
あなたが出ていかないなら、私が出て行こう。
3秒間でいいから、私を心配して。
お願いだから頭いっぱいにして。
「ここを出ていきますから。
最後に、続き、聞かせて下さい。
私は、今はあなたのことを愛しています。
好きです。
だから。あの告白を。
嘘だと言った、理由を教えて下さい。」
どうせ起きやしない。
そう、思ったのに。
「私が、花を吐いたからよ。」
どうして今起きるの。独り言なのに。
分かってる。
あの時はまだ半信半疑の気持ちだったから。
あなたを私でいっぱいに出来なかった。
だから想い人を想って花を吐いた。
分かってるよ。仕方ない。
「分かってます。
辛い病気をしてもまだ好きな人だ。
私じゃ勝てません。」
ああ。これで最後か。泣きそうだ。
「でも。どうか。
私の愛を疑わないで下さい。」
馬鹿だなあ。私は。拒絶されるのに。
花でも吐きそうだよ。
「疑わないわ。
だって、花を吐かなくなったもの。」
えっ。
私で、頭がいっぱいなのか?
そうだって言って欲しい。
「あなたのことで頭がいっぱいなのに 花を吐かないってことは、
ようやくあなたが 私を好きになったということ。
治ったの。陳腐な病気は。」
頭がいっぱい。私で。
ずっと?
ずっと。
お嬢様は分かっていたのだ。病気の治し方を。
あなたは、ずっと私を想ってくれていた。
ずっと前から。
窓拭きの仕事を終えて部屋に帰れば、花弁の香りがする。
あなたの香り。
そして、今やそれは、私の香りだ。