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幻獣たちの恋  作者: クインテット
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マーマンの恋

 マーメイドという、海の歌姫は有名だろう。彼女たちはその昔、船乗りたちの心を奪い海に引き込むものとして、大変恐れられていた。

 マーマンは、一般に、魚と人間の入り交じった姿をした男性、と言われている。


 その昔、ある港の近くにある、人間には行くことのできない岩場に、1人のマーマンが住んでいた。

 マーマンのいる港町は貿易により大変栄えており、観光地としても、大変人気がある町だ。


 マーマンの名はジェームズと言い、仲間からはジェムと呼ばれていた。仲間、とはいうものの、一緒に住んではいない。彼にはひとつの趣味があり、仲間の物笑いの種だったからだ。

 彼の趣味は歌であった。

 船乗り達が口ずさむ歌を聞く。そうして、その歌を歌いたくてたまらなく胸は膨れ、彼は、歌を歌うのだった。

 “歌を歌うのは女の仕事”

 海に住まうもの達の常識である。

 だからといって、その常識に(なら)おうとは思わなかった。

 ジェムにしてみれば、海をいくらでも泳ぎ回れる自分たちより、みんなが平等に歌える人間の方がよっぽど自由で素敵だ。


 かくして、1人のマーマンが住まう港には、“人魚が住んでいる”という噂があった。

 しかし、それは美しい人魚ではなく、ひとりの寂しさにたまらなく泣き腫らした目は赤く、傷ついた胸に醜い傷をつける爪は鋭く、もはや海草なのか自らの髪なのか分からない気味の悪いものをもつマーマンのことであった。

 ただ、その声だけはソプラノ歌手のように美しく澄んでいたのだが。


 ある、磯風の(せわ)しい日のことだ。

 いつものように、ジェムは歌を歌っていた。

 数日前にやってきたどこかの国の船乗りがさかんに歌っていたのだ。

 愛する娘への想いを吐露(とろ)する、曲が盛り上がるところで、ジェムは歌うのをやめた。

 遠くの方に1人の少女が見えたからだ。

 ジェムは素早く海に潜った。

 うっかり自分の姿を見せてしまった少女を、何度泣かせたか知れない。

 ジェムは岩に隠れ、様子を(うかが)った。


 すると、なんと少女は駆け出し、ジェムのいた岩場に行こうとする。ブーツに海水入ること(いと)わず、風邪引くこと躊躇(ためら)わず。

 もちろん彼女の足は、父親によって止められた。

「あのね、あそこから綺麗な歌声が聞こえたの。」

「そういえば、この港にはそんな噂があったな……。

 すごいね、ティナは人魚の声を聞いたんだ。」

 父親らしき男がそう言うと、少女はへえー!と感心した声をあげた。

 ジェムはどこかが痛むのを感じた。

 手を当てて、痛いところを探す。

 分かった。その汚れた(うろこ)で覆われた胸だ。


 父親に腕を引かれ、少女は去っていった。

 船乗りたちの話によると、彼女は商人の娘らしく、この町に貿易に訪れたらしい。


 ジェムは次の日も岩場にいた。

 そして、昨日の少女も、また岩場を見つめている。

 父親は、商談に夢中で、娘のことなど気にも留めていないらしい。

「人魚さん、お話をしようよ!」

 少女は大声で叫んだ。

 ジェムは戸惑ったが、身を隠すことに専念した。

 水面は忙しく揺蕩(たゆた)っている。

 岩に波が打ちつけているわけではないのに、ジェムの周りだけ水面がうるさかった。

 ジェムが動揺しているその間も、少女はめげず、ずっと声をかけ続けている。

 それは、毎日のように続いた。

 父の商談が終わるまで、彼女はジェムに声をかけるのだ。


 そうして2週間が経った。

 ジェムは、健気な少女が可哀想になり、返事をしてみることにした。

「分かりました、お話しましょう。」

 波間から覗く少女の顔は、羨ましいくらいに輝いていた。


「人魚さんは、そこで何をしてるの?」

「魚を獲って暮らしているよ。」

 我ながら、なんて女っ気のない返事だ。と、ジェムは思ったが、少女には返事があったことが何より嬉しく、そんなことはどうでも良かったらしい。

 少女は矢継ぎ早に質問を浴びせかけ、ジェムはなるたけ女っ気のある返事をした。

 そうしている内に、あっという間に、父の商談は終わり、少女は帰っていった。

 帰り道はさぞやはしゃいだろうな。

 父に話して聞かせたろうな。

 ジェムはあれこれ空想した。


 次の日も、また次の日も、彼らは他愛のない会話をし、笑い合った。時々返事に窮することもあったが、それすらも楽しい。

 ジェムはいつの間にか歌を歌わなくなり、少女が来るのを心待ちにするようになった。

 船乗りは時々サンタルチアを歌いながら、ジェムの横を通り過ぎていく。


 港と岩場とで、大声で話し合うから、ジェムの声は少し(かす)れていた。それでもジェムは気にしない。

「ねえ、人魚さんはどうして姿を見せてくれないの?」

「私のことを見たら、危険だから。」

 ジェムは答えたが、少女は納得していなかった。

「私ね、友達がいるんだ。

 その子たちに話したらね、人魚なんて嘘っぱちだ、って言うの。いるなら証拠を見せてみろって。

 でなきゃ私、仲間外れにされちゃうの。

 だから、人魚さんがみんなに会ってくれたらなって思ったけど、危ないならダメだね。」

 ジェムは驚いた。

 自分のために、彼女がこんな目に合うなんて、我慢ならなかった。

 嘘つきは彼女ではない。自分なのだから。

「分かった。明日友達をここに連れて来なさい。

 何とかしてあげるから。」

「本当に!?」

 少女は始めて返事をした時のように喜んだ。

 ジェムはまた胸が痛むのを感じた。

 でも相変わらず、どうしようもなかった。


 次の日、少女と、いくつかの少年少女の声が聞こえた。

 ジェムの心音が速くなる。

 本当に、僕に彼女は救えるだろうか?いや、やるしかない。

 それが嘘つきの贖罪(しょくざい)だ。

「さあ、証拠を見せてよ。いるんでしょう?人魚。」

「いるよ!人魚さん、私だよ!」

 少女の悲しそうな声を聞いて、ジェムは心を決めた。

 ジェムは、久方ぶりに船乗りの歌を歌った。

 ジェムは思い付いたのだ。そうだ、歌を聞かせればいい、と。


 しかし、毎日の大声の会話でジェムの喉は潰れ、出てきた声は低いしゃがれ声だった。それでもジェムは懸命に歌った。

「こんなの人魚の声じゃない!

 船乗りの声と聞き違ったんだよ。」

「そうだよ!人魚は美しい歌声だって聞くぜ。」

「そんな……。どうして……。」

 少女が責められる声が聞こえた。仲間外れにしてやるぞ、とも。


 ジェムは自分を悔いた。しかし、今更もう遅い。

 彼は、名案を思いついた。

 それは、少女を助けるとともに、彼女との別れを意味していた。


 ジェムは、深く潜り、少女達のいる辺りで不意に顔を出すと、恐ろしい唸り声をあげた。

 少女たちは、悲鳴をあげて逃げ出した。

 その場にいた何人かの大人も、大して体躯(たいく)も変わらぬくせに逃げていく。

 そんな中、シャッターを切った者があった。

「これが、人魚の正体だ!」

 翌日の新聞には、その時撮られた写真が一面に載り、学者の考察が横に並んだ。


 それきり、少女がこの港にくることはなかった。

 ジェムは、大声をあげて泣こうにも、もう潰れきった喉からは、ただただ渇いた音が出るだけであった。

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