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苦手な方はご注意ください。

ダタッツ剣風シリーズ

ダタッツ剣風 〜災禍の勇者と罪の鉄仮面〜

※本作はカクヨムでも掲載予定です。



◇登場人物


・ダタッツ

 本作の主人公。黒の長髪と赤いマフラーが特徴の、流浪の剣士。剣を矢に勝る速さで投げ付ける「帝国式投剣術ていこくしきとうけんじゅつ」の使い手。18歳。


・タスラ

 本作のヒロインにして、(申し訳程度の)エロ担当。港町の酒場で働く、勝ち気で男勝りな18歳の少女。緑色のショートヘアと、たわわな胸が特徴。

 スリーサイズは上から86/55/82。


・グランニール

 海賊船に乗り、港町を頻繁に襲撃する老境の海賊。蹴りを主体とする拳法の使い手。彼が海賊であることには、何か秘密があるようだが……?


・シュバリエル

 グランニールの一味であり、弓の使い手である15歳の少年。美少女と見紛う風貌の持ち主(いわゆる男の娘)だが、その華奢な外見に見合わない技量を備えている。


・バルキーテ

 港町の町長を務める男。部下の騎士達を差し向け、五年間に渡りグランニールの一味に抗し続けている。でっぷりと腹を肥やした46歳。


・シン

 バルキーテの側近であり、禍々しい鎧と鉄仮面で全てを覆い隠した謎の男。二刀流の使い手であり、グランニールの一味の侵略を五年間退けてきた。年齢不詳。


・アルフレンサー

 グランニールの長男。愛称はアルフ。かつては二刀流の達人として名を馳せた王国騎士だったが、五年前の戦争で戦死を遂げる。享年は21歳。


挿絵(By みてみん)


 スマートフォンアプリ「カスタムキャスト」にて作成させて頂いた、本作の表紙イラスト……っぽい感じの作品です。ヒロインのタスラになります。アプリの進化ってすげぇなぁ……(゜ω゜)

 降りしきる豪雨が絶えず葉先を揺らす。水たまりに浮かぶ二人の男の影が、波紋に揺れ動く。


 森林に降り注ぐ無尽蔵の雨粒は、睨み合う彼らの眼差しを塞ごうとしているかのようだった。しかし、刃に勝る鋭さを滲ませる彼らの眼は、霧の果てに潜む仇敵を一瞬たりとも見逃さない。


 細身の片刃の剣。二振りの両刃剣。大きさも形状もまるで違う剣を手に、彼らは息を殺して視線を交わす。

 漆塗りの甲冑を纏う黒髪の少年。白銀の鎧を纏う金髪の青年。彼らは己の命運を賭けた得物に雫を伝わせ、微動だにせず睨み合っていた。


 風が吹けば大きくたなびく少年の赤いマフラーは、今は糸が切れたようにうなだれている。泥や土に濡れたその様は、少年の瞳のように暗く淀んでいた。

 そんな少年とは対照的に、毅然とした輝きを放つ青年の碧い瞳は、眼前の脅威に屈することなく凛とした威光を放ち続けている。

 さながら、光と闇。天と地。その明暗に分けられた二人が、剣を交えたのは――互いが同時に殺気を放つ、その一瞬だった。


「イヤァアァアッ!」

「……!」


 襲い来る二つの剣閃。太陽の裁きとも云うべき、その天から振り下ろされた二本の剣が、少年の眼前に迫る。その威力を、雨粒を弾く気迫で感じ取った少年は僅かに避けるだけでは余波で吹き飛ばされると看破し、咄嗟に後ろへと飛び退いた。

 そこを狙い、青年は一気に攻勢に入る。相手が後退したことで生じる隙。そこを狙う以外に、勝ち目はないと。


王国式闘剣術おうこくしきとうけんじゅつ――叢雲之断(むらくものたち)ッ!」

「……!」


 同時に。あるいは、僅かにタイミングを外して。二本の剣はまるで唸る鞭のように、不規則な挙動で少年の首を狙う。

 目にも留まらぬ剣捌きでそれをいなす少年は、急激に後退の足を止め、強烈な踏み込みで水飛沫を上げる。


 泥水に視界を阻まれた青年は、その一瞬にも満たない隙を突かれ、腹に強烈な回し蹴りを受けた。だが、フルプレートの甲冑に対したダメージはなく、僅かに生まれた勢いを取り戻そうと足を踏み込む。

 そこを狙いすましたかのように、少年の剣が振るわれた。青年は条件反射で十字に構えた剣で受け止め、力任せに押し返したが、その頬には焦りの雫が伝っている。


 その僅かな、ほんの僅かな焦りが。二人の運命を、生死を分けた。


帝国式(ていこくしき)――投剣術(とうけんじゅつ)

「ッ……!」


 押し返しの反動を、その身に似合わない怪力で踏みとどまり。少年の体勢が、飛びかからんとする猛獣の如く、低く沈んでいく。


「……飛剣風(ひけんぷう)


 そこから跳ね上がる体が。腕が。手が。握られた剣を矢の如く放ち、鎧の隙間を貫いた。


「が……ぁ!」


 肩と胴の境目に覗く、僅かな隙間。そこへ突き立てられた剣が、捉えた獲物の血を吸って行く。雨粒に混じる赤い濁流がその一点から噴き上がり、青年は声を絞る。

 騎士として情けない悲鳴はあげまい。そのささやかな抵抗を、少年は無情に踏みにじった。


 青年の背には、断崖絶壁。剣を交え、森や林を抜けた二人は、いつしかその先に待ち受ける奈落へ近づいていた。


 終わることのない、永遠へ続く闇。そこへ、突き落とすように。

 少年は接近と同時に、突き立てられた自分の剣を引き抜くため、足の裏を青年の胸に押し当て……強引に抜き去った。


 そこから鮮血が噴き散らされ、青年の胸は紅に染まる。血の気を失った足がふらつき、崖を踏み外したのはその直後だった。


「帝、国……勇者ぁあぁああ!」


 悔恨、怨念、憎悪、悲嘆。怒りとも、悲しみともつかない絶叫を最後に。血に濡れた青年は、奈落の果てへと消えていく。


「……」


 その最期を、少年は感情が欠落した虚ろな瞳で見下ろしていた。闇だけを映した彼の視界は、彼自身の胸中を揶揄しているかのように、暗い。

 踵を返し、豪雨に打たれながら森の闇に消えていく少年。血糊を流す雨粒が、赤色を帯びて地面に落ちる度、その色が彼に訴える。


 ――お前は今日も人を殺したのだ、と。


「……俺は」


 そこから目を逸らすように、暗雲が立ち込める空を見上げる。天は少年を見放すように、絶えず彼の顔に雫を叩きつけていた。


「……結局、こんなことでしか……」


 が細く呟く少年の眼は、この暗雲さえ飲み込まんとするかのごとく暗闇に濁り、薄暗い森の中を映す。そこへ踏み込んでいく彼の足は、迷子のように、覚束ない。


 彼はひたすら、歩く。


 手にした剣に染み付く血糊を、雨が洗い流す時まで。


 ◇


 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。


 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。


 人智を超越する膂力。生命力。剣技。


 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。


 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。


 しかし、戦が終わる時。


 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。


 一騎当千。


 その伝説だけを、彼らの世界に残して。


 ――それから、五年。男の旅路は、今も続いている。


 ◇


 窓から差し込んでくる日差しが、青年の意識を現実に呼び覚ます。黒髪を掻き上げ、彼は揺れるベッドから身を起こした。艶やかな長髪が、その弾みで静かに揺れ動く。

 気怠い面持ちで覗いた窓の向こうには、高く波打つ海原が広がっている。上体を支える両手の揺れは、微睡みから覚めたばかりの彼にここが船上であるということを思い出させていた。


「……くそ、また昔の夢を見るように……」


 日差しの眩しさか、悪夢への辟易か。青年は顔をしかめ、ベッドから立ち上がると黒ずんだ服に袖を通す。腰に届くほどの長さを持つ黒髪が、その弾みでゆらめいた。

 鍛え抜かれた屈強な肉体を古びた黒布で覆い隠したのち、緑の上着を羽織った彼は赤いマフラーを首に巻いて、ベッドに立て掛けていた銅の剣と木の盾に手を伸ばす。

 ボロボロに錆び付いた剣と、擦り切れた盾を身につけ、青年は眠気を振り切るように扉から外へ出る。刹那、快晴の空から照り付ける日差しが、彼の視界を封鎖した。


「よぉ兄ちゃん。夕べはよく眠れたかい?」

「おかげさまで。……もうすぐ陸ですか?」

「あぁ。そろそろ見えてくる頃だぜ――ホラ」


 そんな彼に声を掛ける、逞しい肉体と日焼けした肌が特徴の壮年の男性。黒い長髪を潮風に靡かせ、海原を見つめる青年に朗らかな挨拶を送った彼――この船の船長は、水平線の向こうを指差した。

 その先には、微かだが小さな港町が伺える。数日に渡る船旅の、終わりが近づいていた。


「見えてきたろ? あそこが王国領の港町さ。あと三十分もすりゃあ着くから、準備しときなよ」

「はい、ありがとうございます。……すみません、ここまで乗せて頂いて」

「いいってことよ。……しかし兄ちゃんよ。剣の武者修行だか何だかで、大陸の外まで旅してたって話だが……そんな装備で大丈夫かい? 向こうに着いたら、ちゃんと装備も買い換えた方がいい」

「ははは、そうですね……考えてみます」


 船長は、長髪に見合う美男子の横顔を眺めながら、彼が纏う貧相な装備に眉を顰める。今時、山賊でももう少しマシな装備で身を固めているだろう。そう、言いたげな眼差しだ。

 言われるまでもなく、視線からその意図を感じていた青年は、苦笑いを浮かべて腰に差した鞘を撫でる。ギシリ、と軋む音を立てる銅の剣は、すでに耐用年数を過ぎているように見えた。


「やれやれ、わかってんのかね……。何にせよ、あそこに降りるんなら『連中』が来ないうちに済ませねぇとなぁ」

「連中……?」


 そんな彼を、暫し心配げに見つめていた船長は――ふと、長年の人生経験から培った直感に基づく「危険要素」を「連中」と形容する。

 その形容詞に要領を得ない青年は、何のことかと首を傾げた。


 ……答えが出たのは、それから僅か数分のことだった。


「……ん、あれは!?」


 最初に反応したのは、長髪の青年。彼の目に映されたのは、素早く海上を渡る一隻の船。――だが、問題はそこではない。

 黒一色の帆に描かれた、禍々しい髑髏の紋章。それを一目見れば、水平線の向こうで蠢く帆船の実態は容易にわかる。


「海賊船……!?」

「ちっ、この近辺を頻繁にうろついてるって噂は聞いてたが……間が悪いったらないぜ! 面舵いっぱい!」


 青年が呟いた瞬間、船長は船全体に轟く怒号で、旋回を支持する。波を切る彼らの帆船が、大きくうねりを上げて航路を曲げた。


「……あの海賊船は?」

「わりぃな、そういや話してなかったか。あれはここ数年、あの港町を襲いに何度もやって来てる海賊船さ。毎回追い返されてはいるんだが、あいつらが来りゃ港はいつも大立ち回りよ。兄ちゃんには悪いが、上陸はあいつらが帰るまで待っててくれや」

「数年も……」


 小さな港町に迫る、侵略者の船。その猛威を止める術も義務もないこの船は、荒事が終わるまで港町から離れるしかない。船員の命を預かる船長としては、当然の判断だろう。

 ゆえに客人の青年は、何一つ物申すことなく。……金貨を詰めた小袋を、彼の前に差し出した。


「船長、これを」

「え? ろ、路銀かい? そんなもん降りる時でいいって言っただろ」

「はい。だから、ジブンはここで降ります。ここまで乗せて頂き、ありがとうございました」

「な、なにぃ!?」


 そこから飛び出した言葉に、船長が目を剥く――より早く。青年は黒の長髪と赤マフラーを靡かせ、甲板を駆け出した。

 言われるがままに小袋を受け取ってしまった船長は、慌てて制止しようと手を伸ばすが――その時にはすでに、彼は海へと身を投じていた。


「ダ、ダタッツさんっ! いくらなんでも無茶苦茶だぜそりゃあ!」


 海中に消え、もはや届くはずのない彼へ、船長は狼狽した声色で訴える。だが返事はなく、ただ激しく波打つ海原だけが、船から見下ろす彼の視界を埋めていた。


 海に消えた、ダタッツと呼ばれた長髪の青年は、ただ一人。


「……」


 港町へと向かう。王国の、領地へ。


 ◇


「海賊だァァッ! 総員出合えェェエッ!」


 山林と海原を繋ぐ地点に築かれた、小さな港町。そんなのどかな海の都に訪れようとしている来訪者を迎え撃つべく、屈強な騎士が剣を掲げて戦の始まりを町に告げた。

 周辺の住民達は逃げ惑うように自分の家に飛び込んで行き、王国製の鎧を纏う騎士達が続々と港に結集していく。


 一角獣(ユニコン)をあしらった鉄兜。青い服の上に纏われた白銀の甲冑。青く塗られた柄から伸びる、真っ直ぐな刃。

 勇ましさと凛々しさを備えた王国騎士の鎧が、彼らの威光を物語っているようだった。だが、海賊船はその防人達を前にしても怯むことなく、徐々に港へ近づいて行く。


 そして――その船の上に、二つの人影が現れた瞬間。


「来たぞォォォ!」


 隊長の叫びと共に、無数の矢が放たれた。雨の如く振り注ぐ矢の群れが、二つの人影に容赦なく襲いかかる。

 だが、そこから天高く跳び上がる彼らは、矢の隙間を縫うように空を裂いて宙を舞う。


「ぬうっ……ひるむな、掛かれェェエ!」


 屈強な男と、小さな子供。その凹凸の敵影は、ふわりと港の桟橋に着地する。目前まで接近された騎士達は、その超人的な身体能力を持つ彼らに、己の剣で挑みかかった。


「――阿修羅連哮脚あしゅられんこうきゃくッ! ホワチャアァアァッ!」

「ぐぎゃああぁッ!」

「あぁあぁあッ!」


 その剣の濁流を――屈強な男の影が迎え撃った。両手を桟橋の上に着き、両脚を竜巻のように振るう彼の蹴りが、何人もの騎士を跳ね飛ばして行く。

 為す術なく、桟橋から海へと突き落とされていく騎士達。あっけなく吹き飛ばされた仲間達の惨状を見せ付けられ、騎士達の前進が勢いを失う。


 彼らが見せたその僅かな怯みが、さらなる追撃の狼煙となった。男の蹴り技を掻い潜るように、身を低く構えて前に進み出た子供の影が、ショートボウを引く。

 ――その指の隙間に、四本の矢を挟んで。


獅子波濤(ししはとう)ッ!」

「あ、ぎゃっ……!?」

「ひぎっ……!」


 水面から広がる波紋のように、波状に飛ぶ四矢(しし)。弓としては不安定極まりない構え方でありながら、小さな侵略者は寸分違わぬ精度で、最前線にいた四人の騎士の顔面を射抜く。

 常軌を逸する彼らの武芸を前に、騎士達は後退を余儀無くされ――やがて戦場は桟橋から港へと移されてしまった。


「おのれ、グランニールにシュバリエル……! 増援を呼べ、シン様がお目覚めになるまで持ち堪えるのだ!」


 町の近くまで侵入を許してしまったことに歯噛みしつつ、隊長は次の指示を下す。すでに彼の直属部隊は、二人の海賊を包囲していた。


 老境に入ったような白髪。炎天下の猛暑に焼かれた、浅黒い肌。真紅の眼光で周囲を射抜く、壮年の武人――グランニール。

 溌剌とした印象を与える茶色の短髪と、翡翠色の瞳を持つ、少女と見紛う美貌の弓使い――シュバリエル。


 毒々しい紫色の戦闘服を纏う二人の海賊は、包囲されていながら全く怯む気配がなく、むしろ闘志をより滾らせているようにも伺えるほどであった。

 だが、人数差は圧倒的である。二人しかいない彼らに対し、騎士達の数は八十人以上。多勢に無勢、という言葉をこの上なく体現した状況である。


「隊長! 増援部隊が合流しました!」

「よし、何としてもここでケリを付けるぞ。シン様の手を煩わせることなく奴らを撃退せしめれば、バルキーテ様の褒賞が待っているのだからな!」

「ハハッ!」


 隊長の言葉を受け、騎士は歪に口元を緩める。それを口にした隊長自身もまた、どこか禍々しい笑みを浮かべていた。

 そんな彼らの様子を、背中合わせで騎士達と対峙していたグランニールとシュバリエルが視線で射抜く。だが、その眼光に気づいていながら、隊長はその嗤いを止めなかった。


「……はははは。そろそろ諦めたらどうだ海賊共。いや……元町長殿とその御子息、と言った方がよろしいか?」

「黙れ。貴様らバルキーテの一味に、これ以上この町を喰い物にはさせぬぞ」

「面白い。この人数を相手に、たった二人で戦うつもりか。……やれ!」


 そして彼の命令のもと、剣を振り上げた騎士達が一気になだれかかる。武器を携えた濁流が、津波となって覆いかぶさるように。


「阿修羅連哮脚ッ!」

「獅子波濤ッ!」


 だが、その波は町を飲み込む力はあっても――たった二人の人間だけは、飲み込めずにいた。旋風を巻き起こすグランニールの蹴りと、絶え間無く乱れ飛ぶシュバリエルの四矢が、波という波を蹴散らしている。

 刃の間を擦り抜けるように閃き、敵を撃ち抜く足の甲。鎧の隙間を縫い、肉という肉を貫く非情の矢。数の暴力さえものともしない圧倒的な「質」が、この戦況を作り出していた。


「ば、かな……! おのれ、おのれェェエ! シン様さえ、シン様さえお目覚めになれば貴様らなどッ……!」

「……ふん。結局はシン頼みか。今日こそは、シン共々貴様らを討ち取る。観念せよ」

「オレ達だって、この数年で腕を上げたんだ。もうシンにだって負けやしないぞ!」

「ぬうぅうぅッ……!」


 何十人と騎士達を投入しても、グランニールとシュバリエルは僅かな揺らぎもなく跳ね返していく。その状況を受け、隊長は憎々しげに顔を歪めた。

 グランニールは勇壮たる眼光で、その歪な形相の騎士を睨み――シュバリエルも強気な口調で隊長を挑発する。


「おのれ……調子に乗りやがってぇえ!」


 そんな二人に、怒りと憎しみを募らせた一人の騎士が踊りかかる。だが、グランニールは余所見しながらその剣の一閃を、指二本で止めてしまった。


「それは貴様らの方だろう。戦後の五年間、この町を蹂躙してきた貴様らの悪行も――ここまでだ!」

「ひっ……ひぃいいぃ!」


 そしてあっさりと、指の力だけで白銀の刃をへし折ってしまった。枝のように己の剣を折られ、騎士は恐怖に顔を引きつらせる。

 そんな彼を吹き飛ばそうと、グランニールが足を振り上げ――とどめの蹴りを放つ。


「ホワチャアッ……!?」


 その、時だった。


 容赦無く振り抜かれ、騎士を打ちのめすはずだった老戦士の脚は。振り下ろす瞬間で、止まっていた。

 蹴りを止めたのは、グランニールの意思ではない。彼の脚力さえ穿つ第三者が、この一撃を阻んだのだ。


「そこまでだ……海賊」


 ――古びた木の盾で、彼の蹴りを受け止めている謎の剣士という、第三者が。


「な、なんだ……あいつは!?」


 腰まで届く黒い長髪と赤いマフラーを靡かせる、若い男。貧相な装備でありながら、グランニールの蹴りを止めているその人物は、騎士達も身に覚えがなく、隊長は得体の知れない第三者の出現に困惑する。

 そんな周囲の反応から、老戦士は目の前で自分の蹴りを止め、並々ならぬ気迫でこちらを見据える若き剣士が、騎士達に与する者ではないと看破した。


「う、うそだ……父さんの蹴りを、あんなオンボロの盾で止めるなんて!」

「……いや、違うな。盾ではなくこの者自身の膂力で、私の蹴りを凌いでいる。……何者だ? 騎士ではないようだが」

「何者だろうとあなた方には関係ない。引かないなら、叩きのめすだけだ」

「……」


 ずぶ濡れの格好。ボロボロに擦り切れた銅の剣と木の盾。どれをとっても騎士達の仲間とは言い難い風貌である。

 長髪の美男子ではあるが、そんな容姿の素材も帳消しにしてしまうようなみずぼらしさだ。


 だが――注目すべきはそこではない。問題は、そんな彼が騎士達を何人も跳ね飛ばしてきたグランニールの蹴りを防いで見せたことにある。

 間違いなく、他の騎士達とは一線を画する強さ。騎士達の最強戦力であり、自分達の「侵略」が成功しない最大の要因である「シン」にも迫る戦闘力であることは明白だった。


 無論、その点は騎士達も注目しているようであり――隊長を含む誰もが、謎の実力者に目を奪われているようだった。


(この青年……並外れた実力を備えている上に、義に溢れた良い眼をしている。だが……この様子を見るに、事情は何も知らぬようだ)


 そのさなか。いち早く彼の人柄を眼差しから察したグランニールは、彼の盾から脚を離すと距離を取り、構え直した。

 そんな彼の気迫に触れた青年――ダタッツもまた、腰から銅の剣を抜く。


「くっ……!」


 すると、シュバリエルは素早く身を翻すとダタッツの背後に周り、その背中に四本の矢を向ける。引き絞られた弓から、ギリギリと音が鳴った。

 実態も目的もわからない、突如現れた謎の人物。だが少なくとも、今この瞬間はグランニールと敵同士として相対している。彼に弓引く理由としては、それで十分だった。


「やめておけ。怪我をするぞ」

「……!? う、うるさいッ!」


 だが、ダタッツはグランニールから目を離さないまま、背後に立つシュバリエルに警告する。こちらを見ずに手の内を看破されたことに困惑しつつも、幼い海賊は構わず矢を放った。


 獅子波濤の四矢が、黒髪の剣士の背に降りかかる。

 だが。


「なっ……!」


 ダタッツは矢を見ることもなく、僅かに身を捻るだけで三本の矢をかわし。最後の一本を、指に挟んで止めてしまった。

 さらにその矢をこともなげに、後方へ投げ返すのだが――その速度は、シュバリエルが矢を射る速さすら凌いでいた。

 投げ返された矢は彼の足元に突き刺さり、その衝撃で石畳が一瞬浮き上がる。その瞬間を眼前で見せ付けられたシュバリエルは、目の前で父と対峙している男の実力を知り、戦慄を覚えるのだった。


「……それが警告だ。怪我をしたくなくば、大人しくしていろ」

「お、お前は……一体……!?」


 獅子波濤を見切ったばかりか、シュバリエルの方を一度も見ることなく矢を投げ返して見せた。しかも、彼に矢が当たらないギリギリのポイントに。

 そんな芸当を、自分と構えている最中に見せ付けられたグランニールは、険しい面持ちを浮かべる頬に、汗を伝わせた。


(……これほどの力を持ちながら、あくまで投降を求めるか。やはりこの青年、悪ではない。だが……シュバリエルが弓を引いた今の状況で、説得は難しかろう。……やむを得ん)


 そして、未知の強者という不確定要素と直面した老戦士は、一つの決断と共に走り出す。


「シュバリエル、ここは引くぞ!」

「と、父さん! オレはまだ……!」

「彼は強い。今の我々ではまず勝てん!」

「くッ……アルフ兄さんさえ生きていてくれたらッ……!」


 その指示に応じ、彼の血を引くシュバリエルも後に続いた。騎士達の頭上を飛び越し、二人が向かう先は、桟橋の向こうに浮かぶ海賊船。


「や、奴ら逃げるぞ! 追えェーッ!」


 これから激戦が始まると思わせてからの、グランニール達の突飛な行動に、騎士達は暫し呆気にとられていたが。いち早く我に返った隊長の指示のもと、一気に追撃を開始した。

 だがすでに二人は海賊船に飛び乗り、沖の彼方へと逃げ去っていた。小舟はあるものの、海上まで追いかけても船の砲台で迎撃されるのが落ちというもの。


「くそーッ! あんのクソッタレ共がーッ!」


 それを見ているしかなかった隊長は、地団駄を踏んで激しく憤る。そんな騎士にあるまじき姿を、遠巻きに眺めながら……海の向こうに消えていく二人の海賊を見つめるダタッツは、独り思案する。


(あのグランニールって人……。海賊という割には、悪辣な気配はまるで感じなかった。シュバリエルって子も。……この町で、一体何が起きている……?)


 そんな彼を、遠くから見つめる悍ましい眼光には――気づくことなく。


『テイ、コク。ユウシャ……!』


 ◇


「いやはやぁ……! あなた様のような大層腕の立つお方が、どこにも仕えていない旅の剣士であったとは! そのような武器であのグランニール共を撃退せしめるとは、まっこと素晴らしき実力!」

「……いえ、ジブンなど所詮は井の中の蛙。それよりも、住民に被害が及ばずに済んで何よりでした」

「おぉ……その謙虚な姿勢。力なき民への愛! ますます素晴らしい! 旅人の身であることが勿体無いですぞ! いかがです、私の町で用心棒となっては!? 給金は弾みますぞ〜!」

「先ほども申し上げましたが、ジブンは――」

「――あぁわかっておりますとも、我が国の王都を目指しておいでだとか。雇用の話は冗談ですとも、えぇ冗談。ダタッツ殿ほどの方が、こんな小さな港町の用心棒に収まるはずがありませんものな。ですが、あなた様に町が救われたことは事実。是非ともこの町で羽を休め、英気を養って頂きたい」

「……ありがとうございます」


 この日の夜。

 戦いを終えたダタッツは、海賊グランニールの一味を撃退した戦功を讃えるとして、町長バルキーテの屋敷に招かれていた。

 蒼い豪華絢爛な洋服を纏い、艶やかな金髪をロールした髪型である彼は、食事の席にダタッツを招き彼の剣腕を褒めちぎっていた。デップリと太り、首と胴体が繋がった醜悪な容姿を持つ彼は、粘つくような視線でダタッツを見つめる。


(長い髪と聞いておったから期待しておれば、男とはな。服や装備の割りには見目麗しいことだし、女であれば儂の愛人にしてやろうと思ったのだがなぁ……ちっ)


 そんなバルキーテの胸中を知ってか知らずか。ダタッツはため息と共に彼から視線を外し、窓から港町の夜景を見遣る。

 町の窓から漏れる光が街道と海を照らし、幻想的な輝きを放っていた。


「……しかし、驚きました。あのグランニールの一味が、元町長とその子息とは」

「えぇ。我が町の内輪揉めとも呼べるこの件に、あなた様の手を煩わせてしまい、謝罪の言葉もありませぬ」


 ダタッツの言葉に、バルキーテは深く頭を下げる。


 ――五年前。この港町を領地とする王国と、大陸の大部分を支配下に置く帝国との間では、戦争が起きていた。

 圧倒的な軍事力を要する大国の侵略に、王国は兵士一人一人の「質」で対抗。かつては数多くの勇敢な王国騎士が、帝国の侵略者達に立ち向かったという。

 だが、所詮は多勢に無勢。圧倒的物量差の前では王国騎士も限界があり、次々と戦場に倒れて行き――帝国が戦争終結への決戦兵器として、異世界の「勇者」を召喚したことがとどめとなった。

 一騎当千の「質」を持つ絶対戦力の「帝国勇者」を前に、王国騎士達は徹底的に叩き潰され、王国は敗走。ついには敗戦国として、帝国の属国に成り下がってしまった。

 終戦時に帝国勇者が戦死してからも、帝国の支配は未だ続いている。


 その戦火はこの港町にも及んでおり、当時町長だったグランニールは、息子の王国騎士アルフレンサーに戦いを押し付け、自らは次男のシュバリエルと二人で住民を置いて逃げたのだという。アルフレンサーが戦死した後も、二人はとうとう戻らなかった。

 そんな彼に代わり、今ではバルキーテが町長として町を統治しているらしい。通常、属国となった王国の各都市には帝国の駐屯兵が居座るはずだが、この港町はバルキーテの「嘆願」により、駐屯兵の常駐を免れているようだ。

 そこへグランニールとシュバリエルが、海賊となってこの町を奪還しようと襲撃して来たのが、戦後すぐ。つまり五年間に渡り、グランニールの一味は自分達が町長の務めを放棄して逃げ出した町を、奪おうとしてきたらしい。


「全く奴らの厚顔無恥ぶりには、同じ港町の人間として恥ずかしい限りですな。ダタッツ殿にも、事情の説明とはいえ聞くに堪えない話をしてしまいました」

「いえ、訳を知りたいと申し上げたのはジブンですから」

「そうですか。いやはや、ダタッツ殿の慈悲深いお心には、心底頭が下がりますなぁ」

「……」


 にこやかに両手を擦り合わせるバルキーテ。そんな彼の張り付いたような笑顔を、ダタッツは暫し神妙に見遣る。


(……妙な話だ。強欲な帝国軍が、小さな港町の町長一人の「嘆願」だけで、駐屯兵を置かないはずがない。それにあの人達の眼は……)


 そこまで思考を巡らせたところで、ダタッツはある一つの事柄を思い出す。


「そういえばこの五年間ずっと、グランニールの一味を追い払ってきた用心棒がいらっしゃるのですよね」

「シンのことですかな? あやつは戦後に私が拾った剣士でしてな。元騎士だそうですが、戦火のせいなのか過去の記憶がないそうでして。腕は立つので私の護衛をやらせておりますが、何しろ不気味な奴でしてなぁ。他の騎士達も含め、誰も近寄らんのです」


 五年間、グランニールの一味と戦い続けてきたという「シン」。

 騎士達も語ることを控えていた、謎の存在。その人物のことが、どうにも気掛かりだったのだ。

 僅か一瞬の太刀合わせしかしていないが、グランニールがかなりの手練れであることは肌で感じた。シュバリエルも、決して弱いとは言い難い戦士だった。

 そんな彼らを五年間も跳ね除けてきた猛者とは、一体何者なのか。


「そうですか……。とても強い方であると騎士の方々から伺っておりましたので、一度お会いしたいと思っていたのですが」


「いますよ、シンならそこに」


「え……?」


 その実態は、ダタッツの想像はおろか――索敵能力すらも超えていた。


 バルキーテが指差す方向へ、振り返ったダタッツの視線の先。そこには、二振りの剣を腰に差した鎧騎士の像が飾られていた。

 二メートルに迫るほどの、圧倒的な体躯。赤いインナーの上に纏われた、漆黒の鎧。悪魔すら可愛らしく見えるほどの禍々しさを湛えた、髑髏状の鉄仮面。

 腕を組み、仁王立ちの姿勢で静止している、その像。それが、「シン」だとバルキーテは言う。


(……部屋に入ってから、人の気配はバルキーテさんか、料理を運んでくるメイドさんくらいしか感じなかった。この像が「シン」だというのか……?)


 ダタッツは信じられない、とばかりに席から立つと、像に歩み寄り髑髏兜を見上げる。生きている人間とは思えぬほどに、その身は微動だにせず静止していた。

 ――生きていない像であれば、それで当然なのだが。


「……」

「――ッ!?」


 人が入っているはずがない、髑髏の鉄仮面。その眼が覗いている部分と――眼が、合った。

 先ほどまで真っ黒で見えなかったはずの、その「眼が覗いている箇所」からは、確かに碧い瞳が輝いている。人間の、瞳が。

 その現象は、この鎧の中に「人間」がいることの証明となっていた。正しくは、ダタッツの索敵能力を欺く人間がいることの。


「シン。そんなところにいつまでも突っ立っていては、ダタッツ殿の食事の邪魔になろう。席を外したまえ」

「……」


 バルキーテは、戦慄のあまり硬直しているダタッツを尻目に、像に命令を下す。傍目に見れば、それは物言わぬ像に話し掛ける道化の所業。

 だが――物々しい金属音と共に、像だった「シン」が動き出した今となっては道化とも言い難い。鉄と鉄がこすれ合う、歪な音と共にシンは台座から降り、カーペットの上を歩く。


 本の数秒前まで、本物の像のように微動だにしなかった鉄の塊が、人間と違わぬ挙動で歩いている。その現象を、ダタッツはただ茫然と見ているしかなかった。


(まる、で……気配を感じなかった。しかも、あの目……あの目は……!)


 だが、彼を釘付けにしていた理由は、自分が気配を感知出来なかったことだけではない。あの碧い瞳が孕んでいた「狂気」に、見覚えがあったのだ。


 ――帝国勇者に斬られた人間が、辿る道は二つ。そのまま剣の錆となるか。あるいは、「生」と引き換えに「狂」に堕ちるか。

 ダタッツは、後者の色を知っている。斬られた者の運命を破壊する、「狂」の色を。


 そして。


『テイ、コク。ユウシャ』


「……!」


 動く鎧騎士像が、部屋から消える瞬間。


 自分のものでも、バルキーテのものでもない「声」を、ダタッツの聴覚が拾い上げる。

 小さ過ぎて、声であるかどうかも疑わしいほどに、小さな音。


 だがその程度の事象でも。


 彼に全てを悟らせるには、十分だった。


 ◇


 ――翌日。

 バルキーテ邸で朝食を摂った後、ダタッツは町へと繰り出していた。昨日は港町に到着早々戦いになった上、そのあとすぐにバルキーテ邸に招かれたため、町の散策も満足に出来なかったためだ。

 これから王都を目指して旅立つ以上、必要なものは自分の目で確かめて買い集めなくてはならない。常に自給自足の旅人にとっては、鉄則である。


 ……それでなくとも、あのシンという男の近くにはいない方がいいとも感じていた。近寄る者全てを切り捨てんとする、あの眼光。騎士達が近寄らないのも、当然である。


(シンはあの時……確かに、「帝国勇者」と口にした。まさか、彼は……)


 とりわけダタッツとしては、どうしても近くにはいられない、さる「理由」があったのだ。


(……しかし……)


 そういった事情から、彼は朝早くから港町を散策しているのだが――どうにも気掛かりなところがあった。

 自分を見る町民達の眼が、どこか冷淡なのだ。どちらかといえば、敵意、あるいは畏怖すら感じられる。


 彼自身としては、別に見返りが欲しくてグランニールの一味と戦ったわけではない。だが、町を脅かしていた海賊を撃退した者への態度としては、妙だ。

 まるで海賊を撃退した自身の方が、悪者と見られているかのような……そんな得体の知れない、気味の悪さがあった。


「……」

「ハハハ、でよー。……んっ? げ、げっ!? ダタッツ様ッ!? へ、うへへへ、お疲れ様でさぁ!」

「ダタッツ様も一杯どうっすかぁ?」


 それだけではない。あちこちで王国騎士が巡回しているようだが、勤務態度は優秀とは言えない者ばかりであった。

 町民も王国騎士が近づくと蜘蛛の子を散らすように逃げ去っている。今こうしてダタッツと対面している二人の騎士も、路地で飲んだくれていた。


 ――敗戦以来、優秀な騎士の殆どを戦争で喪った王国騎士団には、劣悪な生き残りが犇めくようになったと聞く。が、これは想像以上の有様であった。

 これでは、国のため民のためと戦場に散った王国騎士達も、浮かばれない。


「……」

「あ、あれぇ? どこ行くんすかぁ? 俺らと一杯やりましょうよぉ!」

「バッキャロ! シン様に並ぶかも知れねぇ腕の人だぞ、下手な口きくと首チョンパだぜ!」


 ダタッツは悲痛な面持ちで踵を返し、この場を立ち去って行く。そんな彼の後ろで交わされる言葉は、弱肉強食となってしまったこの時代を象徴しているようだった。


(……何かがおかしい。この港町で、何が起きている……?)


 ◇


 あれから、どれほど歩き回ったか。そんな感覚すら曖昧になり始めた頃、気づけば酒場へと足を踏み入れていた。

 やはり、と言うべきか。すでに店内は騎士達の溜まり場となっているようであり、店員も他の客も萎縮しているようだった。


「おいこらぁ、何モタモタしてやがんだ! 酒出せ酒ェ!」

「も、申し訳ありません、もう今日の分は……」

「うるせぇ、だったらさっさと仕入れてきやがれッ!」

「がぁッ……!」

「父さんっ!? ――ちょっとあんた達、いい加減にしなさいよ! それが騎士のやること!?」


 そんな中、酒が切れたことにいきり立つ騎士の一人が、バーテンダーを殴り倒してしまった。その短い悲鳴を聞き付けたウェイトレスが、怒号を上げて詰め寄って行く。

 周りの客はウェイトレスを引き止めようとするが、彼女は意に介さずズカズカと踏み込んで行った。


 翡翠色のショートヘアを揺らし、強気な輝きを放つ碧眼で騎士を射抜く、色白の美少女。床を踏み鳴らして進むたびに、そのたわわな双丘が上下に揺れていた。

 そんな彼女の眼光を浴びてなお、騎士は怯むことなく下卑た笑みを浮かべる。上玉の獲物が自分から寄ってきた――と。


「へへ、なんだぁタスラ。守られるだけのか弱い一般市民が、命張って戦って下さってる騎士様に口答えかぁ?」

「どの口がッ……! あんた達、グランニール様を裏切って恥ずかしくないの!? 戦前のこの町を、忘れたのッ!?」

「タ、タスラやめなさい!」

「父さんは黙ってて。あたし、やっぱり許せないよ。こんな奴らが、バルキーテがのさばってるままなんて! みんなシンのせいよ、あいつさえいなかったらグランニール様がとっくに……!」


 殴られた身でありながら、娘の糾弾を止めようとするバーテンダー。そんな父の制止も聞かず、タスラというウェイトレスはさらにいきり立つ。

 そんな彼女がしきりに揺らす胸を、厭らしい眼差しで見遣りながら、騎士は下品な笑い声を上げた。


「ひ、ひひひひ。どうやら娘の教育がなってねぇようだなマスター。いいかタスラ、この世界は所詮、弱肉強食。強ければ何をしたって許されるし、弱い奴には何の権利もねぇ。それはこの王国が、帝国に押し潰された『歴史』が証明してる」

「……何が言いたいの」

「つまり海賊に堕ちたグランニールは弱いから悪いってことさ。バルキーテ様が強い、だから正しい。結局は勝てば官軍なんだよ。グランニールが正しかろうが、負けたあいつは賊軍さ」

「……〜ッ!」


 かつてグランニールに仕えていた騎士から、出て来た言葉がそれだった。かつて彼が治めていた平和な港町を知る彼女は、それに耐え切れず――感情のままに右手を振り上げる。

 だが、騎士は平手打ちを放とうと振るわれた手を用意に掴み、その攻撃を封じてしまった。


「こ、のッ……!」

「……まー、それはさて置くとしてだ。お前、この五年でイイ身体に育ったよなぁ。胸も尻もムチムチして、たまんねぇ」

「ひ、やッ……!」


 そして歪に口元を緩め、舌舐めずりと共に彼女の肢体に手を伸ばす。豊満な肉体を這い回る手の感触に、少女は苦悶の声を漏らした。

 力で抑えられては反撃のしようもない。むしろ彼女にとっての懸命な抵抗は、余興として騎士を愉しませているようだった。

 王国騎士にあるまじき、外道の所業。本来ならばそう糾弾されるべき彼の行いを、仲間達はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて静観している。そればかりか、便乗して彼女に手を出そうという相談まで始めていた。


「タスラ! ど、どうかおやめくださ――ぐっ!」

「と、父さんっ!」

「余計な真似すんじゃねーよ、今イイところなんだからよ」


 無力な市民達に、それを止める力はない。辱めを受けようとしている娘を救おうと、無謀を承知で助けに行こうとした父は、彼の仲間に取り押さえられてしまった。

 その惨状に声を上げようとしたタスラは、カウンターの上に押し倒されてしまう。直後、騎士の膂力が彼女の服を剥ぎ取って行った。


「きゃあぁあ!」

「ほおぉ、こりゃ予想以上だ。肌も白くてたまんねぇな、ホラこっちも見せな!」


 スカートとブラもむしり取られ、白いパンティ一枚にされて行く。露わにされた胸を両手で隠そうにも、騎士の腕力で押さえつけられていては叶わない。

 そして最後のお楽しみとばかりに、その指がパンティに引っ掛けられる。陵辱の未来を予感し、羞恥の余り顔を赤らめる彼女は、目尻に涙を浮かべながら瞼をきつく閉じるしかなかった。


 そして無情にも、彼女の秘部を守っていた最後の砦が破られる――瞬間。


「ぼげがッ!?」

「……っ!?」


 騎士の顔面に何者かの裏拳が減り込み。同時に、タスラの肢体の上に、緑の上着が被せられた。

 何が起きたかわからず、上着で前を隠しながら身を起こした彼女の前に――黒の長髪と赤マフラーを靡かせる、謎の男が現れる。


 黒衣を纏う黒髪の剣士。得体の知れない第三者の乱入に、騎士達や市民達の間にどよめきが広がる。だが、当の剣士はそんな周囲を気にも留めず、尻餅をついたまま自分を睨みあげる騎士を一瞥した。


「なんだァてめェは! この町の騎士様に舐めた真似して、ただで済むと思ってんじゃねェぞ!」

「……」


 そんな彼に向けて飛ぶ怒号で、周りの騎士達が我に返っていく。程なくして彼らは、自分達に楯突く曲者に向け、剣呑な眼光を集中させた。

 ――が。その時は長くは続かなかった。


「お、おいお前ら何してんだよ!? ダタッツ様だぞ、その人!」

「殺されるぞ!?」


 ゲラゲラと嗤いながら酒場に入ってきた、他の騎士が驚愕の声を上げたためだ。彼らはグランニール一味を撃退したダタッツを相手に、剣呑な面持ちで剣を抜いている仲間達の光景を目の当たりにして、酔いが覚めたかのように叫ぶ。


「……ッ!? ダ、ダタッツっていやぁ、昨日グランニール一味を追い払ったって言う……!?」

「確かシン様に並ぶ実力者って……!」

「……!?」


 そんな同胞の勧告を受けて、ダタッツに斬り掛らんとしていた騎士達に緊張が走る。すでに昨日の戦闘のことは、参加していなかった一部の騎士達にも広まっていたのだ。

 そして、そんな彼らを通して市民達の間にも、ダタッツという来訪者のことは知れ渡っている。

 予想だにしなかった噂の剣士の登場に、騎士達も市民達も衝撃の余り、あんぐりと口を開けていた。


 やがて、噂に違わぬ銅の剣が、彼らの眼前で引き抜かれた時。


「も、申し訳ありませんでしたァァァァ!」


 自分達が剣を向けている相手。その実態に辿り着いた騎士達は悲鳴を上げ、我先にと酒場から逃げ出して行く。鞘から出掛かっていた銅色の刃は、彼らの足音が消え去ると共に、元の場所へと納められた。


「……」

「あん、たが……」


 一瞬にして酒場にたむろしていた騎士達を追い払ってしまった黒衣の剣士。その背を暫し、タスラは複雑な表情で見つめていた。


 ◇


「嘘っぱち?」

「そうよ。全部、バルキーテの嘘八百。あんただって見たでしょ、あいつらの所業」

「確かに……。ここにいる王国騎士達の言動から、彼らの言い分を汲むのは難しいな」


 騎士達が去り、束の間の平和が訪れた港町の酒場。そこで唯一、剣を携えている黒髪の青年の席に、一杯のアイスミルクが運ばれる。

 それを持ってきたウェイトレスは服を着替え、二着目のドレスに身を包んでいた。彼女は、その力量には不釣り合いな飲み物を注文する青年を、訝しげに見つめる。


「にしてもアイスミルクって……あんた強い癖に子供っぽい物頼むわね」

「メニューによると酒以外の飲み物が、これだけだからな。未成年である以上、酒は飲めない」

「十八歳なんでしょ? その歳で酒が飲めない国なんてあったっけ……」

「遠い故郷ではそうだった。それだけのことだ」


 タスラの視線を気にすることなく、ダタッツはアイスミルクに口を付ける。そして、神妙な面持ちで彼女を見上げた。


「……しかし、戦中に逃げ出したのがバルキーテの方だったとはな。眼の色からして、話に聞くような傑物ではないと感じてはいたが」

「あったりまえでしょ! あいつがあたし達の味方なわけないじゃない!」


 ダタッツがふと漏らした言葉に、タスラは眉を吊り上げる。その瞳は、憎き現町長への怒り一色に染まっていた。

 ――ダタッツが聞いたバルキーテの話は、全て偽りだったのだ。


 戦時中、帝国の軍勢がこの港町に迫った時。

 当時、町長選挙でグランニールに敗れ、彼の補佐官を務めていたバルキーテは、町長邸の金庫から資金を盗み出し、僅かな数の部下を連れていち早く港町を脱出していた。

 バルキーテに資金を盗み出されたグランニールは、町民を逃がすための馬車を工面することも防衛兵力を買い集めることも出来ず、常駐していた王国騎士達と協力して街を守るために戦う道を選んだ。


 降伏すれば、待っているのは殺戮と略奪。町民を逃がす足も手に入らない以上、死力を尽くして戦うしかなかったのだ。


 町民を守るために自ら戦場に立つグランニール。そんな町長の姿に、数多くの王国騎士が加勢した。彼の長男であり、王国騎士達を束ねる隊長格だった青年アルフレンサーも、その一人である。

 アルフレンサーは父グランニールと、弟シュバリエルを守るため、斬り込み隊長として帝国軍と激突。獅子奮迅の活躍で、帝国軍の攻勢を抑え込んだ。

 だが、結局は多勢に無勢。帝国軍の物量に勢いを殺されたアルフレンサーは、父や弟が撤退する時間を稼ぐことが精一杯だった。


 さらに、そんな彼にとどめを刺すように。帝国勇者が、戦場に加わったのである。

 港町近辺の森林にて、帝国勇者と交戦したアルフレンサーは敢え無く討ち取られ、奈落の底へと消えた。父と弟の無念を残して。


 やがて王国騎士達も次々と倒され、グランニールは涙を飲んで降伏を受け入れた。ここまでが、我々にできる精一杯だったのだと。


 しかし降伏後も、港町が帝国軍に蹂躙されることはなかった。


 ――そのタイミングで、バルキーテが現れたのである。グランニールから盗んだ資金を元手に、帝国軍と賄賂で繋がった状態で。


 グランニールやアルフレンサーが抗戦している間に、帝国軍と接触して繋がりを持っていたバルキーテは、賄賂と引き換えに港町の統治権を買収。港町の支配者として返り咲いたのだ。

 賄賂の工面のため、重税で町民達を苦しめながら。


 今ではバルキーテの圧政に苦しみながら、辛うじて生きている町民が大半となっている。かつてグランニールと共に戦った騎士達は戦場に散り、今ではバルキーテの息がかかった者達ばかりが、王国騎士としてこの町で幅を利かせていた。


 一方、バルキーテの裏切りにより殺されかけたグランニールとシュバリエルは海に逃亡することを余儀無くされ、以来五年間、海賊としてバルキーテから町を解放するための戦いに挑み続けている。

 バルキーテの喰い物として街が潰されるくらいなら、帝国軍の常駐を許した方がマシ、という見解なのだ。窮地の際にあっさりと町を裏切り、賄賂で権益を買収した彼の所業を鑑みれば、それも当然と言えるだろう。


「アルフレンサー様さえご健在なら、バルキーテなんてすぐにやっつけられたのに……。シンのせいで……」

「……あのシンという男、一度だけ会ったが間違いなく只者じゃなかった。何者なんだ……?」

「わからないの。バルキーテの用心棒ってことしか……。それと何故か、アルフレンサー様と同じ剣術を使うらしいの。この町を押さえつける力の象徴が、アルフレンサー様の技を使うなんて……許せないッ!」


 語っているうちに怒りが再燃したのか、タスラは拳を握り締め、唇をきつく噛み締めた。かつてこの町を守るために殉じた騎士の技が、今は町を脅かしている。その当て付けのようにも取れる現状が、彼女の怒りを煽っているのだ。

 そんな彼女や、話を聞いて鎮痛な面持ちを浮かべる町民達の表情を見れば、グランニール親子がいかに慕われているかが容易に窺い知れる。


(……五年前、この港町近くの森林で戦死。しかし遺体は奈落に消えて発見されず……か。そしてあのシンという男が、王国式闘剣術の使い手とはな。……やはり、間違いない)


 そして彼女の口から語られた、この港町の真実から――ダタッツは、ある一つの結論に辿り着いていた。

 彼はアイスミルクを飲み干すと、勘定を置いて立ち上がる。


「ご馳走様。……ジブンがここに居ては、誰もいい顔はしまい。これで失礼する」

「ねぇ。あんた、ダタッツって言ったわね。……あんたは、あたし達の敵なの? 味方なの?」


 そんな彼に、タスラは訝しむような視線を向ける。自分を暴漢から守った男ではあるが、昨日の戦いでグランニール達と敵対した男でもある。

 言葉を交わした限りでは、悪い人間ではなさそう、というのが直感ではあったが。やはり善い人間であるとも信じ切れなかったのだ。現に、海賊と戦ってしまった以上は。


「……」


 ダタッツは、何も答えない。無言のまま、立ち去って行く。銅の剣を納めた鞘を、握り締めて。

 そんな彼の背中を、タスラはただ見送るしかなかった。敵かどうかもわからない相手に、罵声など浴びせられない。だが、味方という確証もない。

 誰も、何も語らないまま。黒衣の剣士は、静かに酒場から姿を消すのだった。


 そうして、酒場にようやく本当の平穏が戻る頃。タスラは思い出したように、視線をカウンターに移す。

 正しくは、そこに掛けられた、緑の上着に。


「……返し、そびれちゃったなぁ」


 ◇


 この日の、夜の帳が下りる頃。

 月夜に照らされた港町の夜景を、太ましい醜男が見下ろしていた。一重瞼の先に映る景色を前に、分厚い唇が歪に釣り上がる。


(ぐ、ふふふ。なんという愉快。なんという愉悦。奴の全てを奪い、踏み躙るこの感覚……堪らん、堪らんなぁ)


 醜男の名はバルキーテ。かつてグランニールの部下だった彼は、今やこの港町の支配者としての地位を欲しいままにしていた。

 太い指に囚われたワイングラスが、ゆらりと蠢く。


(儂の欲した地位と名誉を全て奪い続けてきた奴も、今や下賤な海賊。シンがおる限り、奴らの逆転は決してあり得ん。さらに今に限った話ではあるが、あのダタッツとかいう若造も儂を信じ切っておる。鬼に金棒、とはまさにこのことよ)


 彼はちらりと背後を見やり、銅像のように固まったままのシンを一瞥する。ダタッツさえ欺いた彼の不動の姿勢は、今この瞬間も実践されていた。


(思えば、あの時シンを……いや、アルフレンサーを拾わねば、儂はとうにあやつらに討たれていたやも知れん。ふふ、儂自身の強運に驚かされるばかりじゃな)


 目を細め、シン――と成り果てた男を見つめるバルキーテ。彼の脳裏に、五年前の記憶が蘇る。


 ……あの豪雨の夜。帝国軍と協力関係を結んでいたバルキーテは、奈落の底にアルフレンサーが墜落する様を目撃していた。帝国勇者の、投剣術と共に。

 遠巻きゆえに詳細こそわからなかったが、アルフレンサーが帝国勇者に討たれた事実だけは間違いなかった。彼が二刀流を得意とする騎士であることは、バルキーテも知っていたのだ。

 奈落に消える、二本の剣を持った剣士。その瞬間に居合わせたバルキーテは、数人の帝国騎士を連れて谷を下り、アルフレンサーの遺体を探すことにした。

 アルフレンサーの首を振りかざしてやれば、グランニールの心を完全に折ることができる。そんな歪な復讐心からの行動だった。


 ――が、思いの外早く見つかったアルフレンサーは。死んではいなかった。


 自分に纏わる記憶と引き換えに、一命を取り留めていたアルフレンサーは、バルキーテを命の恩人と誤認。それを好機と睨んだ裏切り者は、言葉巧みに「アルフレンサー」という人格を青年から消し去り――自分の用心棒「シン」に仕立て上げた。


 記憶喪失を差し引いても、どこか精神に異常を来たしている節はあったが――王国式闘剣術の達人を戦力として引き入れられるのは、大きい。

 自分に関する記憶がなくとも身体が戦い方を覚えているのか、剣捌きは間違いなく王国騎士のそれであった。


 以来、アルフレンサーだった男はシンと己を改め、バルキーテに忠実な傀儡と成り果てたのだ。

 記憶が失われ精神すらも朦朧とする中、義に報いねばならないという騎士の根幹だけが彼を支えていた。……それゆえ。彼は自我さえ曖昧なまま、忌むべき敵であるはずのバルキーテに仕えるようになったのである。


 そうして彼はバルキーテに仕向けられるまま、故郷奪還を目指して奮闘する父と弟に、剣を向けてきたのである。五年に渡り、絶えることなく。

 そんな親子同士の殺し合いを演出することも、バルキーテが仕組んだグランニールへの復讐の一つだった。この港町出身の下級貴族でありながら、名門出身の自分を差し置いて町長の座につき、町民の信望を独占した彼への。


(く、ふふ。くふふふふ。悔しいか。悔しいかグランニール。ざまあみろ。貴様ら一家を根絶やしにした後は、この港町だ。町民が死に絶えるまで重税を搾り取り、用済みになれば町ごと切り捨ててくれる。儂はその資金を元手に栄えある帝国に渡り、この港町は王国の地図から消え去るのだ)


 かつて王都で起こした不祥事から、この辺境とも言うべき港町にまで左遷されて十年。全ては、下級貴族にまで辛酸を舐めさせられた過去と決別し、強者の国である帝国でのし上がるため。

 彼は貪欲な野望と悪辣な復讐心の赴くまま、この港町に災厄を齎そうとしていた……。


 ――だが。


「敵か、味方か……か」


 その企みを見抜いている、とある黒衣の剣士が。自分と同じように港町を見つめていることは、知る由もなかった。


 ◇


 ダタッツがこの港町を訪れて、三日目。港町の上には、曇り空が広がっていた。

 ここの王国騎士達の話によると、天候が悪い日にグランニールの一味は絶対に現れないという。船しか移動手段を持たない彼らの窮状を鑑みるなら、無理な行動で足を失う事態を避けている、という理由が容易に想像できる。


 だが――ダタッツはその話を受けてなお、銅の剣と木の盾を携え、臨戦態勢を整えた姿で町に繰り出していた。

 街道を歩いていれば頻繁に目に付く、酒に溺れ傲慢に振る舞う王国騎士達。彼らの醜態に顔を顰めながら、黒衣の剣士は港へと直行した。


(……来るはずがない。誰もがそう思っているが……相手の予想を外して攻めるのが戦いの基本。そう思い込ませるための、五年間だとしたら……)


 そして港に辿り着いてすぐに、暗雲に覆われた大海原を見渡す。波は晴天の頃より大きく揺らめいてはいるが――船が転覆するような段階ではない。

 雨が降り出せば話は違ってくるが……もしも、その危険を顧みない「片道切符」を抱えているとしたら。


「……ジブンが敵に回ったと見て、捨て身の特攻作戦――ということか」


 そんな予想に沿うかの如く。


 暗雲と霧と、水平線の彼方に――海賊船のシルエットが、現れた。


 ◇


「て、敵襲だ敵襲ゥゥーッ! グランニール一味が来やがったァァァ!」

「なんだって!? 嘘だろ、今までこんな天気で攻めてくるわけなかったのに!」

「んなこと言ってる場合か! さっさと全員叩き起こして配置に付けェ!」


 予想だにしない天候での、海賊船の来襲。その異常事態に、本物の戦に慣れていない王国騎士達は大パニックに陥っていた。

 その喧騒を背に、ダタッツはただ真っ直ぐに、こちらに近づいてくる海賊船を視線で射抜く。


「……」


 この視線に気づいているのか。ゆらり、と船上に現れた二つの影が、ダタッツの目前に颯爽と飛び込んできた。

 紫一色の戦闘服を纏う、二人の海賊。筋骨逞しい長身の父と、少女さながらの短身痩躯の次男。――グランニールとシュバリエルの親子が、剣呑な面持ちで降り立つ。


「……また、会ったな」

「……あなた達親子のことは、タスラから伺いました」

「そうか。……あの子は、まだ無事か。気の強い娘であるから、心配していたのだが」

「大丈夫ですよ。彼女は、強い」


 シュバリエルが敵愾心を剥き出しにして睨みつけているのに対し、グランニールは険しくも落ち着いた物腰で、ダタッツと言葉を交わす。そして彼が銅の剣を抜く動作に合わせ、自身も格闘の構えを取った。


「青年よ。名を聞きたい」

「ダタッツです」

「……変わった名だな。して、ダタッツ君。君は真実を知り、どの道を選んだ?」

「……」


 グランニールは一触即発の体勢のまま、あくまで穏やかな口調で問い掛ける。一昨日の初戦から、すでにダタッツの人格を看破していた彼は、眼前の剣士がバルキーテに与するとは考えにくい――と見ていた。

 一方、ダタッツはグランニールの真摯な瞳を真っ向から見つめ、なおも剣を構える。その姿勢から、あくまで自分達と戦うつもりだと睨んだシュバリエルは、すでに四矢を構えて獅子波濤の体勢に入っていた。


『……あんたは、あたし達の敵なの? 味方なの?』


「……」


 剣士の脳裏に、少女の問い掛けが過る。すでに彼の後ろでは、大勢の王国騎士が集まっていた。


「ダタッツ様ーッ! やっちまってくだせぇーッ!」

「あんのクソ海賊共に、今日こそ正義の鉄槌をーッ!」


 その誰もが、後ろから自分を囃し立てている。あの時のように、やってしまえ――と。


 そんな彼らの様子と、こちらを伺う海賊親子を交互に見やり。ダタッツはふぅ、と小さく息を吐く。


 そして。


「選ぶも何も。ジブンの道は、はなから一つです」


 百八十度反転し、銅の剣を振り上げ――何事かと目を剥く騎士達に。

 剣を、投げつける。


 だが、それはもはや「投擲」などではない。矢よりも。音よりも。全てを穿つ速さで彼の剣は空を裂き、その波動が騎士達を吹き飛ばす。


「ぎゃあぁああッ!? な、なんだ今のはァァァ!?」

「ら、乱心だァァァッ! ダタッツ様の、乱心だアァアァアッ!」


 まるで、吹き荒れる嵐。さながら、剣の旋風。たった一本の腕から放たれた(けん)(かぜ)が、数十人の騎士を一網打尽にしてしまった。


「……! これは……!」

「な、なんだよ今の技……!」


 予期せぬ展開に騎士達は騒然となり、その技を間近で目撃した海賊親子にも、衝撃が走る。シュバリエルは驚愕のあまり、弓兵でありながら矢を取り落としてしまった。

 そんな中、グランニールはダタッツが放った技から、ある一つの結論にたどり着く。


(――帝国式投剣術。遥か昔、投石機の類が発達するより以前の時代……空から襲い来る飛龍に対抗するため、当時の帝国騎士が編み出したという古代の対空剣術。槍や矢では貫けぬ鱗を、剣の質量を以て破壊するために練磨された飛空の剣。……投石機や大砲の発達に伴い、廃れたはずのその剣技を操る剣士は、この現代には数えるほどもいない)


 ダタッツの技から、そのルーツを見抜いたグランニールは、彼がその技を使って見せたことから繋がる「結論」に、息を飲む。


(……その一人は。かつて超常の力を持つ勇者でありながら、人間に向けてその力を振るったという悪魔の勇者。戦争の果てに戦死したと伝わる、「帝国勇者」だが……)


 愛息を奪った災禍の勇者。その得体の知れぬ影と、自分達に背を向けて投剣術を放った青年の影が重なる。だが、グランニールはそこで一度思考を敢えて断ち切った。


(……いや。今は、よそう。彼はその剣腕を以て、バルキーテの騎士達を屠った。今は、それだけが真実)


 そして顔を上げた先では――黒髪を靡かせる青年が、ふわりと笑みを浮かべていた。


「……ジブンはこれから、あの騎士達と戦います。この混乱に乗じれば、労せずバルキーテ邸に乗り込めるかも知れませんね?」

「……君も、食えない男だ。――恩に着る、行くぞシュバリエル」

「と、父さん! こいつを信じるんですか!?」

「少なくとも彼は騎士達の『敵』に回った。否応なしに連中の注意は彼に向く。彼の真意がどうであれ、これは我々にとっての好機。違うか?」

「ぐ……」


 そんなダタッツの意図を汲み取り、グランニールはこの機に乗じるべく動き出す。シュバリエルも、一度敵対したダタッツに恩を着せることに難色は示すが、結局はこの隙に突入することに決めたのだった。

 幼い弓兵は、落とした矢を拾い上げると、訝しむような視線を送りながら走り出す。


「……勘違いするなよ! お前の暴動に乗っかってるだけだからな!」

「わかってるわかってる。……それと、男の子だったんだねキミ」

「う、うるせぇ! お前だって女みたいな頭してるくせにぃい!」


 そんな彼らを見送った後――改めて剣を構え直すダタッツは、銅色の刃先を騎士達に向ける。先刻の「飛剣風」を受け、ダタッツが敵に回ったと認識した彼らは、殺気立った表情で黒衣の剣士と対峙した。


「警告は一度だけだ」


 そんな彼らに、ダタッツは。


「――失せろ」


 聞き入れられるはずもない、戯言を呟き。罵詈雑言を上げて踊り掛かる、騎士の皮を被ったケダモノの群れに向かって行く。

 閃く剣に、一迅の風を纏わせて。


 ◇


 港町に巻き起こる騒乱。

 シンに並ぶと噂された剣士の、予期せぬ裏切りは騎士達に激震を走らせ、パニックを拡大させていた。

 とにかく裏切り者を止めねばならない。そのアクシデントに気を取られてしまった彼らは、肝心の仇敵を見失っていた。

 グランニールと、シュバリエルの海賊親子。その二人は騎士達の混乱に乗じて、港町の手薄な街道を駆け抜けていた。


「増援が今も出続けている。……彼がまだまだ持ち堪えている証だな」

「あ、あいつそんなに強かったのか……? 確かに、オレの獅子波濤は破ったけど……」

「……生きておれば、アルフとも良きライバルになっていたやも知れん」

「へ、まさか! あいつがアルフ兄さんに敵うわけないよ」


 ダタッツの長時間に渡る陽動から、彼の戦闘能力の一端を垣間見るグランニール。そんな父の言葉に反発しつつ、その後に続くシュバリエル。彼らはバルキーテ邸の裏手に回ると、隠し通路から地下を目指す。

 ――地理の把握は完璧だった。何しろ、元々ここはグランニール親子の家なのだから。


(あの臆病なバルキーテのことだ。戦いになれば、極力戦場から離れようとするだろう。だが、今の奴にとってこの港町は唯一無二の資金源。五年前のように、おいそれと手放しはしまい。ならば……)


 屋敷裏の穴から、地下深く続く階段。鈍い灯火の光が、その足元を僅かに照らしている。こんな状況で、普段使われないような道に灯火がある。

 つまり、この状況下でここを使った者がいる――ということだ。下り階段が終わった時、広々とした無機質な地下室に到達した二人は、すぐさまその答えを確かめることとなる。


「ぬっ……!? グ、ランニール……!? な、なぜこうも早く……!」

「……一人。頼もしい味方が増えてな」


 その奥に隠れていた、でっぷりと膨れた醜男の影。腰にぶら下げていたカンテラの灯で、その先を照らしたところに――バルキーテの姿が現れた。

 予想だにしない早さで、ここまで乗り込まれたことに狼狽する愚者。そんな彼を、海賊親子は容赦無く視線で射抜く。

 自分達から全てを奪った、憎き仇敵。それが今、目の前にいるのだから。


「オレ達を弄んだ罪……町の皆を苦しめた罪。兄さんの覚悟を、踏みにじった罪! 全て、全て償わせてやる! 覚悟しろバルキーテッ!」


 激昂するシュバリエルは、感情の赴くままに四矢を構えて狙いを定める。寸分たりとも揺るがない高精度の矢じりが、醜男の眉間を捉えた。


「ひ、ひひぃい! こ、来いシンッ!」

「――! 伏せろシュバリエル!」

「……っ!」


 だが、そこから轟く情けない悲鳴が、「引き金」となっていた。地下室一帯に迸る、強烈な殺気の奔流。それを肌で感じ取った二人は、咄嗟に構えを解いて地に伏せる。

 次の瞬間。亀裂を走らせる暇すら与えられず、地下室と地上を隔てる天井が、弾けるように粉砕された。轟音と共に吹き荒れる瓦礫が、三人の周囲に降り注ぐ。それは、さながら隕石のようだった。


「……!」


 立ち込める土埃。その先に潜む、圧倒的にして絶対的な「殺気」。生物としての本能に訴える、「狂気」の極致。

 それら全てを一身に纏う――髑髏の鉄仮面で素顔を隠す、二刀流の鎧騎士。鉄仮面の隙間から僅かに覗く青い瞳が、煌々とした輝きを放っていた。

 例えるなら、暗闇の中で獲物を狙う猛獣。理性という概念を持たない、人の形を借りた魔物。


 その男――シンの両手には、王国騎士の証である二本の剣が握られていた。その姿に、真っ先にシュバリエルがいきり立つ。


「出たな……シン! 兄さんと同じ技を使い、兄さんの技を穢す不届き者! 刺し違えてでも、今日こそ貴様を討ち取るッ!」

「待てシュバリエル、逸るなッ――!」

「獅子波濤ッ!」


 そして、冷静さを欠いた姿に警鐘を鳴らす父の制止さえ振り切り。激情の赴くままに、四矢を同時発射した。

 狙うは、鎧の隙間。関節稼働部にある、鎧に守られていない箇所。


 ――だが。


「……っ!?」


 確実に、射抜いたはずの、その箇所からは。僅かに血が滴るのみで。


 シンは、まるで気にも留めない様子で佇んでいた。それはさながら、蚊が刺した程度にも感じていないかのように。


 グランニールの蹴りを、粗末な盾と腕力だけで防御できるダタッツですら、獅子波濤に対しては回避を優先していた。


 だが、今回のシンは避けようとすらしなかった。射られたこと自体を認識していないわけではない。今までの五年間に渡る戦いでは、シンはシュバリエルの矢は必ずかわしてきた。


 ……今まで矢を回避していたのは、単なる戯れ。本来ならば獅子波濤など、防ぐまでも避けるまでもない。

 僅かに力こぶを膨張させるだけで、肉体から刺さった矢を強引にひり出した彼の行動が、言外にそう宣告しているようだった。


「バカ、な」


 シュバリエルとしては、必殺必中の勢いで放った技だった。が、それは当の相手にとっては、取るに足らない児戯に等しい。

 目の前の現象に、そう告げられた少年は――両膝を着いてしまった。そんな彼に、シンの凶眼が向けられる。


「――これ以上。お前には、誰一人傷つけさせんッ!」


 だが、そこから始まる賊への処刑は、父であるグランニールが許さなかった。彼の脚は弧を描いてシュバリエルの頭上を越え――シンの顔面に向かう。

 その一閃を、シンが二本の剣の腹で受け止め。地下室全体に、強烈な反響音が轟いた。


「ひ、ひひぃ! や、やれシン! さっさとやってしまぇえ!」


 その音に怯えるバルキーテは、何かを振り払うかのようにじたばたと暴れながら、シンの背後に悲鳴を飛ばす。

 そんな彼に言われるまでもなく、凶眼の鉄仮面は眼前の仇敵を狙い、剣を振り抜いていた。その反撃をかわし、後方へ飛びのいたグランニールは、背中で息子に語り掛ける。


「……私が奴を抑える。お前はその隙に、バルキーテを捕らえろ」

「と、父さん! 一人なんて無茶だ!」

「忘れるなシュバリエル。我らは王国貴族に名を連ねる者として、民を守るために身を粉にして戦う義務がある。……怯えながらでも構わん。お前やるべきこと、なすべきことを為せ」

「……! は、はい!」


 そして、シンとの戦意を揺らがされた息子へ、次の目的を命じる。父の言葉に奮起するシュバリエルは、弓を拾うと険しい顔つきを取り戻し、別の階段から地上へ逃げるバルキーテを追った。


 そんな次男の背を見送り。グランニールは、改めてシンと一対一で対峙する。その瞳に、微かな憂いを秘めて。


「……私が、終わりにしてやる。あの子がお前に気づき、敬愛すべき兄に絶望せぬように」

「……」


 そして――阿修羅連哮脚を放つ体制に入り。鋭い眼光で、鉄仮面を真っ向から睨み付ける。それに寸分たりとも怯むことなく、シンも二本の剣を同時に構えた。


 ――それは、彼の長男も生前に使っていた技。王国式闘剣術、叢雲之断。

 シュバリエルが言う通り、彼の兄と同じ技だった。


 そのことを、父グランニールはよく知っている。その技を使いこなせる剣士など、今の王国には息子しかいないことも。


「……アルフ。せめて父として、私が葬ろう。誰もお前に気づいていない、今のうちに」


「グゥッ……ガアァアァアァアッ!」


 その、全てを見透かしたように見つめるグランニールの瞳と。狂気に自我を封じられたシン――アルフレンサーの眼差しが、重なる。

 悲鳴とも怒号ともつかぬ絶叫が轟いたのは、その直後だった。


 ◇


(鎧の隙間を縫って放った獅子波濤ですら、あの肉体を貫けなかった。あるかどうかもわからぬ「隙」があることを願って攻めては、シュバリエルの二の舞であろう)


 迫り来る二つの剣閃。その刃の流れを読み取り、グランニールは僅かな身のひねりだけでかわしていく。すれ違いざまに膝関節や鳩尾に蹴りを入れる――が、まるでダメージが通る気配がない。

 振り返り、シンの方へ向き直る頃にはすでにあちらも二撃目に移ろうとしていた。


「ぬっ……ホワチャアッ!」


 怪鳥音と同時に、二度目のハイキックが鉄仮面を狙う。シンは己の頭を狙う速攻に対し――剣で防御して見せた。

 鉄製のレガースと剣の刃が鉄仮面の近くで交わり、強烈な金属音が反響する。


「……!」


 その光景にグランニールは目を剥き、一気にその場を飛び退いて反撃の一閃をかわした。そして、暫しの沈黙を経て。

 口元を不敵に緩め、ゆらりと拳法の構えを取る。


 彼は自分の蹴りが防がれたことに驚いたのではない。彼は、シンが初めて「防御に回った」ことに驚いたのだ。


(この五年間であやつの動きを研究し尽くすまで、我らは近寄ることすらままならなかった。……格闘戦が成り立つ今ならわかる、頭部だけはあやつといえど「防御」に回らざるを得ないのだと!)


 それに気づいた今、その情報を活かさない手はない。グランニールは一世一代の賭けに打ち勝つべく、一気に間合いを詰めて行く。


「オガアァアアッ!」


 そこから強烈な殺意を感じてか。シンは天を衝くほどの絶叫と共に、二本の剣を同時に振り抜く。

 袈裟斬りと横斬り。全く異なる軌道を描く双刃が、老境の武人に振るわれた。


「――ホォオゥッ!」


 それに抗するが如く、グランニールも右脚で横斬りを受け、左脚のハイキックで剣閃を凌ぐ。……その一瞬から生まれる隙が、好機だった。


「……アチャアッ!」

「……!」


 それは、まるで閃光のように。突き出された文字通りの鉄拳が、鉄仮面の顎を打ち抜いた。不動の鎧騎士が初めて、天を仰いでよろめいていく。


「ガァ……ァ!」

「お前は二つ。私は四つ。……得物の数が違う!」


 鉄製のセスタスで殴られたシンが見せた、一瞬の隙。そこに全てを、ぶつける。

 グランニールは両手を地に叩き付け、両足を一気に振り上げた。そこから、大きく開かれた二本の脚が唸りを上げ、空を裂くように振り抜かれて行く。


 狙うは鉄仮面。シンの顔面。

 その一点にのみ狙いを集中し、武人は渾身の蹴りを放った。


「――阿修羅連哮脚ッ!」


 轟音より速く。抉るように深く。

 鋼鉄を纏うグランニールの脚が、一発、二発と鉄仮面を打つ。刹那、老境の武人が放つ壮絶な怪鳥音が、絶え間無くこの空間に反響した。


「ゴ……!」

「ホォウアチャァアッ! リャァアタタタタタタァァァァッ!」


 怯んでも終わらない。片膝を着いても止まらない。シンが地に伏せるその一瞬まで、休むことなく回転と蹴りを続行した。


 ……そう。例え、百発を越えても。


(これほど、とはッ……!)


 百を超える蹴りを顔面に浴びながら。絶え間無く、常人なら一発でも瀕死を免れない阿修羅連哮脚を喰らい続けながら。

 それでもなお――シンの牙城は崩れなかった。片膝を着きながらも、しっかりと上体を維持したままでいる。


 そして、最後に音を上げたのは……グランニールの方だった。


「ぐッ!?」


 高齢に体力を奪われてか、百五十発を超えた段階で、徐々に威力は失われつつあった。その弱り目を、技を受けていた当事者のシンが見逃すはずがない。

 二百発目に放たれた蹴りは、鉄仮面を怯ませる威力には至らず。二百一発目の蹴りは、とうとうシンの剣によって防がれてしまった。


(弱点には違いないはず! その一点のみをここまで攻められていながら、この程度のダメージしか受けておらんのか!? なんという……生命力!)


 そして……容赦無く。

 シンは二本目の剣を、死の宣告を下すかのように――天へ翳す。


(アルフ……!)


 この一閃に、慈悲はなし。


 ◇


 ――その頃。静寂が訪れた港町の街道には、騎士達の身体が死屍累々と横たわっていた。絶え間無く響くうめき声が、彼らが味わう痛みを物語っている。


「……」


 自分に向かう殺気が絶えたことを悟った黒衣の剣士は、そんな彼らを一瞥したのち銅の剣を鞘に収め、視線を丘の屋敷へと向ける。

 鉄仮面が放った殺意の濁流は、屋敷の外にまで溢れ出ていた。


(……グランニールさん、シュバリエル君……!)


 それを悟るや否や、ダタッツは目を細めて屋敷へ疾走する。全てを飲み込まんと溢れるプレッシャーが、警鐘となっていた。


 ◇


 全ての兵力を出し尽くしたのか、すでに屋敷はもぬけの殻となっていた。衛兵一人残さず駆り出し、結果ダタッツ一人に全滅させられたようだ。

 屋敷内に辿り着いた黒衣の剣士は、あちこち亀裂が走る天井や床を見渡す。悍ましい殺意だけが充満し、それ以外の人の気配がまるで感じられない――さながら、幽霊屋敷のようであった。


 だが、薄暗い視界であっても殺意の出処を探し当てることはできる。その闇に淀んだ気配を肌に感じたダタッツは、ひび割れた壁に手を這わせながら、屋敷内を進む。

 ――やがて見つけた「出処」で、地下に続く大穴を見つけたのは、その直後だった。


 その穴からは、まるで噴火のように禍々しい殺意が噴出している。……全てを察するには、それで十分だった。


 ダタッツは腰から銅の剣を引き抜き、すぐさま穴に飛び込んで行く。そして、空中でふわりと一回転して着地した先では――


「……!」


 ――燭台に僅かに照らされただけの、無機質な空間。その床や天井に飛び散る、おびただしい血痕。

 無音に等しい、この静けさの中で……天井から滴り落ちる血の音だけが、無情に反響していた。


 こちらに向けられる、二つの青い光。その周囲には、禍々しい鉄仮面と鎧に身を固めた二刀流の剣士のシルエットが、おぼろげに伺える。


 そして剣士の足元には。


 血だるまになるまで切り刻まれた、グランニールが倒れていた。


「……ッ!」


 この地下室に漂う血の匂い。天井から滴り落ちる血の音。それが誰のものかが明白になった今、もはや容赦の余地はない。

 ダタッツは一瞬にして仇敵の懐に踏み込むと、横一閃に剣を振り抜く。二刀流の剣士――即ちシンは、その外見にはまるで似合わない身のこなしで、ひらりとそれをかわした。


 シンが地面に着地した瞬間、無音だったこの空間に凄まじい金属音が反響する。その轟音が、決戦の幕開けを告げていた。


「グランニールさん!」


 だが、ダタッツはシンと相対しつつ、グランニールへの対処を優先した。先ほどの一閃も、グランニールからシンを引き離すため。

 声を掛けられた老境の武人は、うめき声と共に身を起こすと、朦朧とした己の視界に黒の長髪を映した。


「……ダタッツ君、か」

「遅くなりました。シュバリエル君は?」

「逃げたバルキーテを追った……。すまん、君にこのようなことを」

「……いえ。ジブンはすでに、彼と戦うことも覚悟の上でしたから」


 壁にもたれかかりながら、グランニールは意識を明瞭に覚まし、身を起こしていく。全身を刻まれ、これほどの血飛沫を上げていながら、まだ立ち上がる体力まで残していたことに、ダタッツは驚嘆する。

 ……それほどまでに、シンの打倒にこだわっていたのかと。


「ダタッツ君。……君は、知っているね?」

「……!」

「何を、とは言わん。なぜ、とも聞かん。だが……もしも君が、その剣で戦おうというのなら……『救って』くれ、彼を」

「……」


 そして、さらに彼の口から出てきた言葉に、思わず目を剥いてしまう。

 ――グランニールは、気づいている。シンの実態にも、自分の正体にも。それを悟ったダタッツは、その心中を慮り暫し目を伏せる。


 やがて目を開いた彼は、静かに……それでいて厳かに、銅色の切っ先をシンに向ける。その眼差しは、手にした剣よりも遥かに鋭く、仇敵を貫いていた。

 「救わねば」ならない仇敵を。


「グ、ォ、ガァアァアア! テ、イコ、ク、ユ……ウ、シャァアアアァアッ!」


 そんな彼と相対するシンは、突如悶え苦しむかのように絶叫を上げて二本の剣を振り回す。だが、やがて血走った狂気の碧眼は動きを止めると、荒い息に揺れながらも真っ直ぐにダタッツを射抜いた。


(アルフレンサー。……あなただけは俺が、「帝国勇者」伊達竜正(だてたつまさ)として、引導を渡す。そうしなければ、誰一人「救われ」ない!)


 ◇


 ――五年前。大陸を統べる帝国は、小国であるはずの王国の抗戦に苦戦を強いられ。五年にも渡る小競り合いを繰り返していた。

 そんな膠着状態に終止符を打つべく、かつて魔王の支配から世界を救う為に齎された魔術「勇者召喚」を決行。異世界から遣わされる人類の希望であるはずの勇者を、戦争の兵器として投入するという邪道に踏み込んだ。

 結果として帝国は王国を征服したものの、勇者自身も戦火の中に行方をくらまし、人々は戦死とされた彼に畏怖と皮肉を込め、「帝国勇者」と称した。


 過去にも帝国は、魔王が消え去り平和を迎えた大陸を制覇すべく、神が魔王に抗する術として齎した「魔法」を侵略に利用してきた。

 その行いに怒った神が、魔法の力を人類から奪い去ってから数百年。彼らは最後に残された希望さえ、戦争に利用したのである。


 だが、どのような理想や正義を掲げたところで、結局は力こそが絶対。神の使徒たる勇者の力を人間に向けさせたとて、それを咎められる力がなくば、誰もが口を噤むしかない。

 支配下に置かれた王国も、そう。力がないがゆえに蹂躙され、己の正義を踏みにじられた。その怒りさえ、容易く踏み潰してしまう力によって。


 しかし。


 だからこそ、力ある者が正義を重んじ、弱者を守らねばならない。


 その理念を背に、死を偽り帝国勇者としての己を捨てた伊達竜正は、自身に斬られながら生き延びたために狂気に堕とされた騎士達を救うべく戦った。


 だがそれすらも、エゴの域を出ず。正気を取り戻した騎士達は、狂った自分達が守るべき民を殺めていたと知り、竜正に涙ながら介錯を求めた。

 殺す力しかなく、救う力を持たない少年は。ただ彼らの「救い」になると信じて、剣を振るより他なかった。


 それは伊達竜正の名さえ捨て去り、ダタッツと己を改めた今でも変わらない。

 殺すことで救う。救うために殺す。矛盾の極致たるその理念の中にしか、彼が選べる正義はなかったのだ。

 選べるとしたら、それは。


 苦しまずに殺すか、否か。

 その二択しかない。


 だから彼は、前者を望む。罪を贖う資格さえ持たない超人が、ただ一つ人間を救える術として。


 ◇


「オッ、ゴ、ォ……オァオォッ!」

「……ッ!」


 狂乱の気を纏う鉄仮面の刃。二振りの妖しい輝きを放ち襲いくる、その技をダタッツはよく知っている。

 王国式闘剣術、叢雲之断。二本の剣で不規則に斬りつけ、相手に剣閃を見切らせずに斬り捨てる技だ。

 剣を握る左右の手を非対称に振り、さらに剣速も緩急自在に操る技であり、王国騎士団でも会得者は片手で数えられる程度もいないと言われている。

 騎士アルフレンサーはこの技を以て、何百人もの帝国騎士を斬り伏せてきたのだ。


「ウァガァオォアァアアァアッ!」

「……!」


 その不規則に乱れ飛ぶ斬撃を。ダタッツは鮮やかにかわしながら、懐へと踏み込んで行く。軌道を読むことが困難であることが特徴の、叢雲之断を前にして。

 そして自身に肉迫する剣の手元を柄で押さえ付け――手首を返し、脇腹に強烈な一閃を見舞う。音のエネルギーすら破壊力へと変貌し、鈍い音と共にシンの巨体が大きくよろめいた。


「グガ、ガ、ガガゴ……!」

「……」


 そんな狂人の姿を前に、ダタッツは寸分の油断も見せることなく静かに剣を構え直した。脇腹に受けた衝撃の重さゆえか、シンは息一つ乱さない相手とは対照的に、激しく肩で息をしている。


 ――本来、剣士の一騎打ちで同じ相手と複数回に渡って戦うケースは稀。

 ダタッツの帝国式投剣術にしろ、シンの王国式闘剣術にしろ、初めて遭遇した敵をその場で殺す前提で技を練っている。

 ゆえに、全く同じ相手と同じ流派のままで戦い合うこと自体が異常なのだ。どちらも同じ相手と戦い続けていると、次第に手の内を読まれてしまうもの。今のシンのように。


 そのうえ――狂気ゆえに彼の技は、どこか精彩を欠いていた。グランニールの動体視力でも看破できないほどの微々たる変化だが、五年前に剣を交わしたダタッツは、その僅かな違いを敏感に感じ取っている。


(俺に斬られた影響で、精神に異常を来たしているせいで――剣閃が乱れ、僅かだが狙いが甘くなっているな。……それだけじゃない。阿修羅連哮脚も、効いていないわけじゃなかったんだ)


 一撃目の剣を盾で受け流して軌道を逸らし、二撃目を放つ手を柄で打ち、手首を捻って頭部に一閃。そのカウンターを一発浴びただけで、シンの足取りに揺らぎが生まれた。

 効いていないようだったグランニールの蹴りは、確かに影響を残していたのだ。銅の剣の一閃のみでは、ここまでふらつくことはない。


「ゴ、ォッ……!」

「……!」


 すると。それまで制圧前進あるのみで、引き下がる気配などまるでなかったシンの挙動に変化が現れる。地を蹴り、大穴から上の階層へと飛び上がる彼を追い、ダタッツも地上へと向かった。


「……シンが、退いた……! まさか、あれほどの強さとは……」


 その戦況を、ただ見ているしかなかったグランニールは、血潮に染まる己の身を引きずり、彼らのあとを追うように歩き出す。その足取りは重苦しく、彼は息を荒げながら天を仰ぐ。


「帝国勇者、か……」


 その標準はどこか、憂いの色を帯びていた。


 息子を一度殺した男に、息子の介錯を託す。そうせざるを得ない、己の弱さを噛み締めるかのように。


 ◇


「ひ、ひひぃあぁあ! だ、誰か、誰かおらぬのかぁあぁあ!?」


 暗雲が立ち込める空の下。醜男の悲鳴が町中に反響し、この一帯に轟いて行く。

 彼が視線を揺らす先には、死屍累々と倒れ伏す騎士達の姿があった。虫の息ながら命を繋ぎ止めている彼らは、もはや主人の呼びかけに反応する力さえ残されていない。


 蚊の鳴くようなうめき声しか返されない中、あるはずのない助けを求めて血を這い回るバルキーテ。そんな彼の背を、幼い弓兵が追い詰めていた。


「観念しやがれ……オレ達を弄び、町を蹂躙し、アルフ兄さんの覚悟さえ踏みにじる貴様のやり口。神が許そうと、このオレが絶対許さねぇ!」

「ひひぃぃいぃいぃ!」


 そして壁に背を擦り付け、「来るな」と言わんばかりに両手を振り回す醜男に、四矢を向けて弓を引く。

 決着の矢を引き絞るその手に、もはや躊躇いはない。


「獅子――波濤ッ!」


「ひぎゃあぁあぁあッ!」


 獅子身中の虫を射抜く、四矢(しし)の牙。その矢じりが唸りを上げてバルキーテに襲い掛かる。

 防ぐこともかわすことも許されない絶対の死。その未来を垣間見た醜男は悲痛な叫びを轟かせ――四肢へ伝わる衝撃に、白目を剥いて気絶する。


「……」


 両手の袖と両足の裾。その四点に矢を射られ、壁に磔にされたバルキーテは。

 傷一つ負っていないにも拘らず、自分の死を確信して意識を手放していた。苦痛から逃れるため、条件反射で視界を閉ざしたのである。その股間は、雨も降っていないのに湿り気を帯びていた。


 自分達を敵に回していながら、自らが戦うことはおろか逆襲されることさえ想定していない。その愚かしさを露呈する末路に、シュバリエルは深くため息を零す。

 このような男に、自分達一家は弄ばれて来たのか……と。


「な……なんだ? 戦いは終わったのか……ッ!? バ、バルキーテッ!?」

「み、みんな来てみろ! バルキーテがやられてる!」

「シュバリエル様だ! シュバリエル様がやって下さったんだ!」


 その時。

 騎士達の断末魔が終わったところへ、バルキーテの悲鳴が轟いたことに反応してか、町民達が続々と民家から顔を出してきた。

 こうして町で戦闘が起こるたび、彼らは毎度のように自宅に篭り、戦いの嵐が過ぎ去る時を待ち続けてきたのだが。この日初めて、彼らは戦場となった町に踏み込んでいた。


 程なくして、あちこちに倒れた騎士達と磔にされたまま気絶しているバルキーテを見つけた彼らは、そこに立っているシュバリエルの姿から大凡の事情を察する。

 歓声が空を衝いたのは、その直後だった。


「ありがとうございます、ありがとうございますシュバリエル様! これで町が救われる!」

「いや、オレは……」

「バルキーテの時代は終わったんだ……! シュバリエル様万歳! グランニール様万歳ッ!」

「……」


 町を蹂躙していた騎士達の壊滅。バルキーテの失脚。その夢にまで見た景色に打ち震える彼らは、口々にシュバリエルに向けて賞賛と感謝の言葉を送る。

 だが若き弓兵は、渇望してきたこの瞬間に対面していながら、どこか腑に落ちない面持ちでバルキーテを見つめていた。


 そんな彼から視線を外した町民達は、今までの鬱憤をぶつけるかの如くバルキーテににじり寄る。


「バルキーテめ……よくも今まで散々、好き放題してくれたな!」

「絶対に許さない……! おい、水だ水!」


 それから程なくして、町民の一人が持ってきたバケツに入った水が、バルキーテの頭に被せられる。その冷たさが、醜男の意識を強引に覚醒させた。


「ぶは! な、なんっ――ひぃいぁ!?」

「……目を覚ましたなバルキーテ。貴様に蹂躙されてきた町の怒り、存分に思い知れ!」


 無理やり目を覚まされた彼は、意識が戻った瞬間に現れた暴徒の群れとその形相を前に、再び悲鳴を上げる。

 だが、もう彼らに復讐を止める気配はなく――その手に握られた棒や槌が、これから待ち受ける壮絶なリンチの始まりを予感させていた。


「……」


 そんな彼を一瞥し、シュバリエルは踵を返す。報いを受けて殺されるのも、やむを得ない。こちらとて命を狙われてきたのだから、当然のことだ。

 ――それが少年の考えであったからだ。


 しかし。


「ぅ、う……」

「……」


 足元に転がる騎士達。彼らは皆、手痛い傷こそ負わされてはいるが、全員命に別状がない程度には手加減されていた。

 そんな彼らの姿を見つめ――シュバリエルの表情が変わる。


 あの男――ダタッツの力ならば、皆殺しの方がむしろ容易いはず。わざわざ死なないように手心を加えながら戦ったのだろう。


 その理由を思案するが……これと言える答えは思いつかない。そうしてシュバリエルが考え込んでいる間も、町民達の手はバルキーテに伸びていた。


「ひぃいぃいぃ! 嫌だ、死にたくない死にたくない! 助けてぇぇえ!」

「観念しやがれ、この悪魔が!」

「俺達の怒りを思い知れ!」


 怒りと憎しみに染まる彼らの眼差しを見遣り、シュバリエルは胸元を握り締める。

 自分達のために単身で大勢の騎士達と戦い、誰一人死なせずに戦い抜いたあの男が。無残に引き裂かれたバルキーテを見つけたら。


 ――きっと、悲しむのではないか。


「やめろォォッ!」


 そう考えてしまった時。すでに少年は、怒号を上げて町民達を金縛りにしていた。

 何事かと振り返る町民達に、シュバリエルはさながら町長の如く、手を翳して高らかに叫ぶ。


「バルキーテの罪は司法に則り、公正に処罰する! 勝手な行いはこのシュバリエルが許さん!」

「し、しかしシュバリエル様……」

「くどいッ! ――この町を悪戯に血で穢すことこそ、断じて許されないことだ」

「……!」


 ダタッツが誰一人殺さなかった理由。それを考えた先にシュバリエルが決めたのは、彼が望まないであろう結果を回避することであった。

 その言葉に込められた願いを、沈痛な声色から汲み取った町民達は互いに顔を見合わせ、やがて毒気を抜かれたように両手を下ろす。

 そんな彼らの様子から九死に一生を得たと悟ったバルキーテは、自身の前に立つ凛々しき弓兵の眼差しを浴び、慄くのだった。


「……そうだな? バルキーテ」

「は、はひぃぃい……」


 戦意もちっぽけなプライドも、全てを失ったバルキーテは憔悴し切った表情で頷く。そうしなくては殺されると判断したのだろう。

 どこまでも哀れな親玉の末路に、弓兵は再びため息をつく。そして父の運命を案じるように、その視線を屋敷の方向へ移すのだった。


(父さん……ダタッツ……)


 やがて――その時。


「あ……雨が……」


 群衆の一人だった、緑髪の少女が呟いた瞬間。暗雲から一つ一つの雫が舞い降りてくる。


 それはやがて、町中に降り注ぐ豪雨となるのだった。


 ◇


 絶え間無く降り注ぐ雫の群れ。その只中に晒されながら――屋敷の屋上で、二人の剣士が対峙していた。

 叢雲之断の構えに入るシン。飛剣風を放つ体勢に移るダタッツ。双方の眼光は、雨粒などものともせず互いを捉えていた。


「……!」


 ダタッツの首に巻かれた赤マフラーが、雨に濡れた重さでだらりと垂れ下がる。その光景が、五年前の戦いの記憶――身体の奥底に残る「アルフレンサー」の理性に干渉した。


「イヤァアァアッ!」

「……ッ!」


 その影響なのか。静寂を切り裂き、振るわれた剣の軌道。天を衝く叫び。

 それら全てが――あの日のようであった。


(アルフレンサー……!)


 不規則に唸る二本の剣。今までより遥かに速く、鋭く、かつ無秩序な斬撃の嵐。

 これぞ真の叢雲之断。ただ狂気のままに振るわれる「シン」の剣では、決して辿り着けない境地である。


 紙一重でその猛攻を凌ぎつつも、あまりの違いに感覚が追いつかず――ダタッツの頬や腕、足に鮮血が舞い散る。

 さらにこうして防御に回っている間も、彼の斬撃は絶え間無く速さを増しつつあった。今に、かすり傷では済まなくなる。


「……アルフレンサァァアァッ!」


 ――ならば、こちらも一瞬で勝負をつける。一瞬でその命を刈り取り、苦しまずして「救う」ために。

 この豪雨を以てしても、洗い流せない血で手を汚す。その覚悟が命じるまま、ダタッツは柄で一撃目の剣の腹を抑え込み――二撃目が振り下ろされるより速く、懐へと踏み込んだ。


 そして、地に沈むかの如く体勢を落とし、腰を捻り。右手に構えた銅の剣を、矢のように引き絞る。


「帝国式投剣術――飛剣風ッ!」


 その反動を駆使し。矢にも音にもまさる速さで、銅色の剣が打ち出された。


 彼が放つ一閃は、一瞬にしてシンの鉄仮面と鎧の隙間――首の空間に突き刺さり。豪雨を押し返さんとするかの如く、天へ向けて血飛沫が噴き上がる。


「……!」


 悲鳴を上げる間も無く、膝から崩れ落ちて行くシン。この巨体が倒れれば、ついに五年に渡る親子の殺し合いも終焉を迎える。

 ――家族を手に掛ける苦しみを、誰も背負わずに済む。


 それが、帝国勇者が掲げるシン殺しの御題目であった。如何なる道理があろうと、人を殺めることなど――本当は、許されるはずなないのに。


(アルフレンサー……)


 だが。

 倒れゆくシンを見遣り、戦いの終わりを確信したダタッツが、踵を返した瞬間。


「オ、ゴッ……!」

「……なッ!?」


 背に響く苦悶の声に、思わず振り返ってしまった。驚愕の色を表情に滲ませるダタッツの眼前では、首に突き刺さった銅の剣を抜こうともがく、シンの姿があった。

 天を仰ぎ、台座に刺さった聖剣の如く突き立てられた銅色の剣。その刃を掴み、懸命に引き抜こうとのたうちまわっているのだ。


 その鬼気迫る光景に、ダタッツは信じられない、と言わんばかりに目を剥いた。

 必殺の勢いで放った飛剣風。五年前より遥かに速く、遥かに鋭いその一閃を以てすれば、今のシンでも苦しませず殺せる。

 そんな確信を持って放った一撃だったはず。手心など加えた覚えはない。


「……!」


 ふとダタッツの目に、シンの膨張した両腕が留まった。狂気の影響で人間に本来備わっているリミッターを失い、筋力が膨れ上がっている。

 その余波が首の筋肉にまで及び、その肉の壁が飛剣風を阻んだのだとしたら……。


「クッ……ならば、これで今度こそ終わりだ! アルフレンサーッ!」


 自分の浅はかな算段で、悪戯に苦しめてしまった。その呵責に苛まれながらも、ダタッツは次の一閃で今度こそ終わらせるべく、地を蹴って高く飛び上がる。


帝国式(ていこくしき)ッ……対地投剣術(たいちとうけんじゅつ)!」


 そして、喉に突き立てられた剣をさらに押し込むかの如く。その柄頭を、強烈な飛び蹴りで踏み潰すのだった。


「――飛剣風(ひけんぷう)稲妻(いなづま)』ァァァッ!」


 一切の容赦もなく、ダメ押しで突き刺さる一閃。その衝撃に押し倒されたシンの巨体が屋上の床に叩きつけられ、彼を中心に広大な亀裂が走った。

 とどめの衝撃力を物語る、その光景が広がり――天を衝く轟音が止んだのち。ぴくりとも動かなくなったシンを暫し見つめたダタッツは、もう一度踵を返すのだった。


「……終わった」


 そして――その一言が、呟かれた時。


「そうだな」


「……ッ!?」


 聞き覚えのある、凛々しい声。その記憶を揺さぶる一声が、ダタッツの背に伝わる。

 表情を驚愕の色に染めながら、再び振り返る彼の目には――銅の剣を引き抜き、立ち上がる鉄仮面の姿があった。


 だが、ダタッツが驚いたのは、今の一撃を受けても生きていたことではない。


 ――シンが。流暢に。喋っている。


「こうして、顔を付き合わせるのは五年振りになるのか。……帝国勇者」


 否。

 その一言と共に鉄仮面を脱ぎ捨て、金色の髪と碧い瞳を露わにした彼は、もはや今まで戦っていた「シン」ではない。


 五年前に戦死した、王国騎士アルフレンサーだ。


 ◇


 降りしきる豪雨の中。五年の時を経て再会した二人の剣士は、寸分たりとも目を逸らさず互いを見つめていた。

 だが、二人の手に剣はなく――その眼差しも、かつてのような戦意に溢れた色では無くなっていた。


「……君の技で、首を斬られたせいかも知れないね。狂気のままに、頭に上っていた血が抜けて――楽になった」

「アルフレンサー……」


 先ほどまでとは別人のように、穏やかな面持ちで首をさするアルフレンサー。その首からは、すでに出血が止まっているようだった。

 そんな彼の、どこか儚げな表情を見遣り、ダタッツの貌も憂いを帯びる。


 ――「帝国勇者」として力を振るっていた自分に斬られた人間は、死ぬか狂うかの二択しかない。

 だが、狂ったといっても自我が完全に失われるわけではなく。後で正気に戻ったとしても、その間に自分が起こした行動は、全て覚えている。


 事実。過去にダタッツの手で狂気から目覚めた騎士達は、自分達が狂乱の果てに民を殺めていた事実に絶望し、介錯を願った。

 自ら死を望まざるを得なくなる、その苦しみはいかばかりか。察するに余りある絶望の味を感じさせないためには、もはや狂気が覚める前に「介錯」するより他はない。


 その一心で放った飛剣風と、飛剣風「稲妻」だった。だが、その二度に渡る必殺技を以てしても、とうとう「シン」を討ち取るには至らず、彼の中に眠っていた「アルフレンサー」を呼び起こしてしまった。

 一度は殺めてしまったばかりか、救済のための介錯にすら失敗し。ダタッツは己の無力さを噛み締めるより他なかった。


 だが。


「……ありがとう、帝国勇者。いや、今はダタッツと呼ぶべきか」

「……!」


 記憶をそのままに自我を取り戻したアルフレンサーから出たのは。罵声でも哀願でもなく――感謝だった。

 思わず顔を上げるダタッツに、彼は穏やかな笑みを浮かべる。


「君の顔を見れば、わかる。君はただ、私の魂を救いたかったのだと。バルキーテに唆されるまま『シン』と成り果て、父上とシュバリエルに牙を剥いてしまった、私の魂を」

「……」

「確かに……私は、許されないことをした。死を以てしても、償えぬ罪だろう」


 すると、彼は自分が持っていた二本の剣を拾い――ダタッツの傍らを通り過ぎると、屋上の中央に勢いよく突き立てる。まるで、今日までの自分に墓標を立てるかのように。

 ダタッツを名を改めた伊達竜正のように、己の全てを、改めるかのように。


「だが、だからこそ。今はただ生き抜いて――この罪を贖わねばならない。だから、そのチャンスをくれた君に、ありがとうと……そう、言いたいんだ」

「……くっ……」


 視線を合わせることなく、背中越しの優しげな声色に触れ。ダタッツは、肩を震わせる。


 ――誰よりも、望まずして人を殺めてきた彼にとって。殺めた本人から送られた、その言葉はあまりにも眩しく、温かい。

 救うために殺す、殺すことで救う。そんな矛盾した正義の中にも――確かに。生きていて欲しい、本当の意味で救いたい。そんな純粋な願いが、息づいていたのだ。


 それゆえに。アルフレンサーから送られた感謝の言葉は。


 ダタッツの内側に生きる伊達竜正という男が、何よりも求めていたものだったのかも知れない。


「だからどうか――その歩みを、止めないでくれ。殺さずして救える命は、今もきっと……君の助けを、待っている」

「アル、フレンサー……」

「恐れないで、ダタッツ。私も、大勢の帝国騎士を殺めてきた。……例え、君がいつか地獄に堕ちるとしても。その境地へ向かう方舟には、私も相乗りしよう。――約束する」


 死を迎えた後も、共に罪を背負って行く。その宣言に救われた、ダタッツの想いを映すかのように。豪雨は終わりを迎え――天から、暗雲が去って行く。


 闇の中にいた二人に、降り注ぐ快晴の空。太陽の輝き。それは港町全てに広がっていき、この町に訪れた夜明けを物語っているようだった。


「……」


 そして、満身創痍の身でありながら。屋上まで登り、事の推移を見守っていたグランニールは――ふと、屋上から一望できる港町の情景を見遣り、その果てにある港に視線を移す。

 そこには、豪雨が呼んでいた荒波に飲まれ、転覆している海賊船の姿があった。使命を果たした方舟は、太陽の煌めきを浴びながら、永遠の眠りへと沈んでいく。


「……終わったのだな。……なぁ、アルフ」


 そんな船を。次男を。長男を労うように。老境の武人は腰を下ろすと、平和の到来を告げる青空を見上げた。


 この空の向こう――沖の彼方には、彼らを祝福するかの如く。艶やかな虹が、彩られている。


 ◇


「ふぅ……んーっ!」


 町民達が飲んで騒ぎ、賑やかに笑い合う夜の酒場。その看板娘であるタスラは、一通りのオーダーを終えて大きく伸びをする。細い腕が天井に向かって伸び――そのたわわな胸が上下に揺れ動く。

 それをまじまじと見遣り、手を伸ばす男性客の脳天に踵落としが炸裂したのは、その直後だった。


「ぐわぁああいてえぇえ! 手加減なしかよタスラぁあ!」

「変態に手加減なんか無用よバカ! ウチの店はお触り厳禁!」


 涙目になりながらうずくまる男性客と、それを叱る彼女の姿に他の客が笑い声を上げる。――バルキーテが町を牛耳っていた頃は、決して見られなかった「日常」が、ここにあった。


 ……あの戦いから、数日。


 バルキーテは他の騎士達共々、賄賂とその他多数の余罪により王都へ護送され、投獄される手筈となっていた。その中には、「シン」ことアルフレンサーも含まれている。


 鉄仮面に顔を隠し、あくまでバルキーテ一派の「シン」として罪を償うことに決めたアルフレンサーは、王都での獄中生活で刑期を終えた後、改めてグランニールの息子として港町に帰還することとなる。

 この事実を知るのはダタッツとグランニールのみであり、その他の人間にはシンの正体は伏せられたままとなっていた。


 現在はバルキーテに代わりグランニールが町長に返り咲き、次男のシュバリエルが補佐官を務めるようになっている。

 バルキーテの賄賂や町民達への重税がなくなったことで、港町には数多くの帝国兵が駐在するようになったが――彼らは皆、口が悪いものの職務には忠実な騎士ばかりであり、現町長グランニールも彼らを率いる帝国騎士レオポルドとは友好的な関係を結んでいた。

 今では駐在兵と町民が酔った勢いで殴り合い、その直後に肩を組んで笑い合う光景が名物にもなっている。


 ――この町には、確かに平和が訪れた。町民達の笑顔を見れば、それは間違いない。

 だが、緑髪のウェイトレスはどこか腑に落ちない表情で……休憩用の自分の椅子に掛けてある、緑色の上着を見つめていた。


「タスラおねーちゃん、ぼくアイスミルクー!」

「わたしもー!」

「……はいはい、ちょっと待ってなさい」


 保護者同伴で飲みにきた子供達に、アイスミルクを振る舞う彼女は――朗らかな笑みの中に、微かな憂いを隠していた。


(ダタッツ……)


 あの戦いの直後。ダタッツは港町から姿を消し、再び旅に出ていた。

 グランニールの口から、彼が自分達の味方について戦っていたことは聞かされていたが……雨上がりと共に行方をくらましていたため、礼を言う間もなかったのだ。


 もし彼が、ほんの一晩だけでも町に留まって貰えたら……どれほど礼が言えただろう。


「あの時、ダタッツが一晩寝てくれたら何回キスできただろう――いだだだだだぁぁあっ!?」

「勝手にあたしの脳内を脚色塗りたくって言葉にするなぁあぁあー!」


 そんな彼女の胸中を見抜いた上で茶化す、マナーの悪い客の頭を握り潰しながら。タスラは密かに、ダタッツの行く先を想うのだった。


(礼も言わせてくれないなんて、ずるいじゃん……ばかっ!)


 ――その頃。


「……平和なものだな」


 丘の上に聳え立つ邸宅から、港町の夜景を見つめるグランニールは、質素な椅子に腰掛けながら書類と向き合っていた。その身はもう海賊としての戦闘服ではなく、貴族としての礼服に包まれている。


 ――確かに、この港町には平和が戻った。アルフレンサーも刑期を終えれば、鉄仮面を脱いでここへ帰ってくる。

 だが。贖罪の旅に戻って行ったダタッツの苦難は、この先も続いていくこととなる。それを知りながら、何の助けにもなれないことが、どうにも彼には歯痒かったのだ。

 騎士としての鎧を纏い、町を巡回しているシュバリエルも、その想いは同じである。彼ら親子は共に、ダタッツの武運を願うより他なかった。


「……だが、君に平和が訪れぬ限り。私にも、真の平和は訪れぬ。……いつの日か、見せてくれ。君の、心からの笑顔を」


 届くはずのない願いを、老人は敢えて口にする。願わなければ、どんな望みも叶うはずがないのだから。


「……」


 ――そんな想いを、風が運んだのだろうか。


 暗い森の中を進む、黒衣の剣士は。誰一人味方がいない旅路の中でありながら――まるで仲間を気遣うかのように、後ろを振り返っていた。

 だが、すぐに気を取り直し、森の闇へと歩みを進め――暗黒の渦中に消えていく。


 人々を救う超常の力を授かりながら、人々を殺めてきた彼の贖罪。その旅はまだ、終わらないのだから。


 ◇


 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。


 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。


 人智を超越する膂力。生命力。剣技。


 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。


 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。


 しかし、戦が終わる時。


 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。


 一騎当千。


 その伝説だけを、彼らの世界に残して。


 ◇


 ――そして。


 この戦いから一年後。


 王国の城下町にて――本当の物語が、幕を開ける。


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