立川千広のエトセトラ 六
鈍い痛みに目が覚めた僕は、目の前の状況にしばし呆然とした。寝る前の状況はしっかりと覚えている。昼過ぎに大雪からこのホテルに逃げてきて、成り行きでこの部屋に入ることになり、湊を説教した後仕返しにからかわれた。その後珍しく甘えてきた湊を寝かしつけて、僕も少しだけ仮眠した。うん、完璧だ。
それなのに、これはどうしたというんだろうか。
まず第一に僕達は、二人とも服を着ていなかった。その衣類は部屋の隅に畳まれてあるのが見える。幸い互いの体には布団が巻き付いているから、際どいところはしっかりと隠れている。
次に、未だにスヤスヤ眠る湊の首筋の鬱血痕だ。それも複数の。真偽は分からないけれど、こんな状況ではキスマークにしか見えない。
最後に、僕を目覚めさせた鈍い痛みの正体。腰に響くようなその痛みは、今まで一度も経験したことのないものだ。
事後という二文字が、最悪の可能性として頭をよぎる。
とにかくその可能性を否定できる何かが欲しくて、周りをよく調べることにした。
湊を起こして訊くのが一番手っ取り早いのだけれど、決定的なことを聞かされるかもしれないと思うと、怖くて起こせなかった。
まず第一に使用済みのコンドームの類を探したけれど、ゴミ箱の中やベッドサイドには見つからない。
湊がいつ起きてきても不思議ではないから、本当はしたくないけど仕方がない。
僕は事後の痕跡を探そうと、大胆ながらも自分の体を部屋の明かりの元にさらけ出した。途端に襲ってくる肌寒さにぶるっと身を震わせる。
そのまま洗面所に向かい、鏡を通して隅々まで観察していった。僕が普段通りに冷静ならこの光景がいかに馬鹿らしいかすぐに気が付くのだけれど、生憎と今はそれだけの冷静ささえ持ち合わせていない。
鏡に背を向けて、首だけを鏡の方に回してお尻をよく見ようとしたところで、いつの間にか起きてきた湊と目が合った。体勢としては僕が前を無防備に湊の方に晒している状況だ。
とりあえず、湊の顔面にタオルを乱暴に投げつけた。思わず仰け反る湊の横をすり抜けて、布団をもう一度体にきつく巻きつける。
「千広、誤解だから」
この状況でその言葉は一番言っちゃいけないと思う。
「最初から説明するから、まあ聞けよ」
苦笑いを浮かべる湊。よく見たら湊は全裸でも下着姿でもなく、ちゃんとグレーのチェック柄のパンツを履いていた。
「まず、俺は千広に手を出してないし、千広も俺に手は出してない」
湊の話を要約するとこうだ。
僕が眠った後で湊が鋭い痛みに目を覚ますと、僕が寝言で食べ物の名前を呟きながら首筋に噛みついていた。びっくりした湊は寝起きの悪さも手伝って、僕を思い切り蹴飛ばしてしまった。腰から変な体勢で思い切り落ちた僕を見て、我に返った湊が僕の上半身の服とジーンズを脱がして打ちつけただろう場所を確認したけれど、そこに大した外傷は無く、安心した湊はそれだけでどっと疲れが出て、もう一度寝てしまったということだ。
聞けば聞くほどなんとも間抜けな話に、僕は思い切り脱力した。
一人で焦っていた僕が馬鹿みたいで、自然とため息が漏れる。
「こういう状況だから、勘違いするのも無理はないさ」
湊のフォローも今は虚しいだけだ。
「湊、ごめんね。こんなことするような人じゃないって、僕が一番分かってたはずなのに、最後まで湊のことを疑ってたなんて。……やっぱり、僕は湊のこと意識しちゃってるのかな? 湊からすれば迷惑なだけなのにね」
そんな僕を湊が優しく抱きしめた。
「忘れられないなら、無理に忘れなくていいんじゃないか? 別に迷惑じゃない。自然に俺のことを忘れるくらいに好きな人ができるまでは、千広が辛くならないようにいてくれればそれでいいさ。それから、俺なんかよりもっと素敵な人が見つかったからって、胸張って言いに来いよ。約束だ」
「うん、約束する。きっといつか、湊より素敵な人を見つけて、湊に自慢しに行く」
湊以上に素敵な人が本当に現れるのか、今はまだ分からないけれど、これは僕と湊との約束だ。だから、きっと守る。
こうして僕の長いようで短い、同じ男への恋は本当の意味で終わりを迎え、代わりにかけがえのない友情へと昇華された。