立川千広のエトセトラ 三
いつも通り湊と二人で登校していると、生徒玄関前でゆうちゃん達とばったり出くわした。
「ゆうちゃん、卓也、おはよう」
「うっす」
「おはよう、千広ちゃん」
「ああ、英語で一緒の、野田だっけ?」
「おう、桜井だったよな。千広の同室だったんだ?」
「まあ、な」
湊と卓也はどうやら、英語の成績別クラスで一緒らしい。
「アタシは相川雄二、アタシ達二人は千広ちゃんの親友ってとこかしら。ゆうちゃんって呼んでね? アタシ、心は乙女なの」
ゆうちゃんは、初対面相手でも変わらず個性的なキャラなんだな。湊も少し面食らった様子だ。
「俺は桜井湊、千広と同じ部屋でずっと暮らしてるんだ。俺も、千広の親友だぜ?」
お互いに僕の親友であることを強調して張り合っているように聞こえるのは何故だろう。
「桜井は、案外アタシと普通に接するのね?」
「えっ? まあ、別に偏見がある訳じゃないし。それに、千広の親友を名乗ってるんだ、悪い奴じゃあないんだろ?」
それはどういう判断基準なんだろう。
「えらく千広ちゃんのことを信用してるのね」
「俺の一番大事な親友だからな。それに今朝、とうとう完全に心を開いてくれたみたいだし。まさか千広のあんな姿が見れるなんてな」
そう言って、湊が僕をちら見してくる。これは後でゆうちゃん達に追求されるだろうな。
ゆうちゃん達は意味ありげな視線を僕に向けている。
一体何をしたのか教えてごらんなさい、というゆうちゃんの心の声が聞こえてきそうだ。
「と、とりあえず教室行こうよ! ね?」
何とかはぐらかそうとして、強引に話題を変えてみた。湊と二人並んで歩く僕の後方から、ゆうちゃん達の視線を痛いほど感じるけれど、今は無視だ。
湊と教室前で別れて、扉をくぐり抜けた僕はすぐさまゆうちゃんからの質問責めにあった。
「それで? 早速進展があったの?」
「その前に、一つ謝りたいことがあるんだ」
「何よ?」
「……昨日、湊を無理やり襲いかけた。湊が告白したいって話を聞かされて、頭の中がグチャグチャになっちゃって。それで、夜中に寝てる湊の部屋に忍び込んで……。僕って馬鹿だよね。湊の優しさも、ゆうちゃん達の応援も、全部裏切るところだった」
「……それで?」
ゆうちゃん達は真面目な表情で、静かに僕の話を聞いている。
「結局、湊の優しい笑顔が思い浮かんで、寸前で思いとどまったんだけど、あと少しで、湊をレイプするところだった」
「……この、おバカさん」
ゆうちゃんの両手が、思い切り僕の両頬を挟み込んだ。
「いひゃいよ、……ごめんなひゃい」
両頬を挟まれて、変な言葉になった。
「未遂で済んだんだからもう何も言わないわ。……間違った方向だったけど、千広ちゃんが積極的になれたのは誉めてあげるわ。今までのアンタなら一晩中思い悩んで、翌朝死にそうな顔で登校してくるところよね。それからすれば、まだマシよ。若さ故の暴走って感じで」
「ホントにごめんなさい」
「寸前で思いとどまったけど、キスくらいはしたの?」
なんで分かるんだろう。
「えっと、……出て行く前に髪に一回だけ」
「髪にキスね……、キスする場所によって意味が変わってくるって知ってる?」
「えっ? 知らない」
「後で調べときなさいよ」
そう言って、ゆうちゃんはヒラヒラと手を振って自分の席に戻っていった。今までずっと黙っていた卓也がようやく口を開いた。
「……ちゃんと思いとどまったのは誉めてやる。千広は経験ないから分かんないだろうけど、夜にいきなり目が覚めたら、男に組み敷かれてる状況って、すっごく恐いんだからな? それこそ夢に出てくるぐらい」
「それは、卓也の実体験なんだよね?」
「恥ずかしいから、あんまりそういうこと言うなよ。とにかく、そういうことヤりたいならお互いの同意の上でだな……」
「イヤよイヤよも好きの内っていうのもあるのよ? 相手の目を見れば大体分かるわ」
卓也の言葉をゆうちゃんが遮った。どうやら卓也は言葉よりも態度に出るらしい。
「あーもうっ、折角いい話してんのに台無しじゃねーか!」
「卓也は不器用なんだから、無理することないのよ?」
「それでもなぁ……」
僕は二人が自分なりに僕を励まそうとしているのが嬉しくて、言い合いを始めようとする卓也を後ろから軽く抱きしめた。
「ありがと、僕の親友」
卓也は一瞬固まりながらも、僕の頭を軽く撫でてくれた。
「おう、親友だからな」
「あら、妬けるじゃないの」
そんなことを言いつつ、ゆうちゃんも微笑んでくれた。
なんだか今日の僕は、人に抱きついて甘える癖が出ているみたいだ。
僕達の様子を、教室の外から湊がずっと見ていたなんてことは、露ほども知らず。
*
四限目が終わり、三人で食堂にでも行こうかと話して、教室を出ようとしたところに湊がやってきた。
「ちょっと千広を借りてくぞ」
湊はそう言って、僕の手を引っ張ってスタスタとどこかへ歩き始めた。呆気に取られる二人にはとりあえず手を振っておく。
「どうしたの、湊?」
僕の問いかけにもずっと無言のままだ。いつもの湊らしくなくて、僕は戸惑いを覚えた。
連れてこられたのは人気のない中庭だった。二人でベンチに座る。
「一体どうしたの? 今日お弁当は作ってなかったよね?」
「……千広達の話、色々聞いたぞ」
湊の言葉に僕のみぞおちが凍りつくような感覚を覚えた。
「お前、ゲイなのか? 俺のことが好きって……」
当分言うつもりのなかったことが、バレてしまっている。
「……ゲイかどうかは分かんない。男を好きになったのは、湊が初めてだから。」
「それで、俺を襲いかけたっていうのは? あの時実は少し意識があったんだよな、今朝の話で確信が持てたけど」
そのことまでバレていたなんて。
「あの時はごめんなさい。湊が告白したいって話を聞いて、頭の中がグチャグチャになっちゃって。僕は、湊にひどいことをするところだった」
「そうか。それに関してはもういいよ、……俺がゲイじゃないのは、理解してるんだよな?」
「うん、それでも好きになっちゃったんだけどね」
「千広がゲイであるかどうかは、別に何の問題もないけど、俺は、お前の気持ちには応えてやれない。今まで通り、親友じゃダメなのか?」
「……ううん、僕は、湊の親友でいられて、とても嬉しいから」
話の途中からどんどん涙が溢れてきた。これ以上ないほどの、明確な失恋だった。
「購買で飯買ってくるから、ちょっと待ってろよ」
湊は下手に優しい声をかけようとせず、僕を一人にして購買へと向かった。こういう気遣いが嬉しい反面、恨めしくもある。
五分位して、湊がレジ袋を片手に提げて帰ってきた。
「ほら、おまえの好きなイチゴミルクとメロンパン」
こんな時でさえ、湊は僕の好みをちゃんと考えてくれている。
差し出されたメロンパンにかじり付き、イチゴミルクで流し込む。ただひたすらに甘かった。僕の中の苦い感情もこの甘さで中和されてしまえばいいのに。
「湊、僕はこれっきりできっぱりと湊への想いを忘れるから、だから、最後に一回だけ抱きしめてもいい?」
僕からの最後のお願いに、湊は何も言わずに両手をだらんと腰の横に降ろす。
僕はおずおずと湊の腰に手を回し、湊の体温をただ感じ続けた。このまま時が止まってくれたら、そんなことを思いながら。