転生前のプロローグ
元々、連載小説のプロローグにしようと書いていたものですが、諸事情により短編小説として投稿しました。
そのためしっかりと完結していません、ご了承ください。
もしかしたら、評価次第では連載小説として投稿し直すかもしれません。
昔から、僕はいじめられていた。
幼稚園の時は大丈夫だったけど、僕が小学生になってすぐに、世界は僕に牙を剥いた。
友達、先生、親戚、両親、僕の人生に関わった人は全て僕を嫌った。
僕を嫌わなかったのは動物たちだけだ。
初めはどうしてか分からなかった。
何で自分がこんな目にあうのかも。
誰も味方がいなかった僕は、そのうち自分が原因なんだと思うようになった。
僕が悪い子だから皆は嫌うのだと。
いつしか本屋で立ち読みをすることが増えた。
現実が最悪な僕には、本の中の世界だけが救いだった。
特に好きなものはファンタジーだ。
リアルとかけ離れた世界で繰り広げられる物語は僕を現実から解き放ってくれた。
そうして時が流れて僕が17歳になった年。
高校に通い、小・中と変わらずいじめを受けていた。
その時には殆ど僕の心は壊れていて、いじめられても何かを思うことはなくなった。
これは、そんな僕が死んで、異世界に転生する物語だ。
今から送るプロローグは、僕が死ぬまでに過ごした最後の数日間を描いたもの。
だけど僕にとっては、一度目の人生の中では最も輝いていた日々だった。
だって、転生して直後に思い出すのはこの数日間のことばかりなんだから。
********
○○県××市にある△△高校。
その3階のトイレで、一人の少年が便器の中に顔を突っ込んでいた。
本人が自らしたくてやっている訳ではない。
少年を囲む、数人の集団にやらされているのだ。
その集団の中には、ここは男子トイレだというのに女子もいた。
少女は集団のリーダーの彼女だ。
トイレの中には溜まった糞尿が詰まっていた。
あまりにも汚いそのトイレだが、顔を突っ込んでいる本人はそこまで不快に感じていなかった。
汚い、臭い、息が苦しい、そうは思うが週2でこれだ。
少年は小学生の時からずっとこの程度のいじめなら受けているので慣れていた。
最初は笑っていた集団も、飽きて下校を始める。
トイレに残されたのは少年だけだった。
少年も帰路につこうとするが、このままでは顔が汚れすぎている。
洗面台で、石鹸と水を活用し洗い流した。
下校途中、いつものように帰り道にある公園へと少年は寄った。
そこには少年と仲の良い野良ネコが住んでいたからだ。
少年が来れば、ネコは自ら現れた。
そうして、一人と一匹はいつものように楽しい一時を過ごす。
だがそれもほんの少しの時間だけ。
少年は門限を定められていて、それを破れば夕食を与えてもらえない。
少年にとってはその夕食だけが、一日で食料を補充できる貴重な機会だ。
家につく。
がちゃりとドアを開けた。
「ただいま」
無機質な声が少年の口から発せられる。
返事はいつものようにない。
だが、珍しく玄関の前に少年の母が立っていた。
少年が靴を脱ぐと、一言も声をかけることはなく母は少年を殴り飛ばした。
床に倒れた少年に追い打ちをかけるように暴力を振るう。
今日は何か嫌なことがあったらしい、パチスロでも負けたのだろうかと少年は蹴られながらもそんなことを考えた。
暴力の時間が終わる。
切れた唇から零れた血を拭い、少年はいつものように夕食を作ろうと台所に向かった。
家の食事、いや、全ての家事を少年は両親にやらされている。
これが少年の日常だ。
その日の夜、少年へのいじめを楽しみにしている集団のグループLINEが動いていた。
初めにメッセージを送ったのはリーダーだった。
曰く、少年の反応が薄すぎて、最近はあまり楽しくないとのこと。
実際、彼らの少年へのいじめは苛烈化していた。
しかし少年はこれっぽっちも拒否する姿勢を見せなかった。
そこでリーダーは一つの提案をする。
集団の中で唯一の女の子である加藤凛が少年に近づき、改心したかのように振る舞う。
そして優しく接することで少年と仲良くなり、あわよくば少年が加藤凛に惚れるように仕向ける。
少年が加藤凛のことを親しく思うようになった所で、加藤凛が裏切り少年を絶望の淵へ追いやろうというもの。
リーダーと加藤凛は恋人同士だが、リーダーは加藤凛を利用することを何とも思っていなかった。
リーダーにとっての加藤凛は自分を気持ちよくさせる性処理道具程度の物だ。
この案は可決され、クラスLINE――少年は携帯やスマホ自体所持していないため加入していない――で説明された。
少年に加藤凛が接触を図るが、それは全て演技だということを知っておいてもらうためだ。
担任の先生にもクラスの人間が個人LINEで伝えた。
翌日、早速その作戦は開始されることとなった。
しかし、朝になって一つの問題が生じる。
誰も少年の名前を知らなかったのだ。
少年は常に「それ」や「あれ」と呼ばれていたからだ。
朝から開始しようとしていた作戦は、昼からの決行に変更される。
それまでに担任が名簿を調べ、少年の名前を加藤凛に伝えておいた。
四限目の授業が終わり、昼休みの時間が訪れる。
「ヒロくん、一緒に昼ご飯食べない?」
加藤凛は少年――立花日路にまずそう話しかけた。
定番のセリフだ。
「いいけど、僕、お弁当ないよ?」
立花日路はまるで加藤凛に嫌悪感を見せず、言葉を返した。
クラスメイト達はまさかの反応に驚く。
しかし加藤凛にしてみればそちらの方がやり易かった。
加藤凛にとっては、初めの敵対関係を解消し会話できる仲になるまでの段階が、一番困難だと想像していたからだ。
「大丈夫よ。私、貴方の分もお弁当作ってきたから」
立花日路が毎日昼飯を食べていないことはクラスの皆が知っていた。
加藤凛も当然知っていたので、立花日路の弁当を用意してきたのだ。
加藤凛は立花日路に弁当を手渡した。
立花日路は感謝の言葉を述べ、弁当の蓋を開ける。
「いただきます」
行儀よく手を合わせ、立花日路は弁当に手をつけ始めた。
「これ、すごく美味しいよ」
立花日路は素直な感想を述べた。
事実、加藤凛は料理が上手かった。
「ありがとう」
立花日路の言葉に微笑む加藤凛。
もちろんこれは演技だ。
昼休みが終わり、午後の授業も終わる。
放課後になり、加藤凛は立花日路に一緒に帰ることを提案した。
立花日路はこれを承諾する。
立花日路は疑うということをしなかった。
立花日路にとって、この世で最も悪な存在は自分だ。
自分が悪だから人々は自分を敵視するのだ。
そんな自分が他人を疑うことはあり得ないというのが、立花日路の価値観だった。
雑談を交えつつ二人は帰る。
それぞれの家へと続く分かれ道に差し掛かった所で二人は別れ、別々の方角へと帰った。
加藤凛はあまりにも簡単に事が進むことを不安に思っていた。
しかし数日間、立花日路と交流を続けても特に問題は起きなかったため、その不安はいつのまにか解消されていた。
何故今まであんなにも立花日路を嫌っていたのだろう。
コーヒーを飲み、窓の外を眺める立花日路の顔を見て、加藤凛はふとそんなことを考えた。
その日、加藤凛は立花日路と喫茶店に来ており、テーブルを挟んで向かい合って座っていた。
立花日路は金銭を所持していなかったので、加藤凛の奢りだ。
立花日路に接触するまでは、確かに立花日路に並々ならぬ嫌悪感を抱いていた。
だがいざ交流を深めていくと立花日路は普通の人間だったのだ。
そのことに気づいたこの日から、加藤凛から立花日路への嫌悪感は徐々に取り除かれていくことになる。
それが加藤凛を苦しめ、後に自殺へと追い込む原因となることをこの時はまだ誰も知らない。
ある日、加藤凛は自分の家へと立花日路を招待した。
立花日路の家に行ってみたいとも思ったが、本人に断られてしまった。
二人は加藤凛の家につくと、加藤凛の部屋へと向かった。
この時の彼女の中にはまだ立花日路への嫌悪感は残っていたので、立花日路を騙すことになんら抵抗はなかった。
加藤凛の最終目標は立花日路を自分に惚れさせること。
男という生き物は単純だ。
男は自分に好意を寄せている女に、しかもそれが美人であれば、すぐ惚れる。
加藤凛はそう思っていた。
事実、そういう男は大勢いるだろう。
これまで、立花日路には特別優しく接してきた。
自宅にも招待した。
もしも立花日路が普通の男だったならば。
加藤凛の思惑通り、加藤凛が立花日路を好いていると、そう勘違いしただろう。
そして、立花日路は自分のことを好きになる。
加藤凛は容姿に自信があった。
立花日路も一人の男なら、このチャンスを逃すはずがない。
だが予想は外れ、いつまで経っても立花日路が下心を覗かせることはなかった。
加藤凛の両親は仕事でおらず、今加藤凛の家には二人しかいない。
両親は夜遅くまで帰ってこないとも伝えてある。
立花日路の両親も今日は不在らしく、珍しく門限に囚われないで済むと立花日路は言っていた。
――どうして彼は私とセックスしたがらないのだろう。
加藤凛は疑問に思っていた。
まだ立花日路が加藤凛に惚れていなかったとしても、男なら性欲に身を任せ襲ってくる場面ではないだろうか。
立花日路は臆病で、そこまでの勇気がないだけかもしれない。
そう思った加藤凛は、自分から仕掛けることにした。
立花日路の腕を引っ張り、強引にベッドに寝かせる。
そしてその上にのしかかった。
ここまでされれば立花日路も獣のように体を求めてくると考えていた加藤凛はしかし、次の立花日路の発言に驚かされる。
「そこまでしなくても、大丈夫だよ?」
加藤凛はぴたりと服を脱ぐ手を止めた。
「加藤さん自身が傷つくことをするのは間違いだと思う」
立花日路の言葉に加藤凛は思考の処理が追いつかなくなってしまう。
言っている意味が分からない。
何故この状況で、そんな言葉が出てくるのか。
確かに加藤凛は立花日路とセックスすることに抵抗があった。
嫌いな男とのセックスを不快に思わない女はいない。
しかし今の立花日路にとっては、そのことは関係のない話だろう。
「加藤さんがこんな僕に優しくしてくれるのは凄く嬉しいんだ。僕がいつも一人でいたから、可哀想だと思って近づいてきてくれたんだよね」
加藤凛は立花日路の目を見つめる。
そこには感謝と不気味なまでの優しさが映り込んでいた。
「でも僕は、そんな優しい加藤さんを汚したくないんだ。だから、僕みたいな汚物とは寝ない方が良い。そこを、どいて?」
優しく語り掛ける立花日路の言葉に、加藤凛はすっとその場を離れた。
逆らう気が、まるで起きなかったのだ。
「ありがとう」
立花日路はベッドから離れ、部屋の出口へと向かった。
加藤凛はその後ろ姿をぼおっと眺める。
立花日路は加藤凛が立花日路に恋していないことを見抜いていた。
そして立花日路は加藤凛に惚れてもいなかった。
加藤凛はそんな場違いなことを考えた。
立花日路の違和感の残る言葉を理解することを諦めて。
しかし加藤凛は、立花日路と更なる交流を深めることを諦めはしなかった。
故に、この出来事の後も立花日路と加藤凛の付き合いは続いていく。
一つ加藤凛は勘違いをしていた。
それは、この時既に、立花日路は加藤凛を愛していたということだ。
偽りのものとはいえ、立花日路にとっては、約十年ぶりの他人から受けた優しさだった。
立花日路の心を奪うことに、加藤凛は成功していたのだ。
そのことを知らぬまま、立花日路が部屋を去った後も、加藤凛は放心状態のままベッドに座り込んでいた。
この日を境に、加藤凛は立花日路という人間に興味を抱き始めた。
それまでは嫌々していた立花日路と仲を深める役も、楽しみの一つに変わった。
いつのまにか、加藤凛の中から立花日路を忌避する気持ちは消えさっていた。
無理をしていた加藤凛の笑顔が本物に変わる。
その変化に気づいた立花日路は更に加藤凛を愛するようになった。
加藤凛が立花日路と行動を共にしている間を、暇に思う者達が現れ出した。
加藤凛を除いたいじめの集団だ。
集団は、加藤凛が立花日路と交流している間はいじめを行わないと決めていた。
だが時間が経つにつれ我慢が出来なくなっていたのだ。
しかし、ここで直接、立花日路に手を出してしまっては計画が潰れてしまう。
集団は、間接的に立花日路に何か出来ないか考えるようになった。
そして、立花日路の尾行を始める。
少しでも弱みを握れないかと始めたそれは、意外にもすぐ成果をあげた。
立花日路は加藤凛と別れ一人になった後、公園に向かった。
そして少しの間ネコと遊んでから家に帰っていった。
次の日もその次の日も同じようにネコと遊んでいたのを、尾行を任された者は見ていた。
そしてそのことがグループLINEで報告される。
その報告を見たリーダーによって、悪魔のような計画がもう一つ立てられる。
更に数日が経ち、遂に加藤凛の役目が終わる時が来た。
夏休みに入る前日。
加藤凛は直接リーダーから終わりの日を知らされた。
「明日でお前が『あれ』と仲良い演技をするのは終わり。計画を実行するぞ」
突然告げられた言葉に、加藤凛は咄嗟に返す。
「まだその時じゃないと思うわ。ヒロ君は多分まだ私に惚れていないし……」
「『ヒロ君』とはまた随分親しくなったんだな。心配しなくても『あれ』はお前に惚れてるよ。傍から見りゃあ分かる。それとも何だ」
リーダーは加藤凛を睨みつけ、尋ねる。
「お前はその『ヒロ君』とやらと、もっと一緒にいたいのか?」
その眼光に加藤凛はびくりと体を震わせる。
「べ、別にそういう訳じゃない……けど」
「じゃ、そういうことでな」
リーダーはそう言い残し去っていった。
加藤凛はリーダーが怖かった。
一人でも恐怖の対象だが、その背後には集団が控えている。
反論することなど出来なかった。
今からでもやめようとは口が裂けても言えない。
せめて、期間を延ばそうと思ったがそれすらも認めてはもらえなかった。
加藤凛はリーダーの言葉に従う。
夏休みの初日、立花家の電話が鳴り響いた。
電話に出ることも、あらゆる家事をこなす立花日路の役目だ。
がちゃりと受話器を取り、電話に出る。
「もしもし、どちら様です……」
「ヒロ君っ、助けて!! このままじゃ私……」
「加藤さん?」
突然の救助要請に、立花日路は驚く。
受話器の奥から、何者かが加藤凛から携帯を取り上げる音が聞こえた。
「今の声を聞いたな。加藤凛を助けたけりゃ、学校近くにある廃れた倉庫に来い。急がねえと彼女がどうなるか知らねえぞ」
男の声だ。
言葉の後に加藤凛が悲鳴を上げる声が通信に入る。
しかし立花日路が何かを言う前にぶつりと電話が切られた。
つーつーと通話相手を失った電話から無慈悲な音が鳴る。
珍しく冷静さを欠いた立花日路は受話器を放り出し、全力で家を飛び出した。
靴も履かずに玄関のドアを開ける。
立花日路の立てる慌ただしい音に、母親の怒鳴り声が響いたが、立花日路の耳には届かなかった。
空は曇っていた。
昨晩、母親から受けた虐待の傷がずきずきと痛むが、それを我慢し立花日路は駆ける。
腕が、脚が、引き千切れる程に全力で走った立花日路はすぐに廃倉庫へと辿り着く。
息を整えることもせず、立花日路は倉庫へと駆け込み奥の方へ走っていく。
そして立花日路がその先で見た光景は。
「来たか」
全く無事な加藤凛と、その周りにいるいじめの集団だった。
いつもより二人少なかったが、その二人は立花日路を囲むように後ろから出てきた。
「どういうことって顔しているなあ。教えてやるよ。お前は加藤凛に騙されたんだよ」
リーダーが邪悪な笑みを浮かべて告げる。
「はなからこいつに、お前に優しくしようなんて気はなかったのさ。お前に惚れている訳でもない。その証拠に……」
言い終わらないままに、リーダーが加藤凛の顔を強引に振り向かせ唇と唇を重ね合わせる。
リーダーの手は加藤凛の胸を掴み乱暴にまさぐっていた。
加藤凛は少し身じろぎしただけで、明確に拒んでいる様子はなかった。
数秒達、二人の唇と唇は離れていく。
唾液が糸を引くように伸びていた。
「とまあこんな訳だ。残念だったなぁ、屑。こいつは俺のもんなんだよ」
リーダーは加藤凛の肩を抱き、無様な立花日路をあざ笑うように眺めた。
加藤凛はどこか申し訳なさそうに視線を逸らしている。
「どうだ、何か言いたいことはあるか? 惚れた女を手に入れられず、騙されて誘き出されて、今からリンチされることになる哀れな『ヒロ君』」
立花日路は俯いていた。
力尽きたように止まっていた立花日路はしかし、ゆっくりと面を上げ、リーダーと加藤凛の二人の顔を見る。
そしてほっと一息つくと、立花日路は穏やかな笑顔でこう言った。
「良かったぁ、加藤さんが無事で」
思わず加藤凛は、逸らしていた目を立花日路に向ける。
そこには紛れもなく、心から安心したという表情をした立花日路がいた。
「酷い目に合ってたらどうしようかって、すごく心配したんだ。……本当に良かった」
加藤凛は再び立花日路の言葉に困惑する。
あの時と同じ感想を加藤凛は胸に抱いた。
何故この状況で、そんな言葉が出てくるのか。
やはり加藤凛には立花日路の言葉が理解出来ない。
騙されてもなお、自分の身を案じてくれる立花日路の心を、理解することが出来ない。
悔しそうな表情を見せるでもなく、恨むような視線を送るわけでもなく、晴れ晴れとした笑顔を見せる立花日路の様子に、リーダーは「強がりを」と悪態を吐く。
合図を出し、集団で立花日路に暴行を加え始めた。
思い通りでなかった立花日路の反応にリーダーは怒りを覚えた。
これまでにないほど強烈な暴力を振るった。
倉庫に放置されていた鉄パイプを拾う。
そして地面にうつ伏せになっている立花日路の腕に渾身の一撃を与えた。
ごぎゅっという右腕の骨が粉砕される嫌な音が倉庫内に響く。
その後も暴虐は続いていった。
辺りには立花日路の血が飛び散り、歯も何本か落ちていた。
立花日路が何の反応も示さなくなったところでリンチは終わる。
いじめの集団は楽しんだというようにその場から引き上げ始めた。
加藤凛は、グロテスクな有り様になった立花日路に言葉に出来ないほどの感情を抱いた。
去り際にリーダーが加藤凛に話しかける。
「しばらくしてなかったから溜まってんだよな。今日、俺んちに来いよ」
断られると思っていなかったリーダー。
しかし次の加藤凛の言葉に驚かされる。
「今日は疲れたから嫌」
その声には温度がなかった。
その目には色が無かった。
加藤凛は、初めてリーダーの望みを拒んだ。
その様にリーダーは口を噤む。
リーダーは断られた怒りよりも、恐怖を胸に抱いた。
そのまま、加藤凛を除いた集団は去っていった。
後に残されたのは加藤凛と、地面に倒れ伏す立花日路のみ。
加藤凛は何も声をかけなかった。
否、かける資格が自分には無いと考えた。
同時に立花日路の体に触れることもしなかった。
加藤凛には、触れる資格などある筈がなかった。
加藤凛は自らの過ちを悔やみながら立ち尽くす。
だが、立花日路が目覚める前にその場を離れることにした。
なぜならば。
加藤凛には、立花日路の視界に入り込む資格さえもない。
加藤凛という世界の汚れを、立花日路に見られてはいけない。
その時、初めて立花日路と加藤凛に共通点が出来た。
自身が世界で最も醜い存在だという価値観だ。
加藤凛はこの日、立花日路という人間をどうしようもなく愛してしまった。
そうであるが故に、立花日路とのつながりを加藤凛は避けた。
加藤凛がこの時、立花日路とのつながりを望んでいたら結果は変わっていたのかもしれない。
この先の結末を知らぬまま、加藤凛は倉庫を後にした。
最後の我儘と、床に付着した立花日路の血液を指ですくいとり、舐め取って。
時間が経ち、立花日路は目を覚ます。
体が痛むが、何とか起き上がり倉庫を出た。
家への帰路に着く。
帰り道の途中にはいつもの公園があった。
立花日路はぼろぼろになりながらもネコに会いに行った。
少し遊んで帰ろうと思った立花日路。
それが不可能なことに気づいたのは、公園に到着した時だった。
そこには腸が飛び出し、血にまみれて公園の入り口に寝転がるネコの姿があった。
近づき抱き上げる。
そのお腹には確かに、ナイフで裂かれたような切れ目が無惨に存在していた。
やがて曇り空からぽつぽつと雨が降り出す。
時を置かずして、大雨へと変わった。
立花日路の頬を一筋の水滴が、伝った。
立花日路の体から力が抜ける。
横断歩道を渡り切れずに、道路の真ん中で倒れ込んでしまった。
地面の冷たさを感じながら、立花日路は加藤凛と話し始めた日からこの日までを振り返った。
幸せだったと、心底思う立花日路。
最期に幸福な時間を過ごせたことに感謝をした。
ネコが死んだことは悲しい。
立花日路に関わらなければこうはならなかっただろうと罪の意識を覚えた。
だが、満身創痍の立花日路からはその意識さえも飛んでいく。
気を失いかける直前に立花日路が見たものは。
水たまりを掻き分けながら進む、トラックの迫りくる姿だった。
――ああ、初めから僕はこうなっておけばよかったんだ。
この日が立花日路の命日となる。
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