赤い馬、大剣
[XXXX年XX月XX日XX分 地球XX]
少し過去の話しをしよう。これは僕の壊れた記憶。その欠片だ。
僕は砂を握っていた手を離す。
「ねえ、りっくん。どうしたの?」
隣に屈む少女がその様子に気づき、シャベルを動かす手を止めて話しかけてくる。
「あのね、また父さんが家に帰ってこないんだ」
「またけんきゅうじょ?」
少女の問いに、僕は無言で頷く。少女は研究所が何かを知らないのだろう。
「りっくん、ご飯はどうしてるの? お母さん、いないんでしょ?」
そう、僕の母さんは僕を産んですぐに亡くなってしまったと父さんが言っていた。その顔も、その姿も、僕は見たことがない。
「おばさんが作ってくれるんだ。でも、おばさんも僕に何も言ってくれないんだ……」
「可愛そう。りっくん、寂しくないの?」
寂しくないの? その言葉は、僕の涙腺を壊すには十分すぎる言葉だった。
「っ……んくっ」
涙は絶えることなく、頬を流れ続ける。
「っ……寂しいよ、だって……くっ……父さんもおばさんも僕をいないみたいに、扱うんだもん」
「泣いてる……悲しいんだね……でも、大丈夫だよ、私は無視したりしない。私がずっと一緒にいてあげるから」
気づけば僕の体は少女の腕の中にいた。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
「本当? 本当に?」
僕は涙でぐしゃぐしゃになった顔をゆっくりと持ち上げる。
「うん、本当に。約束する」
「じゃあ、大きくなったら結婚してくれる?」
「えっ、結婚!?」
少女が急に跳躍した話に驚いた表情をする。
「嫌だった?」
心配しながら聞くと、少女は首を横に振った。
「ううん、嫌じゃないよ。私大きくなったらりっくんのお嫁さんになってあげる。そしたらずっと一緒にくらそう」
「うん、僕ずっと一緒に暮らす!」
僕がそう言うと、少女は僕の手を握り、笑いかけてくる。その笑顔がとても、とても明るくて、つられて笑顔になる。
「じゃあ帰ろっか」
少女が僕の手を引いて歩き出す。
「あ、ボール……」
少女が不意に立ち止まる。少女の見ている方を見ると、車道の真ん中にボールが1つ、転がっていた。
「あのボールひかれちゃう。助けてあげなきゃ」
少女はすぐにボールの方に駆け寄って行く。しかし、その上の信号の色は赤。車はすぐ側まで迫っていた。
「危ない!!」
少女がゆっくりと車の方を向く。
もう……間に合わない……
それから15年。未だ約束は記憶の中。
[2204年5月9日11時28分 月付近 輸送船内]
『間もなくこの船はEAF基地に到着します。着陸時の衝撃に備え、席にお戻り下さい』
アナウンスによって30時間程かかった宇宙の旅にも終わりが見え、少年はそっと息を吐き出す。彼は座ってばかり現状に少し、辟易していたのだ。
重力制御や緩衝素材、動力などの改善によって誰でも宇宙旅行が出来るようになった現代、技術の進歩とは恐ろしいもので、宇宙を夢見ていた時代など過去の歴史に過ぎず、教科書の中の話になってしまっている。そんなことを考えながら読んでいた本を座席の隣に置いた。少年は背もたれに寄りかかるようにして窓の外を見る。辺りは一面の星の海で、少し覗き込むようにして見れば僕らの故郷、地球を臨むことも出来る。これもかつては選ばれた者のみが見ることを許された至高なる美だった。今では誰もが拝むことの出来るその光景は、かつて姿を残したまま、そこに存在していた。
少年の服装はいたってシンプルで、どこかの制服だ。しかし、ブレザーとスラックスが灰色で、ネクタイは真っ白。その上シャツは水色というのは、少し不思議な配色ではないだろうか。
彼の名前は黒鉄理駆斗。年齢は18歳だ。
しかし、理駆斗がこの船に乗っているのは、旅行や勉学そういったことの為では決してない。
理駆斗は、連合軍特殊作戦部隊の第7小隊に所属する軍人だ。彼が月へ招集されたのも、もうじき始まるであろう戦争の為である。
2132年6月29日、ハワイ沖に停滞した宇宙からの飛来物質の中から三百体程の異星人が現れ、付近の国々へと攻撃を開始した。異星からの訪問者達が使う火を操る能力によって、数々の国家が倒れ、残った国々は地球連合軍 Earth Allied force(略称EAF)を結成。異星人迎撃に当たった。最初こそ彼らの持つ火に似た現象を起こす能力に苦戦していたが、次第に逆転していき、撤退させることに成功。地球連合は勝利を納めるに至った。
多くの犠牲を出し、平安を取り戻した地球は、復興を果たし、さらなる進歩を遂げた。倒れた国々に変わって地球連合や国連などの機関を中心とした新たな体系の国家、地球連合国家が誕生し、現在では地球陸土の約八割が連合国家の国土となっていた。
連合国家は、いずれ再び戦うだろうと予測されている異星人への対抗の算段を付けるため、幻想子等様々な研究に着手し始めた。その結果、今までの常識の多くを見直すこととなった。
太陽系内で生命が存在する星、それは地球だけでは無かったのだ。
太陽系の地球を含む全ての惑星に人に似た形を持つ二足歩行をする生命が存在し、それぞれの進化を遂げ、それぞれの文明を築いていたのだ。
地球への進行を決行したのはその中の1文明、人々が火星と呼ぶ星からの訪問者達だった。
地球にいる僕らはそれを8つの惑星にちなみ、それぞれの生命に対して、水星人類、金星人類、火星人類、木星人類、土星人類、天王星人類、海王星人類、と名付け、接触を計った。
二度目の異人類への接触。それは、予想に反して上手くいった。
深層言語とでも言うのだろうか。生命に共通して存在した意思疎通を可能とする『ことば』。地球の人類が長らく忘れていた機能だ。それによって完全な対話を可能とした人類は、他人類との協和を試みた。
しかし、違う世界、違う文明を生きた者達が、簡単に分かり合えるはずもなく、交渉は異様な緊張の中、全てが決裂した。
長きに渡る硬直状態の後、今までに類を見ない戦争が始まろうとしている。その行く末は、未だ誰にもわからない。
『荷物の運び出しが終了しました。忘れ物に気を付けてゆっくり外へ向かって下さい』
理駆斗は荷物の支度を済ませると、船の長い廊下を出口の方へと真っ直ぐ進んでいく。とりあえずロビーで手続きを済ませなければならないと践み、重たいキャリーバッグを引きずりながら連絡口を抜ける。
歩いているこの場所は何も知らない人が見ればただの空港として処理されていただろうが、壁の向こうは宇宙。外に出れば即死亡だ。
「え~と、ロビーの場所ってどこだったっけ?」
曲がり角に着いた理駆斗は、早速道に迷ってしまったようだ。とはいえ、事前に何も調べもせず、手渡された資料すら読まなかった彼が一方的に悪いのは明白なのだが。
しかたなく、彼は手にある腕輪型の端末に触れる。
すると、コンタクト型の液晶端末に次々と映像やら画像やらが表示され、視界が賑やかになっていく。
拡張現実型情報視認システム(Augmented Reality information visibility system)
長すぎる名前が故に『拡張現実』だとか『ARIVS』だとか呼ばれるこのシステムは、腕輪型情報取得端末と、コンタクトレンズ型の小型ディスプレイが対となっている小型のパソコンである。
オフラインでなければ常時動いていて、使用者の生体情報、通信、口座などを一括管理している。
現在は一人一台保有することを法律で義務付けられており、政府が配布を行っている。社会の中で生活するには無くてはならない必需品の一つだ。セキュリティ面にもぬかりがなく、もし端末が盗まれたとしても、網膜、指紋の認証によってログインするため悪用できない、他の通信機器とは違い、この端末独自の通信方法が使われているなど、国民の9 9%がこの端末を使っている理由となっている。
空中に浮かんでいる『ロビー』のボタンに手をかざすと、画像が切り替わり、右下に地図、中央に矢印が現れる。矢印の通りに歩けば、道に出ることが出来ると言う訳だ。
理駆斗は再びキャリーバックを転がして歩き始める。表示を見れば未だ船着き場すら出ていないようだ。彼は少しだけ、足を早める。
今更ながら思うが、ここが月だとはどうも思えない。同僚から話を聞いていたものの、話に聞いた以上のものを見た感覚だった。矢印が丸に変わり、ロビーへの到着を示す。
早速受付を済ませておくとしよう、僕はすぐにロビーへと向かった。
「すいません、受付をお願いして良いですか?」
「それなら端末認証をお願いします」
受付にいるオペレーターに促され、理駒斗は機械に手をかざす。
端末が手の毛細血管や指紋を元に、サーバーから僕の個人情報を検索する。
「確認しました。黒鉄理駒斗、階級は少尉、ブラック第七小隊所属。よろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
「でしたら部屋番号は723号室になります」
理駒斗は静かに頷く。オペレーターが空中で手を動かすと、視界に新しいメッセージが現れる。それをタッチすると、大量のテキストファイルが現れる。題名を読むと、『EAF月軍事基地における生活マニュアル』と書かれてある。
「そちらはマニュアルでございます。ですが、もし不明瞭な点があったら気軽に連絡を入れて下さい」
「わかりました、ありがとうございます」
「それではこれで説明は以上になります。こちらから用事があれば連絡させて頂きます」
理駒斗はキャリーバッグを持つとロビーの近くにベンチを見つける。そこに行って座ると、視界の地図を操作し、目的地を生活スペースに更新する。再び矢印が現れ、僕に移動順路を示す。僕は立ち上がると、矢印の示す通りに歩き出した。
このARIVS、便利ではあるのだが、幾つか問題点がある。
その一つが、視覚化される情報の膨大さである。見えるものが多すぎるが故に、他の人とぶつかってしまったり、信号無視によって事故が起こるケースまで出てしまっている。最近では、網膜の動きでウィンドウの大きさを変えたり、アラートをシステムに組み込むような開発も進んでいるらしい。
理駆斗が角を曲がると、反対から女性が走ってくるのに気づく。ぶつかると思い、右に避けようとするが、もう既に遅い。彼は女性の勢いある体当たりを食らい、床に尻餅を付く。遅れてキャリーバッグが倒れ、乾いた響く。
「すいません急いでて……あの、大丈夫ですか?」
女性だと思っていたその人は、よく見たら同じ位の年の少女だった。背もおそらく同じ位だろうか。身地域を判別しにくい整った顔立ちが、心配そうな表情を浮かべている。髪は黒よりも白の方に近い灰色で、一ヶ所も纏められていない髪が肩に掛かっている。スタイルも良く、テレビなどで見るモデルなどと比べても遜色ない程だ。
服装は理駒斗と同じように学校の制服なのか、黒いブレザーに灰色のプリーツスカート、青と灰色のストライプのリボンという装いだ。もしかしたら、服装についての規定が多い軍の中での、精一杯のオシャレなのかもしれない。
「すいませんぶつかってしまって、大丈夫……」
理駒斗が口を開けたまま制止する。そんな彼の様子を見て、少女が首を傾げる。
対する理駒斗には、あるものが見えていた。ふわふわと揺れるスカートの中で見え隠れする……
「白い……」
思わず口に出してしまったのがいけなかったらしい。
少女が慌ててスカートを押さえると、小刻みに震え始める。顔が羞恥に染まってゆき、それと共に心配そうだった顔が、憤怒の表情を見せる。
「……見たの?」
少女の声音は、さっきとはうって変わって低く、恐ろしい。
「私のパンツ見たのでしょうこの変態!」
少女が理駒斗の足の間に向けて蹴りを放ってくる。
理駒斗は急いで立ち上がるように蹴りをかわすと、両手を前に出して制止を求める。
「ちょ、ちょっと待って! 見ちゃったのは悪いかもしれないけど今のはさすがに危ないって!」
「うるさい変態! もうあなたが変なことを一生できない体にしてあげる!!」
「それは絶対にダメなやつじゃん!!」
理駒斗は襲いかかる攻撃の嵐を必死になって捌く。当たり前だ。彼の命と同じ位大事な物が現在進行形で危機を迎えているのだから。
彼女が冷静でなく、攻撃が単調になってしまっていたのはある意味幸運と言えた。
その一見華奢に見える体から放たれる一撃は、素早くかつ正確に、僕の体を捉える。素早い一撃は、前進を汲まなく使い、何重にも加速させることによってなせる技だ。幾つかの武道を踏まえていることを感じさせる。
少女の動きが止まる。出鱈目な動きの所為で無駄な体力を消耗してしまったのか、息を切らせてしまっている。
「……なんで避けるのよ変態」
と一言。
「いや、受けたら死んじゃうから! 人生とか社会とかいろんな意味で死んじゃう奴だから!! ていうかお願いだから本気を出すのだけは止めて! 一回落ち着いて話し合おうよ!?」
何故か全面的に悪いことになっているが、不可抗力であったことを忘れないで欲しい。せめて、転んでしまったから見えたのであって、決して覗いてなんていないことを忘れないで欲しい。
「っ! 風紀課に通報を……」
「待って! それだけは止めて!!」
まじで死んじゃうから。俺の人生終わっちゃうから……
彼の宇宙生活は、波乱な展開で開始したのだった。
[2204年5月9日12時30分 月 EAF基地 カフェ]
「で、どうしてこうなったの?」
「すいません……」
いや、こうやって謝ってるけど話が拗れた原因の大半はあっちにある気がしてならない。どうやら、彼女の言葉の所為でこちらが悪いように思えて来てしまっているのはどうしてだろうか?
現在、理駒斗と少女はロビー近くのカフェの一席で向かい合っていた。
月の基地は長期的な滞在が主なため、娯楽施設が充実している。このカフェも、そういった物の一つで、ここが惑星間の戦争の中で最も紛争が絶えない場所であるというのだから皮肉なものだ。
少女には予定が入っていたようなのだが、話をしようとするや否やキャンセルして、ここに来た訳だ。
ちなみに、キャリーバッグは未だ僕の隣にいて、今は机に立てかけてある。
「それで、私だって話くらいは聞くわ」
「うん、さすがに誤解されたまま宙吊りにされると僕も危ないし、君もこのままじゃ不快だろうしね」
「……話の内容によってはあなたを殺すわ」
こわっ! どうやら先ほど攻撃を捌ききってしまったことが、更に彼女の反感を買ってしまったらしく、理駒斗の立場は、さらに死の方に傾いたようだった。
「まずは話を始める前に自己紹介をしましょう」
「あ、ちゃんと話を聞く気あったんだ……」
「……何か言った?」
「……何でもないです」
これ以上失言をしていたら本当に彼女に殺されてしまうと考え、理駒斗は黙る。彼女が空中を操作すると、僕の視界の中央に、新たなウィンドウが現れる。
「白裂百合香……十八歳、特殊部隊ホワイト所属の准慰……」
「……あなたは変態のままで良いのよね?」
「ちょっと待ってよ! 今送るから……」
冷たい視線を貰いながらも、理駒斗も公開情報の送信の認証をし、百合香に情報を送る。おそらく届いたようで、彼女が何かを読み始める。
「黒鉄理駒斗、十八歳で特殊部隊ブラック所属の……嘘!?」
百合香が驚いた声を挙げる。
「あなた小慰なの!? 私、変態に負けてしまったの!?」
「失礼だなっ! っていうかそろそろ変態呼ばわりするのは止めて欲しいんだけどな……」
「そうね、たとえ変態だったとしても階級が上の人を変態って呼んでたら軍規違反になりかねないものね」
「はあ、もうなんだって良いよ……」
かなり悲しいことに、理駒斗はこの空気に大分耐性がついて来てしまった感じがする。
それが良いことなのか悪いことなのか……それは気にしないことにした。
「さて、まあいいわ。お互いに身分は分かったことだし、本題に入りましょうか」
「……の前にせめて飲み物ぐらい頼んでも良いかな? 僕は今日の昼にここに到着したから、まだ食事をとってないんだ」
理駒斗は苦笑する。実は結構お腹が空いてしまっていた。
「いいわよ、それくらい。食事をさせない程、私だって鬼じゃないわ」
「……そう、ありがとう」
さっきまで変態呼ばわりして攻撃して、空腹感を限界まで引き上げた人が何か言っているが彼は気にしない。さっさと何か頼むとしよう。そう考え、理駒斗はARIVSのお店のタグからメニューリストを開いた。
「ねえ、理駒斗、私と模擬戦闘訓練をしてみない?」
丁度食事が届き終わった頃、百合香が口を開く。ちなみに、理駒斗はお店オススメのカレーライス、百合香はコーヒーとフルーツケーキを頼んでいた。女の子らしく甘いものが好きなのかもしれない。
「? どうしてそんなことを?」
「何、最高の条件だと思うのだけど? ああ、もし負けたらあなたの名声に泥を塗ることになるかもしれないわね」
「そんなものはないけど……もしかして勝てる自信があるってこと?」
「さて、どうかしら?」
理駒斗は最初こそ乗り気でなかったものの、百合香の言葉に、少し興味を示し始めていた。百合香の人柄は理駒斗にとって嫌いなものでは無かった。言葉の一つ一つが少しの時間の中で選び抜かれているような所が垣間見える。
しかし、何故か引っかかるものを感じていた。懐かしいようで違うような、悲しいようなどこか不思議な違和感を彼女に中に感じとっていた。
「いいよ模擬戦だね? でも、装備の到着と訓練の開始が明日だから、出来れば明日以降にして欲しいな」
「そうね、模擬戦するにも場所の確保とかが必要らしいから、私もその辺りの話を進めておくわ」
「じゃあ、お願いしようかな。日時は連絡を入れてくれればそこに行くから」
「逃げないでね」
「そっちこそ」
その言葉を聞くと、百合香は空中を操作して支払いを済ませる。そして理駆斗の画面から、未払いの通知が消える。
「あ……僕の分の代金……」
「いいの、あなたと話せただけで十分嬉しかったから……」
それだけ言うと、百合香は一瞬笑顔を見せて、理駒斗から離れていく。その表情は、今までのものと何処か違って、どうしてかは分からないが、彼女らしいと感じた。理駆斗はそんな頭の中に張り付いた思考を切り捨て、カレーに手を付け始める。まだ皿の中には六割以上が手付かずで綺麗に残っていた。
彼女の笑顔が記憶の何処かに引っかかったのは、どうしてなのだろうか?