裏切りのペテン師、逆位置にて
幻想子ーー他の様々な物質やエネルギーへと変質する性質を持った、今まで机上にすら上がることのなかった謎の粒子。
生物にはもともと幻想子を認識し、その変化を制御する機能が存在していたらしい。しかし、それがどのようなものであったのかは生命の誕生やこの世界の成り立ちの話まで遡らなければ解けない謎なのだろう。それでも、そういった機能が確かに実在していたことは真実なのだ。
しかし、地球は環境の豊かさ故、進化の過程を歩んで行くうちにその機能を必要としなくなり、存在を認識しなくなるまでに至った、学者達はそう結論づけている。
それを事実と証明するように、過去の時代には、今の技術では証明出来ないような建築物や、魔法、魔術といった技術がいくつも存在する。
世界で二度目の大戦が終わり、つかぬまの平和を享受していた時代、それは無名の科学者によって発見された。世紀の大発見であるはずだった研究は、一部の権力者達によって秘匿され隠蔽された。
幻想子。その物質は、余りにも多くの史実を塗り替えかねない最悪な物質だった。
[2204年5月5日0時27分 東京 八王子]
夜も更け、静まり返った東京の街。いや、普通の小さな街でもここまで静かになることはないだろう。ここには、街灯の明かりも、人の足音も、声すらも、感じることは出来なかった。
崩れたコンクリートの残骸、かろうじて残った鉄筋、割れたガラスの破片、それだけがこの街を形成する全て。この場所を正確に形容しようとすれば、“死んだ街”というのが相応しい。
その闇の中に、3つの影が溶け込む。3人共に黒いフードの付いたロングコートに黒の手袋と靴。体格からして全員が男であると思われる。その挙動は不審。まるで隠密しながら行軍する兵士のような足取りだ。
そんな3人の姿を、少年黒鉄理駆斗は廃墟と化したビルの屋上にて眺めていた。
「対象確認。どうしますか?」
『少し待って下さい……貴方の視覚情報より対象を確認しました。情報通りの服装。やはり軍の最新式ステルス迷彩ですね。通りでレーダーに映らない訳です』
理駆斗の言葉に返すように、彼の頭の中に女性の声が響く。
「どうしてそんな軍事機密の塊がここに?」
『分かりません。ですが、そのようなものでこそこそ隠れている時点で、危険なものであることは確実でしょう。情報を流してくれた放浪者のおかげです』
「放浪者。先の大戦によって家を亡くし、路頭を彷徨い歩く者達のことですか……」
『はい、軍への情報提供も、彼等の大事な資金稼ぎの一つですから』
理駆斗は溜息を吐く。
「可哀相な塵共が……」
そして一言。感情の消え去った冷淡な声で呟く。黒い髪が風で揺らめいている。
『どうかしましたか?』
「……いえ、独り言です」
理駒斗は宇宙を見上げる。壊れた街の上に鮮明に浮かぶ綺麗な星達。そして、美しさの中に隠された狂気。かつて世界の国々が開拓を目指したそこは、決して安易に足を踏み入れて良い場所では無かった。
(私の存在と同じように……)
『戦闘鎧を展開します』
理駒斗が空中で手を動かすと、その体の周りを黒と青に発光した粒子達が閃き出す。微細だった変化はやがて大きな渦を作り、理駒斗の体を光が包んだ。青は幾多にも重なって様々な色を作り、黒は世界に穴を空けたかのように見せる。その奥に覗く底のない闇に、理駒斗は些かな感動を覚えた。
『戦闘鎧の展開を完了しました。ARIVSの情報を照合、完全な世界への定着を完了』
無機質な合成音声が頭の中で響き、光中から表れた理駒斗の格好は人間と呼称するには程遠く、人間を一回り大きくしたマネキンのようだった。漆黒に塗られた姿は闇夜の中でも光沢の混じった光を放ち、不気味な存在感を示している。顔には凹凸がなく、目と言えなくもない青白い三角形が二つ、薄らと輝くだけ。体は骨のようにごつごつと入り組んでいて、その小さな隙間からは三角形と同じ青白い輝きが揺らめいている。
環境順応型高機動戦闘鎧。幻想子を動力原に筋力の増強、気圧の制御、酸素の供給等を行う地球連合軍の特殊部隊で使用される主力装備で、どんな状況、環境下でも戦闘を可能とするための装着する戦車。
理駒斗の脳に直接流れ込んで来る視覚情報に、大量の情報がタグとなって表れる。その特に意味のない情報を流し読みして、辺りを見回す。
彼の横には一丁の長距離狙撃銃。ぶれ、消音に力を注いだ設計をしているらしい。
『作戦は頭に入ってますか?』
「問題ありません。記憶力だけは自信があるので」
オペレーターの問いに対して、理駒斗は一つの感情も入っていない答えを返す。意識を対象から離さないように注意し、地面に俯せになって銃を構える。何度か引き金に指を付け、感触を確かめる。対象は3人、初撃からの素早い対処が重要だ。
自分の呼吸の音が煩わしくなって、息を潜める。スコープの中心が、小さく見える男の頭を捕らえていた。
『作戦開始の許可が出ました。対象の排除を開始してください』
「了解、作戦開始」
引き金を絞り、火薬が炸裂する。音をサプレッサーが軽減して軽い音が鳴り響き、スコープの中で弾丸が一体の頭を貫く。
「一つ目……」
理駆斗は一つの影が崩れ落ちるのを確認すると、すぐに弾丸を再装填して構える。二人目の頭に照準を合わせ、引き金を引く準備をする。こちらを探しているようでよく動き、少し難易度が上がったように感じる。だが、その程度のことは、理駆斗にとってどうでも良かった。
指をで引き金を引き寄せる。直ちに二発目の弾丸が発射、銃弾は空中で回転しながら真っ直ぐに直進してゆき、動く二人目の頭に綺麗に吸い込まれていく。
「二つ目……」
理駆斗は三度銃を構えてスコープをのぞき込む。
その時、レンズ越しに彼と人影の視線が交錯した。
(見つかった)
そう冷静に思考した時にはもう遅く、人影から急に炎の塊が発射される。正体不明の炎はこちら正確に捉え、飛び上がった理駆斗の立っていた地点を抉り取る。そこに置き去りにされた狙撃銃が炎を受け、跡形もなく砕け散る。
「……面倒が増えた」
位置を捕捉された理駆斗は追撃を逃れるために屋上の策を越えて飛び降りる。
風を切りながら落ちてゆく中、落下の方向が異常なまでに変化し、理駆斗の体はビルの中腹あたりの階へと舞い戻る。大した衝撃もなく着地し、拳銃を抜いて周囲を警戒する。身の安全の確保は完了したようだが、どうやら対象のことを見失い、自分の存在を察知させてしまったようだ。少し面倒である。
「対象二名を狙撃。しかし、最後の一名の殺害に失敗。逃走されました」
理駒斗は通信で現在の自分の状況を報告する。
『わかっています、視界情報はこちらでモニタリングしていましたので。彼はともかく貴方がミスをするなんて珍しいですね』
「……余計なお世話です」
理駆斗は不快そうに答を返す。
『引き続き三人目の追跡、及び排除を決行して下さい。こちらからも出来るだけのサポートはします』
「……いえ捜索は必要ありません、あちらから死にに来たみたいです」
理駆斗の言葉の直後、立っていた地面が崩落し、身体が下の階へと落下していく。彼は1階層下で着地すると、迷いもなく一つの方向に銃を構える。
その銃口の先、男は立っていた。黒いフードの付いたロングコートに黒いブーツと黒い皮手袋。肌は一切外に姿を見せず、情報ですらステルスで確認出来ない身分不詳の人間。
今回の作戦の殺害対象。
『仲間が二人殺された。どうしてくれるんだ』
黒ずくめの影が理駆斗に肩を竦めて問いかける。男の声は変声期にかけられ、もはや異音にしか聞こえない。
「あなたには抹殺命令が下っている。連合国に仇をなす存在として、あなたを排除します……と、言って殺したいところなのですが、命令なので1つ確認をさせて下さい。フードを脱いで頂けませんか?」
理駆斗の問いかけに影が笑みを浮かべたような態度をみせる。
『その問いに正直に答える奴がいると思うか?』
「一般論の話はしていない。これは命令だ。……それとも、フードを外せない理由でもあるのか?」
理駒斗はただ冷淡に問いかける。男はしばらく黙り込んでいると、両手を揚げて降参の意を示す。
「ふっ、敵わないな。まさかこんなにも早くに作戦が失敗してしまうとは……」
フードが外され、顔が露わになる。その奥から出てきたのは、目は周りが黒で眼球は緑。肌の色は異常に黒く、髪は燃えたような赤色。顔には白い模様のようなものが浮き出ていて、とても地球に住む人種の中に当てはまるとは言えないものだった。
『人種照合率97%、対象を火星人類だと断定します』
「火星人、まさか本当に地球に潜伏している固体が存在していたなんてね……しかも地球の最新式装備一式を所持している」
『はい、ルートは定かではありませんが政府または軍部に他の星と繋がりを持った内通者がいるのかもしれません。ですが、今回の任務は対象の排除です。任務に集中してください』
「了解、これより戦闘を再開、対象を抹殺します」
僕の宣言に返すように、火星人が火球を放つ。
『焔』。火星人類が環境に適応していく中で獲得したとされる。幻想子によって火や熱量等に変化させる能力。未だ謎が多く、火の三原則を無視して発火し、火星人類の意志である程度自在に制御される。
理駆斗が火球を避けるために跳び上がる。戦闘鎧のアシストを使い、ぶち抜かれた天井を利用して3メートル程の空中へと跳躍。そのままハンドガンの照準を合わせ、引き金を引く。射出された弾丸が目的地点を通過した時には、既に対象はその場にいない。火星の男は、意図も簡単に銃弾を見切って見せたのだ。
しかし、そんなことは最初から予測通りである。
特殊跳躍弾。それが、ハンドガンに込めていた銃弾の名称である。その性質は名前通り、ある程度の硬度を持つ物体に当たるとそのままの速度を保ったまま跳ね返るというものだ。
火星人は弾を避けた後、彼は理駆斗の次の動きに警戒していた。当たり前だ、避けた弾が跳ね返ってくるなど、誰が予想で出来よう。そして弾が地面へとぶつかり、角度を変えて空中へと飛び出す。
「なっ!?」
男が気付いた時には全てが既に手遅れだった。弾丸はそのまま予測してあった位置にある火星人の頭に穴を穿ち、さらに理駆斗の撃った二発目の弾丸が首の辺りを貫く。男の血液が飛び散り、辺りには静寂が入り浸る。
「こちらB7・4、任務完遂しました」
『おつかれさまですB7・4、跳躍弾の制御は正確ですね。さすが『死神』と呼ばれるだけのことはあります』
「ありがとうございます。ですが、その呼び方は好きではないです」
理駆斗は真底嫌そうに呟く。
『それは失礼しました。それでは本部でお待ちしています。次の作戦がありますので』
「了解しました。離脱ポイントにて回収班と合流します」