憎悪
「近くに誰もいないのね?P」
「大丈夫デスヨ、D様」
DとPの二人ペアは周りを注意しながら道なき道を進んでいた。
Dにとって、このゲームはデスティニーに自分がどれほど優れた存在であるかを見せつける絶好の機会であった。
このDはデスティニーのクローンとして創られた5thコアであり、その能力、性格、体型まで全て同じになっちる。
時にはデスティニーの代理として、これまで数多くの仕事をこなしてきた彼女であったが、今回の事はまさに寝耳に水の出来事であった。
今まで、何か計画を行う際は必ず情報共有が行なわれてきた。
そうすることで、完璧にお互いを支えあっていたのだ。
しかし、今回はそれがなかった。
異例中の異例――さすがのDも最初は動揺を隠せずにいた。
だが、Dはこう考えることにした。
これは自分を試しているのではないかと……
「何が何でも生き残って見せますよ、デスティニー様。私には強力な駒もいることだし」
そう言ってDはチラッと前を見る。
先ほどからDの為に進路確認を行っているのはPであった。
彼女の外見ははっきり言えば不気味に他ならない。
全身を白い布で覆いつくし、十字架を背負うその姿。
機械のように生気を感じない声からもその異常性はうかがえる。
彼女から意思と思われるようなものを感じ取れないのには理由がある。
それは彼女はデスティニーとDの護衛をするために創られたからだ。
二人の命令には絶対的に服従するようプログラムされており、もしDに自害するように命令されれば、何の躊躇もなく命を絶つであろう。
そんな戦う駒を持っているDは、他の仲間達と比べると優位なように見える。
しかし、DもPも強さランキングでは下位に位置している。
Dは二十二位、Pは十七位である。
この順位では二人いようと上位の者には太刀打ち出来ない。
そう思う仲間達も少なからずいたはずだ。
「誰カコチラニ向カッテキマス」
Pが何者かの気配に気づき、Dに注意を促す。
間もなく目の前に現れたのは、西洋の騎士のような姿をした青年であった。
彼はD達を見るや否や、空間から大剣を生成する。
「誰かと思えばVか……どうした?そんな怖い顔をして」
Vは黙ったままD達に近づいて行く。
その表情から何かする気なのは明白であった。
「P、わかってるわね?」
「大丈夫デス」
Pはそう言うと、Dを庇うように前へ出る。
それと同時に、背中に担いでいた十字架の包帯がほどけ、おどろおどろしい姿を見せる。
何百、何千もの血を吸ったその十字架はあちこちが痛み、まるで怨念が渦巻くような雰囲気すら感じるほどであった。
その様相にはさすがのVも警戒の色を見せる。
とは言っても、普通に戦えばVが勝つのは目に見えていた。
Vの能力は剣術である。
能力と言っても出来るのは自分が見聞きした剣を魔力によって構築することである。
しかし、彼には5thコア最強レベルの身体能力がある。
剣の性能を最大限に生かして戦い方により、彼は強さランキング九位という地位を手にしているのだ。
それは尋常ではない事であった。
今のPがどれほど最善の行動を起こしたとしても、Vはそれを遥かに上回る動きで凌駕してしまうだろう。
それは、ここにいる全員がよくわかっていた。
「本当にやる気なのか、P?おぬしがDの傀儡なのはよくわかっている。だが、このまま戦えば意味もなく死に、Dも守れなくなるぞ?」
「何ガ言イタイ?」
「Dから聞き出すのだ……この島からの脱出方法をな。やつならきっと戦わずしてこのゲームを抜け出す手段を知っているに違いない」
Vはそう言い放つが、それは不可能な話だ。
Vの言う通り、Dはデスティニーにとって自分同然に大事な存在のはずだ。
これまで何年もの間、お互いに情報を共有していたのだから。
そんなDをこんなゲームで消すのは意味不明である。
だが、実際そうなっている以上、DはVの要求に答えることは出来ない。
ならば、素直にそうVに話すべきなのかと言えばそれは問題外である。
Vがそんなことを信じるはずがない。
いや、Vじゃなくても同じ反応を見せるだろう。
それほどまでにDはデスティニーに限りなく近い存在なのだ。
「D様……ドウシマス??」
PがDに振り向き、指示を仰ぐ。
その表情から求めていることはただ一つだ。
「好きにしなさい。能力の使用を許可する」
「……アリガトウゴザイマス」
そう言い終わると、Pは静かにこう言った。
「レベルⅡ……ダ!」
その瞬間、Pの身体から莫大な量の魔力が放出される。
その光景にVは驚きの表情を浮かべるが、すぐに冷静に大剣をかざす。
「じゃ、行きますよー!」
片言を止めたPが一瞬でVの目前へと飛び付く。
そして、十字架でVの首下を抉るように上方へと振りかぶる。
「ちっ!」
しかし、Vも負けてはいない。
バク転しながらPの攻撃を躱すと、P目がけて大剣を振り切る。
「空裂斬!」
Vの斬撃が大気を引き裂き、周囲の木々は根元から弾け飛ぶ。
「ひっ!面白い」
Pはその攻撃を十字架で防ぐが、勢いを殺し切れずに吹き飛ぶ。
「少し驚いたが所詮この程度か……次はお前だ!」
そう言ってDに襲い掛かろうとしたその時、Pの飛んで行った方向から斬撃が押し寄せる。
数にして、八つはあるだろうか。
どれも先ほどVが放った斬撃と同じ威力のもので、Vは容易く斬り払う。
「どうして、俺の技が返ってくる?――何!?」
それは巨大な斬撃としか形容しがたいものであった。
巨大な竜巻が発生したかのように周囲の木々はけたたましい音共に空中へと持ち上げられる。
「これは予想外だ、だがな!」
Vの余裕の表情を浮かべると、大剣を消して、新たな剣を生成する。
鞘入りの刀を出して、Vは居合切りの姿勢になる。
「一切合財全ての攻撃を打ち砕く最強斬撃だ、覚悟しろ!!」
Vそう言い放つと目にも止まらぬ速さで刀を抜く。
「真破斬!!!」
それは一瞬であった。
あれほどけたたましく唸りを上げていたPの斬撃は、いともたやすく消え去ったのだ。
Dはやれやれといった表情で、面倒くさそうにこう言う。
「いつまで遊んでいるつもりかしら、P?私は暇じゃないのよ」
「すいません、D様。じゃあ、もう殺しますね」
Pがケロッとした表情で姿を現す。
「何だ、その姿は!?」
Vはそのあまりにも異様なPの姿に絶句する。
Pの身体を纏っていた包帯がところどころほどけ、浅黒い素肌が露出していた。
そこには呪印が深く刻まれており、まるで生きているかのようにもぞもぞと蠢いていた。
「レベルⅢ……あなた程度に使うほどのものじゃないと思ったんだけどね……まあ、ファンサービスってことで」
人間らしく笑うPにVは違和感を覚えるが、それ以上に自分の目の前に居るモノが本当にPなのか断言しかねていた。
魔力は最初の時の比ではなく、禍々しく光る瘴気はとても同一人物の其れとは考えられないからだ。
「こいつが十七位だと!?ふざけるな、これじゃ――」
「俺でも勝てない……かな?」
PがVの耳元でそう囁く。
その表情は笑顔であったが、奥に潜む闇にVの心臓は握り潰される思いであった。
「なっ!?」
Pと距離を取ろうと弾ける様に動くが、Pはその動きにピタリと付いてくる。
「遅いよ、V」
そう言って、Pは斬撃を繰り出す。
先ほどよりも魔力が色濃くこめられており、威力は計り知れない。
「ふざけるな!真破斬!」
しかし、Vはそれを軽く打消し、反撃に出る。
目にも止まらぬ速さの剣戟が繰り広げられる。
Dの目では捉えきれないほどの斬撃の応酬が飛び交う中、彼女はイライラしていた。
「何時まで、Vを相手にしているつもりだP!!これ以上私を待たせるな」
そうPに喝を入れるが、彼らには聞こえない。
極限の集中状態の彼らにはもはや戦う相手しか見えていないのだ。
「もう良い……私がやる」
「あ……?」
その瞬間、Vの動きがおかしくなる。
「連鎖真破斬」
Pは勢い良くそんなVに数発の斬撃を当てる。
紙を引き千切るようにVの身体は細かく消し飛ぶ。
それで終わりであった。
「D様、大丈夫ですか」
半裸状態のPは、Dに駆け寄りそう尋ねる。
「うるさい……さっさと元に戻りなさい」
Dは苦しそうな表情で、そうPを怒鳴り付けた。
はた目からでは、どうしてVが負けたのかわからないかもしれない。
勿論、致命傷を与えたのはPではなく、Dである。
そのトリックがどんなものであったかは、また後の話で判明することになるだろう。
「コレデ元通リデスネ、D様」
Pは元の無機質なミイラに戻り、二人はまた暗い森の中へと消えて行く。
激しい戦いの場にはVの刀が空しく地に突き刺さっていた。
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この島に昼がやって来た。
それを待ち望んでいた者は多いだろう。
ようやく訪れる食事の時間なのだ。
しかし、そうやすやすと手に入れられるものではない。
「無理矢理にでも戦わせようということだな」
モニター越しに緋原はそう呟く。
その傍らではデスティニーがふかふかのソファーの上でくつろいでいた。
「お前、眠そうだな。さっきから欠伸ばかりしてるじゃねえか」
「そう?まあ、あまり動きもないし少し退屈なのよね、ふぁああ」
会話の最中ですら情けなく大口を開けるデスティニーに対して、緋原はずっと真剣な表情でモニターを見ている。
まるで何かの選考を行っているかのようにも見えるその表情に、デスティニーは一つ提案を浮かべる。
「そうだ、ここらで一つ賭けでもしましょうか?」
「賭けだと?」
デスティニーのいきなりの提案に緋原は少し興味を惹かれた様子で、体の向きを変える。
「そう、それは至ってシンプル。残り二十三人の中から最後まで生き残るのは誰か当てようってことよ」
「なるほどな、そいつは面白そうだ。で、もし当たったら賞品は何をくれるんだ?」
「賞品?そうね、何が欲しいのかしら?」
「じゃあ、最後まで生き残ったやつをくれよ」
緋原の発言にデスティニーは思わず間の抜けた声を上げる。
「は?」
「このところ人材不足でね。強いやつが欲しいんだよ」
緋原勇人は宇宙防衛軍という組織を運営している。
なんでも、全宇宙の平和を守るというとんでもない組織らしく、そのためにも戦力が欲しいらしい。
デスティニーは少し考えると、こう返した。
「良いわよ。但し、二度と私とは近づけない様にしてよね」
「わかった。じゃあ、言っていいか?」
「え?もう決めてるの」
「ああ、最初から決めていたさ。最後まで生き残るのは――」
「最後まで行き残るのは?」
「Rだよ」
緋原は自信満々に私の名前を答える。
すると、デスティニーはがっかりしたような表情を浮かべる。
「おいおい、どうしたよ?そんな顔して。何か問題でもあったか?」
「問題があったかですって?大有りよ。これ前にも言ったわよね?あいつには絶対に勝てない相手がいるって」
「そのあいつって言うのは誰だよ?納得のいく答えじゃなきゃ信じねえぞ?」
「Bよ……あの浅黒い肌した男よ」
そう言ってデスティニーは一つのモニターを指差す。
そこに映るBは木に凭れながら何かを待っているように見える。
「へー、あいつがねえ。言っちゃ悪いがRより強いようには見えないが?」
「そりゃそうよ。BとRじゃ地力が違い過ぎて話にならないわ、ただ――」
「ただ?」
デスティニーは頭を抱えるようにこう言った。
「RはBのことが好きなのよ」
「そうなのか?でも、それって理由になるのか?いくら好きな相手だとしても命の掛かったゲームでみすみす死ぬ選択をするとは思えないんだが」
「Rならするわ。だってあいつはそういうやつなんだから……」
「そうかよ……でも、俺は変えないぜ」
「勝手にしなさい」
デスティニーは緋原がこれ以上何を言っても変える気がないと悟り、顔を背けた。
「おい、見ないのか?デスティニー。面白そうなことが起きそうだぜ?」
まるで子どものようにはしゃぐ緋原の声に促され、デスティニーは一つのモニターに目を向ける。
「え?あれは……」
そこに映っていたのは、私と排人であった。
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時間は少し遡る。
私は仮眠を終え、洞窟を後にしていた。
目指すものはただ一つ……食べ物の確保だ。
「さすがに正午にはなってるでしょ……お腹減り過ぎてもう限界」
腹の音が絶え間なく鳴り響く。
こんなにうるさく鳴っていては、誰かに気づかれてしまうかもしれない。
一刻も早く、何か食べないと……
私の頭の中はそれでいっぱいになっていた。
だから、急に横から飛び出して来た人影に反応出来なかった。
「なっ!?」
「ぐわっ!?」
私は勢いよくぶつかり、その何者かを思いっきり吹き飛ばしてしまう。
「痛てててて……何だ今のは?って、蓮花!?」
「誰かと思ったらお前か、排人。いきなりぶつかって来るとは良い度胸ね」
空腹のおかげでイライラしている今の私にとって、この一撃は非常に腹立たしいものであった。
すぐにでも飛び掛かって一、二発お見舞いしてやろうかと思った。
しかし、そんなことをするのは得策ではない。
睡眠によって少し魔力を回復しているが、全快には程遠い。
排人はひょろい優男のように見えるが、強さランキング十一位の実力者だ。
舐めてかかると痛い目を見るのは間違いないだろう。
だから、ここはぐっと我慢をしてこの場をやり過ごしたかった。
それに私から嗾けなければ、向こうから手を出して来ないはずだ。
排人は昔から面倒事に関わることを嫌っている。
理由は一つ、ルナを守るためだ。
ルナを守ることだけがあいつにとっての全てである以上、今の状況は辛いだろう。
一刻も早くルナを見つけたいに違いない!
「どうした蓮花?来ないのか?」
しかし、私の予想とは裏腹に排人は身構える。
どうやら本気らしい。
「排人、あんた……死にたいの?」
「どうせ遅いか早いかの違いだ。お前はここで消させてもらう!」
そう言って右手を私に向けて突き出す。
「魔弾閃光!!」
凄まじい衝撃波と共に、漆黒の閃光が私目がけて飛んで来る。
「ちっ!反転壁!」
角度を付けて壁を出し、脇へと逸らす。
真面に跳ね返せるほど、排人の技は弱くない。
ここは無理をせず冷静に対処してやる……
「なら、これならどうだ!」
排人が急に左方から飛び掛かって来る。
壁のせいで排人の場所を見失っていた私にとってこの奇襲は予想外であった。
「反転掌!」
でも、私の反応速度を侮ってもらっては困る。
すぐに身を翻し、反撃に出る。
「悪いな、蓮花!」
だが、それを待っていたと言わんばかりの表情で、排人はすぐに後方へと飛ぶ。
そして、その置き土産として私に向けてどす黒い煙を撒き散らす。
「やばっ!?」
瞬時に身を纏う反転膜を強化し、その場から退避する。
排人の能力は毒だ。
こんな煙一つでも馬鹿に出来ない。
「糞っ!?これは神経毒……」
僅かとは言え、煙を浴びた私の身体はまるで石になったかのように動きを鈍らせる。
しかし、こんなものはあいつにとって小手調べに過ぎない。
「寝てる暇なんてないぞ!ポイズン・クロー!!」
排人の両手指の付け根から黒い鋭利な爪が飛び出す。
先ほどの毒煙とは比べものにならないほどの濃度の毒を凝縮して作られた爪だ。
僅かに掠るだけでも致命傷は免れない!
「な、舐めないでよね!」
私はふらつく身体を気合で動かし、排人の攻撃に備える。
「おらっ!」
「何の!」
最小限の動きで排人の攻撃を弾く。
冷静に対処すればそれぐらいのことは出来る。
どう足掻いても私の方が身体能力は上なんだ。
焦ることはない……機会を待つんだ!
「さすがは三位。だがな!!」
そう言って排人は毒の爪を一斉に飛ばし、自身も迫って来た。
「それを待っていたわ!」
私は一気に魔力を解放して、毒の爪を跳ね返す。
勢いを何倍にも加速させ、排人の身体にお返しする。
「ぐっ!だが、関係ねえ!!」
身体に何本もの爪を受けても怯むことなく排人は突き進んで来る。
その瞳からはとても普段の排人は想像出来ないほど熱く燃えていた。
「嘘っ!?何故、止まりな――ぐあ!?」
その刹那、排人の渾身の一撃が私の顔面を打ち抜く。
意識を揺さぶられながら、私は後方へと吹き飛ぶ。
「全く、一発与えるのにこのざまかよ……痛ちちっ」
排人は右手の拳から血をポタポタと落としながら、身体に突き刺さっている毒爪を勢いよく抜いて行く。
彼自体が毒の巣窟のような存在であり、いかなる毒も効かない。
だから、猛毒の爪が刺さったところで大したことはないのだ。
「随分と鈍ったんじゃないか?たった一発もらったくらいでもうダウンか?」
そう言いながら排人は私に向かって来る。
しかし私はそれに対して何の抵抗も出来なくなっていた。
神経毒が思ったよりも効いていたようで、さっきの一撃で身体が嘘のように動かない。
「う、うっさいわね……魔力が十分にあればあんたなんかに後れを取ることなんてなかったわよ!」
「はいはい、負け惜しみだな。ほら、手を出せ」
「……止めを刺すんじゃないの?」
排人からは先ほどまでの覇気は消え去り、またやる気のないオーラを纏っていた。
ゆっくりと手を差し出すと、排人はぐっと掴み、私を引き起こす。
そして、私と対面するように胡坐で座った。
「一つ相談なんだが……俺といや、俺達と共闘しないか?」
「共闘だと?あんたの他には誰がいるのよ?」
「ルナと多分……あいつも加わることになると思うんだが……」
排人は申し訳なさそうな表情でそう言う。
「嫌よ。あんた達のグループと共闘するメリットが見えない」
私はそう言って突っぱねる。
実際、排人達との関係は広く言えば友達くらいにはなるだろうが、決して親友レベルではない。
そんな奴らと命を懸けたこのゲームを共に行動しようなんて無茶な話だ。
それは、排人自身よくわかっていると思うのだが……
「そうか……そう言うと思ったよ」
排人は少しがっくりした様子でそう答えた。
「もうそろそろ、食事の時間だな」
そう言って、排人はゆっくりと立ち上がる。
「蓮花……ここでお前を倒すのは惜しい。お前にはまだまだ暴れてもらわないと困るんだよ。どうせなら他の上位陣もろとも消し飛んでもらえると助かるんだがな。」
「言ってくれるわね……」
「じきに痺れも取れて動けるようになる。じゃあな」
そう言って排人は静かに森の中へと消えて行った。
私は少しして身体が動くようになると、起き上がり目的の場所へと進む。
そこには自然豊かな場所には似合わない金属製の箱が出現していた。
引き出しのようなものがいくつか付いており、引いてみると中には小さな黒い塊が入っている。
これは、デスティニーがいつぞやに作った所謂保存食のようなもので、一つ食べるだけで結構満足感も出る。
私はそれを一つ取って、丸呑みにする。
空腹感が一瞬で吹き飛び、何とも言い難い充足感に包まれる。
「幾つか取っておこう……」
私は上着のポケットに幾つかしまうと、そそくさとその場を後にする。
こんなところで長居は無用だ。
それにしても誰かいるんじゃないかと思って少し警戒していたが、誰もいなかったのは意外だった。
中に入っていた量を考えても、まだ数人しか手を付けていないんじゃないか?
「排人で時間を食ったからもうないんじゃないかと思ってたのに……みんな意外と小食なのかね」
そんなはずないことは私だってわかっている。
遠くからでは確信を持てずにいたが、無数の切り株を見るに、おそらくこれはデスティニーによってわざわざ作られた場所なのだろう。
警戒心もなく、来るにはリスキーに違いない。
私は気にしないけど。
「さてと、目的の物も手に入れたことだし、さっさと退散するか」
そう思って踵を返そうとした時、ふと違和感を覚えた。
誰かに見られているような気配……それも一人じゃない。
私は魔力察知の才能には恵まれなかった。
数mも離れれば、誰の魔力かもわからないほどだ。
そんな私が鍛えたのは、殺気のような気配察知であった。
長年の努力の甲斐もあり、自分に向けられた殺気であれば、数百m圏内までわかるまでになっていた。
とは言っても、それはあくまで集中出来る状況の話だ。
さっきまで空腹に苦しんでいたこともあって、その力も発揮出来ずにいた。
万全な状況でなければ、能力の持ち腐れにしかならない。
何とも使えない能力だと思う。
だから、この状況は非常に危険だと思った。
一人どころか二人以上の誰かに狙われているのだ。
下手な動きを見せるわけにはいかない。
どうする……?
私の中で考えが巡る。
先ほどまでのように能天気に振る舞うか、それとも迎え撃つか……
私の頭ではそれくらいの判断しか出来ない。
幸い、二つの殺気はどちらも同じ方向から発せられている。
だから不自然な動きさえしなければ、戦いは回避出来るかもしれない。
これは賭けだ……緊張のせいかおもわず唾を呑み込む。
ここに来た時と同じように何の警戒心もないように、堂々と歩く。
反応のない方へと……
そして、姿を木々に紛らわせながら素早く逃げ去る。
時間にして僅か数秒の出来事であった――
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私が食事場所から姿を消した後、一人の男が姿を現す。
左肩に魔力を帯びた花を付けた不気味な男……それはYであった。
「やれやれ……やっと何処かに行ってくれたか」
私に向かって殺気を放っていた内の一人は彼である。
理由は簡単だ。
私が何時まで経っても食事場所から立ち去ろうとしないから痺れを切らしたのだ。
「まあ、引っかかる奴は少ないだろうけど……一応っと」
Yは箱からいくつか取り出し、それに向かって、紫色の吐息を吹きかける。
そして何事もなかったかのように元に戻した。
見た目の上では何の変化もないが、これで立派な毒物の完成である。
そして、何事もなかったかのように元に戻すと、私の去って行った方向へと進む。
「蓮花は結構弱ってるみたいだったね……これはチャンスかもね」
Yは私が衰弱してることに気付いていた。
だから、密かに後を追って仕留めてしまおうと思っているようだ。
もし、私が万全な状態だったとしたら彼がこのような手段に出ることは有り得ないだろう。
彼の強さランキングは六位と、かなり高い位置にいる。
しかし、三位である私とは埋めようのない差があるのも事実であった。
故に、今の私を狙うのは非常に有効な手段になる。
Yはそう確信していた。
その時であった――
「うっ!……これは――」
背後からどす黒い感情が渦巻くような寒気がYを襲う。
咄嗟に距離を広げようと立ち上がる……そうしようとするが身体が言うことを聞かない。
それもそのはず、彼の足元はいつの間にか凍り付いていた。
「ははは……こりゃ参ったね。油断も隙もない人だね、霙」
「蓮花を倒せる絶好の機会だと思って油断し過ぎよ、Y……」
Yの背後で立っていたのは霙であった。
しかし、彼女の様子は普段のものとはまるで違っている。
表情は暗く、服も至る所に破れ、汚れが付いている。
彼女の自慢でもある蒼く長い髪はぼさぼさで、黒ずんでいてもはや見る影もない。
「蓮花を……あの女を殺すのは私。誰の邪魔も許さないわ」
霙の感情に影響されるように、周囲の気温は急低下し、凍り付く。
「触らぬ神に祟りなしってね……えい!」
命の危険を感じたのか、Yは躊躇なく自分の足を切り落とし、弾ける様に身を翻す。
「ないよりはましか……リーフ・ヴァイン」
切り落とした足の付け根から植物の蔓が生え、次第に足のように変化する。
Yの能力は老化であり、本来は生物の老化を早めるものである。
しかし、Yはその能力だけでは飽き足らず、植物の力へと応用したのだ。
このことにより彼は、安定した戦闘力を持つことになった。
「便利な技ね……でも、逃がさないわ」
霙はYを見逃す気はなかった。
ここまで彼女は完璧に私を追跡してきた。
しかし、彼のせいで自分の存在を気付かれてしまったのだ。
彼女は用意周到に積み上げてきた計画を邪魔されることを嫌う。
精神が不安定な今の彼女であればなおさらである。
「おっと、待って、待って!もう蓮花には手を出さないって!!」
Yは情けない声でそう叫ぶ。
「うるさい」
霙は聞く耳も持たずにYに向かって氷の刃を振り回す。
霙の能力は氷雪であり、氷を主軸とした戦い方をする。
彼女の放つ冷気は増す一方であり、徐々にYの体力を削って行く。
霙の氷雪とYの植物の力ははっきり言って相性が悪い。
「これは本当にまずいね!リーフ・ブレイド!」
Yも葉の刃を繰り出し、霙に応戦するが力の差は歴然であった。
しかし、そんな状況でも彼はまだ諦めていなかった。
消耗戦が続けば負けるのは必定であるが、ここで無理をしてでも大技を放てば流れが変わると考えていたからだ。
その理由はこの無人島の気候に密接に関わることであった。
この島はおそらく熱帯の島であり、実際彼らの周りに生えているのは熱帯雨林に他ならない。
日も高く昇り、おそらく今日一番の暑さになっているだろう。
ここまで言えばわかるかもしれないが、霙は能力からも察する通り、暑さに弱い。
それも壊滅的なレベルであり、ただその場所にいるだけで魔力を浪費してしまうほどである。
そんな彼女が一時の感情に任せて周りの気温を無理やり下げている。
現状でも相当な負荷がかかっている彼女に大技への対応は出来ない。
Yはある程度霙との距離が開いたことを確認し、地面に向かって手を添える。
すると、彼を中心として巨大な魔性植物が出現した。
まるで口のように開いた花弁に薄紫色の波動がぐんぐんと集まって行く。
凄まじいエネルギー波は妖しく輝きを増しながら、徐々に大きくなる。
「Y……」
霙が気づいた時には、それは半径一mほどの大きさにまで膨張していた。
「死にたくないんでね、僕も」
「……」
霙は何も言わない。
しかし、引くつもりはないようであった。
「食らえ!緑晶月華!!」
十分に力を溜め切った緑色のエネルギー波が、勢いよく霙目がけて放たれる。
少し威力を出し過ぎたかとYは思っていた。
霙が退いてくれれば良い……そのつもりで放ったのだ。
無駄な魔力消費になってしまったのではないかと。
でも、その考えは杞憂に終わる。
「氷晶月華!!!」
霙はノータイムで同レベルの大技を放ったのだから。
「何……!?」
Yは狼狽えつつも、すぐに身体を翻しその場からの退避を試みる。
しかし、一瞬の油断が産んだこの僅かなロスを埋めることは出来ず、霙の技はYの身体の大部分を凍らせる。
「君は……死ぬ気なのか!?」
Yは動揺しながらそう叫ぶ。
それぐらいしか、彼に出来る事はもうなかったのだ。
こうしている内にも彼の身体はみるみる氷に蝕まれていく。
この氷浸食こそ、霙の能力の真骨頂である。
彼女の技自体はさほど威力はない。
しかし、ある一定以上彼女の氷に接触すると、まるで生き物のように身体を蝕み始めるのだ。
「蓮花を殺せるならそれも本望よ」
霙の右腕はいつの間にか鋭い氷の槍へと変わっていた。
このまま放置してもYの絶命は確定的だが、止めを刺すつもりらしい。
それは彼女なりの温情なのかもしれない。
「氷貫槍……先にそっちに行ってて」
「……楽しみに待っておくよ、みぞ――」
勢いよく貫いた氷の槍によって、Yの身体は一瞬で凍結し、細かな氷晶になって砕け散った。
霙はそれを静かに見届け、また私の後を追う。
憎き親友の息の根を止めるために、氷のように感情を閉じ込めて――