魔法使いはそこにいる。
久方はその日夢を見た。
自分に彼女ができて、何故かその彼女を殺す夢。
その翌日、彼女が出来た。
名前は江崎紫苑。シオンだった。
「ねえ、ひーさん。私のこと、普通じゃないって分かってるでしょ」
それが話しかけられたときに彼女が発した言葉だった。
彼は知っていた。翌日の夢でシオンが自分の彼女であったこと。そして、彼女が人の夢の中を移動して、特定の記憶を食べてしまう化け物であることを。
だから、久方は彼女を殺した。それが世界の平穏を守ることに通じると考えて。
「私は今日付けであなたのお目付け役になりました。つまり、監視役ってことかしら。あなたが嫌でも、上が決めたことだからね。ごめんね。その代わりといってはなんだけど、私のこと彼女にしてくれてもいいから」
それがシオンと久方の出会いだったことをここで述べておく。
平凡な人生だと思われた久方の人生だったが、シオンから見れば普通ではなかったらしい。
「君は、人よりも言の葉を発しないでしょう。その分、発した言葉に思いを乗せやすくなっている。それを人は言霊というのよ」
彼女は久方よりも久方を知っていた。
「君の夢に入った瞬間、私は君の夢に巻き込まれた。それは異常事態だった。夢を支配するはずの私が君のシールドに入った瞬間、支配権を奪われたの。必死で脱出を試みたのだけれど。覚えているでしょ」
私は、夢の中であなたに殺された。全部見透かされて、その上で君の論理の上で排除された。
「正直、君の論は極論過ぎるの。誰も目立ってはいけないみたいね。君の中では。出る杭は打たなければならない。それが君の信念のようで。そんなんだから友達がいないのよ」
彼女に言葉に久方はなぜか怒ることはできなかった。彼にとってそれは正論というものだった。言い返せないくらい、あたっていた。
今まで誰も彼にそのようなことは教えなかった。シオンの言葉は彼の心臓に杭をさした。彼の手のひらの杭が自分の心臓を刺して、息が出来ないような錯覚に陥ってしまうかのように。
「どうする。そんな自分にさよならする方法を私が教えてあげるのよ。ひーさん」
彼は小さくうなずいた。
それから彼はシオンと必要程度、行動を共にした。というのも彼女が話すことは久方の興味をそそるようなことばかりだった。
この世に未練を残して死んだ者。それがこの高校の生徒であれば、この世界に平穏をもたらす価値のあるものであれば、よみがえることがあるということ。
その者を魔法使いという。
「魔法使いは一クラスに一人出現する。そして、一部の人間にのみ知覚される。それ以外には秘匿された存在なの」
彼女はその過程で起きた不都合を根絶やしにするのが仕事らしい。
「人には知ってはいけないこと、知っていても黙らなければならないことが多すぎる。傷をつけるような言の葉を忘れさせる。それが私の役目なのよ」
実際には記憶の奥底に沈めるだけだけれど、とも追言した。
「よかったら、今日仕事を一緒に見てみる?」
それはデートのお誘いのようにも聞こえた。
その日の夜、彼は夢の中で彼女と合流した。
「あ、もう少し気を楽にしてね。でないと、私が君の夢に飲み込まれそうだから」
久方はすっと息をはいた。すると、彼女は私に身を任せるようにとだけいい、次の瞬間に久方の意識は別の場所に飛んでいた。
「ここはどこだ」
久方が覚えたての声を出すように言った。
「ここはある少女の意識の中よ。彼女の中では世界は真っ青な海のよう」
そこは七色に光る海だった。足元がひんやりとするが、何故か心地よかった。
日差しは朗らかに。風は包み込むような優しさがあるように思えた。
「ひーさんの意識と違って、この子は非常に安定的なのよ。私も何回か彼女の意識に入った」
シオンはその彼女の名前を述べた。たしか文藝部の部長だった。
「君は彼女に何をするんだ」
「後輩を失った記憶を奥底に埋める」
「その理由は」
「彼女の後輩は『魔法使い』に任命されたから。彼女が死んだ記憶を持っているのは、その後輩には不都合だから」
久方にはその不都合が腑に落ちなかった。
「記憶を持つことは権利ではないのか」
「うん、ひーさんが正しいよ。私が今からやるのは人権侵害」
「君は汚れ仕事をやるんだな」
「そうよ、上は命令するだけ、いつだって傷つくのはされた本人と私だけ」
「止めることはできないのか」
久方はシオンもそれが不本意だということを分かっていて、聞いた。
シオンは何故か笑って言った。
「君は優しいんだと思う」
お前に何が分かるという顔さえしていた。
「それ故に私も優しさを学ばないとね。君から」
彼女は青い海に手をかざした。そして、そこから一枚の貝を取り出した。それを彼女は口にほおばった。しばらくそれを噛んで、砕いて。
その後、「帰ろうか」と言われた。
久方が次に目を覚ますとそこは自室だった。
帰って来た。彼は重い頭を起こした。まだ日が射していない深夜だった。もう一度床に付こうとした時、彼は気が付いた。
――だったらシオンはあの時、自分の夢に潜り、何をしていたのかと。
彼は自室の机の中をあさった。学校でもらったプリント類の山の中に誰かのヒントがあると思った。
誰かが誰かさえ忘れているが、確かにそこにあった痕跡を。
その時、棚の上のノートを床にこぼした。散らばる紙類。開かれたノートの端にこう書かれていた。
『私が死んだら泣いてくれる?』
それは誰かの言葉で。久方にとって唯一の家族のようなものだった。共働きの両親、いつも家には彼女と自分だけだった。
彼女が小学生のとき、勉強を教えたのは自分だった。彼女が中学生の時、彼女に恋人ができた時、ガラに無く反発してしまったのは僕だった。
同じ高校に受かったと聞いて初めに喜んだのは自分で、おめでとうと言ったのは確かな記憶だった。
彼女の病気が発病したのはそのすぐ後だったことも。
久方は全て、それが自分の思い出だと悟った。
「――君は、僕から妹の記憶を消したんだな」
翌日、久方はシオンを問い詰めた。教室で席に座っていた彼女に。
「ごめんねじゃすまないのは分かってるよ」
彼女は全てを悟ってしまった彼の状態にいち早く気が付いた。
「これは私の仕事なの。腹が立つなら殴れば」
彼は彼女の言葉に腹を立てた。
その言葉を鵜呑みにして、思い切り殴った。
誰かが悲鳴を上げた。
その日は久方にとってもシオンにとっても災難だった。クラスでは彼らが別れた話で持ちきりだった。
担任教師は二人を呼び出して、説教した。久方にとってそれは小学生以来の感覚だった。
シオンにとってはどうであるか、
その表情からはつかめなかった。頬に白いシップを張って、どこも見ていないような目でそこにいた。
久方は、シオンにしたことを後悔などしていなかった。
シオンはそうではなかったが。
「話したいことがあるわ」
下校時に久方はシオンにそう告げられた。
「私の失敗なのよ」
二人で坂道を下っていると、シオンが徐に言った。
「私の不手際だから。悔いが残ったの。君の記憶を消そうとして躊躇って。そしたら、君の夢の中に閉じ込められた」
大きなため息をついた。そして、彼女は。
「大嫌いになれればよかったのに」
そして、久方を目をジット見て、「スキでした」
「私は、今まで後悔なんてしなかったのよ。ひーさんのせい。ひーさんの記憶のせいで」
そして、彼女は涙をこぼした。
「君なんかに会わなければよかった」
シオンは頬を撫でて、痛いといった。
久方は「妹は元気か」と問うた。
シオンは答えた。
「うん、大切な人のそばで普通に部活動する女の子だよ」
久方はそうか、としかいえなかった。
その後、ごめんとだけいった。
その夜、久方は夢を見た。妹と久しぶりに図書館に行く夢だった。
夢の中で妹はカバンに収まりきらないほどのハードカバーの本を詰め込んでいた。
そんなの読みきれるのかと聞くと、妹は三日で読めると言い放った。それを聞いて久方は感心した。妹の背を手で軽く叩いた。
最後に病院で触れた妹の背ではなく、元気だったあのころの妹だった。
久方は学校に向かう坂のふもとで、シオンに出会った。まだ、頬には白いシップが張られていた。
「まだ、痛いか」
「朝見たらまだ腫れてた。そっちは良い夢をみれて、いい気分だろうけど」
どうやら、シオンには全てお見通しだったらしい。
人に見られたと思うと、久方は少し恥ずかしくなった。
「照れないでよ」
「誰がそうさせた」
初めて会話が成立したような気がした。
そんな時だった。
「――ねえ、後輩3はどう思う」
久方の横でそういったのは、あの文藝部の部長だった。
もちろん、彼女と面識のない久方は話しかけられたとはおもっていなかった。
しかし、部長が話しかけている方向には誰もいなかった。否、いないように見えた。
それでも、彼女は笑っていた。嬉しそうに後輩なる少女に話しかけていた。
久方はシオンの方を見た。シオンは指で自分の口を指した。
それを見て、久方は追い抜かしていく部長氏の隣の空白にむかって、つぶやいた。「楽しそうだな」
それは誰に向けていった言葉かは分からない。久方には、見えないのだから。
それでも久方は精一杯の笑顔を向けて送った。
この場でそれを見れたものはいたかと言えば、ただ一人。
シオンには見えたのかもしれない。その顔が何よりの証拠だった。くすっと笑って。久方を見た。
「お兄ちゃんの方こそ、だって」