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東の果てのマビノギオン  作者: 秋月つかさ
9/60

初陣


 その日、太陽は真東から昇って、間もなく西の稜線へと沈み込もうとしていた。


  見上げれば空は高く、茜色で、日を追うごとに冴え渡ってゆくのがわかる。この時間になると、もう空は、秋口の澄んだ広がりを見せるようになってきていた。

 

 もっとも空気のほうは、いまだ空の高さとは裏腹に、(のり)のような粘つきを残して、容易に人々の記憶から残暑の厳しさを忘れさせてくれようとはしない。


 京都特有の、三方を山々に囲まれた盆地、という地形スタイルのせいだ。

 

 人気(ひとけ)の無い、さびしい裏路地の一角に、碓井(うすい)由良(ゆら)坂田(さかた)皐月(さつき)、そして(みなもと)鈴子(すずこ)の三人は立っていた。


「遥は遅いな、間に合うのか?」

 

 まだ変声期を迎えていない、高い声が言った。少し不遜さを感じさせる響きは、その澄んだ声音(こわね)には、あまり相応しいとはいえなかった。

 

 碓井(うすい)由良(ゆら)────()れ羽色の、癖のない髪と、その下の白い(かお)が、少年の容貌に、光と陰のような黒白(こくびゃく)の対比を生んでいる。


 (りん)とした顔立ちには、女性も男性も持ちようがない、まさに「少年」という年代特有の、どちらにも染まりきらぬ無垢(むく)な美しさが備わっている。

 

 由良は皐月を一瞥(いちべつ)すると、面倒そうに口を開いた。


「ちゃんと言っておいたんだろうな?同じクラスになったんだろ?」


「言ったわよ!私は、ちゃんと!」

 

  皐月の剣幕に、由良ではなく、鈴子のほうが「びくん!」と身を強張らせた。


「とにかく、もう一度携帯に────あ、来た。あのバカ、やっと来たわ」

 

 走ってくる一人の男子生徒の姿が、他の二人の視界にも入っていた。皐月の、遥を見る吊り目がちの瞳と、固く結んで小さくすぼまった(・・・・・)口元には、明らかな苛立ちが見てとれる。

 

 やって来た遥を含めて、四人とも、学校の制服姿という出立(いでた)ちである。由良のみデザインが多少異なるものの、校章が共通していることから、四人とも同じ学校の高等部、そして初等部であるとわかる。


「遅い!」

 

 皐月が、遥を一喝した。


鬼道(きどう)が開くのは、日没後のはずだろ?だったら、まだ────」

 

 遥は、汗で額に張り付いた前髪を鬱陶(うっとう)し気に(ぬぐ)いのけながら言った。


「三十分前には来るよう、ちゃんと学校で言っておいたはずでしょ?返事したじゃない。したわよね?」

 

 まくし立てながら、皐月は遥に詰め寄っていく。遥は、ばつ(・・)が悪そうに目を逸らした。


「別に、忘れていたわけじゃないんだって。ただ、さ……」


「ただ、何よ?」


「だから、悪かったって。間に合ったんだし、そう怒るなよ」

 

 納得がいかない、というように、皐月は遥に追い討ちの視線を射かけている。


 横から、由良が口をはさんできた。


「皐月はさ、今回、初参加の誰かさんのために、いろいろとレクチャーしてやりたかったらしいよ」


「ちょっ…!」

 

 皐月は顔を真っ赤にしながら、由良を見て、またすぐに遥を見た。長い髪が「しゃら しゃら」と揺れて、湿った空気に甘い香りが混ざる。


「か、勘違いしないでよね!」

 

 するわけないだろ、と、遥はげんなり(・・・・)とした表情で視線を返した。この三週間、自分に、昔の洸さんのことをあれこれ(・・・・)と訊きまくってきた奴に、何を、どう勘違いしろというのか。


「とりあえず、とりあえず遅れた理由とか、言ってごらん?」

 

 めちゃくちゃ動揺している。

 

 この種のことになると、皐月は挙動不審を絵に描いたような状態になる。


 渡辺(わたなべ)(こう)のことを、遥に訊きに来た時もそうだった。何か別の用件にかこつけて、いかにも「ついで」というふうに装うのだが、見ると、顔は耳朶(みみたぶ)まで真っ赤だわ、ちょくちょく声は裏返るわ、呼吸は荒いわ、どもりまくるわ、おまけに何かをつかんだり、また放したりと落ち着かないわで、とにかく大変なことになる。


「いや、ホント、大した理由じゃないんだけどさ」


「うん、ろくな理由じゃないことくらい、わかってるから」

 

  ────くっ、もう、いつもの調子を戻してきた……


「何か言った?」


「いえ、何も」

 

 それきり遥が口を閉ざすと、皐月も同じく口を閉ざした。皐月のその目が、遥のほうからさっさと口を開くよう、無言で促している。

 

  遥は「あー……」と、やる気の無い発声練習のように語尾を伸ばすと、言いたくなさそうに口を開いた。


「知らないうちに、切れていた」

 

 遥の視線が、宙を泳ぐ。


「は?」


「いや、この時計────」

 

 わりと年代物なんだけどさ、と、遥は皐月に自分の腕時計を見せた。秒針は止まっている。


「早い話、いつのまにか電池が切れちゃっててさ」


「はぁ?」

 

 これ見よがしの呆れ顔で、皐月は言った。


 そして他の二人にも同意を求めるように、「聞いた?ねぇ、聞いた?ちょっと!」と、ほとんどはしゃぐ(・・・・)ように騒ぎたてはじめる。


 それが一段落すると、遥のほうへと、得意気に向き直った。


「それってさ、理由になると思ってる?」


「いや、あんまり」


「反省、してないでしょ?」


「…………そんなことはない」


「だいぶ、間が空いたけど?」

 

 顔を合わせれば、何かと角を突き合わせがちな二人である。

 

 毎度おなじみ、といった空気が流れ始め、もう一人の女子生徒、(みなもと)鈴子(すずこ)が、おろおろ(・・・・)しながら助けを求めるかのように、由良を見た。


 由良は別段、特にそれには応じようとはせず、ただ、「我関せず」といった態度で、外灯や、家々の窓に明かりが灯ってゆく様子を眺めている。


 陽は、もう西の山々の向こう側へと、完全に没し切ってしまっていた。


「とにかく、季武(すえたけ)って奴に大体の説明は受けたから」

 

 (つの)を突き合わせつつも、遥の口から「スエタケ」という名前が出ると、皐月は急に不安そうな面持ちになって遥を見た。


「ちょっと待って。季武────さんには、いつ頃、何回くらい会ったの?」


「ええと、こいつを渡された時だから────」

 

 遥は手に持った太刀を、目の高さくらいにまで掲げた。太刀には、古い布が十重(とえ)二十重(はたえ)に巻かれている。皐月、由良も、それと同種のものを手にしてきており、皐月のものは、他の二人に比べて倍以上長い。


「三週間くらい前に、一度だけ」


「その時、『今日』のことについて、何か具体的な説明は受けた?」

 

  今日のことか…と、遥は考える。


 言われてみれば、鬼道が開くこと以外、この日については、季武から何の説明も受けていない。


「頑張りたまえ、とか、期待している、とか、そんくらいかな?」


「ちょっとぉ!」

 

 抗議の声を張り上げながら、皐月は地面を踏み鳴らさんばかりの勢いで、一歩、前へと出た。

 

 ちょうどその時、彼等の頭上で、外灯の明かりがチカチカと点滅をはじめた。

 

 点滅をはじめたのは、何も頭上の外灯だけではなかった。

 

  四人の立つ狭い路地の電柱沿いに、点々と続いているすべての外灯が、そろって不規則に明滅を始めたのだ。そして、すぐに吹き消されたように沈黙する。


 周囲の家々の明かりも、一つ、また一つと吹き消されてゆき、宵闇(よいやみ)の中へと無機質に沈み込んでゆく。

 

 周囲の変化に一早く気付いた由良が、「お」と、小さく声を上げた。


鬼道(きどう)が開きはじめたわ!」

 

 皐月が慌てる。

 

  由良は、すでに自分の「長物(ながもの)」に巻かれている古びた織布を解きはじめていた。

 

 辺りは、たちまちのうちに静寂(しじま)の支配する闇の中へと溶け込んでいく。

 

 深い。

 

 一切の人工の光を失うと、夜は、こんなにも闇の濃さを増すものなのか。


「どう?ちゃんと見えてる?」

 

  長い髪をキュッ(・・・)と結い上げながら、皐月が、今回初めての参加となる遥に確認の声をかけた。


「一応、普通には」

 

 見鬼は、夜目が異常なほど()く。


「それにしても……」

 

 辺りの闇に視線を巡らせながら、遥はある種、感心したように言った。


「これって、確か懐中電灯とか持ってても、役には立たないんだっけ?」


「立たないわ。エネルギー関係は、完全にストップよ」

 

 ガタ ガタ ガタと、遥たち三人の手の中のものが、一斉に音を立てはじめた。


「騒ぎ出した。敵が近い」

 

 由良が、冷静に口にする。落ち着き払った様子が、「経験者」であることを(うかが)わせる。


「来たわ」

 

 自らの声に緊張を込めながら、皐月が裏路地の先────京都市外へと抜けてゆく方向を見た。


「あれか……へぇ…」

 

 見ると、前方から一つ、また一つと、青白く光る人魂(ひとだま)のような物体が近づいてきている。思ったより綺麗で、遥が思わず声を上げた。

 

 大きさは、だいたい(うさぎ)くらいだろうか。ある程度距離が縮まると、それは本当に兎のように、ピョンピョン飛び跳ねながら近づいてきているのがわかった。

 

 だが────


「お、おい……」

 

 遥が、今度は喘ぐように口にする。

 

 押し寄せてくる光の群れは、実に百を超えるほどの大群なのだ。


 一つ一つが、頭のみが異様に大きく、二頭身の、実に不恰好な姿をしている。


 地獄絵図などに見られる、「餓鬼(がき)」の姿にそっくりである。そして額のあたりからは、それとわかる二本の角が突き出ている。角の長さや太さは、どの個体も左右まちまち(・・・・)だ。


「『群れ』で押し寄せてくるタイプだ。例のやり方でいこう」


「そうね。さ、こっち!」

 

  由良に言われて、皐月が(きびす)を返しながら鈴子の手をとる。


「近くに小さな廃材置き場があったと思うから、そこで────」

 

  と、鈴子を連れて、その場を離れる。


「あ…」

 

  鈴子の弱々しい声だけが、夜気の中に、混じるように残った。


「あ、あれ全部を、たった二人だけで相手にするのか?」

 

 遥が、血相を変えた。


「一人が敵を引きつけ、残りが敵を屠る。群れで押し寄せてくるタイプの敵には、このやり方は効率がいい。以前も、これと同じやり方で撃退している」

 

 さらに由良は、とても子供らしいとは言いがたい表情(もの)を、その顔に微笑のように浮かび上がらせた。


「なにしろ、あいつら(・・・・)の狙いは源家のお姫さま、ただ一人なんだ。心配しなくても、僕たちには目もくれやしないさ」

 

 言いながら、自分が手にしている太刀、「薄緑(うすみどり)」を抜き放つ。闇の中、その刀身は妙に(つや)っぽく、浮き上がって見えた。

 

 それって、要するに敵の狙いがあの子だから、それを囮に使うってことか?

 

 遥はそう思ったが、青白い光の奔流は、もう目の前だ。


「くっ……!」

 

 一匹残らず、この場で叩き斬ってしまえば────

 

  それなら、囮もへったくれ(・・・・・)もない!

 

 半ばヤケ気味に、遥も自分の刀剣を鞘走らせた。

 

 ────え……!?

 

  お、重い。

 

 重すぎる。

 

 何だコレは!?

 

 (さや)から抜いた途端、刀の重さが何倍────いや、何十倍にもなった。とても持ってはいられない。

 

 遥は刀の重さに引きずられるように、地面に尻もちをついた。


「じ、尋常じゃないぞ、コレは……」

 

  遥は自分が地面に落とした刀を見て、面喰らったような声を上げた。

 

 季武から手渡された、鬼殺しの剣────童子切(どうじきり)安綱(やすつな)は、「人」の形となって、遥の目の前に横たわっていたのである。

 

 光沢を放つ黒髪が、淡い輪郭に縁取られたような白い裸身の上を、滑るようにうねっている。年齢は、十歳前後だろうか。少女である。太めの眉毛の下の瞳は閉じられ、眠っているように見える。

 

  ────何だよ?何なんだよ、一体⁉︎

 

 驚愕と、何より裸の少女を目の前にしているという奇妙な罪悪感が、いやが上にも遥を戸惑わせる。

 

 そんな中、二人の見鬼と異形の大群とは、激突した。


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