夜陰 ④
静かな夜に、月の光だけが冴え冴えと降り注ぐ。
鬼道が開く夜に「渡辺党」を襲撃した鬼、碓井杜貴也と源二蓉は、車椅子に身を預けている渡辺党、久遠寺当麻の周囲に発生しはじめた、白い、霧のようなものに気が付き、注意深く凝視した。
それは明らかに、あの、一見、無害そうに見える少年が発生させたもののようだった。
────────つまるところ、あの坊やの神力ということなのだろうが……何だ?
訝しむ杜貴也をよそに、白い霧は「煙」のように蠢き、流れ始め、次第に「ある形」をとり始めた。
────────!!
杜貴也が目を剥いたのも無理はない。
白い煙はみるみると濃くなり、やがて、まるで実体さえもともなったかのような、まさに碓井杜貴也と瓜二つの姿形をとったのである。
そっくりの姿をとったとは言っても、杜貴也本人は闇で顔を隠しているため、現し身の方には首から上が付いていない。
それでも、杜貴也の手にある鬼殺しの妖刀「大通連」まで再現しているあたり、本当に「見たまま」を再現する力のようだ。
「念鬼」とでも称するべきであろうか?
久遠寺当麻は神力によって、観察した鬼の複製を造りだすのである。
「あ~あ、こりゃあダメだわ」
つぶやく二蓉の白い頬を、冷や汗が伝う。
造り出された杜貴也の複製が、杜貴也と自分、どちらに向かってくるのかは、わからない。
だが、二人のうち、どちらかが、あのコピーの相手をするとして、残るどちらかは、巨大な念動力を操る渡辺党と、そこに居るようで、そこに居ない奇妙な神力を操る渡辺党の二人を、同時に相手取ることになる。
そんな事をしているうちに、残る車椅子に座っている渡辺党は、自分さえもコピーするだろう。
勝てるわけがない。と、二蓉は早々と結論付けた。
「ということで、僕はこの辺で、退散、退散」
どこまで本心か、二蓉は杜貴也に済まなそうな一瞥を投げると、すぐさま踵を返して、その姿を闇に溶け込ませつつ消えた。
杜貴也にとって、二蓉が途中で自分だけ逃げ出そうとすることなど、最初から織り込み済みである。
それでも、せめて一人くらいは倒してから居なくなれ、という苛立ちは、闇に包まれて窺い知ることなど出来ない杜貴也の表情に、はっきりと浮かんだだろう。
だが、そんな、ある種の余裕など、彼が置かれている状況では許されなかった。
「車椅子の渡辺党」が生み出した自分そっくりの複製が、同じように複製された大通連の刀身をこちらに向けつつ、近づいてくる。
もしかしたら、あのコピーは自分と同じ姿をした者を、本能的に倒そうと動き始めるのかもしれない。
「仲間にも見捨てられて、いいザマだな、鬼め」
明日香が、揶揄するように言った。余裕のなせる技だ。
ジリジリと距離を詰めてくる首の無い剣士も脅威だが、鬼である杜貴也にとって、この、「見えない剣」を振るう目の前の男も、かなり面倒な相手だ。
この若者が、確認できるその場に本当はいないことは、塊磨の殺られ方を見て杜貴也は理解している。
「遠慮せず、全力で来ていいぞ?」
笑いを噛み殺すように余裕を見せる明日香に対して、杜貴也は無言で、数歩、後ずさった。
自分にとっては一撃が致命傷になる顕妙連の斬撃は、警戒せざるを得ない。
だが杜貴也にも、襲撃の日を「この日の夜」に定めたのには、ある理由があるのだ。
「なぜ、我々が鬼道の開く夜を選んで、お前達を襲撃したと思う?渡辺党」
「人目に付かない夜を選んだんだろ?だが、それは、こちらにとっても好都合さ」
「それだけじゃ無いんだよ。神力を持つお前達でさえ、鬼道から湧き出る闇の中は、異質だろうと思ったからさ」
突如、杜貴也とは慎重に距離を置いて対峙していた一樹と当麻の顔を、「目隠し」のように覆ったものがあった。
闇のように真っ黒な──────と言うよりも、「闇」そのものが舞い降りてきたような感覚。
「『闇折り』と言う。鬼道から入り込んでくる闇の、とりわけ濃い部分を折り紙のように折って作る。闇で折られた蝶々(ちょうちょ)が、戦いの当初から君たち渡辺党の周囲を、音も無く回遊していた事には気が付かなかったろう?」
当麻の視界が塞がれたと同時に、当麻の神力によって生み出された「思念の鬼」も、それ自体も道を見失ってしまったかのように、足を止めた。
まるで急に周囲が見えなくなったかのように、おぼつかない足取りでパントマイムのような動きを繰り返している。
当麻は慌てて自分の顔に張り付いた「闇」を引き剥がしにかかるが、当麻の手は厚さ1ミリも無いと思われる闇を突き抜けて、自分の顔の表面を撫でるばかりだ。
触れも出来ないものを、引き剥がす事など出来ない。
「な、何だ、これは……!」
一樹も必死で目の前の闇を引き剥がしにかかるが、手応えが無く、当麻と同様、どうしようも無い。
当麻と同じように、一樹の神力も、視界を塞がれてしまっては、ほとんど封じられたに等しかった。
「さすがと言うべきか、『闇折り』も、居所のわからない君には通じないか。我らが、1000年以上も遅れを取るわけだ」
「おのれ、悪あがきをっ!」
怒りに満ちた咆哮のような斬撃が、杜貴也めがけて振り下ろされる。
わずかな音も、空気の流れさえ鬼の五感には感知させない「見えない攻撃」を杜貴也が大通連によって受けきれたのは、奇跡に等しかった。が、実のところ、それは自らが持つ大通連の、か細い「声」を聞いての事だった。
敵の渡辺党が振るっている顕妙連は、杜貴也の大通連とは姉妹刀である。
どちらも大獄丸という鬼が、はるか昔に打った刀だ。
正気を失って久しい大通連は、懐かしい妹の刀剣に出会えた事を無邪気に喜び、戦いが始まるや否や、盛んに呼びかけていたのだ。
顕妙連の方は煩わしそうに無視を貫いているが、大通連はたちまちのうちに人の姿をとると、顕妙連の剥きだしの刀身を両手でつかみ、抱きつくように抱擁した。
「妙ちゃん!こんな所にいたんだねぇ!」
刃物を抱きしめ、はしゃぐ姿は異様だが、大通連も正体は刃なので傷はつかない。
驚いた顕妙連も、思わず人の姿──────金髪碧眼の、浅黒い肌の少女の姿をとる。
「何だ、おまえ!手を放せ!」
狼狽に表情を引きつらせ、激しく身をよじるが、はしゃぐ大通連には、全く通じない。
「顕妙連!敵の前だぞ!」
明日香が、自らの刀を激しく叱咤する。
だが杜貴也は、すかさず顕妙連の耳元に、ある、聞きなれない言葉を囁いていた。
それは、かつて弥三郎が大通連の人格をリセットするために囁いた、「鬼の言葉」だった。
「あ……」
短い一言を最後に、顕妙連は全身の力が抜けたかのように、表情までも弛緩させた。
「顕妙連!鬼め!何をした!」
狼狽する明日香の悲痛な叫びに向けて、その時、渾身の念動力を放った者がいた。
視界を塞がれ、自らの神力を振るいようも無かった渡辺党、久遠寺一樹である。
目で状況を探れないのであれば、他の、無事な五感で探ればよい。一樹は冷静に、杜貴也に対する反撃の機会をうかがっていたのだ。
不可視の巨大な「力」の塊が、杜貴也と明日香のもとへと伸びてゆく。
標的に向けて放った念動力では無いから、力そのものは、かなり拡散されてしまっている。
それでも一樹の神力は2人のいる場所を広範囲に包み込み、杜貴也の身体中の骨を、衝撃でバラバラにした。
鬼にしか効力を発揮しないという神力の特徴ゆえに、明日香は、まったくの無傷である。
吐血し、崩れ落ちる杜貴也を見下ろしながら、明日香が叫ぶ。
「ここだ一樹!ここにもう一度攻撃すれば、トドメになる!」
一樹が精神を集中し、同じ力が、同じ場所に、もう一度放たれようとした刹那、怒号と共に、立ち上がった者がいた。
いまだ、斬り落とされた左の肩口からおびただしい量の血を滴らせている、九十九塊磨である。
塊磨は、文字通り怒濤のような勢いで杜貴也を抱きかかえると、保護色で周囲の景色に溶け込むや否や、死力を尽くした逃走に移った。
数秒後に川に飛び込む音が聞こえると、一樹と明日香の2人の渡辺党の口から、同時に舌打ちが漏れ出す。
何より致命的だったのは、杜貴也の大通連が顕妙連を抱きしめたままだったため、結果として顕妙連を奪われてしまった事だ。
やがて鬼道が閉じると同時に闇は晴れ、一樹と当麻の視界を奪っていた「闇折り」も消えて無くなった。
が、渡辺党からしてみたら、襲撃してきた鬼を討ち取ることも出来ず、久遠寺家には一本しかない家宝、鬼殺しの剣「顕妙連」まで奪われてしまったのだ。
仲間の仇をとるどころか、散々な結末である。
そして翌朝──────
宇治川の支流の一つに、異様なものが浮かんだ。
体長2メートルはありそうな、巨大なヒキガエルの死骸である。
死骸の左の前脚は付け根付近で斬られたように無くなっており、それは人目につかぬうち、何者かによって素早く回収されていった。




