夜陰 ①
今回のお話に「ハーフ」という言葉が登場しますが、ハーフ(混血)という言葉は、欧米では差別的なニュアンスが含まれるということで、「ハーフ」を「ダブル」と言い換えようという動きが起こっているということを、私は最近知りました。
どれほど、浸透はしていないようですが……
ですが私自身、周囲に「ハーフ」と言われて嫌に感じている人が一人もいないこと、
そして、日本では「ハーフ」という言葉を差別用語として使用している人はほとんどいないであろうという個人的な見解から、作品内では「ハーフ」という言葉を、そのまま用いることにしました。
ご理解のほど、どうか宜しくお願いします(・ω・)ノ
下校時間はとうに過ぎ、校舎に残っているのは、教師を含めても20人もいないだろう。
まだ、夜と言うには早すぎる時間だったが、学校内の窓という窓には夜の紗幕が降りきってしまっており、陽が短くなったということを実感させる。
いま、坂ノ上学院内の教室の一つでは、寒々しい蛍光灯の光に照らされながら、いまだ、数人の生徒が居残っているのだった。
本日より、およそ1ヶ月ぶりに登校してきた坂田皐月は、もしかしたら今日、久しぶりに振るうことになるかもしれない、全長2メートル超えの大薙刀、「骨喰い眞守」の感触を確かめるように、下段、中段、八相といった、薙刀術の、いくつかの基本的な「構え」を試してみている。
その最中、何度か視線を、彼女と同じく、鬼を視る瞳をもつ「見鬼」の仲間である渡辺遥の方へと送るが、当の遥本人は、皐月に対して、朝、気まずそうに挨拶を交わしたのみで、どこか──────と言うより、明らかによそよそしい態度をとり続けている。
ように見える。
そう感じる原因の一つは、アレだ。
皐月の、辟易したような視線の先には、いまだ折れた左腕をギプスで固定している遥の隣に、護衛気取りで寄り添っている渡辺党の一人──────久遠寺一樹がいる。
一樹は皐月の視線に気付くと、会釈気味の微笑を返した。
今日一日の内で、何度も、その礼儀正しい表情と向き合った皐月は、もう気が付いている。
この、実年齢よりはだいぶ大人びて見える、「美青年」といった趣きの一樹が見せる微笑みは、自分と遥との間をへだてる、「壁」なのだと。
この、今日、初めて会った、目の前の久遠寺一樹という生徒は、明らかに敵なのだ。
皐月には、もう、そうとしか思えない。
一樹は、遥に近づこうとする自分を、礼儀正しく妨害しているのだ。
その、甘く、やわらかな微笑みの下で、一樹は皐月のことを「遥に近づく、邪魔な女」と思っている。
──────くっそ~!控え目に言っても、絶対、そうだ。だいたい、渡辺家全体を統べる実質的な当主は、渡辺本家の見鬼、洸さんなんだぞ!
皐月は一樹を睨みすえたまま、眉間にタテジワをきざみ、唇を尖らせる。
兎にも角にも、「渡辺党」が洸ではなく、遥を護衛するように振る舞っているのが、皐月としては気に入らない。
そんな皐月が、今日、初めて会った人物が、もう一人いる。
ずっと学校に来ていなかった、碓井杜貴也だ。
遥と杜貴也が親しいのは、別段、特に気にはならない。
何と言っても、もう一人の仲間の見鬼、碓井由良の実の兄である。
皐月は、卜部季武が亡くなったと聞かされた例の夜に、由良と戦っている。
それも、お互いに自分の家に伝わる家宝、鬼殺しの剣である「薄緑」と「骨喰い眞守」を構え合っての、真剣勝負に近い戦いだった。
その際、皐月は由良に、わりとシャレにならない傷を負わされる事になった。
それでも、その原因は誤解によるものだったし、もう一度由良と会えば、何のわだかまりも無く仲直りできるはずだ。
皐月は、そう信じている。
それなのに──────
久しぶりに登校してきて、皐月の周囲は、自分が想像もしていなかった妙な方向に変わってしまっていた。
「いったい、どうしちゃったのよ、遥……」
短いつぶやきにも、苛立ちが滲み出る。
どうにも我慢がならない、というふうに、皐月は一樹を無視するように、わざと口調を強めて遥の名前を呼んだ。
呼ばれた方は、机に突っ伏したままの姿勢をわずかに起こして、ようやく皐月のほうに顔を向ける始末である。
遥は、これから自分がやらなければならない日課の一つ、姫───────源聯歌の護衛として一緒に帰宅するのが、嫌で嫌でたまらないのだ。
「そろそろ蓮香様の帰宅時間だけど、『所定の場所』に行かなくていいの?」
「まだ、10分ちょっとあるだろ?先行ってくれ」
遥の言い方は、素っ気無い。
その隣で、一樹が微笑を浮かべている。
一樹のことをなるべく見ないようにしながら、皐月は「ちょっと、遥」と、思わず言い返してしまったが、後の言葉が続かない。
どこまでも自分本位で、我が儘で、何かにつけて洸を困らせる聯歌のことは、皐月も好きではない。
だから、遥の気持ちもわかる。
それでも見鬼である以上、役目は果たさなくてはならない。
「……じゃあ、先行くよ?やる気出ないのはわかるけど、絶対、遅れないでよ?わかった?」
遥は舌打ちしかねないほどの表情になって、再び机に突っ伏した。
明らかに避けられていることを自覚した皐月が、不機嫌そうな足取りで教室を出て行く。
それを見届けるようなタイミングで、一樹が、苦笑を滲ませながら、遥を「様」付けで呼んだ。
「遥様も、そろそろ行かれた方が……洸様も皐月様も、私には、どこかも知らされていない『所定の場所』とやらへ向かわれたのですから、あまり遅れて馳せ参じましては、遥様ご自身にとって、この先、少々具合が悪うございましょう」
「……まだ、左腕の使えない僕が行ったところで…」
そんな遥の愚痴を、一樹は、優しく絡め取る。
「童子切安綱は、主人と認められた者ならば、羽根のように軽く扱えると聞き及んでおりますぞ?」
一樹が、また苦笑する。
それは、いわゆる年長者の微笑だった。
聞き分けのない弟に言うことを聞かせるための、長男の微笑。
あるいは、心優しい大人が、未熟な子供に示す類いの、そんな微笑なのだ。
「……悪かった。君たち渡辺党にまで、不快な思いをさせるつもりは無いんだ」
存じておりますとも、と、一樹は、いまだ嫌そうに机に突っ伏したままの遥の肩に、軽く手をかけた。
「不平、不満は、私ども『渡辺党』に、いくらでも当て擦って下さって結構。ですから、今は……」
一樹が言い切る前に遥は頷き、ギプスをしていない方の手で、刀の力を抑え込むと言われる古い布に巻かれた童子切安綱を大儀そうに掴みあげ、歩き始める。
その3歩ほど後を、一樹が追随するように歩きはじめた。
卜部季武亡き今、鬼道の開く位置も、日時も、もはや予測の立てようもない。
そこで、自宅だろうと何だろうと、常に洸が聯歌のそばに寄り添い、学校内や登下校の際は、洸、皐月、遥の3人の見鬼が、直接聯歌を護衛するという力技が採られていた。
もし鬼道が開けばエネルギーというエネルギーはストップするため、車などの移動手段は、いっさい使用しない。
よって、この4人には徒歩での登下校が義務付けられている。
「ふぅ、やれやれ。これで、とりあえずは一安心ってところだね、一樹」
遥が他の見鬼たちと合流するための「場所」へと向かう後ろ姿を見届けてから、久遠寺明日香が、久遠寺当麻が身を預ける車椅子を押しつつ、一樹の前へと進み出てきた。
渡辺党で唯一のハーフ(過去にも、例が無い)であり、一樹とは異母兄弟にあたる明日香の傍らには、鬼が打ったと言われる魔刀、「顕妙連」の化身した姿である、金髪碧眼の少女が、控えるように追従している。
浅黒い肌は、彼女が魔刀として形を成すことになった、遠い異国の雰囲気を見る者に感じさせる。
一樹が頷いて、遥に対応していた時とは比較にならないほど表情を引き締め、口を開く。
「ああ。見鬼の集団の中にいれば、遥様を害しようという奴がいても、まず、手は出せんだろうからな。それにしても……」
一樹の表情が、沈み込む。
言い淀んだまま黙り込んでしまった一樹に代わって、明日香が、察したように口を開いた。
「健斗と聡美は、どうなったのか?」
無言のまま応じる一樹の頷きは、表情ともども、重苦しい。
苦い声で喘ぐように、その表情と同質の声を絞り出す。
「最後に連絡のあった校舎裏の松林でやられたにしても、遺体は勿論、血痕などの痕跡も無かった……」
「……それって、つまり、まだ二人とも無事な可能性もあるってことだよね?」
そう応じる当麻の言葉には、希望的観測と言うには、本人の声自体に、あまりにも縋るような響きが強すぎた。
──────無事か……さすがに、それはどうかな
一樹にも明日香にも、等しく、その思いが強い。
それでも彼等には、鬼相手に自分達が負けるはずが無いという、いまだ強い自負がある。
「もしかして敵は、遥様より、まず俺たちに狙いをしぼって来るんじゃないかな?」
明日香の言葉に、一樹の表情が険しさを増す。
「穢らわしい鬼の視線が、遥様に向くよりはよほど良い。そして、十中八九、奴等が俺達に仕掛けてくるとしたら、鬼道の開いた夜だろう。二人とも、覚悟しておけ。次に鬼道が開く時は、逆に、俺達にとっても迎撃の好機だぞ?」
明日香も当麻も、強い頷きを返す。
「鬼どもめ……見ていろ」
一樹は、憎悪と決意を込めて唇を噛み締めた。
まさか、その数十分後にその「好機」がやって来るなど、彼も、そして、他の二人の渡辺党も、想像すらしていなかった。
 




