寒風、吹く
冬が近づきつつあった。
坂ノ上学園に程近い公園は、まもなく夕刻を迎えようとしている。
陽の傾きはじめた公園は人影もまばらで、季節は、冬至に向かうにつれて確実に移ろいを見せはじめていた。
陽は追うごとに短くなり、風は寒風となって、家路を辿る人々の足を速め、吐く息を白くする。
ヒュルルルという音の冷たさに縮こまるように、公園の木々の葉はハラハラと舞い落ち、舞い落ち続け、やがてカサカサと音を立てながら、人気の無くなった公園の隅にかたまって、身を寄せ合う。
結局、この日一日、たれ込める厚い雲はとれること無く、終始暗いまま、やっとその日一日の終わりに一息つくかのように、外灯をポツポツと灯し始めるのだった。
「それにしても、相変わらず当たらねぇな。天気予報ってのは」
つぶやきを放ったのは、公園のベンチの上でうずくまる、一匹のヒキガエルだった。
低いダミ声で、他にもブツクサ漏らしながら、まるで自分の居場所をつくろうとでもするかのように、ベンチの上に堆積している枯れ葉をどかしはじめる。
そのかたわらに腰掛けている、私立坂ノ上学園の制服に身を包んだ男子生徒──────碓井杜貴也は、どこかユーモラスなその様子を、苦笑をうかべながら隣で見ている。
杜貴也の視線が気に入らないとでも言いたげに、ヒキガエルが、威嚇気味に身体をぷっくりと膨らませた。
「天気予報は、あくまで『予報』ってことさ、塊磨。絶対当たるなら、それは予報ではなく、予定だ」
そんな杜貴也の返しを聞き流すように、カエルはベンチの下へと跳び下りた。そして、地面に溜まった落ち葉の中に身を埋めるようにしながら、再びうずくまってキョロキョロと目を動かす。
「カエルが喋っているようにしか見えねぇ『腹話術』は大したもんだが、相変わらず、演出過剰な奴だな、アンタ」
杜貴也とヒキガエルの前に現れたのは、外見上は、20代前半とおぼしき青年だった。
「来たか」と応じる杜貴也に軽く手を上げて、短い挨拶を交わす。
「塊磨の旦那は、相変わらず俺を警戒してんのかなぁ?保護色使って、その辺に潜んでるのはわかってんだけど……」
あたりを、キョロキョロと窺う。
「ま、姿を現されても困るか。カエルと結縁を結んだオッサンのオールヌードなんて、金もらったって見たくは無ぇしな」
やって来た男は杜貴也と自分との間にヒキガエルを挟む形で、ベンチに静かに腰を下ろした。ヒキガエルは実に居心地悪そうに、うずくまって目を閉じる。
やって来た青年は、これから遠いところに旅行にでも出るのか、あるいは逆に、長旅から帰ってきたのか、そのくらい大きなトランクを引いている。
革製の、年代物だ。
青年の名は、源二蓉。
源家を取り仕切る当主だった源一の弟であり、鬼と化して青年の姿に若返り、渡辺洸と巴アキオに退治された源弥三郎の兄である。
当然、実年齢は70歳を過ぎているはずで、それが若者の姿をしているということは、彼もまた、鬼なのだ。
「ところで、お前に心酔していた、あの升上とかいう学生はどうした?こういう時は、必ずお前に付いてきていただろう?」
二蓉が、喋べりながら、自分の傍に置いた大きな古いトランクを、愛おしげに撫でる。
杜貴也と、二蓉。
こうして並ぶと、嫌が上にも、人目を引いてしまう容姿の二人である。
少々、我の強い性格が外見に滲み出ている感はあるものの、品格を感じさせる貴公子風の容貌をもつ碓井杜貴也と、髪も肌も真っ白で、やや大きめの、切れ長の瞳だけが紅玉のように赤い二蓉。
彼は体の中に色素をもたないアルビノで、源家では、一人の人間として正当に扱われていたとは言えない。
それ故であろうか?
二蓉本人は美しい外見を持ちながらも、自分のことを「異相」と信じ、若返った現在も、それをコンプレックスとしているような言動を、事あるごとに垣間見せている。
杜貴也は、実のところ彼こそが、渡辺党や見鬼たちよりも、よほど自分にとって危険な存在なのではないかと警戒している。
少し前まで源家を取り仕切っていた源一と、源弥三郎。
この、決定的に破滅した二人の間に、名前に「数字の二」を持つ誰かがいるのではないか、という思いは、杜貴也が源家に抱く、昔からの疑問の一つでもあった。
その「誰か」が、杜貴也と塊磨に、あの、頼光四天王を開祖にもつ四つの家の一角、卜部家の当主、卜部季武が亡くなることになる夜に、源の本家が直接、「鬼道」からやって来る鬼の襲撃を受けると教えたのだ。
だが、それでは、自分と塊磨に、その事実を教えた二蓉を、自由にしたのは誰か?
自分が小学生の頃、幼い弟の由良の手を引いて、広大な源家で迷子になった時に偶然見てしまった「座敷牢の囚人」は、色というものを持たない、白い人間だった。
あれが二蓉だったとしたら、彼を自由にした者がいるはずなのだ。
「……」
「ずいぶんと怖い顔で睨むなぁ。わかったよ、余計なことは聞かない。それより、健全な話をしよう。健全な、襲撃の話をね」
肩をすくめる二蓉に、杜貴也が、さり気なさを装った鋭い一瞥を投げる。
杜貴也としては、残っている渡辺党(久遠寺家)の数が三人でさえなければ、塊磨と二人で残りの渡辺党を片付けたいところなのだ。
だが学校内で観察を続けた限りでは、残った三人は、そう簡単に倒せる相手ではない。
直感が、そう告げている。
二人やられて、油断らしきものもまるで無い、というのも大きい。
不思議なほど沸き起こってくる苛立ちを抑えながら、杜貴也は口を開く。
「承知の通り、なぜか源頼光と、その子孫たちは、複数の時代にまたがり、不思議なほど人外の存在との戦いを繰り返している……」
「まぁね。我が家にとって、渡辺家も碓井家も、坂田、卜部にいたるまで、最初の『酒呑童子率いる75鬼の討伐』以来の関係だ」
「渡辺家のみ、それに際して『渡辺党』なる特殊な武装集団を組織し、手足として使っていたわけだが、渡辺遥の話では、それが現代までの過程において、二派に分かれた」
「へぇ……まぁ、不思議なことでは無いよね。茶道で知られる千家だって、その過程で表千家、裏千家、武者小路千家と、三派に分裂しちゃったわけだし」
「今、坂ノ上学院に来ているのは、二派のうちの片方、久遠時家。最初は五人いたが二人減って、今は三人になっている」
「つまり渡辺党の、もう片方が合流して『敵』の戦力が増強される前に、久遠時の残り三人を叩いてしまおうと……そういうわけか?」
二蓉の問いに対し、杜貴也は無言で首肯した。
「まったく、襲撃だというから来てみればなぁ」
二蓉は、じつに迷惑そうな渋面をつくった。
杜貴也も塊磨も、その所作を等しく演技くさいと思ったが、特に口は差しはさまない。
「相手は食物連鎖で言えば、僕たちの上に立つ、言わば天敵じゃないか」
二蓉は身振り手振りも加えて、「やれやれ」とばかりに天を仰ぎ見た。
が、表面でどのような態度をとろうと、杜貴也は、二蓉がこの襲撃に加わることに疑いを抱いていない。
飄々(ひょうひょう)とした態度を装ってはいるが、源二蓉という男の根底には、生命への激しい憎悪がある。
それは彼の生い立ちと無関係ではないのだろうが、だからこそ、二蓉は遺伝子に感染するという「鬼ウイルス」を使って、生命を弄ぶような実験を繰り返しているのだ。
それは杜貴也と塊磨には、とっくに既知の事実であった。
やがて二蓉から、否定ではない短い返事が返ってきた。
二蓉自身、天敵を討ち取りたいのか、あるいは、どちらに転んでもよいと思っているのか……。
杜貴也にとって二蓉は、塊磨と違って底の知れない人物なのである。
「それにしても、あの夜は愉快だったなぁ!なぁ?二人とも」
二蓉が突然、陽気な声で言った。
若い外見とは裏腹に、中身は老人と知っている杜貴也と塊磨は、内心でゾッとする。
二蓉の言う「あの夜」とは、源家が鬼の襲撃を受け、自分達に鬼のウイルスが入り込んだ、『あの夜』の事である。
ここに居る三人が共に過ごした夜など、『あの夜』しかない。
「弥三郎は鬼になったけど無様に死んで、一兄さんは頭がおかしくなってしまって、僕とは反対に座敷牢行きだ。気の毒な源家は、ずっと『家の恥』だと言って幽閉してきた僕を、最後は後継者として立てざるを得なくなるんじゃないかな」
二蓉は笑った。
夕暮れの公園に、風にのって枯れ葉がカサカサと舞った。




