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東の果てのマビノギオン  作者: 秋月つかさ
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誰も知らない出来事


 視界は見渡すかぎりの霧に(おお)われ、容易に見通しはききそうもなかった。


 自分の両足は、確かに大地を踏みしめて立っているのに、視界をめぐらせるたびに、軽い眩暈(めまい)に襲われる。


 そんな、深くて白い濃霧のただ中に、(みなもと)家の長女、(みなもと)憐華(れんか)(たたず)んでいた。


 源鈴子(すずこ)の実の姉であり、見鬼(けんき)たちが守るべき「本当の姫」である彼女には、ここが、今、自分が見ている夢の中だと自覚している。


「それにしても、本当に見通しがきかんな」


 そう(つぶや)いて何歩か歩くと、目の前に、何者かが立っていることに気が付いた。


 濃霧の中、その姿はハッキリと見える。


 直感的に男だという事はわかったが、その顔は面に覆われているため、見る事はかなわない。


 鬼の面だ。


不躾(ぶしつけ)ながら、夢の中へとお邪魔させていただきました。姫」


「すぐに出て行け、と言いたいところじゃが、入られてしまった以上、用が済むまで、こちらの言う事など聞く気はあるまい。用件はなんじゃ?」


「特には」


「何? 」


「強いて挙げるのならば、これから殺す相手のことを、少しは知っておこうと思いまして」


「殺す? 鬼が? 私をか? 」


 姫──────源憐華(れんか)の声には、私は、お前たちの姫なのだぞ? という響きが、露骨なほど言外(げんがい)(にじ)み出ている。


貴女(あなた)さえ、いなくなればいいんですよ。私は鬼と人との間に立つ者として、この呪いを断ち切りたいのです。そうする事で救われる者が、この国には何千……いや、何万人といるでしょう」


「……やはりお前は、あの時(・・・)に生まれた「混じり者(人鬼(じんき))」の一人か。それにしても、『人』としての人格が、こうもはっきり残っているとはの。弥三郎(やさぶろう)は、極めて鬼よりの考え方で行動していたというのにのう」


「…………」


「貴様の場合、どうやら()われたのは鬼のほうか? 鬼に『入り込まれた者』と、『入り込ませた者』との違いが、このような形であらわれるのか?興味深いの」


「危ない、危ない。これ以上あなたと相対していると、知られてしまうのは、こちらだけになりそうだ。それではこれにて、そろそろお(いとま)いたします。次に会う時までに、覚悟だけは済ませておいて下さい。それでは──────」


 鬼は霧の奥へと遠ざかり、影絵のようになって、やがて消えた。


 そして──────朝が来た。




杜貴也(ときや)さん、何だって、例の『源家の姫君』に、ちょっかいなんてかけたんですか!」


 升上(ますがみ)圭介(けいすけ)が、怒涛のような剣幕で杜貴也に詰め寄ってきた。


 困惑に我を忘れて、といった感じだが、それは半ば以上、杜貴也に対する非難の響きを覆い隠そうとする、意識された演技によるものだ。


 それを敏感に感じ取った杜貴也は、一瞬嫌そうな顔をしたが、升上の方に向き直る時には、器用に、その表情を消している。


「ああ。(はるか)が毛虫のように嫌っているから、どんな奴かと思ってな。今朝、夢の中に、ちょいとお邪魔してやった」


 升上は少し大きく息を飲むと、躊躇(ためら)いがちに口を開く。


「……軽率すぎませんか。まだ、こっちの態勢だって整ってはいないのに…」


 碓井(うすい)杜貴也(ときや)升上(ますがみ)圭介(けいすけ)の二人がいるのは、坂ノ上(さかのうえ)学院(がくいん)(ひがし)校舎の二階にある、理科準備室である。


 そこは廊下の、いちばん奥の突き当たりにあるということもあり、授業に使う場合でもない限り、まず人は来ない。


 二人は、普段は坂ノ上学院の(りょう)で生活しているのだが、一時限目の授業開始までの数十分を、この、人目(ひとめ)に付きにくい理科準備室で過ごすのが、いつの間にか、自然と二人に身についていった日課のようになっていた。


 窓の一つからは、登校中の、生徒たちの列が見える。


 その中に、偶然、登校途中の渡辺(わたなべ)(はるか)の姿を見つけたわけではなかったが、升上は不愉快そうに、視線を室内へと戻した。


 実のところ升上は、杜貴也が、自分達の最大の敵の一人と言ってもいい渡辺遥に、妙に心を許していることが気に入らなかった。


 その遥を仲間に引き込むと決めてからは、すぐにでも遥に例の「鬼の素」を飲ませて、こちらの手先として、見鬼たちの動向を探らせる計画だったのだ。


「そう心配するな升上。こちらの正体を気取られるようなドジは踏んではいない」


 杜貴也を見返す升上の表情は、到底(とうてい)、その言葉で納得したとは言い難いものだった。


「…………前から()こうと思っていたんですが、杜貴也さん」


「うん?」


「あなた、本当にアレ(・・)を、渡辺遥に飲ませる気があるんですか?」


 升上が、理科準備のスチール棚の一つを指さす。


 そこには、小さなペットボトルに入った水の中でスヤスヤと眠りにつくような、淡い光に包まれたキューピー人形のような小鬼の姿がある。


 この「鬼の素」は水の中に入れてしまうと、水面が境界となって外には出られない。


 鬼になった二人には、鬼と化した瞬間から、当然のように頭に入っている知識だ。


「……考えてもみろ、升上。遥には、コレ(・・)が見えるのだぞ?事は、そう簡単に運ばないことくらい、わかるだろう」


「それは、本当に本当の理由っすか?」


 升上の声は不満気で、不貞腐(ふてくさ)れているようにすら感じる。


「……何が言いたい?」


「杜貴也さんがやり辛いってんなら、俺が代わりにやってもいいって話っすよ。どっちにしたって、奴の左腕が癒える前に、行動に移すべきでしょ?」


「…………それこそ、尚早(しょうそう)な考えではないのか升上。遥の周りには、あの、相変わらず護衛気取りの渡辺党(わたなべとう)(はべ)っている。今になって、急に遥に近付いてくる者には警戒するだろう。わかっているのだろうな?」


「心配いらないっすよ。例え奴が例の『童子切(どうじきり)安綱(やすつな)』を佩刀(はいとう)していたって、手負いの今なら…」


 升上は視線を移し、小鬼の入ったペットボトルを手に取ろうと、スチール棚に手を伸ばした。


「それよりも、奴が持っている童子切安綱を俺の物にしていいっていう約束、忘れないで下さいよ?」


 杜貴也のほうへと振り返った瞬間、升上はギョッとして、手にした鬼の素を床に落とした。


 ボタンという鈍い音がして、ペットボトルが小さく床上で弾む。


 中の鬼は驚いたような、また、(おど)けたようなコミカルな仕草を見せた。


「杜、杜貴也さん……」


「やはりダメだ」


 杜貴也の貴公子のような美貌が、けわしく歪んでいる。


 その手には、どこから取り出したのか妖刀「大通連(だいつうれん)」が握られ、杜貴也の双瞳は、凄まじいばかりの赤光に光り輝いている。


「う…う……」


 呻く升上は、もう気付いている。


 自分の身が、まるで金縛りにあったように動かないことを。


 これは、つい先日、自分が「神力(しんりょく)」と呼ばれる一種の超能力を操る鬼殺し集団、「渡辺党」から受けた攻撃と、全く同じものだ。


 このままでは呼吸も出来ず、やがては心臓も動くのを止めてしまう。


 だが、なぜ杜貴也が、敵である渡辺党の力を使えるのか?そして、なぜ自分に対して使ってくるのか。


 升上の脳裏には、渡辺遥の、見鬼(けんき)特有と言われる中性的な、少女めく(かお)がよぎった。


「渡辺党の二人を倒した時、この刀が人の姿をとって、二人の死体を食べ始めたのを覚えているか?」


 杜貴也の言葉に頷きを返そうにも、升上の体は、もはや指一本動かすことは出来ない。


 妖刀「大通連」は、確かにあの時、おもむろに人の姿をとり、狂女のように(うつ)ろな目をして、二人の渡辺党の遺体を(むさぼ)りはじめたのだ。


 そもそも大通連は一度、鬼と化した(みなもと)弥三郎(やさぶろう)の手に渡った時に、「人格」をリセットされている。


 それ以来、人の姿をとる時、その様子は、常に心神喪失状態というか、空っぽの幽女のごとき有り様だった。


 その大通連が、足下に転がる渡辺党の二つの遺体をじっと(・・・)見下ろしていたと思ったら、急に、その場にしゃがみ込み、その遺体をガツガツと食べ始めたのだ。


 さすがに杜貴也と升上の二人も驚き、その光景を、ただただ、息を呑んで見守るしかなかった。


「升上、お前はその時、単純に死体処理が出来たと喜んでいたが、こいつ(・・・)がやった事は、そんな程度のものではなかったのさ。この刀は、カラッポになった自分の(なか)を満たそうとでもするかのように、渡辺党が持つ「異能」ごと、奴らを喰ったのだ。そして、この大通連を握る者は、それを使うことが出来る……」


 いまや、呼吸も鼓動も弱くなりはじめ、息も絶え絶えの升上には、杜貴也の声は、遠くから聞こえてくる木霊のように弱々しく、朦朧(もうろう)としている。


「だからな…お前は、もういらん(・・・)


 大通連が、升上の心臓を貫く。


 杜貴也の口元に、酷薄な笑みが浮かび上がる。


「升上……お前が渡辺遥のことをそこまで嫌わなければ、少しは俺も、お前のことを好きでいられたのだぞ?」


「杜貴也さん、あんた……魅せられちまってますよ…渡辺遥に…」


 その言葉は升上圭介の最後の力を振り絞ってのものだったが、杜貴也にしてみたら一顧(いっこ)の価値すらも無かった。


「私の手駒は、お前以外にも何人かいる。だが、この学院の学生は、お前だけだった……その点では、お前は確かに重宝だった。それは事実だぞ」


 殺された升上には慰めにすらならない事を、手向けのような口調で杜貴也は言った。


 そして、床の上に転がっているペットボトルの「鬼」を拾い上げると、「これも、今さら用済みだな」と、鼻で(わら)うようにつぶやく。


「そうだ、この理科準備室の骨格標本には、一体だけ本物の人骨が混じっていると聞いたことがあったな…」


 杜貴也が周囲を見回すと、一体の骨格標本が目に止まった。


「これがそう(・・)とは限らんが、どうせ、この先、いくらでも手に入るものだ」


 ものは試しとばかりに、杜貴也は標本の頭蓋骨の下顎(したあご)を下げると、ペットボトルの蓋を開け、その中身を人骨の口の中へと流し込みはじめた。


 当然だが、人骨の足元は水浸しである。


 我ながら、何をやっているのかという笑みを、穏やかな春の陽炎のように浮かべると、杜貴也は特に何の感慨(かんがい)も抱かずに、升上の死体を大通連に「処理」させた。


 その後で、改めて骨格標本を見るが、やはり、何の変化も無い。


「……駄目か。『鬼の素』が、この骨格の生前の姿を(よみがえ)らせれば、面白いと思ったのだがな。さて、そろそろ授業が始まるか」


 杜貴也が出て行くと、室内は時が止まったかのような静寂に満たされた。


 数分後、遠くから授業開始を告げ知らせる(ベル)が、誰もいない室内に、小さな呼び声のように聴こえてきた。




 *    *    *    *



 その日の夜──────


 理科準備で、一つの異変が起きようとしていた。


 窓から月の光が射し込むと、昼間、杜貴也に「鬼の素」を注ぎ込まれた骨格標本は、月光に反射するような形で、立体映像(ホログラム)のような不完全な実体化を果たしていたのだ。


 見た目の年齢は、ここに在籍している生徒達と変わらないように見える。


 女の子だ。


 チカチカと明滅するような半実体化を繰り返す女の子は、もっと月の光を求めようとするかのように、セミロングの髪を揺らしながら、(つたな)い足どりを窓際へと進める。


 月の光に映し出されるように、少女の裸身が、より鮮明になっていった。


 窓を開けてみる。


 夜風と共に一匹の猫が入ってきて、ニャアと鳴いた。


「お前、どこから来たの?」


 女の子の問いかけに、猫は首を傾げる。


「私は自分が、どこの誰かもわからない……。私、どうしてここにいるの?」


 猫は逃げずに、自分に問いかけてくる女の子の(かたわ)らに寄り添う。


 月を見ながら、一人と一匹は窓辺に並んだ。


 女の子は、何だか、ちょっと嬉しくなった。


「うふふ、今夜は私と、生きることと死ぬことの尊厳 などについて、語り明かしましょうか?」


 夜風が夜気を運んできて、静かな音楽のように、夜の理科準備室を優しく満たしはじめた。



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