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東の果てのマビノギオン  作者: 秋月つかさ
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故郷の音色

 

 薄目を開けた遥の瞳に、もうかなり高くなった夏の陽光(ひかり)が飛び込んできた。


「ごめん、起こしちゃった?」

 

 妙に、自分に近い位置から声がする。


「……」


「おでこ、痛い?」


「う~……」

 

 寝ぼけた声を出しながら、意識の(もや)をかき分けるように、ゆっくりと自分の額に手を伸ばしてゆく。


 何でかはわからないが、包帯の感触が指先に触れた。


「……」

 

 重く閉ざされた目をこすりながら、遥は上体を起こした。


 傍らで、先ほどから聞こえ続けている声が、優しく「おはよう」と言った。

 

  ほんの僅かに癖っ毛の少女が、遥の顔を覗き込むように見ている。

 

 長かった髪の毛が短くなってはいるが、よく知っている顔だ。くりくりとした、好奇心の強そうな目が、二度ほど忙しく瞬きをした。

 

  遥とは、一学年下にあたる渡辺の本家(ほんけ)の一人娘、渡辺(わたなべ)(むすび)である。


「ほんとに、大丈夫?」


「────?何が?」


「だって遥ちゃん、昨日、道で倒れているところを、(うち)まで運ばれてきたんじゃない」


「倒れてた?……僕が?」


「うん────覚えてないの?」

 

 いまだに夢の中にいるような受け答えをする遥に対して、声は、いっそう心配そうな響きを帯びた。


「昨日のこと────」

 

 どうも、記憶が曖昧である。


 一つ目の、巨大な化物が出てくる夢を見たような気がする。


 そして、自分と同い年くらいの二人の女生徒と、小学校高学年くらいの少年。髪の長いほうの女生徒と、黒白(こくびゃく)の美少年タイプの少年のほうは、長い、竿のようなものを持っていた。

 

 ような気がする……。


「まったく、あんまり心配かけさせないでよね」

 

  やれやれ、といった感じの、しみじみとした口調だった。


「とにかく、お帰りなさい」

 

 そう言って、渡辺結は過剰なくらいの笑顔で、何年かぶりで自分の従兄弟のことを迎え入れた。


「……ただいま。ところでさ」


「何?」


「その『遥ちゃん』ってのさ、いい加減でやめない?」


「なんで?別にいいじゃん」

 

  遥ちゃんは、遥ちゃんでしょ?と、ショートカットの少女は笑って答えた。眉に触れるか、触れないかの微妙な長さで切りそろえられた前髪が、はしゃぐように揺れている。

 

 諦めたように、遥は深くて長い溜め息をついた。何度言っても、この従兄弟は子供の頃から、この呼び方をやめてはくれないのだ。


「それにしても────」


「え?」


「いや、また随分と、思い切ったなって思ってさ」


「……?」


「髪」


「あ、これ?」

 

 ちょっと前にね、バッサリ、切ったの。


 と、微笑みながら、結は自分の指を(はさみ)に見立てて、文字通りバッサリと、髪の毛を切る真似をしてみせた。


「でも、こんなことなら切るんじゃなかったかな……何だか少し、男の子みたいでしょ?」

 

  結は、一人恥ずかしそうに、鼻の頭をすりすり(・・・・)と掻いた。


「そうだ、遥ちゃん、お腹すいてるでしょ?」

 

 照れくさそうに笑って、結はそそくさと立ち上がった。


「朝ご飯、とっておいてあるんだよ!」

 

 張り上げるような声も、どこか必死で、ぎこちない。髪を切ったと言われることは、そんなにも、言われて恥ずかしいことなんだろうか……。


 そのへんの心理は、遥には、よくわからない。


  結は、足早に廊下の奥の台所へと姿を消した。

 

  ────もう、お昼近いのか……

 

  見るとは無しに、部屋の壁にかけてある柱時計が目についた。二つの針が、あと10分ほどで重なろうとしている。


「ねぇ、遥ちゃん起きられる?ご飯、そっちへ持って行こうか?」

 

  長い廊下を渡って、結の声が聞こえてくる。

 

 いくらなんでも、そこまで従兄弟に甘えるわけにはいかない。呼び鈴(チャイム)が二度鳴ったのは、遥が布団から出ようとした、ちょうどその時だった。


「誰だろ?ちょっとゴメンね」

 

 玄関へと小走りに向かいがてら、結が(ふすま)と襖の間から、ちょこんと顔だけを出して言った。


 スリッパの音が、パタパタと遠ざかってゆく。


 ただっ広い畳敷きの部屋が、しん(・・)と静まり返った。

 

 渡辺家は、旧家である。

 

  旧家の家は平屋(ひらや)が多く、ここ渡辺家も、(ふる)くて大きな平屋である。

 

  ────伯父さんと伯母さんは、相変わらず留守なのか……

 

 本家のお屋敷、と言えば聞こえはいいが、国内外の、あちらこちらに豪奢な別邸をいくつも持っている渡辺家では、旧い本邸は、あまり見向きはされない。そのうえ使用人たちの多くは、伯父さんや伯母さんの逗留先に付いていってしまうため、昔から、この家は閑散としていることが多かった。

 

  ────(こう)さんも、いないんだろうか……?


「あの、ね、遥ちゃん、今、卜部(うらべ)季武(すえたけ)って人が……」

 

  再びパタパタと音がして、玄関先から戻ってきた結が言った。


 卜部季武、といえば、遥をここへと呼び寄せた張本人の名である。


「遥ちゃんと会って、色々、お話がしたいそうなの。今、家の前に迎えの車が来てるんだけど……どうする?」

 

 遥の怪我の具合を気遣うように、「断ってこようか?」と、結は視線を玄関口へと向けた。

 

  だが、卜部季武なる人物には、遥自身にも色々と()きたいこと、そして言いたいことが山ほどある。


 なにしろ、この名前の差出人から手紙が届いた翌日、遥は、父親に強引に独逸(ドイツ)学校(ギムナジウム)を中退させられ、ほとんど押送の態で、ここへと送られてきたのだから。


「いや、ぜひ会って、話がしたい」

 

  遥の口調は、言葉自体の内容とは裏腹に、嫌そうだった。


「『ういろう』の事とか、問い詰めたいことだってあるし」

 

 枕元に置いてあるボストンバッグに、細めた視線を投げかける。


「ういろう?」

 

 結は、そう言いながら小首を傾げた。まるで、その名を聞くのが初めてでもあるかのような顔だ。

 

  部屋の大きな柱時計が、旧家に相応しい重い音色で、ゆっくりと十二時の鐘を打ち始めた。


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