明日へ……
見開かれた遥の目と、すべてを納得し、受け入れたかのような人鬼の男の、穏やかな目が一瞬だけ交差する。
長大な薙刀、骨喰眞守を両手で抱えるように手に持った源家の姫君が、勝利の凱歌を挙げるように誇らし気な笑みを浮かべている。
この中庭の、どこかに落ちていたのを拾ってきたらしい。
鬼は、彼女にだけは攻撃してこない。だから、この状況では彼女だけは、文字通りの無敵なのだ。
姫君に連れ回されていたらしい鈴子が、青い顔でガクガクと両脚を震わせている。人鬼の首が落ちるところを、まともに見てしまったのだ。
惚けたような遥の視界の先で、わずかに何かが動いている。
それが、倒れている卜部季武だとわかると、遥は慌てて駆け寄った。
「季武さん⁉︎」
「やぁ……遥くん、無事で何より」
半分、血だまりの中に沈み込んでいるような季武の身体は、右腕が、肩ごと引き千切られたように無くなっていた。止血しようにも、一見しただけで、そういうレベルの傷ではないことは明らかだった。
「待っててください、今、誰か呼んできますから!」
「やめろ!無用だ!」
思いのほか大きな声で叫ばれて、今、まさに走り出そうとしていた遥は、驚いて季武のほうを振り返った。
「いいんだって……こうなるよう仕組んだのは、他の誰でもない、自分自身なんですから……」
「でも……」
「それに、どの道これでは、もう、助からないだろ……」
もはや、透き通るほどに血の気の失った顔で、季武は力無く笑った。
「…………」
「母は……」
「え?」
「流産、だったんだ……」
「……」
「見鬼かもしれなかった子を流してしまった母を、父は口汚く、考えつく限りの言葉で詰っていた……母は……もう、どこにいても身の置き場が無くなっていた……」
季武の息が、見る間に荒くなってゆく。どうやら、その目は、もう何も映してはいないようだった。
「季武さん……」
「あいつらのことが、どうしても許せなかった……」
「だからって、こんな……」
遥の視界が急速にぼやけ、ぽろぽろと、透明な滴が落ちた。
折れていないほうの腕で、こっそりと、それを拭う。
結と、そして本当の「姫君」の二人が、こちらに気が付いて駆け寄ってくる。
周囲は死体がゴロゴロしているが、混乱自体は、ほとんど収束に向かっていた。
「……どうやら、これで本当に私の勝ちだな、卜占屋」
「姫」は淡々と口にしたが、そこには、ため息のようなものも含まれていた。
「どうでしょう…ね…」
季武の意識は、ほとんど消えかけているようだった。それでも、その唇からは、充分に聞き取れるだけの言葉が流れた。
「源家は、これで事実上、壊滅じゃないですか……これから大変ですよ…あなた方は……」
それが、卜部季武の最後の言葉となった。
これで、源、渡辺、坂田、碓井、卜部の五つの家のうち、卜部家という重要な一角が崩れ去ったことになる。
鬼道は、これからも時と場所を選ばずに開き続けていくのだろうが、その日時と場所を予め特定することは、もう出来なくなってしまったのだ。
「遥」
背中から呼ばれた声に、遥は、すぐには振り向かなかった。
いろいろな事が、彼の許容できる量を超えてしまっていた。
「つらい思いをさせてしまったな、遥」
「洸さん……」
「お兄ちゃん!」
結が肩越しに、責めるような強い一言を兄に浴びせかけた。
「どうしてっ!どうして季武さんを、守ってあげられなかったの!」
涙でボロボロの顔を、洸へと向ける。
洸は黙って、妹の頭を、軽く撫でるようにポンポンと叩いた。
それから、すぐに季武に視線を落とすと、苦り切ったように唇を噛み締めた。
お前は本当に、これで良かったのか。こうするより他に、方法は無かったのか、という「問い」のようなものは、そこには無かった。
そんな事は二人の間で散々かわされて、経てきた上での、これは結果だった。
アキオのほうは、季武のほうに一回だけ視線を放ったきり、逸らすように元に戻した。強張った表情から、短い、悪態のような呟きが漏れたようだった。
「洸」
源家の姫が、渡辺家の見鬼の名を呼ぶ。
「はい」
「此度の件で、何人の人鬼が生まれた?」
「源征一郎が殺めてまわったのは、そのほとんどが、ただの人間でございました。確実に身許まで確認できた人鬼は今のところ源弥三郎ただ1人ですが、こちらは、すでに始末がついております。ですが、かなりの人鬼が野に放たれたと見て、まず間違いございますまい」
アキオが、洸の報告に繋げる形で、語を継ぐ。
「中には運良く鬼にもならずに、地獄絵図と化した源家から普通に逃げ散った奴等だって居たには居ただろうが……何人が鬼となったかは、結局のところ推測の域を出ない、か」
────大通連を持ち去ったのは、その内の誰かってわけだ……
アキオにとって、そいつを見つけ出すことが当面の目標となりそうだった。
「ところで姫、妹君はどちらに?」
洸の問いかけに、姫は興醒めを絵に描いたような視線を、気を失って倒れている鈴子へと向けた。
「あそこ」
答える声は、その視線以上に呆れ返っている。
「私が、この骨喰眞守で人鬼の首を落とすところを見た途端、あのように気絶してしまった。気絶とか、弱すぎにも程がある」
目を覚ました時、鈴子が全てを夢だったと思ってくれればいいと、そう密かに思いながら、洸は、逃げ散った鬼の追撃を、夜明けを待って開始する旨、「姫君」に伝えた。
「別に、放っておいて構わないわ。どうせ奴等は私を狙って、再び、また現れるに決まってる。そこを討ち取ってしまうほうが、面倒が無くていいじゃない。時に、渡辺家の分家の見鬼……」
遥は、憔悴しきった顔で本当の姫君のほうを向いた。
まだ、彼女が本当の姫だということを知らない遥は、訳が分からず、戸惑いに表情を固くしている。
「すべての事情は、追い追い理解していけばいいわ。それより、もっと喜んだらどうなの?こうして、私が無事だったんじゃない……。この戦いは、まだまだこれから、ずっと続いてゆくの……終わらせるなんて、出来っこないんだから……」
言い終えるまでに、本当の「姫」は何度も咳をし、ゼイゼイと、苦しそうに息づかいを荒くした。
そして、どこか嬉しそうに見えた。
* * * *
朝。
時計の針が午前8時をさすころになると、いつものように坂ノ上学院の通学路は、 見慣れた制服の列で埋まる。
遥、皐月、鈴子の3人が学校を欠席するようになって3日────
騒がしくなり始めた教室の中で、麻田絵里は当たり障りのない友達との会話に花を咲かせていた。
いまだ空席である坂田皐月と渡辺遥の席に、視線は向かいがちである。
────今日も休みだったら、放課後、皐月の家に寄ってみよう……
そんな事を絵里が考えた時、1人の男子生徒が、自分と同じように2人の席に視線を注いでいることに気が付いた。
初めて見る顔である。
「誰?あんな人、いたっけ?」
「ちょっとカッコよくない?」
「転校生か?」
「違うって」
「ほら、ずっと学校に来てない奴がいたろ?」
いつの間にか教室の中は、そんな小声で満たされている。
────この人、もしかして皐月や渡辺君の知り合い?とか?
絵里がそう思った時、男子生徒の顔に微笑が浮かんだ。
────⁉︎
女生徒の何人かが、ちょっと照れたように顔をほころばせながら、何事か囁き合う。
だが絵里には、その微笑みが、何か恐ろしい感情から生まれたもののように思えて、ゾッと身を固くした。
絵里には知る由も無かったが、それは3日前の夜、この男子生徒が黒い服に身を包んでいた時、実の弟に見せた、あの笑いだった。
ホームルーム開始のチャイムが、いつもと同じように鳴り響く。
この学院に席を置く、すべての者たちは知らなかった。
人ではない者が、この日、自分達の中に紛れ込んだことを…………。
この43話目で、源頼光と、その四天王の子孫達の戦いは、大きなターニングポイントを迎えることになりました
彼等は人鬼の出現を防ぎきることが出来ず、味方同士であるにも関わらず、家同士の確執から、自分達が持っていた大きなアドバンテージをも失うことになるのです
人間と、そして人間の集団というものは、共通の敵がいる状況でもお互いに不信感を抱き合い、ほかの味方を出し抜いて、自分(達)が優位に立とうと考えてしまう哀しさがあるような気がします
それでも、どうかこの先も、「東の果てのマビノギオン」を宜しくお願い致しますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
 




