東の果ての、桜の国で ⑤
弥三郎は、喉を掻きむしりながら絶叫する。
怒りと驚愕の、断末魔のような叫びだ。
「よし、これで詰んだな!」
陽気に言い放つアキオのことを、弥三郎が、燃え上がるような憎悪の目で睨みつけた。
睨みつけながら、「おのれ!」と叫ぶ。
叫んでから、再び呪詛のような言葉を吐き出す。
「おのれ…おのれ!恥を知らぬ朝廷の回し者どもめ!」
明らかに、一目で異様とわかるほどに弥三郎の筋肉が膨張した。
それが自分めがけて雪崩れかかってきたのだから、アキオの目には、弥三郎の体躯が、一瞬にして倍近くにも膨れ上がったように見えた。
アキオは、ほとんど反射的に後方へと跳び退いた。
「クソったれが!とび出ろ、小通連!」
いきなり、弥三郎の腹を内側から突き破って、朱に染まった日本刀が飛び出してきた。
同時に、鮮血が噴水のように吹き出してくる。
たちまち弥三郎の足元は、真っ黒な血溜まりと化してゆく。
ドサリと倒れた弥三郎は、それでも何度も立ち上がろうと、苦しそうにのたうち回った。
完全に動かなくなったのを見て取ると、アキオが大きく息をつく。
「ふー、ビックリした。心臓、止まるかと思ったぜ」
自分自身を落ち着かせるように、何度か深呼吸をする。
「出来れば殺さずに、弥三郎から『鬼』に関する情報を少しでも引き出したかったな」
洸が、「鬼」の死体を見下ろしながら、感懐を洩らす。
死体は、元の老人の、源弥三郎のものへと戻っていた。ただし、その亡骸は、何百年も前のもののようにカラカラに干からびていた。
血溜まりともども、生命力の一雫に至るまで、鬼殺しの剣に吸い取られてしまったのだ。
それぞれの家の「跡取り」である以上、2人の見鬼は、この鬼殺しの剣の特性については聞かされており、知っていた。
にもかかわらず、初めて見るその光景に、2人はゾッとして息を飲んだ。
アキオが、首をすくめながら「冗談だろう?」と、洸の感懐に言葉を返す。
「そんな余裕ぶっかまして戦っていたら、命が幾つあったって足りなかったぜ」
「アキオ」
「あー?」
「大通連が、どこにも無いぞ」
「……え?マジ?」
「代わりに、こんなものが落ちていた」
洸がアキオの目の前に示したのは、大通連に付けさせていたはずの、例の「鈴」だった。
鈴の組紐が、力まかせに引き千切られている。
「くそ……鬼だ。他にもいたのかよ」
アキオが、忌々(いまいま)しげに口にする。
「弥三郎とは別の鬼が近くにいて、俺たちの戦いを見ていたに違いない。そいつが、俺より先に大通連を持ってったってわけだ。それにしても────」
この鬼は、「鈴」の役割を知っている奴だ。
誰だ?
弥三郎以外の「関係者」で、鬼になった奴がいるのか?
「やっべぇ。巴一族の宝刀の一本を盗られたと知れたら、俺、爺っちゃんに殺されるかも……」
アキオの顔が、みるみると青ざめてゆく。
「お前…確か小学生の時も、自分家の壺だか花瓶だかをふざけて割ってしまった時、同じ事を言ってなかった?」
呆れたように自分を一瞥する洸に、アキオは縋るような視線を投げ返す。
洸が、反射的に半分はウンザリ、そして半分は警戒するような表情をつくった。
「なぁ、洸。今晩、お前んとこに泊めてくれよ。つーか、当分の間、家へは帰れない。頼む、助けると思って……な?」
「……姫には、手を出すなよ?」
洸の言葉で、アキオの顔に光明が差す。
「ありがとう!ありがとう!持つべきものは友達だ!親友だ!幼馴染みだ!」
少し前まで、敵対する気満々だった男の台詞とも思えない言葉が、次から次へとポンポン飛び出す。
洸は何だかとても情けなくなって、吸い込んだ息を吐き出しながら力無く言った。
「……なるべく、早く出てってくれな?」
* * * *
渡辺遥は、折れた左腕を右手で支えるようにしながら、よろよろと立ち上がった。
いつの間にか、少女の姿になった童子切安綱が、遥の身を半ば支えている。
「大丈夫?」
声をかけてくる付喪神の少女の顔に、遥は血の気の失せた顔を向けた。
「本来、人鬼相手には専門の戦闘集団がいるのよ」
こうなっちゃうと、呼び寄せてる時間なんて無いけど……と、童子切りが呟く。
「でも、大丈夫!あいつにかすり傷でも付けてくれれば、そこから、私がいくらでも出血させてみせるから!」
そう言うと、童子切りは、遥の腕を折って以後、こちらに近付いてこようともしない鬼憑きの男の方を見た。
目が笑っている。
彼女は、楽しいのだ。
遥の認識では、自分達は、かなり危機のはずだ。だが、童子切りの言い方には、徹底して「必死さ」が無い。
まるで体育祭か何かで、今のところ、こっちは相手に押されているけど、どうやって逆転を狙おうか?という口ぶりである。
お互いの、捉え方のギャップに溜め息が出る。
「刀に戻ってくれ…戦う」
「OK!」
遥の声は、弱々しい。それとは対照的に、童子切りは、人鬼戦が楽しくて仕方が無い、といった様子だ。
傍らに転がる、きらめく刃身の妖刀を、遥は歯をくいしばるように見下ろす。
「やっと見つけた……捜したよ?」
かなり場違いな声に、遥は後ろを振り返った。
「結ちゃんか……」
肩で呼吸するように答える遥の隣に並ぶように立つと、結は10メートル近い距離を挟んで対峙している、人鬼らしき男を指さす。
「あいつ?」
と言う結の問いかけに、遥が、明らかに無理していると分かる作り笑いで応じる。
桁違いのパワーとスピードで遥と由良を攻撃した人鬼は、2人組みだった。
もう片方の人鬼は、どうやら由良が、そのまま相手をしているらしい。
どこで、どのように戦っているのか、その姿は見えない。
何しろ、ここの中庭は馬鹿みたいに広いうえに、大きな庭木や庭石が多くて、見通しがあまり良くないのだ。
「じゃあ、あいつ倒して、ここから逃げよう」
そう言いながら、結は遥の、すぐ横に転がっている童子切安綱へと手を伸ばした。
ところが、童子切安綱が、ちっとも持ち上がらないのである。
結が、首を傾げる。
もう一度、しっかりと握り直して持ち上げてみる。
だが、童子切安綱はピクリともしない。
「ちょっと……何これ⁉︎ビクともしないなんて……」
結が、焦りと苛立ちを声に込める。
「こいつはヘソ曲がりらしくってさ、多分、僕が死ぬまで、他の奴に振るわれるのが嫌なんだ」
「な、何それ……」
刀のくせに、ヘソなんて無いくせに、と思いながら、結は顔をしかめる。
「それに、まだ僕にも利き腕が残ってる」
遥は、童子切安綱を右手でつかむと、それを引きずるような動作でノロノロと立ち上がった。
「無茶よ、そんなの!この状況、ちゃんと遥ちゃん、わかってる?」
「……」
「遥ちゃんがどんなに頑張ったって、何とかなる状況じゃないってば!ちゃんと現実を見ようよ‼︎」
「結ちゃん」
「何?」
「現実ばっか見てきたから、俺、多分こんなに弱っちいんだと思うよ……」
「遥ちゃん⁉︎」
「由良も皐月も洸さんも、多分、いままでギリギリの戦いってのが何度もあって、その度に、逃げたりせずに立ち向かっていったんだと思う。最初は必死で、今の俺みたいに、すごく見っともなかったのかもしれない。でも、そんな戦いを何度も何度もこなしていくうちに、今のように強くなっていったんだと思う」
「……」




