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東の果てのマビノギオン  作者: 秋月つかさ
39/60

東の果ての、桜の国で ③


「どうです?せっかくですし、貴女(あなた)、私と同じになってみませんか?」

 

 弥三郎(やさぶろう)の言葉の意味に、(むすび)はゾッとして表情を強張らせた。

 

 弥三郎が、(ふところ)から青白く輝く「鬼の素」を取り出す。どこかプニプニとしていて、見た目、ゼリーのような印象だ。

 

 出現ごとに姿が違うといわれる「鬼」を、結は初めて、こんなに近くでまざまざ(・・・・)と目にした。


「……遠慮するわ」

 

 結が一歩後ろに下がると、弥三郎が一歩前へと出る。


「うん、最初はイヤがる気持ちも分かりますよ。私も、コレ(・・)に入り込まれた瞬間、それはそれは恐ろしかった。でもね、なってしまえば、以前の自分が、いかに下らない価値観で動いていたのか────それが、実によく理解できるようになるんです」

 

 弥三郎の顔に、明らかに人とは違う異質な微笑が浮かび上がった。


 表情ひとつ動かないのに、明らかに彼は笑ったのだ。それは顔全体に浮き出てくるような、闇が降りるような(くら)い笑いだった。


「嫌だったら……」

 

 ぎこちなく後ろへと下がり続ける結の足が、動きを速める。


「人というのは、常にそのように、救い難い存在ではないでしょうか……」

 

 弥三郎は、結の言う言葉など聞いてはいない。

 

 自分は後ろに下がっているはずなのに、笑いかける弥三郎の顔は、一向(いっこう)に自分の目の前から遠ざかってはくれない。追いすがってくる目の前の男が、これから自分にしようとしている事のグロテスクさを思って、結は、恐怖以上に吐き気を感じていた。

 

 胸元を掴まれた結が、せめてもの抵抗で顔を(そむ)ける。

 

 弥三郎が、小さな笑いを洩らす。

 

 その時、両者の横合いから伸びてきた刀の切っ先が、弥三郎が掴んでいる鬼の素を刺し貫いた。

 

 悲鳴のようなか細い(・・・)声を上げて、生き物かどうかもよく分からない物体が消滅してゆく。

 

 妖刀、「小通連(しょうつうれん)」を構える(ともえ)アキオと目を合わせるや、源弥三郎は小さな舌打ちひとつを残して、倒れている大通連(だいつうれん)を抱え上げると、夜の暗がりに溶けるように姿を消した。


「え〜と……君、確か(こう)の妹の……結ちゃん────だったよね?早いとこ、ここから逃げたほうがいいんじゃないかな。この状況、わかってるでしょ?」


「だって私、遥ちゃん捜さないと……」

 

 まだ、表情には隠しきれない「(おび)え」の色が残っている。それでいて、どことなく強情さを感じさせる言い方に、アキオはピンときて「なるほどね」と思った。


「あのイトコ君ねぇ…そういや(こう)も、随分と気にかけてたみたいだったなぁ……」

 

 それ以上口に出しては言わないが、アキオには、渡辺遥は単なるボンクラにしか思えない。


「でもそいつなら、ここへと来る途中────このバカみたいに広い庭の真ん中へんあたりで、見かけたぜ?何だかヤバそうだったけど……」


「ありがとう。あと、助けてくれた事も」

 

 結は、ペコリと頭を下げてお礼を言った。


「でもアキオさんこそ、早くここから逃げたほうがいいと思うよ。明日も、普通に会社あるんでしょ?」

 

 じゃあね、と軽く片手を上げると、結は急いで、中庭の中心付近へと(きびす)を返して行ってしまった。


「……そう言えば、俺、明日は朝イチで会議だった……」

 

 別に忘れていたわけでは無いが、面白くもない現実の日常のことなど、いちいち再確認などしたくなかった。気の合わない上司の顔が、何事か怒鳴りながらアキオの頭の中をよぎっていく。


「うう、ちくしょう…『姫君』さえ巴家(うち)擁立(ようりつ)しちまえば、俺だって、あんな上司にいちいち頭なんて下げなくてもよくなるんだ!どこ行っちゃったんだよ、お姫様は」

 

 アキオの口から俗物的なセリフが出た途端、アキオの手の中にある小通連の硬い感触が、ふいに消失した。

 

 少女の姿に戻るや否や、小通連は、眉を曇らせてアキオを見上げる。


 その身長差のぶんだけ、当然相手を見下ろすようになってしまうアキオだったが、こんな時、アキオは自分にも小通連を見上げるように見ていた時期があったことを思い出してしまうのだ。


 舌打ちをこらえながら、慌ててアキオは小通連から目を逸らした。

 

 小通連にしろ、童子切(どうじきり)安綱(やすつな)にしろ、同じ製法で誕生した「鬼殺しの剣」は、(さや)に収まってさえいなければ、自分の意思で人の姿に戻ることが出来る。


 もっとも、本当の姿は刀なわけだから、こっちの姿のほうが「化けて出ている」ということになるのだが。


「アキオ様…誰だってアキオ様くらいの年齢になれば、たいていは会社なり何なりで働かなくちゃならないし、仕事でイヤな思いの一つや二つ、当たり前にあるんですから……『姫様』とかは関係なく、その辺は我慢しましょうよ……」


「うるさい!他にも色々と手っ取り早く現状を打開するには、コレしか無いんだよ!」


「別に、手っ取り早くなくてもいいじゃない!昔の、素直だった頃のアキオ様に戻って下さいよ!」

 

 必死に懇願(こんがん)する小通連だったが、アキオの顔は、聞けば聞くほど、渋面の度を濃くしてゆく。


「いちいち、(うるさ)いんだよ、お前は!お前の説教なんか聞こえない!聞こえてたまるか!いいから、刀の姿に戻れ!」

 

 アキオの、「見鬼の目」に力がこもった。

 

 小通連の悲しそうな表情が残像として一瞬残ると、地面には、一振りの刀が倒れているばかりとなった。

 

 それを拾い上げながら、アキオは思う。

 

 姫もそうだが、大通連(だいつうれん)のほうも、何とかしないとまずい。


 アレを奪っていった男…明らかに『鬼』だった。だとしたら、70年以上を経て、再び鬼が実体を得て現れたという事になる。これが、予知をする立場にあることを逆手にとった季武(すえたけ)の仕業だとしたら…………


「季ちゃんの奴、マジで姫を鬼どもに差し出してしまうつもりかよ……バカな事を…」

 

 アキオは刀化した小通連の硬さを確かめるように、何度か上下にブンブンと振った。

 

 小通連の(つか)に結い付けられている小さな鈴が、しゃりん、しゃりんと音を立てる。

 

 アキオは一つ頷くと、その場を足早に去っていった。


  *  *  *  *


 由良(ゆら)は、遥と違って敵の「構え」や「動き」から、瞬時に、敵が空手を使うと看破していた。そのおかげで、正面からの直接的な攻撃は喰らわずに済んだ。

 

 一瞬で距離を詰められたのには驚いたが、もともと、由良くらいの年齢の子供は、反射神経が優れているのだ。

 

 手傷を負ったらしい遥のことは気にかかるが、まずは、目の前の『鬼憑(おにつ)き』を排除しなければならない。人鬼(じんき)との戦いは、由良にとっても初めての経験である。

 

 由良と人鬼は、お互いに探るような視線で(にら)み合っていた。


 が、やがて人鬼のほうが、再び由良との間合いを詰めるべく地を蹴った。目の前の見鬼は、まだ、ほんの子供である。しかも、先程は自分の初撃を、この子供は(かろ)うじて(かわ)しただけで、反撃も出来なかった。手には、恐るべき鬼殺しの妖刀を持っているというのに────

 

 そう判断して、人鬼は行動に移ったのだ。


 結果から言えば、それは誤りだった。すでに初撃の速さを見せてしまった以上、それは「知られてしまった」ということであり、由良は子供とはいえ、鬼殺しの剣を体の一部として使いこなすと言われる「頼光(らいこう)四天王」の直系の子孫である。

 

 由良が、小さく笑う。

 

 由良は、最初から相手を「迎え撃つ」ことに決めていた。姿勢を低くし、空手使いの繰り出す、打ち下ろされる手刀を躱すと、素早く相手の(ふところ)近くへと潜り込み、ほぼガラ空きの脇腹を薄緑(うすみどり)()ぐように払った。

 

 だが、その刀身を、鬼と化した男は無造作に(つか)んで止めたのである。

 

 由良は、再び(きょ)()かれて唇を噛んだ。

 

 こんなふうに、刃物を素手で掴んで防いでくるとは思わなかったのである。

 

 人の姿をした、人間でないものを相手取るということは、つまるところ、こういう事なのだった。

 

 こちらは、どうしても「人間」を相手にした場合の行動予測というものを、無意識に立ててしまう。そして、無論のことだが、人でなくなった相手は、その予測に沿った動きなんてしてくれないし、考えてもくれない。

 

 そんなことは充分に理解していたつもりで、実際には、理解なんてしていなかった。それを、由良は二度も虚を衝かれた事で思い知らされていた。

 

 そんな自分自身に、由良は激しく舌打ちする。

 

 ────それならそれで、こいつの指ごと、薄緑を引き抜いてやるまでさ

 

 由良が両手に力を込めた、まさにその時。

 

 すぐ目の前の頭上で、落雷に似た轟音が鳴り響いた。

 

 目の前の人鬼は薄緑の刀身を掴んだまま、由良の目の前で、急に両膝をついた。続いて、上半身が力無く地に倒れる。倒れた男の頭は、下顎(したあご)から上が破裂したように無くなっていた。

 

 源征一郎(せいいちろう)の、哄笑が響く。

 

 彼の手には、ショットガンが握られていた。


「やったぞ!やってやったぞ!思い知ったか、化物め!」

 

 見ると、其処彼処(そこかしこ)に黒服の男達の死体が転がっている。

 

 みんな、鬼になったから殺されたのか?

 

 それとも、そんなことはお構いなしに、征一郎が、手当たり次第に殺してまわったのだろうか……


「何て事だ……」

 

 由良が、深い溜め息のように(つぶや)く。目の前の征一郎は、完全に正気を失っている。

 

 ふと、由良は1人の黒服の男の存在に目を止めた。

 

 正確には、黒服に身を包んだ自分の兄、碓井(うすい)杜貴也(ときや)の姿を。

 

 なぜ、見鬼でもない兄が、こんな所にいるのか……

 

 7つ年上の兄は、そんな表情で自分のことを(いぶか)しむ由良(弟)を見て、愉悦に表情を歪ませた。

 

 艶のある、鴉の濡れ羽色の髪と、透明感のある白い肌。黒白(こくびゃく)の美貌は由良と似てはいるが、その瞳は、生まれつき鬼を見る事が出来ない兄。


 その兄が、何だよ、お前?随分と情けない姿だな、とでも言わんばかりに、笑っている。

 

 由良は、慄然と凍りついた。

 

 まさか、鬼をその身に宿すために、わざわざ黒服の集団に紛れて、ここへと入り込んだのか?

 

 由良がそう思った時、兄の姿は、忽然(こつぜん)と消えていた。

 

 由良が(まばた)きをした、その瞬間に、目の前から居なくなったのだった。

 

 由良の手から、薄緑が力無くすべり落ちた。

 

 由良は呆然と、しばらくは、その場から動くことが出来なかった。




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