軋んでゆくモノ、捻れてゆくモノ
少女────鬼丸国綱は、季武のほうへと、スタスタと歩んでゆく。
「おまえは、少しは節度というものを持て」
と諌める言葉も、季武の顔を見て喋るわけでは無いので、独り言のように周囲には響いた。
「何だ、もう来ちゃったんですか?」
普段と同じく軽い調子で、季武は言った。
突然あらわれた少女は、あきらかに季武のことを知っている。
そして季武のほうでも、少女が何者であるのかを解っているふうであった。
「困ったな、まだ、こちらの手駒は揃っていないんですよ」
「言ったはずだぞ。俺は、お前とやり合う気なんて無い」
困っている様子なんて微塵も感じさせない季武に対し、少女は、今度は明確な男言葉で答えた。
「あ、あの、ひょっとして……洸さん、なんですかっ?」
皐月が、嬉しさと戸惑いの入り混じった声を上げた。
「え?お兄ちゃん⁉︎」
洸の妹、渡辺結も、驚いて目を見開く。
「出てきたらどうです?」
季武の声に応えるように、闇の中から、ゆっくりと3人の人影が歩み出てきた。
髪をカチッと撫で付けたサラリーマン風の風貌に、どこか間のびした表情と雰囲気をたたえている青年、巴アキオ。と、巴家に代々伝わる鬼殺しの妖刀、小通連。
そして、妹の結と同様の、ややクセっ毛がかった髪と、遥や由良、季武と同様、男性の見鬼によく見られる色の白い、中性的な整った顔立ちの「渡辺家の正当な護り手」、渡辺洸である。
その面差しは従兄弟の遥にも似ているが、少しやつれているぶん、鋭角的な雰囲気がある。瞳にも、遥のような「甘さ」は感じられない。
「洸っ!」
眼帯と包帯のお姫様は、嬉しそうに一声叫んで、洸のもとへと駆け寄っていった。
飛び跳ねるように抱きつく姿を見て、皐月が少し不服そうに唇をとがらせる。
「これは────一体どういう事ですかな?奥内様……」
源征一郎の声は重々しく、それは誰の耳にも、「質問」というよりは怒りを含んだ「確認」に聞こえた。
「私が、洸に頼んだのよ。この、ウソと誤魔化しに満ち満ちた牢獄のような場所から、私と妹を連れ出して欲しいってね!」
奥内様が、2人の伯父を半眼で射抜く。言葉尻は、声そのものを2人の伯父に叩きつけるかのようだった。
「お、奥内様⁉︎」
素っ頓狂な声を上げたのは弥三郎のほうで、征一郎のほうは、一言も発すること無く剣呑な目付きで洸のことを見据えている。
「さて、これでどうやら私の勝ちね、卜占屋」
2人の伯父のことなどまるで眼中に無いといった様子で、姫君は季武に突き刺すような視線を向けた。
「どうでしょうね」
季武が、小首を傾げるようにメガネを直す仕草をする。
「……お前は遊んでいるつもりか知らないけど…こっちは、必死で抗わせてもらうわよ?」
姫が、洸にしがみ付く手に力を込めた。
鬼丸国綱は、ここに至って卜部季武を最も警戒する相手と見なしているようで、常に注意を払っている様子だ。いつでも剣になれるよう、洸が右手を伸ばせば、すぐにも届く位置をキープしている。
「お考え直し下さい、奥内様!」
源弥三郎が、訴えるように声を張り上げた。
「千年以上も守り通してきた『バランス』が、崩壊してしまいます!」
痛切な面持ちで、縋るように訴えを続ける。
「汚らわしい鬼どもから奥内様を隠し通せるのは、我々、源一族だけなので御座いますぞ‼︎」
目を剥かんばかりのその訴えを、彼が「奥内様」と呼ぶ少女は、無視し続ける。彼自身が彼女の正面にまわり込むことで、ようやくその訴えは少女の耳へと届いた。だが……
「もう真っ平なのよ!隠れているのは!」
「お、奥内様……」
「あと何年よ?何十年かくれ続ければいいのよ!一生?一生このまま?もう嫌!嫌よ‼︎」
怒涛のような激昂を受けて、弥三郎はヘナヘナと、その場に崩れ落ちてしまった。
言い終えた後で、また奥内様が激しく咳き込む。
「奥内様は混乱しておられる。どうやら今回の鬼道の話は卜部家の見鬼の狂言のようだし、この際だ、奥内様を、どこか安全な室内へとお連れしろ」
丁重にな、と言い添えて、征一郎が数人の黒服ボディーガードに指示を下す。
「え?あ……おお、そうか、そうだな、それがいい」
弥三郎が、率先して姫君に近付こうとする。その行く手を、鬼丸国綱が素早く遮った。
「う……」
小さく呻きながら、弥三郎が急停止する。
征一郎が、苦虫を噛み潰したように唇を歪めた。視線を洸の傍ら────巴アキオと、小通連へと向ける。
「それで、今度は我々に代わって、そ奴等が奥内様を祭り上げるというわけか?馬鹿な考えを持ったものだな」
言葉の端々に、冷笑が混じる。
「現在と、どこが違う?」
嘲りを込めて、声に含まれる笑みが深くなってゆく。
「ご心配なく」
アキオが、軽薄とまではいかないものの、もともとゆる系の顔を、一段と締まりなく間延びさせて言った。バカにしているのだ。それとは対照的に、傍らの小通連が、挑戦的な上目使いで征一郎のことを見ている。
「洸が姫君を手に入れるまでは、我々は姫君には指一本触れやしません。一応、そういう契約ですんで」
「……」
小賢しい、という顔で、征一郎は無言でアキオを睨みつけた。
我々から奪うより、洸1人から奪うほうが簡単────そう踏んでの事か。
細められた両目からは、そんな呟きが聞こえてきそうである。
「彼等にも、決して手なんか出させませんよ」
穏やかだが、確固たる自信を感じさせる口調で洸は言った。
アキオが、肩をすくめる。相変わらず融通のきかない奴だ、とでも言いたげな目つきで洸を見る。
洸とアキオ、そして卜部季武を加えた3人の付き合いは、坂ノ上幼稚園へと入園する前からである。
しかもこの3人は、小学生の頃、当時の「姫君」に流星雨を見せてあげたいという理由で、姫を外へと連れ出すという、源家の関係者からしたら、とんでもなく恐ろしい事をやらかしていた。
ちなみに、二重三重の当時の警備網は、すでに顕在化していた季武の予知の前に、ことごとく裏をかかれた。
その時の警備関係者数名の首がとび、その一件はさらにこじれて、後に源一族と巴一族が袂を分かつきっかけとなってしまった。
決して公にされることは無かったが、当時は、大きく関係者と、その周囲を震撼させた事件だった。
「なぁスエちゃん、君も、こっちへ来ないか?」
アキオが、ネコ撫で声を出した。スエちゃんとは、当然ながら季武のことだ。




