異域(いいき)
包帯少女の咳き込む姿に、鈴子はハッと息を呑み込んだ。
鬼道が開く前日、自分の夢に必ず現れていた、自分と同じ顔をした、もう1人の自分────ただし、もう1人の自分は体のあちこちに包帯が巻かれていて、しきりに咳込んでいた。
「ふふ、ようやく気が付いた?夢の中で会っていたもう1人のあなたは、私だよ」
「ウソ……」
鈴子は、しきりに首を振った。
「あなたが、私のお姉さんだっていうのも本当はウソなんでしょう?」
震える声で、自分自身の言葉に縋ろうとする。
「だって私…私、そんなこと一度も聞かされたこと無かった……」
その弱々しい訴えを、「姉」を名乗る少女は鼻先で嗤った。
「はん、コイツにぃ?」
そう言うなり、さっきまで大事そうに抱えていた人形を、足の先で蹴飛ばす。
鈴子は、自分がさっきまで祖父だと思い込んでいた人形を見て、強い眩暈を覚えた。
季武が、倒れそうな鈴子を抱きとめる。
「この家の人達はね、最初から『お姫様』を矢面に立たせるつもりなんて無かったってことです……」
「季武さん……」
「鬼道が開く前日の夜、眠っている君は、こっそりと、あるものを注射されていたんですよ」
慰めているかのような口調だったが、季武の言葉に、鈴子の顔はみるみると青ざめてゆく。
それを無視するように、季武は続けた。
「すなわち────お姉さんの、血を」
あまりの事のおぞましさに、皐月と結が、この場にいる「源」姓の男2人に、嫌悪に満ちた視線を向けた。
2人の男────源征一郎と源弥三郎は、その視線に一瞬だけたじろいだ。
弥三郎のほうが、弾かれたように慌てて取り繕う。
「こ、これは、何もワシらが始めたことでは無い!」
必死さが、口調と表情、そして身振り手振りを通して、露骨なくらいに伝わってくる。
それとは対照的に、もう1人の伯父────源征一郎は、開き直ったように落ち着いていた。「そうだ」と、堂々と口にする。
「すでに儂らの代では、普通に行なわれていた事だった」
自分の声に、一段と力を込める。
伯父たちの弁解に、季武は苦笑────というか失笑し、皐月はますます嫌悪の色を濃くし、結は眉をひそめて、下唇を噛みながら下を向いた。
周りを取り巻く黒服の男達のみが、基本的に無関心だった。
彼等にしてみたら、雇い主と、その身内たちが、よくわからない理由で内輪モメを始めたくらいにしか思えない。
「本当、誰が最初に、こんなやり方を考えついたんでしょうね?でも、このやり方で確かに鬼は騙されたんです。『姫君』でも何でもない鈴子ちゃんを、自分たちが切望し、探し求めるお姫様だと、奴等は都合よく勘違いした……。わざわざ鬼道の開く場所で奴等を迎え撃っていたのも、要するに、奴等に先に鈴子ちゃんのほうを見つけさせるためです」
季武が喋るのを止めると、誰も、何も喋ろうとはしなかった。
皆、それぞれにそれぞれの表情で、率直に感情を表している。ちなみに源家の伯父2人が、いちばん不愉快そうな顔をしているのが季武には傑作だった。
鈴子が、ボロボロと涙を流してその場に座り込んだ。耐え切れないというように、耳を塞ぐ。
「姉」が、そんな「妹」の顔を覗き込むように、顔を近づけた。注射跡が青アザのように内出血している鈴子の腕に、一瞬だけ脇目をふる。
「私の血を注射するとね、しばらくの間、私との間に『チャンネル』が開かれるらしいのよ。だから、私とあなたは夢の中でお話しが出来たってわけ。それに、注射した後、数日くらいなら私と同じように見えるんだってさ。『奴等』が」
鈴子が、涙に滲む目で姉のほうを見返す。
「夢の中のあなたが……私と同じ顔をしていたのは、なぜ?」
問う声も、ボロボロの涙声だ。
「姫君」は、可笑しさをこらえていると分かる表情で言った。
「ああ、それは多分…あんた、私のことを何も知らなかったでしょう?だから自分で、私の顔を自分と同じにしちゃったのね。ま、あんたの夢の中だしね」
ケラケラと笑いこそしなかったものの、そんな口調である。
「ついでに言うと、鬼たちに『形』を与えているのも私。私がアイツらに形を与えてやることで、あいつらに、その『形』に沿った動きしか出来なくさせているのよ」
これは私だけの特権なの、と自慢するように言い添えると、本当の姫は短く笑った。
その時、突然、夜の帳の奥から声が聞こえた。
「スエタケ……」
濁り無く澄んではいるが、感情というものが全く伝わってはこない声だ。
居並ぶ者たち全員が、虚を衝かれたように声のほうを見た。
「いい加減にしろ。不用意に、ペラペラと……」
そう言いながら、抑揚の無い声の主が闇の奥から姿を現わす。
現れたのは、古い感じのセーラー服に身を包んだ、中学生くらいの少女だった。
オカッパに近い髪型に、これまた古めかしい、赤い結紐を結んでいる。その声と同様、少女の顔には、表情と呼べるものがまるで無い。この少女は、特に季武のことを見ているふうでも無かった。
鬼丸国綱……と、2人の源家の伯父達のうちの、どちらかが口にした。
それは、渡辺家の家宝である鬼殺しの剣の名称であった。




