偽りの隙間から…
源鈴子を囮として、寄ってくる鬼を迎撃する。
その最終防衛ラインを築く場所として選ばれたのは、つい最近、皐月とカエル男が大立ち回りを演じた、あの中庭である。
中庭といっても、一般的な学校の校庭くらいの広さがある。
当初は、出入り口が一つしか無い屋内で迎え撃つべきでは?との声もあったが、巨大な鬼が離れを倒壊させたばかりということもあって、屋外での迎撃が決まったのである。
鬼の接近によるエネルギーストップを考慮に入れて、中庭の各所には、松明による篝火が焚かれている。
まさに、平安時代そのままの迎撃態勢である。
突然「奥内様」こと源家当主が、自分を抱いている女の子の、長いお下げ髪を引っ張った。
顔を近付けてきた女の子に、ボソボソと耳打ちする。
その光景に、皐月はゾクリと鳥肌を立てた。
「奥内様は────」
抑揚の乏しい声で、女の子が当主の言葉をしゃべり始める。
この女の子が当主の言葉を代弁するのは、源家ではおなじみの光景だ。
「なかなか敵が来なくて、退屈だと仰せです…あっ」
容赦のない、平手打ちがとんだ。
どうやら当主の言いたかった事と、少女が口にした内容とには、多少のズレがあったようだった。もっとも、平手打ち程度は当主の虫の居所が悪いだけでも、よく飛ぶらしい。
何度か、そんな光景を目にしている皐月が、見るからに不快そうな表情を浮かべた。
そんな事はおかまい無しに、源家の御当主様は、今度は何やらがなり立てながら、少女の髪を乱暴に引っ張りはじめた。
少女が、たまらずに泣きはじめる。
「お、お祖父様⁉︎」
実際には初めてその光景を目にした鈴子が、驚いて声を上げた。
ピタリと、当主の動きが止まる。
源家当主は、再び自分自身を抱いている女の子に、ボソボソと耳打ちをはじめた。
「奥内様は、鈴子様に『こちらへ』と仰せで御座います」
女の子の声が、暗く沈んだような気がした。
呼ばれた鈴子が、おろおろと躊躇する。
どうやら鈴子は、この祖父との生活上の接点が、かなり希薄らしい。いちいち、鈴子の反応が固い。
「早く、と仰せですっ!」
少女の声が、さらに呼ばわる。
その声は、かなりイライラとしていて語気が荒い。喋る前の、「当主の耳打ち」も無い。
突然、人が変わったような眼帯少女に、鈴子は恐る恐る近付いていった。季武のほうをチラリと見たが、季武は、人が悪そうに苦笑を返しただけだった。
「あの…おじいさま?」
鈴子は、眼帯の少女に抱きかかえられている自分の祖父に向かって、小さく声をかけた。
ぴしん、と、いきなりビンタが飛ぶ。
鈴子の頬に強烈なビンタを放ったのは、源家の当主ではなかった。
その「当主」を抱いている、痛々しい、包帯と眼帯の少女のほうである。
突然のことに、鈴子は一声「あう」と発して、その場に倒れ込んだ。
皐月と結が、驚いて目を剥く。
黒服に身をつつんだボディーガードの何名かも、面喰らったように視線を交わし合った。
「やーん、なんてステキな倒れ方♡期待通りだわ!」
心底楽しそうに、少女が言う。同時に、その腕に抱きかかえられていた「源家当主」が、ドサリと地面に落っこちた。
包帯と眼帯の少女が抱いていたのは、人形だったのだ。
「ちょっと変わってるけど、君のお姉さんです」
許してあげて下さい、と、季武が鈴子を助け起こしながら言った。
「え?…え?…」
さらに意味がわからず、鈴子は左頬を押さえながら、しきりに「え?」を繰り返している。
「驚くのも無理ないですけどね、要するに源家っていうのは、こうやって────」
自分のことを、凄まじい形相で睨みつけている源家の伯父たち2人の視線に気が付いて、季武は、「はいはい」と肩を竦めながら口を閉ざした。
「ここには部外の人間も多い。軽々に口を開くな」
源征一郎が念を押すように警告するが、まるで動じた様子など無い季武は、それどころか、親指と人差し指でメガネの位置を直しながら、再び口を開くのだった。
「源家と、卜部家の極一部にしか知らされていない秘密……」
季武は、いかにも鼻先で笑うように言った。
その内容よりも言い方に、2人の伯父は明らかにひるんだ。
「でも、もう秘密は、秘密でも何でもないみたいですよ伯父さん?なにしろ、もう肝心の鈴子ちゃんが────」
喋りながら、季武の視線が鈴子へと流れる。
「薄々、気が付き始めちゃってるでしょうから」
伯父たちは何かを言いかけたが、途中で、それを言葉にするのをやめてしまった。
「過日……ここを襲った鬼は、何ゆえ姫君を無視して、ここを襲ったのか?」
季武の手が、またゆっくりと、自分のメガネの位置を直した。そのメガネごしの目が、正面から鈴子を見る。
「君は────本来なら、いわゆる普通の生活を送れたはずの、普通の子です。遊園地の時は、まったく何も見えてはいなかったでしょう?」
「……」
「違いますか?」
季武に重ねて問われて、鈴子は黙り込んだまま、頷いた。
「わかったら、あまり思い上がらないで欲しいものね。守護者たちだって、本当は私のために戦っているんだから」
ゴホゴホと、包帯の少女は咳き込みはじめた。睨むように、鈴子を見ながら。
そして、苦しそうに口を開く。
「私は、あなたと違って皆から愛されてる……」
ゴホゴホと、また激しく咳をする。




