夕闇は夜の始まり
暮れかけた道を、鬼道が開く予定の場所へと、二つの人影が歩いてゆく。
渡辺遥と、少女の姿をした童子切安綱である。
童子切安綱は、あの遊園地での一件以来、頻繁に人の形態をとりたがり、驚くほど、よく喋るようになっていた。
「そんな深刻そうな顔しないでさ、てきとーに戦えばいいじゃない」
「そんな余裕、あるわけないだろ。俺一人しかいないんだぞ、今回は!」
不安と緊張で、声に不機嫌さがこもる。
目的地の「二条城近くの交差点」までは、あと10分程度といったところだ。
目の前の信号が点滅を始め、青から赤へと変わる。この辺一帯は完全に封鎖されているので、二人は構わずに横断歩道を渡った。
渡りながら、童子切が遥の弱気を揶揄うように顔を近づけてくる。
「何よ、その情け無い声。この前の遊園地の時は、一人で何とかしてみせるつもりだったんでしょ?自信持ちなさいよ」
「あれは、正直うぬぼれてたよ……」
苦い響きが、声にこもった。
「季武さんは何も言ってはいなかったし、そもそも鬼道なんて、そうそう開きっこ無いって思ってた」
でも、それでも鬼道は開いたし、そこから、鬼は出てきた。
その巨大な姿を前にして、小さなゴンドラの中で右往左往しているだけの、ただ、それだけの自分自身。
その姿が、遥の頭の中に第三者視点で再現され、揺蕩うように消えない。
「……怖かったの?」
「ああ」
自分の顔を覗き込むようにして訊いてきた童子切安綱の顔を、何となく遥は見れなかった。
「……でも、変なの」
童子切は、いつの間にかビルとビルの間に浮かんだ、まんまるに近いお月様を見上げていた。
空は一面の群青色で、星も瞬きはじめている。
「私は普通に、人間のほうが怖いけどなぁ」
「何でだよ。得体が知れない相手の方が、人間よりも、よっぽど怖いよ」
「でもさ、鬼共の行動原理って一貫してるよ。その点、人って、時々とんでも無い事考える奴とかいるし」
「とんでも無い事?」
「例えば、鬼をわざと人に憑かせて、人鬼の兵隊を造ろうとした奴がいたわ。ほんの、70年くらい前の話よ?」
「人鬼?鬼に憑かれた人間のことを、そんなふうに呼ぶのか……。それにしても、酷いな、それ」
「まぁ、戦争に勝つ為なら、どんな事でも許された時代だったからねー」
呆れ返ったように、童子切は笑った。
もしかして70年前、そんな事をしようとした奴に、彼女は使われていたのだろうか……。
何となくだが、遥はそう思った。
「何だろ……あれ?」
童子切が、不意に前方を見据えた。
「え?」
────何だ?あれは……
人だ。
遥と童子切の前方、10メートルくらいのところに、人が立っている。
それも、二人。
鬼道が開いたわけでは無い。その証拠に、信号にも街路灯にも、まったく変化は無い。
「よう」
「啓……太?」
目的地の交差点で親しげに片手を上げてきたのは、クラスメートの菅原啓太だった。
その隣には、確か初陣の日、由良が「鬼の血を引く一族」と言っていた、着物を着た、遥と同い年位の女の子が立っている。二人いたうちの、背の高いほうだ。
「こっちも、女連れで来させてもらったぜ。俺の役目は、お前の足止めだ」
「……」
「意味がわからないか……そんな顔すんなって。まいったな」
啓太は、ばつが悪そうに笑った。
「私、こいつ嫌……」
沈み込むような暗い声で、童子切が言った。
「こいつ、何か血が臭うし、殺っちゃったほうがいいよ……」
「……」
「そのほうがいいよ」と、童子切がねだるように繰り返す。
「……そうだな。そのほうが良さそうだ」
同意の声を聞いて、童子切が嬉しそうに自分の両手を遥の右手へと絡めてゆく。その姿が、妙に艶っぽい。
「うわ、って、ちょっと待てって、お前のためなんだぜ?」
「僕のため?」
遥の目が、うっすらと笑っている。この瞬間、初めて啓太は、渡辺遥のことを怖いと思った。
「これから起こることに、何もお前が巻き込まれるこたぁ無いんだって、おい!」
あわてる啓太の目の前で、童子切安綱が真の姿へと形を変える。
思わず、二、三歩退いた後、啓太はゴクリと唾を呑み込んだ。
「しょうがねぇ、こっちもやるぜ⁉︎」
啓太も、傍らに立つ着物姿の少女に向けて右手を差し出す。だが、差し出された少女のほうは、ツンと横を向いてしまった。
「何やってんだよ、ホレ、お前も、あっちみたいに武器になれって。なれるんだろ?」
「イヤ」
「は?」
「あんたなんか、嫌だって言ってんの」
「お、おい、ちょっと待てよ……」
啓太は、反射的に着物の少女────大通連に詰め寄り、声を荒げた。
「お前、ここへと来る前、俺の言う事はちゃんと聞くよう、お前の御主人様にキツく言い渡されていただろうが!」
「それはそれ、コレはコレだから」
堂々とした態度で、きっぱりと言い切られてしまった。
啓太は何か言い返そうと、口を開いたり、また閉じたりを何度か繰り返した。繰り返して、そして最終的に出てきたのは、途方にくれたような吐息だけ────だった。
童子切を構えた遥も、いきなり展開され始めた内輪モメに、どう対処していいのやら分からない。
もともと、遥は形の上でだけ一戦やらかし、怪我をさせないよう細心の注意を払いながら、どこまでも都合よく啓太をねじ伏せ、その上で、知っている事を都合よく全部しゃべってもらう────という、呆れるほど都合のいい事を考えていたのである。
だが目の前の相手は、急に仲間割れを始めてしまった。
着物娘の、啓太に対する糾弾は未だ止まない。
「それに、こんな騙し討ちみたいなマネして、少しは恥ずかしいとか思いなさいよ!」
「お前、ふざけんな!こんな作戦考えた野郎は、お前の御主人だろうが!」
啓太が言い返すと、着物の少女は、不貞腐れたようにプイッと横を向いてしまった。
啓太の、苦りきった舌打ちの音が小さく響く。
「あー……あのな、啓太────」
「その同情するような目つき、やめてくれ……」
啓太は、ガックリと肩を落とした。
「ああ、うん……そうだな、ゴメン」
「……」
「……」
「渡辺洸って、お前の従兄弟なんだって?」
「!?」
その名を聞いて、遥の目は大きく見開かれた。
「今回のことは────その、洸さんの考えた事なんだ」
────⁉︎
見開かれたままの目の奥に、驚愕が閃光となって煌く。それが、啓太の目にもよく解った。
「そりゃま、驚くよなぁ……」
然もありなん、という口調で発した瞬間────
啓太は、とつぜん遥に胸元をつかまれていた。
「どういう事だ?説明しろ!してもらうぞ‼︎」
「わっ、て、いてて、痛いって、悪かった、俺の言い方が悪かったよ!これは洸さんと、卜部季武って奴と、そんでもって、巴アキオって奴の三人で考えた『計画』なんだよ!」




