襲撃
遊園地内の全ての電気系統が停止したことで、場内は、ちょっとした騒ぎになっていた。
場内アナウンスを流すことが出来ないので、係員たちが汗をふきふき、拡声器を手に走り回っている。
「落ち着いて下さい!」
「大丈夫ですから!」
そんなことを連呼しているようだが、その声は、拡声器を通しても大きくはならない。係員たちは、しきりに首を傾げたり、持っている拡声器をコンコンと叩いたりしている。
────冗談じゃないぞ!
今、遥と鈴子の乗っているゴンドラは、ちょうど天辺近くで停止してしまっている。
こんな所で、それもたった一人で、今からここへとやって来る鬼を迎え撃たなくてはならない。
遥は、急いで童子切安綱の梱包を解き、じっとりと汗ばむ両手で、鬼を殺すための妖刀を抜き放った。
刀は、沈黙したように何の反応も示さなかった。
前回はガタガタと騒いで、刃の興奮が、柄を通して遥自身にも伝わってきたというのに。
この無反応さが気にはなったが、それでも少しだけ落ち着きを取り戻した遥は、素早くゴンドラの外へと視線を走らせた。
どこから来るのか?
どんな「形」で現れるのか?
鈴子も、しきりに不安そうな顔で、窓の外に注意を向けている。
ふと、右側の窓から見える雲の一部が、遥には割れたように思えた。
目をこらすと、雲の上から「何か」がするすると降りてくる。
それは巨大な────あまりにも巨大すぎる、一本の「腕」であった。
────う、嘘だろ?
あまりの事に、遥は驚いて声も出ない。
陽の光の下でも、その腕が淡く発光しているのがわかる。それにしても、その巨大さは尋常ではない。
あの腕に一撫でされれば、この地上100メートルを越す観覧車だって、まるでオモチャか何かのように薙ぎ倒されてしまいそうだ。
────前の鬼みたいに、一撃すれば、それで消えてくれるのか?
遥は、剣をにぎる手に力を込めた。それにしても、あれほど巨大な相手に、刃なんて通用するのか?
少しの間、地表をまさぐるかのように動いていた巨大な「手」が、いかにも何かに気が付いたかのように、急にその動きを止めた。
────来る……
遥が観念して息をのむと、巨大な手は、なぜだかゆっくりと、観覧車から遠ざかり始めた。
────え?何?
訳が分からないまま、遥がへたり込む。そして軽い振動と共に、観覧車も動き始めた。
なぜ、どうして目の前の危機が去ったのかまでは、この時の二人に考える余裕なんて無い。
観覧車が地表へと近づいてゆくに連れて、遊園地には不似合いな、黒服の男達がこちらを見上げていることに、遥も鈴子も気が付いた。
「あいつら……」
「残念だけど、ここまでみたい…」
「……」
「今日は、どうもありがとう」
遥は何となく返事を返しずらくて、少し口ごもった挙げ句、結局何も言えなかった。
京都郊外の遊園地で、原因不明の停電騒ぎが起こっていた頃────同じく、京都でも指折りの名家、源一族の宗家では、それ以上の騒ぎと混乱が起こっていた。
「鬼道が開いただと?バカな……」
「それを事前に察知するのが、お前の役割であろうが!卜占屋め!」
奥まった御座敷に座す二人の老人たちが、突如あらわれた巨大な手の接近を告げに来た季武に対し、叩きつけるように言い放った。
「返す言葉も御座いません。お叱りのほうは、後ほど如何様にも────」
膝をついた姿勢のまま、季武は恭しく頭を下げた。
二人の老人は、いわゆる源家の長老格である。
旧い家では、こういった一族内での序列のようなものが、平然と根強く残っている。
「とにかく、碓井家の見鬼を呼べ!今、すぐにだ!」
老人のうちの片方────源弥三郎が、震える声で怒鳴った。額に浮かぶ玉のような汗が、ひとすじ流れて畳に跡を付ける。
「今からでは、とても────」
季武の言葉は、ズズズッという地響きによって中断された。
いきなり、屋敷全体が激しく揺れたのである。女中部屋のある離れの一つが倒壊し、巨大な「手」の形に押し潰されたのだった。
「ひいいいい────何だ?もう、すぐそこまで来ているのか?どうなんだ?卜部家当主!」
慌てふためきながら、弥三郎は四つん這いに近い姿勢で季武のことを見上げた。
季武は、誰にも判らないように冷笑していた。
危機に対し最も力の無い者が、普段は最も偉そうにしている。本当に、滑稽でならない。
「……奥内様」
もう一人の老人、源征一郎が、この奥座敷の上座に座る人物に声をかけた。
この、今まで一言も発さず、身じろぎ一つしていない人物こそ、現在の源一族を統べる、御当主様である。
奥内様と呼ばれた人物は、一見、子供のような風貌だった。由良よりも、もっと子供である。身長といい、体形といい、幼稚園児に近い。
だが、浅黒い皮膚────特に顔は、老人のように深いシワが刻み込まれていて、若いのか、老いているのかはっきりしない。そして自分では立つことも出来ないのか、一人の、名も知らぬ少女に抱きかかえられる形で、そこにいた。
奥内様は、自分自身を抱いている少女の長い三つ編みを、乱暴に引っ張った。
引っ張られた少女は「あっ」と小さく叫びながら、引っ張られるままに、奥内様に対して耳を近づける形になる。
いつもの光景なのだった。
奥内様が、少女にボソボソと耳打ちする。
要するに源家の御当主様は、自分の言いたいことを、この少女に代わりに喋らせるのである。
他にも様々な「捌け口」の対象に、この少女はされているらしかった。
少女の腕や顔は、絆創膏や包帯、眼帯などでぐるぐる巻きなのである。そのことを誰かに訊かれても、少女は、自分で転んだとか、ネコに引っ掻かれたとか、物憂げな声と表情で言うのだった。
耳打ちが終わり、少女が顔を上げて姿勢を正す。
「奥内様は……」
抑揚の無い声が告げる。
「各々が、各々の役割を果たせ、と仰せです」
どこも見てはいないような虚ろな目で、眼帯、三つ編みの少女は答えた。
目眩を起こしそうなほど長い障子の連なりと共に、廊下はどこまでも続いている。長々と続くその中を、季武はダルそうに歩いていた。
「そうとうオカンムリだな、あれは」
季武の目が、無意識に細まる。
「う〜ん……」
溜め息のように一声もらして、とりあえずは皐月のところへと向かうことにする。
カエル男との大立ち回りで無理をしすぎた皐月は、現在、客間の一つで横になっているはずだ。
「皐月ちゃん、回復してるかなぁ……してないだろうなぁ……でも、してるといいなぁ」
できれば、面倒な鬼の相手は皐月に代わりにやってもらいたいのである。
そんな都合のいいことを考えながら、季武は皐月のいる部屋の障子をカラリと開けた。
「あ……」
皐月と季武の目と目が合い、どちらも小さな、そして同じ声を上げた。
畳の上に敷かれた布団の様子から、皐月が少し前まで休んでいたのは明らかだ。
鬼の出現を自ら感じ取ったのか、あるいは、大騒ぎになっている外の様子を聞き付けたのか────いずれにせよ、彼女は起き上がって、今、まさに着替えている最中だった。
メガネの奥の季武の目が、小さな下着を一枚身に付けているだけの皐月の胸を素早くロック・オンした。
フンッと一発、荒い鼻息がもれる。これは、漢が己の中の「迷い」を捨て去った時の咆哮なのだ。
「季武、てめぇ〜」
震える手で、皐月はすぐそばに立て掛けてあった、骨喰眞守の柄をつかんだ。
季武が、ハッと我に返る。
「お待ちなさい!女の子が、そんな汚い言葉を使ってはいけません!私ではなく、その可愛らしいおパンティーの、水色のリボンに申し訳ないと思いなさい!」
「死ね‼︎」
季武の顔面に、皐月のパンチが炸裂した。
季武は鼻を押さえつつ、二、三歩よろめき、「それはそうと、もう起きちゃっていいんですか?」と、ハンカチで鼻血を拭き拭き、心配そうに言った。
「そんな場合じゃないでしょう?由良くんも、遥もいないんだから……」
皐月は、手際よく白い道衣と黒袴を身に付けると、最後に白いハチマキを、キュッと捲いた。
「私が、やらないと!」
長く、まっすぐな髪をポニーテールに結んで、廊下へと出る。
「凛々(りり)しいですねぇ、さすが坂田家の────いえ、何でもないです」
皐月にキッと睨まれて、季武は情けなくハハハと笑った。
「で、敵の特徴は?」
廊下をスタスタと歩きながら、皐月は季武に尋ねた。
「ああ、ハイハイ」と気の抜けた返事が返り、季武は説明を始めた。
「一体だけのようですが、巨大です。それも、とてつもなく。あれほど巨大なものは、今までに出現例がありません」
「────そんなに⁉︎」
まだ実際に鬼を見ていない皐月は、天を衝くような巨人の姿を想像して驚きの声を上げた。見開いた瞳には、明らかな動揺が見て取れる。
「巨大といっても、見えているのは『手』だけです。どうも鬼そのものは、雲の上にいるようですね。雲に乗る、なんてことは物理的に出来るわけありませんから、雲の上に鬼道が開いたんでしょう。ということは、敵の大部分はまだ『あっち』の世界にいて、鬼道から『手』だけ出している状態なんじゃないでしょうか?別棟の一部が、すでにその『手』によって押し潰されました」
ちょうど、手探りで箱の中をまさぐっているような感じですねと、季武は締めくくった。
「それにしても、鬼は何でこっちに来てんの?今、お姫様は、ここにはいないはずでしょう?」
皐月は、用心深く声をひそめた。
「それは、私の方こそ知りたいですよ」
答える季武の声も、囁くように低い。
今、この館に鈴子がいないという事実を、一体何人の人間が気付いているのだろう。季武は、いまだに誰にも気付かれてはいないなんて、呑気なことは考えていない。
「それに、何で『敵』の出現を予知できなかったのよ?今回ばかりは、いつものサボリ癖じゃ済まないわよ?」
「今、この瞬間から心を入れかえ────うわっ‼︎」
二人が歩いている廊下の、わずか数メートル先が天井ごと崩れた。




