外道の鬼追い ②
へたり込んでしまった鈴子に、そっくりな顔を持つ二人の少女は、あくまでも恭しく語りかける。
「恐れる必要など、まったく御座いませんわ、姫さま。手前どもは────む?」
二人は、もの凄い速さで接近してくる二つの気配を感じ取って、注意をそちらへと向けた。
「────近づいてきているのは、童子切安綱と薄緑だわ……」
「なぁんだ、童子切のほうにも、ちゃんと継承する者がいたんだ」
残念そうに笑みを交わし合う二人の内、背の低いほうの少女に、いきなり由良が出会いがしらの一撃を叩き込んだ。
だが斬撃は空を斬り、二度、三度と、立て続けに繰り出される太刀も、虚しく弧を描いてゆくばかりである。驚いたことに、小学生か中学生、と思しき少女は、瞬速の太刀の動きをハッキリと目で捉え、視認しながら、紙一重ですべて躱しているのだった。
「お、おい、こいつらも敵なのか?」
童子切安綱を構えながらも、由良と違って、遥は目の前の相手に手が出せない。
「当たり前だろ!お前、こいつらが人間に見えるのか⁉︎」
そう言われても、遥の目には人間にしか見えないから困るのだ。
戸惑う遥に、背の高いほうの少女がにこりと笑いかけた。遥に向かって、一歩、二歩と、ゆっくりと近づいてくる。
「私、どんなふうに見える?」
年の頃、十代前半くらいに見える少女は、そう言いながら微笑みを浮かべた。小首を傾げる仕草など、いかにも可愛らしい感じだ。日本人離れした、少し彫りの深い顔立ちである。
「いや、でも見鬼なわけだろ?だったら、数少ない仲間ってことなんじゃ……」
問いかけた少女にとって、この反応は予想外だったらしい。栗色の瞳が、少しの間、瞬きを忘れて遥のことを見つめている。そして、
「あなた、見鬼としての訓練、ちゃんと受けていないでしょ?」
ものの見事に言い当てられて、遥は喉に何かを詰まらせたように口ごもった。
「何なら私が、手取り足取り、色々と教えてあげてもいいけど?」
そう言いながら、少女は弾むような足取りで、遥との距離をさらに詰めた。遥の持つ童子切安綱の切っ先から自分自身をずらすようにして近づくと、恥じらうように吐息を一つかすませた後、唇を近づける。
瞬間────
もの凄い勢いで、遥の手の中にある童子切安綱が少女の胸を突いた。
息を呑み、巴一族の娘は間一髪でそれをかわす。
確実にかわしきったのだが、さすがにヒヤリとしたらしい。娘の表情には、消えゆく途中の笑顔が、不自然な形で張り付いていた。
「こ、こいつ、勝手に────‼︎」
動いた。
今、手の内の童子切安綱は勝手に動いて、遥の意思とは関係無しに攻撃をした。そして、なおも、仕留めそこねた相手に第二撃を加えようと、激しくその身を捩っている。
「な、何だこれ……やめろって────うわ!」
突然、童子切安綱が本来の重さを取り戻した。これでは振り回すどころか、持ち上げることさえ困難である。
────お、おい、ちょっと!
まさか、剣が拗ねてるのか?
そう思った瞬間、手の中の童子切安綱が、一段と重さを増した。
柄を握ったままだったので、遥は前のめり気味に、突っ伏すように地面へと倒れ込んでしまった。刀自体が地面へとめり込んでしまわないのが不思議なほどの、異常な重さだ。
「あら」
「時間切れだわ」
よく似た顔をもつ二人が、ほぼ同時に口にした。
外灯の明かりが忙しなく明滅をはじめ、点灯と、消灯とをチカチカと繰り返す。程なくして、文明の復活が明明と宣言された。
「百鬼夜行」は、日本の、それも京都(平安京)に特有の現象といわれる。だが、現出していられる時間は、現代ではおよそ30分間と短い。炎の明かりに頼るしかなかった平安時代と比べて、「現実」の修復能力が比べ物にならないからだ。
「では姫様、また、改めて御目にかかります」
一礼し、二人の巴一族は背中を向けた。それを追おうなどとは、遥も由良も考えなかった。
鬼道が閉じたということは、異界からの脅威が去ったことを意味している。世界が元に戻った以上、どこに人の目があるかわからない。そのことを由良は充分にわきまえているし、遥に至っては、「助かった」という思いのほうが強い。
「ふぅ─────いったい何者なんだ?あいつら」
息をつくように言うと、遥は素早く童子切安綱を鞘へと収めた。収まり切るまで、その刀身はガタガタと震え続けた。
「なんでも、鬼の血を引く一族だってさ」
「そんなのもいるのかよ……」
遥は食傷気味に言った。
「鬼の存在は、この国の歴史そのものと表裏一体みたいなところがあるから」
と、由良も薄緑を鞘へと戻す。
「これだけ永く続けば、そんなのだって出てくるさ」
と、あまり関心はなさそうに言った。
「姫」をめぐる抗争の歴史は、すでに千年以上も続いているという。そのうち、桃太郎の子孫とか、一寸法師の子孫、なんてのも顔を出してくるんじゃないだろうなと、半分本気で不安になってくる。そのとき遥の頭に、ある疑問がわいた。
「え?────ってことは、それって、つまり……」
子供がつくれるってことか?
あんな、淡く光る怪物みたいのと?
遥の問いかけに、由良は、ことさら面倒くさげな視線を返した。
「そうか、遥は分家の人間だっけ……」
そう、小さく語ちるのが聞こえる。
それでも、結局由良は数秒ほどで、その口を(面倒くさげではあったが)開きはじめた。
「アレは、要するに鬼の『素』みたいなものでさ」
「元?」
「ウイルスみたいなものらしい」
由良の知識は、とても小学生のものとは思えない。それは、碓井家の特殊な教育とやらに裏打ちされてのものなのだという。
以前、遥は、それぞれの家の本家は、見鬼が生まれるとすぐに、その子供に「敵」と戦うための教育を施すのだと、皐月から聞いたことがあった。皐月は、そのこと自体が完全に人権蹂躙だと憤っていたが、どうやら由良は、反発よりは誇りのようなものを強く抱いているらしい。
「四つの家には横の連帯がほとんど無いから、アレに関しての解釈は家ごとに異なるんだけどさ」
────横の連帯がない?
由良の言う「四つの家」とは、当然、渡辺、碓井、坂田、卜部の四つの家のことだろう。それぞれの家は、仲があまり良くない、ということなのだろうか……。
「とにかく、アレは別の世界の生き物なわけだからさ、こっちの世界では、多分、完全な形で存在してるわけじゃない。実際、さわると水の中に手を突っ込んでいるみたいな、妙にあやふやな感じがするしな」
「……なるほど」
そんなこと、遥は初めて知った。まぁ、光ってるし、半透明だし、そう言われれば、なるほど、そんなものかと納得するしかないわけだが。
「だから連中、こっちの世界の生き物に寄生────というか、憑依して、こっちの世界の肉体を得ようとするのさ」
「憑依?────取り憑くってことか?」
「まぁね。『取り憑く』っていうよりかは、『同化』とか、『融合』って言った方がニュアンスとしては近いような気はするかな?」
つまり、体を乗っ取ってしまう、ということか?
「それをされると、どうなるんだ?」
「……強くなる」
「強く……なる?」
「うん、強くなる」
「────どんなふうに?」
「アレは、ウイルスみたいなものだって言ったろ?碓井家では、もう何百年とアレについての研究をしている。多分、他の家でもね。それでも解っていない事のほうが多いんだけど、さすがに解っている事ってのも、幾つかあってさ」
それから、由良は顔を近づけ、声をひそめた。
「言っとくけど、特別だぞ?」
念を押すように言う。
「遥にも早く慣れてもらわないと困るから、だから教えるんだからな」
そう前置きして、由良は再び口を開いた。
「まずアレは、人体に潜り込むと人の遺伝子(D・N・A)を読むんだ。そして自分達の体─────碓井家では『幽体』って呼んでるけど、それを『人』とそっくりに作り変えて、人の体が細胞分裂をする際、うまく混じり合って、完全に同化してしまうのさ。そしてその際、『宿主』の体を強化する。僕達みたいな『敵』の存在があるから、生物としては当たり前の反応なんだろ」
「鬼」は人の体内に入ると、極めて短かい潜伏期間を経て、それが過ぎると、細胞分裂の急激な促進を宿主の体に促すという。
わかりやすい変化としては、筋肉が増加し、肉体は隆起する。そしてそれに見合う、骨格の強化など
────恐らく、人が「人」の形のまま出せる、限界ギリギリのパワーを、鬼の素は引き出すことが出来るはずだと由良は続けた。
「中には、山で遭難したあげく、鬼に入られた人間の死体を食べてしまって、それが原因で『鬼』に感染してしまった、なんて話もあるくらいさ」
碓井家には、そんな「感染者」の標本が、いくつか保存されているらしい。
「要するに、鬼ってのは感染していくものなんだ」
と、由良は厭わしげに口にした。
「それに、細胞が分裂する際に付き物の『劣化』が無いからね。アレに憑かれた人間の体は、決して老いないとも言われている。アレを人に憑かせてしまうと、マジで大変なことになるよ。なんでも、昔話に出てくるような『鬼』が、現代に蘇ってしまうことになるらしいから」
「な、何だそりゃ。人類存亡の危機じゃないか!」
目を丸くして驚く遥を見て、由良はプッと吹き出した。
「大ゲサだなぁ」
と、呆れたように言う。
世界では、実際にウイルス性の感染症で、一日に数万人の人命が失われ続けている。由良が言うには、そちらのほうが、よほど脅威だという。
「それに、そうならない仕組みが、ちゃんと出来てる」
「?」
「彼女だよ」
由良が、鈴子に視線を放った。
─────ああ、なるほど
と、遥も納得をする。
連中は、現在では源鈴子しか眼中にないのだ。
よく出来ている、と言っていいのかどうかは微妙だが、現在は源家の「姫」の存在が、いわゆる誘蛾灯の役割を果たしているというわけだ。
二人の見鬼と目が合うと、鈴子は泣き出しそうな顔で、慌てて視線を逸らした。
自分が何か気に障るようなことでもしたのだろうかと、明らかに自問している顔だ。
護る者たちと、守られる者。
護る側の立場としては、守るべき対象に踏んぞり返られても困るが……
「こういうのも、ちょっとなぁ」
遥は、一言小さく洩らした。
どこかで、暴走族らしき爆音が通り過ぎてゆくのが聴こえる。見上げれば、夜空に星の数は極端に少なくて、それは、遥を意外なほど落胆させた。




