第四期 セミルナティック
システム再構築完了
システム再起動
……
「クライン!」
ナオの顔があった。少しやつれたように見える。どれほどの時間、僕はこの三次元宇宙から遠のいていたのだろう。見回すと薄暗い小屋の中にいることがわかった。
「良かった。もう二度と起きないのかと思った」
「ナオ。ルイはどうした?」
「どうした、だって? なにも知らないのか?」
「すまない。再起動したばかりで状況を把握できていない。駅前に恐竜の群れが現れた時点で、僕の記憶は途切れている」
「あれから一ヶ月半経った」
「一ヶ月半も? ちょっと待ってくれ。情報の共有を行う」
担当地域全ての魔法少女とアクセスする。更新は途絶えていたが、ルイとミユル以外の魔法少女の健在が確認できた。ところが残念なことに、アクセスした魔法少女全てが僕の姿を見て拒絶反応を示した。ルイを崇拝していたナナコとミズキも同様だった。もう二度と係わりたくないと泣きながら訴えた。
次に世界に散らばる各端末にアクセスする。六十六の端末の内、現在稼働しているものは僕を含めわずか九体。他はシステムダウンしていることが判明した。混乱のため正確な数はつかめなかったが、全世界で変身可能な魔法少女は三十人に満たない。単に更新が滞っているだけなのか。それとも……。ナオが言った。
「ルイを倒すため、大晦日に世界中から五十人近い魔法少女が日本に集結した。色とりどりの魔法少女がルイを取り囲み、一斉に攻撃を開始したんだ。でもルイはあらゆる攻撃をはね除けた。炎も風も水もルイには一切届かないんだ。死んだ魔法少女も少なくない」
魔法少女が魔法少女を殺したと言うのか!
「ナオ、君はその間、なにをしていたんだ?」
「ミユルを人質に取られ、ただ見ていることしかできなかった。手出しできない状態のまま更新時を過ぎ、端末を潰された魔法少女は全て力を失った。魔方陣が壊れ、厄災が街にあふれているのに誰も何もできない」
「ルイは更新時期をまたいでも、まだ魔法少女として存在しているのか」
「ああ。現在日本で魔法少女の力を持つ者は、ルイとルイから直接エネルギーを受けているミユルだけだ」
「ミユル? ミユルとアクセスできないが彼女は生きているのか?」
「今はルイのために働いている。協力しないと俺と他の魔法少女を殺すと脅されて」
ただでさえ少ない回復系だ。ルイとしても貴重な手駒なのだろう。
「ルイはなにをしようとしているんだ」
「戦争のない平和な世界を作るらしい」
「戦争のない世界?」
「同じ考えを持つ百人の魔法少女を従え、ルイは世界中の軍隊に戦争を仕掛けた」
「百人? 馬鹿な。ルイに同調する魔法少女を更新する端末がいるはずがない。更新を行わなければ魔法少女は自動的にその力を失う。現在変身可能な魔法少女は三十人を越えないはずだ」
一期ごとの更新は、魔法少女の安全装置として機能するよう考えられているのだ。
「ルイが直接エネルギーを注ぎ続けている」
たった一人で常時百人もの魔法少女に高次元エネルギーを供給し続けて居るというのか! なんという事だろう。僕は途轍もない化け物を魔法少女にしてしまったのだ。
「ルイはこれを人類最後の戦争、ハルマゲドンだと言っている。ついこないだも中国の人民ナントカ軍が崩壊した。中国は今、内戦状態にあるらしい。同じような国がどんどん増えている。戦争をなくすどころか世界中に戦争の火種が広がっている」
国と国との関係は、歴史、宗教、経済等様々なイデオロギーが複雑に絡み合い成り立っている。軍隊をなくせば戦争がなくなるというような単純な物ではない。むしろ拮抗した軍事力は戦争抑止力として機能する。その軍事力が突如片方だけ消えてしまったら……。
「クライン、俺をもう一度魔法少女にしてくれ」
「どうするつもりだ」
「ルイを止める」
「できるのか。ミユルを人質に取られているのだろ?」
「これを見てくれ」
僕はナオに連れられ小屋の外に出た。小屋は小高い丘の中腹にある一軒家の物置だった。小さな庭から街を見下ろす。初めて見る街だ。夕暮れ時だというのに家々に灯りが見られない。クルマも動いている様子はない。道行く人の姿もまばらだ。
「ここはお袋の実家だ。店を閉めてソカイしてきたんだよ」
「疎開……」
「日本へのアブラ(原油)の輸入が途絶えている。蓄えが残りわずからしくて、停電や断水なんか今や当たり前だ。食料も配給になって都心は治安が悪くて住めたものじゃないんだ。豪雪地域では凍死者も出ているらしい。学校も年明けから休校状態だ。これが全てルイ一人のせいだ。直ぐにでも止めないと被害はもっと広がる」
事態は僕の予想を遙かに上回るものだった。ルイ率いる魔法少女軍団は、世界中の軍隊にゲリラ戦を仕掛けた。正体不明の敵からの攻撃に人々は疑心暗鬼となり、世界各地で紛争や厄災が同時多発しているのだ。
東南アジアも例外ではない。沿岸諸国による外国船舶への臨検が厳しくなり、日本へ向かうタンカー、貨物船も尽く足止めされた。海賊行為により行方不明になる船舶も少なくないという。現在日本は備蓄を切り崩すことで凌いでいるのだ。
「俺が迷った結果がこれだ。世界中で人がいっぱい死んでいる。今度は必ず止めてみせる。どんな犠牲を払ってでも」
「わかった。登録を更新しよう」
ユウキ・ナオ。第四期登録更新。
ナオは一度家に戻ると「出かけてくる」と両親に伝えた。こんな時間からどこへ行くのだと問う両親に、「どうしてもやらなければ成らないことがある」とだけ言い残し家を飛び出した。
「良いのか。もう二度と会えないかも知れないんだぞ」
「覚悟の上だ」
ナオの両親を想うと僕の心は痛んだ。ナオの決意を知れば、彼らはどんな手段を使ってでもナオを止めるだろう。だが今やナオは、ルイを阻止できる唯一の可能性なのだ。
ナオは変身した。かつて黒色だったコスチュームはガンメタルへと変貌し、ターコイズブルーのフリルは蛍光色に輝いていた。ミラクルブラスターは鏡面の輝きをたたえ、右太もものホルスターに収まっている。
「ナオ、ルイは今どこにいるんだ?」
「捜す必要はない。俺が変身すればルイは必ず気が付く。必ず俺の所にやってくる」
ナオは地面を蹴り飛んだ。瞬間最大時速九百キロメートル。野を越え山を越え、あっという間に東京の街に達すると塔の頂上に着地した。その高さ三三三メートル。
寒風吹きすさぶ中ナオは待った。
日が落ちたにもかかわらず、東京の街も灯りは疏らだ。わずかに走るクルマは赤色灯をつけた緊急車両ばかり。所々に暗く揺らめく光りは火災だろう。その前を厄災と思われる不気味な影が横切るのが見えた。
やがて半月が昇り、巨大な高層ビル群を照らす。それはまるで何百年も昔に滅んだ文明の遺跡のようだった。一時間も経ったころ、空からヒュルヒュルと音が聞こえてきた。
「ナオ! 逃げろ!」
僕が叫んだときナオは既にジャンプしていた。
轟音に振り返ると、塔の上部に巨大な氷塊が突き刺さり、倒壊していくのが見えた。
「ルイじゃない! 今のはフェイント攻撃だ。迂闊に……」
バン!
電光がナオの身体を貫く。空中で硬直し、そのまま地上に落下する。三百メートルの高さからアスファルトに激突した。
「ナオ、大丈夫か! ナオ!」
うつ伏せに倒れピクリとも動かない。
その傍らに二人の魔法少女が姿を現した。セルリアンブルーとバーミリオン。氷属性と雷属性なのだろう。二人ともアジア系の外国人だ。一人がつま先でナオの頭を小突く。
「ザ・ストロンゲスト・ウイッチ?」
二人が顔を見合わせ笑ったが、それは直ぐに悲鳴に変わった。
ナオが二人の足首を掴んだのだ。
「ストロンゲストだけが売りじゃないぜ。タフネスもだ」
ナオは二人を掴んだままジャンプすると、一人をビルの外壁に、もう一人を路上に放棄されていた高級外車の屋根に叩きつけた。二人とも気絶し変身が解ける。
「雷程度で俺を倒せるとでも思ったのかよ」
ナオは二人からペンダント(ID)を取り上げると踵で踏み砕いた。そして一人の胸ぐらを摑みペチペチと頬を叩く。
「こら起きろ。ルイはどこだ。起きろ!」
意識を取り戻した少女が目に涙を浮かべ答える。
「ソーリー、ソーリー、アイムナッ……」
「ちっ! 日本語喋れっつーの!」
耳を劈く轟音と共に、オレンジ色に輝く炎がナオの背後に迫った。ナオは少女を抱えると間一髪ビル影に退避した。
「ここに隠れていろ。変身してないと簡単に死ぬことを忘れるなよ……って言っても通じないか」
ナオはビルの屋上にジャンプし、辺りを見回す。
「さてと。キララもどき(・・・)はどこだ?」
「ナオ! 自身を囮に使うような戦い方はやめろ。身体が持たないぞ」
「ミラクルブラスターは相手を確実に殺してしまう。接近戦に持ち込むしか方法がない」
「戦い方を選んでいる状況ではないと言っているんだ。そんなことでルイに勝てるとでも思っているのか!」
「それって魔法少女の精神に反していないか?」
そんなことはわかっている。わかって言っているのだ。だがルイを止めなければ世界は戦争に突入する。まかり間違って核が使用されれば、文明が失われるかも知れないのだ。
「あ、赤いの見っけ!」
ナオが飛んだ。カーマインレッドの魔法少女は振り返る間もなく後ろを取られ、スリーパーホールドをキメられる。
「お前今さっき、変身の解けた魔法少女に向けて炎を使っただろ。なに考えているんだよ。当たったら大火傷だぞ! 死んじゃうんだぞ!」
「ぐっ! スタップ……ウエイ……」
カーマインレッドがナオの腕をタップする。
「それにあんなアバウトな炎じゃ、厄災に対して狙いが定まらないだろ? せっかくの大火力が少しも生かされてないぞ。誰か風属性と組むんだな。少しはウララ、キララを見習えよ。あれ? 聞いている?」
カーマインレッドが弛緩し変身が解けた。
「落ちたか。だらしのない。あ、白人じゃないか。本物の金髪は綺麗だなぁ。そばかすも超可愛い。まるでフランス人形みたいだ」
ペンダント(ID)を破壊し、カーマインレッドの魔法少女をベンチに横たえると、ナオは空に向かって叫んだ。
「ルイ! 見ているんだろ? 小細工はやめろ! 出てこい!」
ひゅん。
なにかがナオの目の前を横切った。背後にあった街路樹が音を立て倒れる。
「今度はなんだ! 風か?」
現れたのはコバルトブルーのコスチュームに身を包んだラテン系美少女だった。切れ長の目にブルネットのロングヘアー。ローティーンとは思えないナイスバディをしている。
「うお! 超美形だ! おっぱい、でかっ! なに食ったらそんなになるんだよ。エロ過ぎるだろ! 揉み倒してやるから覚悟しろ!」
ナオはラテン系美少女に向かってダッシュした。
「ナオ! 無闇に突っ込むな。相手の属性を把握してから……」
ラテン系美少女がフルーレ型のステッキを振った。透明な帯状の膜がナオに放たれる。
それは高圧で射出された水の刃だった。
「避けろナオ!」
ナオは避けなかった。縦方向に迫る水の刃に対し、身体が直角になるように飛んだ。水の刃が胴体を直撃する。しかし魔法少女のコスチュームはこれに耐えた。ナオはそのままプロレスのボディーアタックよろしくラテン系美少女に激突する。もんどり打って倒れるラテン系美少女。だがラテン系美少女は怯まず、立ち上がりざまに回し蹴りを繰り出す。ナオは辛うじて両腕でブロックしたが、吹き飛ばされビル外壁に叩きつけられた。
「くーっ! 効くぅ。さすがラテン系! 肉弾戦もお手のものか。けど俺だってダテにサッカーやっている訳じゃないんだぜ」
ビルの外壁を蹴って再びナオが突進する。ラテン系美少女が今度は二回、フルーレを十字に振った。これでは避けきれない! だがナオの繰り出した蹴りはついに音速を超えた。発生した衝撃波が水の刃を粉砕する。衝撃波は同時に周りのビルの窓ガラスも砕いた。
ガラスの破片が降り注ぐ中、ナオが肩で息をしながら叫ぶ。
「どうだ! なでしこジャパンを舐めるなよ!」
そこには変身が解け、大の字に寝転ぶラテン系美少女がいた。衝撃波をまともに喰らい脳震盪を起こしたのだろう。ミニスカートがめくれ上がり下着が見えていた。
「うっわー。パンツ紫かよー。ちょっと引くなぁ」
ナオはよろよろと歩み寄ると、めくれ上がったスカートを丁寧に直し、ペンダント(ID)を取り上げ破壊した。相当消耗しているようだ。
「顔立ちは綺麗だけど俺の好みじゃ……」
ナオが気配を感じ振り返る。魔法少女ミユルが立っていた。
「ミユル!」
「ナオさん、お久しぶりです。クーちゃん、復活したんですね。ミラクルブラスターを使うことなく、四人も倒してしまうなんてさすがです」
ミユルはラテン系美少女に歩み寄るとステッキをかざした。
「四人ともルイさんの親衛隊で、このカリンダなんか、どこかの国の戦車隊をたった一人で全滅させたんですよ。こんな人相手に素手で勝っちゃうだなんて。魔法少女史上最強って本当だったんですね」
「ミユル。大丈夫……か?」
「ちっとも大丈夫じゃないです。ナオさんこんなに強いのに、どうして大晦日の総攻撃に参加しなかったんですか? あの日、何人の魔法少女が死んだか知ってますか?」
「すまない。みんなを人質に取られて怯んだ。けど今日は決着を付けに来た」
「ならばお願いがあります」
「なんだ?」
「今ここで、わたしを殺してください」
「ミユル!」
「わたしは人殺しの片棒を担がされました。もうお父さんやお母さんに合わす顔がありません。なのにこの一ヶ月半変身を解くことを許されず、自殺もできません。飲まず食わずでも死なないのです。楽にしてください。お願いです」
ミユルの言葉に僕の心は張り裂けそうだった。この状況を作り出した責任の一端は僕にある。僕がミユルをここまで追い込んでしまったのだ。だが僕自身は何もすることができない。ナオに事態の打開を期待するしかない。
カリンダの治療を終え、今度はナオにステッキをかざす。
「ナオさん、これでフル充電完了です。さぁ、そのミラクルブラスターで、わたしをこの世から消してください」
「ミユル。お前が責任を感じる必要はない。お前にはなんの非もない。自分を責めるな」
「慰めの言葉なんか聞きたくもありません。この地獄からわたしを救ってください。そしてルイさんを殺してください。今も百人の魔法少女が世界中で人殺しを行っています。ルイさんに従っている魔法少女たちは、全てルイさんからエネルギーを貰っています。ルイさんを殺せば彼女たちはただの人になります。何十万人、何百万人の人の命が助かります」
「全ての責任は俺にある。俺もここへは覚悟を決めてきた。だからルイの事は……」
「どんな覚悟なの?」
声は空から聞こえた。光輪を背に白い翼が輝きながら降りてくる。翼の数は六枚に増え、銀色だった髪の毛は完全な白色と化していた。神々しいまでの美しさと、金色に光る瞳の威圧感に僕は戦慄した。彼女は純粋な厄災と化していたのだ。
ルイはナオから十メートルほど離れた位置に着地した。ミラクルブラスターを警戒しての距離だろう。翼を閉じ、倒れたカリンダをガラクタでも見るような目で言った。
「有能だと思って親衛隊に取り立てたのに。なんてザマだろう。それともここは素直にナオちゃんを誉めるべきなのかしら?」
ルイがミユルにクリスタルリングをかざす。
「ぐっ」
ミユルが苦悶の表情を浮かべ膝をついた。
「せっかくナオちゃんの体力を消耗させてやったのに、回復させてどうするのよ。あなたを生かしているのは光属性の数が限られているからなの。あなたはただそれだけの存在なのよ? 今度勝手な真似をしたらあなたの友達を殺す。次は兄弟、その次は両親。わかった?」
「やめろルイ!」
「さすがの魔法少女も機関砲の集中砲火や、ロケット弾の直撃を受けると、手足が千切れたり内蔵がはみ出したりするの。そんなとき回復系って便利なんだよねぇ。特にミユルは優秀で、どんな重傷でもすぐに治しちゃう。アヤカさんとは比べものにならないぐらい力が強いの。もっとも首が飛んじゃうとアウトっぽいけどね」
ルイが笑いながらクリスタルリングを下ろす。ミユルが脱力して倒れた。
「ミユル!」
ナオがミユルを抱き起こす。
「大丈夫か?」
「だから……大丈夫じゃ……ないですって。……お父さん、お母さん……助けて」
ミユルがナオの腕の中で泣いた。
「ねぇ、ナオちゃん。今からでもわたしの仲間にならない? ナオちゃんがいれば戦争はもっと早く終わるよ。平和な世界を二人で作ろうよ。そうしたら今までのことは全て水に流してあげる。そしてナオちゃんを男の子にしてあげる。今のわたしにはそれが出来るんだよ」
ミユルを寝かせナオが立ち上がる。
「ルイ」
「なぁに?」
「これのどこが戦争のない平和な世界なんだ?」
「わからないかなぁ。今は産みの苦しみってヤツだよ」
「関係ない人も巻き込まれて死んでいるんだぞ! これがお前の言う正義なのか?」
「正義って元来そういうものじゃないの?」とルイが笑った。
「原爆を市街地に二つも落とし、何十万人もの一般市民を虐殺したアメリカが罪に問われない理由。なんだかわかる?」
「……なに言ってるんだよ、お前」
「それはアメリカが勝者であるから。勝者が正義であるから。前にナオちゃん、法律に基づかない正義なんて正義じゃないって言ったけど、その法律を作るのは勝者なんだよ。だからわたしが勝者となって正義を再定義する」
「だからなに言ってるんだよ! ゲンバクとか俺には全然わかんねぇよ!」
「相変わらずのお馬鹿さんだなぁ、ナオちゃんは。じゃあ、もっと簡単な話をするね。わたし発見したんだ、厄災をなくす方法を」
「厄災をなくす方法?」
「厄災は人々のストレスによって生まれる。ストレスをなくせば厄災はなくなる。つまり世界の人口を減らせばいいんだよ。そうすれば自ずと厄災は消えてゆく。簡単な理屈なんだよ。これで全ての問題がまーるく収まる。インド・パキスタン辺りで大規模な軍事衝突を起こさせようと思うんだ。核兵器が使用されればアジアの人口が一気に減ると思うよ」
ルイが「うふふふ」と軽やかに笑った。その表情は無邪気そのものだった。これが厄災に取り憑かれてしまった人間の姿なのか。かつてのヒトラーやスターリン、ポルポトもこれと同じだったのか。ナオが静かに言った。
「ルイ。変身を解け。そしてペンダント(ID)を返すんだ」
「どうして?」
「お前は酔っているんだ、魔法少女の力に。勘違いしているんだ、神様みたいな力を持ってしまって。一度変身を解いて頭を冷やそう」
「ナオちゃん。今わたしね、生まれてきた中で一番平穏な状態にあるの。心と体が一致して、とても静かなの。わたしは物心付いたころからずっと違和感を覚え生きてきた。ずっと苦しんで来たこのわたしが今安らかなの。全てのことを冷静に客観視できるのよ。ナオちゃんも男の子になれば、きっとわたしが言っていることが解るはず。同じ苦しみを抱えてきたナオちゃんなら」
「そんなもの解りたくもねぇ。そこまでして男になりたいとも思わねぇ。女の身体のまま苦しんで一生を過ごしたほうがマシだ」
ルイはため息をつき言った。
「なんて愚かな選択。救いようのないお馬鹿さん」
「ルイ、もう一度言う。変身を解いてペンダントを返すんだ」
「嫌だと言ったら?」
「ぶっとばす」
「へぇ。このわたしを? 四十七人の魔法少女を倒したこのわたしを? そんなことナオちゃんにできるの?」
「そのためにここに来た」
「ナオちゃんが先に変身を解いて。そうしたらわたしも解く」
ルイがゆっくりとナオに歩み寄る。その距離八メートル。
「それはできない」
「できるはずないよね。わたしのことを信じていないのだから」
さらにルイが間合いを詰める。五メートル。この距離なら!
だがナオはミラクルブラスターに手をかけようともしない。
それどころかナオは泣いていた。
「ルイ、頼むよ。もとのルイに戻ってくれよ」
「なに? この期に及んで泣き落とし? ほんとナオちゃんにはがっかりだよ」
「俺の大好きなルイはどこに行っちまったんだよ! もう戻れないのかよ!」
ルイが翼を広げた。
「見て。これがわたし。これがわたしの本当の姿」
「本当のルイに人殺しができるはずないんだ。今のルイがルイであるはずがないんだ!」
「じゃあ、今、ナオちゃんの目の前にいるわたしは、だれ?」
ルイが満面に笑みを浮かべ首を傾げた。それを見たナオは顔を伏せ、嗚咽を漏らした。
そして震える声で言った。
「厄災、だ」
二人が同時にジャンプした。間合いが一気に遠のく。
ミラクルブラスターを撃つ唯一のチャンスを逃してしまった。やはりナオにルイを倒すことはできないのか。ナオの覚悟とはこの程度のものだったのか。ナオはビルからビルへとランダムにジャンプする。それをルイは距離を取り、飛行しながら追跡する。
「どうして撃たなかったの? 離れて戦う限り、わたしにとってミラクルブラスターは脅威ではない。わたしが光弾を自在にコントロールできることは知っているでしょうに!」
ナオの着地点を狙ってルイがクリスタルリングをかざす。間一髪の所でナオが逃れた。ビルの一角が崩壊する。
「あははは! さすが最強、スピードが並の魔法少女とはまるで違う! でもいつまで逃げられるかしら!」
ルイが次第に着地のタイミングを掴んでいく。
砕けたコンクリートの塊がナオの額に当たり血が流れた。
「ナオ! 逃げているだけではダメだ! このままでは重力に捕まるぞ!」
「わかっている。わかっているよクライン。お前はもう離れていろ」
十一回目のジャンプでナオはルイに突進した。歯を食いしばり、ルイの目を見ながら真っ直ぐに! だがその動きはあまりにも直線的すぎた。あと一メートルのところでクリスタルリングに捕まり、音を立てアスファルトにめり込む。僕は重力に捕らわれる寸前にナオから離れた。
「ナオちゃん、甘いよ。真っ向勝負でわたしに敵うと思った? それともわたしが手加減するとでも思ったの?」
ルイがナオの傍らに着地した。
「ナオちゃん、まだ生きている?」
アスファルトにめり込んだナオが、体中から出血しながらもまだ生きていた。
「凄い凄い! さすがナオちゃん! まだ生きている! これをまともに喰らった十三人の魔法少女は、みんな即死だったというのに!」
ルイがしゃがみ、笑いながらナオの顔を覗き込む。
「あーあ。血まみれだぁ。体中の骨が折れたみたいだね。内蔵も潰れたかな? 痛い? 苦しい? 仲間になるならミユルに言って今直ぐ治して上げる。これが最後のチャンスだよ」
「……ル……イ」
「なぁに? 聞こえないよ? 仲間に、なる? 早く返事をしないと死んじゃうよ?」
「……約束を果たす……俺たちは、ずっと一緒だ……」
ナオの右手にはミラクルブラスターが握られていた。
ミラクルブラスターに映り込んだルイの笑顔が凍り付く。
ナオは逃げていた訳ではなかった。ミラクルブラスターのゼロ距離射撃。
これがナオの覚悟だった。
自己犠牲。それはシングルマインドの行き着く先。
魔法少女の究極の姿。
放たれた光弾は直径十メートルの光球となり、二人と僕を包み込んだ。
「リエントリー」に続きます。