第三期 アップデート
「ヤマネ・ミユルです。よろしくお願いします!」
その少女は少し髪の長くなったナオの前でペコリと頭を下げた。彼女はフジノモリ・アヤカの後任である。アヤカと同じ光属性を持つ小学五年生。今日は厄災から自身を守ることができない彼女とナオとの間で、相互安全保障協定を結ぶための顔合わせだ。場所はいつもの街外れのミスド。
ミユルは今時珍しいほど礼儀正しく誠実な少女だ。何事にもポジティブな典型的魔法少女気質でもある。もちろんシングルマインドの数値も高い。前々から目星を付けていたのだが、先月ようやく十一才の誕生日を迎え選考条件を満たしたのだ。きっと優れた魔法少女になってくれることだろう。サラリーマンの父親に専業主婦の母親。二つ下の弟が一人。
「あの、ユウキさんって、本当に、女子なんですか?」
「うん。女だ。呼び方はナオでいいよ」
「じゃ、ナオさん。全然見えないって言うか、凄い格好いいって言うか」
「ありがとう」
ナオがミユルの目を見ながら微笑む。ミユルが少し頬を赤らめた。
「ねえ、ミユル」
「はい」
「魔法少女になるのに抵抗なかった? 夏に色々と事件あったし」
「はい。でも、魔法少女は憧れだったから」
魔法少女は憧れだったから。尊い言葉である。
「夏を最後に大きな厄災は出現していない。しばらくはこの安定した状況が続くと思う。一緒に戦う機会は少ないかもしれないけど、よろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします! ナオさんは魔法少女史上最強だとクーちゃんから聞きました。ナオさんと一緒に戦えて光栄です」
「本当の最強はルイなんだけどね」
「その……ルイさん? とは知り合いなんですか?」
「うん。でも今はソエンになっている」
「ケンカ、ですか?」
「色々あってね。追々聞かせて上げるよ」
「はい」
「早速今晩にでもお互いの能力を披露し合いたいと思うんだけど、大丈夫かな」
「はい! お願いします!」
長く続いた残暑も終わり、ようやく秋めいてきた。店を出ると道路の向こう側に、親子連れらしき四人が見えた。その中の一人がナオに気付きこちらに駆けてくる。
「ナオくん!」
「ウララじゃないか!」
「久しぶり! 元気してた……って無理か、ちょっと」
「そうだな。あまり元気じゃないかも」
ナオが力なく笑う。ウララが視線をミユルに移した。
「その子、新しい魔法少女?」
「うん。アヤカの後任のミユルだ。ミユル、ウララだ。引退した先輩魔法少女だよ」
「ヤマネ・ミユルです! よろしくお願いします!」
「そうか、アヤカさんの……」
ウララの表情が曇った。ナオが親子連れを見て尋ねる。
「ウララ、あの人はもしかして……」
「そう! お父さん。わたしたちのお父さん!」
お父さんと呼ばれた人の腕に絡みついていた、もう一人の少女がこちらに向かって手を振る。それはキララだった。ナオが感慨深げに呟く。
「願いごと、叶ったんだ」
「うん。叶った。願いが叶った」
ウララが破顔した。ウララとキララはそれぞれの願い事を「父の甦り」と「父を知る者達全ての記憶操作」に分け実行した。単に生き返らせるだけではなく、父親の社会復帰まで果たしたのだ。
「良かったな」
「ありがとう。みんなのおかげだよ」
ハグする二人。
「わたしたち、これからレストランでご飯なんだ。お母さんの支度に時間がかかって、予約の時間に遅れていて。もう行かなくちゃ」
「うん」
「ルイとは仲直りできた?」
「……会ってくれないんだ」
「そっか。早く仲直りできることを祈っているよ。じゃ、またね」
ウララは家族の元へ帰って行った。
深夜。いつかルイたちと訓練をした山奥の近く。
「な、ナオさん、暗くて怖いです!」
パールピンクのコスチュームに身を包んだミユルが、オドオドと辺りを見回す。
「そうだな。前来たときはルイがいたんだった。灯りがないとこんなに暗いんだな」
月明かりだけでは心許ない。
「すまない。日を改めよう。もう少し早い時間に……」
辺りが柔らかい光に包まれる。見上げると翼を広げたルイが空中に浮いていた。
「綺麗! まるで天使みたい!」
ミユルが感激の面持ちでルイを見上げる。
「ルイ。どうしてここがわかった? クラインか」
「わたしね、魔法少女が変身するときに発する、重力の微妙な揺らぎを感知できるんだ。夜回りをしていたら懐かしい揺らぎと、馴染みのない揺らぎを同時に感じて来てみたんだけど……」
ルイがミユルをチラリと見る。
「その子、新しい恋人?」
「新しい魔法少女だ」
「ふーん。アヤカさんと同じピンクなんだ」
ミユルの真横に着地し翼を閉じる。
「こんばんは、新人さん。若いね。小学生?」
「ヤマネ・ミユルです! 小五、光属性です! よろしくお願いします!」
「わたしはマツナガ・ルイ。属性は重力。足引っ張る子は潰しちゃうぞ」
「え? 潰す?」
「冗談だよ」と白い歯を見せた。
「ナオちゃん。アヤカさんは残念だったね」
「ああ」
「知らないことが幸せってこともあるんだね」
「あの、アヤカさんって、わたしの前任の? なにかあったんですか?」
「なんだ、ナオちゃん。話してないの?」
「あれはアヤカ個人の問題だ。魔法少女に関係ない。話す必要ないだろう」
「そうかなぁ。願い事が叶わなければ、お嬢様として一生不自由なく暮らせたのに。大きな教訓だと思うよ」
「お嬢様?」
ミユルが首を傾げる。
「ヤマネさんもテレビや新聞で見なかった? フジノモリグループの闇」
「あ、知ってます。会長が孫娘に刺されたって。でも本当は孫じゃなくて実の娘で、父親と思っていた人は腹違いのお兄さんで、生んだ母親は会長の愛人で……。なんかそんな感じのややこしいヤツ。お母さんがそう言うの好きで、ワイドショーとかよく見てます」
「詳しいじゃないの」とルイが笑った。
「え? まさかアヤカさんって、その孫娘?」
「そう。フジノモリグループ会長と、その愛人の間に生まれたのがアヤカさん。会長は充分な養育費を払い面倒を見ていたんだって。ところが愛人の要求する養育費が徐々に増え、仕舞いには法外な金額を提示して、払わなければ隠し子の存在をマスコミにばらすと脅したの。口論となり愛人を突き飛ばしたら打ち所が悪くて死亡。これを隠蔽し、アヤカさんを息子の子どもとして届け出。息子はその後当時付き合っていた女と結婚。それを魔法で全部告白させたわけ」
「ルイ、もうやめろよ」
「このスキャンダルでフジノモリ一族はグループから追放。実の父親を刺し殺したアヤカさんも、少年院出たあとの帰る家はないって話よ。笑っちゃうでしょ? 一年間頑張ってきてこの結果だよ。全てを失ってまで知る必要あったのかしら。まぁ、アヤカさんには申し訳ないけど、この事件のおかげで魔法少女に対するバッシング報道が、多少なりとも軽減されたのは不幸中の幸いだったかな。ねえ、ナオちゃん」
「……ルイ。お前、変わったよな。前は人の不幸を笑うような事しなかっただろ」
「そうかもね。だとしたら変えたのは誰かしら?」
僕たち端末は時折このような悲劇に遭遇する。例えそれがどんなに残酷な結末であったとしても、僕たちはそれをただ見守ることしかできない。それを望んだのは魔法少女自身なのだ。叶う願いは人を必ずしも幸福にはしない。これは魔法少女に限ったことではない。
「今から魔法の訓練するんでしょ? 照らしてあげるからやりなよ。わたしも久々にナオちゃんのミラクルショットが見たいし」
「……じゃ、頼む」
ナオがホルスターから銃を抜く。
「ミユル。これがミラクルブラスターだ。俺がこの銃を手にしているときは、絶対に俺の前に出てはいけない。この銃は厄災、人の区別なく、あらゆるモノを空間ごと消し去る大変危険な武器だ」
「はい!」とミユルがナオの背中に付いた。
ナオが山の斜面に向かって銃を構える。
「ミラクルショット!」
光弾が一発放たれる。山の斜面に当たる直前、光弾は空中に静止した。
「ルイか?」
ルイがクリスタルリングをかざし、笑みを浮かべていた。
「ルイ! なにをする気だ」
「ナオちゃんの後ろにいても、危ないってところを見せようかなと思って」
「なに?」
光弾が急上昇し、反転した。落下する先はミユルの頭上。
「やめろ!」
光弾が炸裂した。
ミユルは後ろを振り返り、背後にできた黒く巨大な穴を見てペタリと座り込んだ。
「馬鹿野郎! ミユルに当たったらどうするんだ!」
「わたしのコントロールは完璧だよ」
「人相手にふざけた真似をするな!」
「ナオちゃんとわたしが組めば最強なのに。世界中の魔法少女を従えることができるのに。そうは思わない?」
「世界中の魔法少女を従える? どう言う意味だ?」
「意味なんかないよ。ちょっと言ってみただけ」
薄ら笑いを浮かべるとルイは去っていった。
「クライン。ルイはどうしちゃったんだ? あいつ、なにを考えている?」
「ついこの間聞いたんだ、願い事はやはり女の子になることなのかって。そうしたらルイはこう答えた。『女になるよりも先にすることがある』と」
◇
夏以降大きな厄災は鳴りを潜めている。だが微細な厄災は時折その姿を見せる。
それはネズミのような小動物を模っていた。放置しておいても自然消滅するであろう無害な厄災である。これらが十数匹の群れを成し街中を駆け抜けていく。こんな厄災が時として役に立つことがある。新人魔法少女の訓練にうってつけなのだ。
キリシマ姉妹に代わって、新たに魔法少女登録されたナナコとミズキは、その微小厄災の追撃を行っていた。二人はキリシマ姉妹と違って姉妹でも友人でもないが、あえてペアを組ませることにした。それぞれの属性が木と土という、魔法少女の中でも戦闘力が低ランクに位置する者同士なのだ。現時点における戦闘力は、二人合わせてもウララ一人に遠く及ばない。
「木の葉手裏剣!」 「煙幕! 目つぶし!」
二人が木の葉と土煙をまき散らしながら厄災を追う。ところが厄災のスピードにまるで着いていくことができない。とうとう力尽き、しゃがみ込んでしまった。
「無理。魔法少女がこんな体力勝負の仕事とは知らなかった。ゲロ吐きそう」 「同感。でも三十分で十五キロは走ったよね。凄くない? 体育の時間ならぶっちぎりだよ。オリンピックでも金メダル!」
二人が息も途切れ途切れに言った。変身した魔法少女は常人の数十倍の体力を発揮する。魔法のレベルが低いとはいえ、オリンピックアスリートを遙かに凌ぐ存在なのだ。
「今日はもう終わりにして明日にしようよ、クーちゃん」
「まだ一匹も倒していないぞ」
「うそうそ。一匹倒したって」
「倒していない」
「最初のところで確かに一匹……」
ドン。
ナナコとミズキがしゃがみ込む目の前の地面が、直径二メートルの円状に十センチメートルほどへこんだ。
「な、なに? これ」 「ナナコちゃん、あれ!」
ミズキが宙を指さす。ルイの姿があった。
「凄い。天使だ!」 「クーちゃん、あれ、魔法少女?」
「そうだ。魔法少女ルイ」
「あの人がルイさん? なんて綺麗なんだろう、光っているよ! それに比べてあたしたちのコス、超ダサくない?」 「うん、緑と深緑って地味すぎる。なんか無性に悲しくなってきた」
ルイが二人の前にゆっくりと降りる。翼を閉じると無表情に言った。
「あなたたち、あんな雑魚も倒せないの?」
「ひえええ、ミズキちゃん、この人なんだか怖い」 「顔の表情変えないで怒ってるぅ!」
正直あまり気が進まななかったが、僕は二人をルイに紹介した。
「この二人は新人のナナコとミズキ。いずれも小六だ。誰もが初めから魔法を自在に操れるわけではない。むしろ君やナオのような魔法少女が特殊なんだ」
「タカスギ・ナナコです。木属性です。魔法は今のところ木の葉手裏剣しか使えません」 「ヤナギハラ・ミズキです。土属性です。まだ煙幕しか張れません」
「……」
「あ、あの!」とナナコ。
「なに?」
「お、お綺麗ですね!」
「……」
「凄く羨ましいです。あたしたちもホントはルイさんみたいに綺麗で、可愛い魔法少女になりたかったんです。けど変身してみたらなんだか学芸会の衣装みたいで。魔法もあんまり使えなくて。正直ちょっと落ち込んでいたんです。魔法少女の世界も、やっぱり女の子は綺麗じゃないとダメなのかなって」
「ねえ、ナナコさん」
「は、はい」
「魔法少女の見た目は本人の内面が反映されるって知っている?」
「あ、聞きました、一応。クーちゃんから。はい」
「今のあなた方の姿は、あなた方自身の自信のなさがそのまま出ているのよ」
「はぁ」
「綺麗になりたい?」
「なりたいです」
「良かったらわたしが鍛えて上げましょうか?」
好ましくない方向に舵が向いてゆく。
◇
雲ひとつなく晴れ渡った秋の日。空に歓声がこだまする。
ナオは文字通り体育祭の華だった。彼女の一挙手一投足に女の子の黄色い声が上がる。そして期待に違わず出場する競技でことごとく一位を獲った。ナオの活躍は実に見事なものだったが、僕はその姿に一抹の寂しさを感じていた。
なぜブルマーはその姿を消したのだろう。少女を愛でる楽しみのひとつがなくなって久しい。オリンピックをはじめとする、本格的な陸上競技においてはブルマーが主流になりつつあるのに! ただしルイだけはブルマーでなく本当に良かった。心からそう思う。
「やっぱナオくん超カッコ良い。キュンキュンしちゃう」
応援席でユイナが身をよじる。マミが笑いながら答えた。
「確かにねぇ。ウチのクラスの男子連中がジャガイモに見えるよ」
「ルイもそう思うでしょ?」
「今は敵だよ。ユウキ・ナオを倒さないかぎり、ウチのクラスの優勝はない」
ルイが珍しく闘志をむき出しにする。
「ルイ、こーわーいー。もっと気楽にやろうよぉー」
鷹峰中学校の体育祭はクラス対抗戦だ。学年別の優勝と総合優勝をかけポイントを競うのだ。女子サッカー部のユウキ・ナオと、陸上部のマナベ・タカシを擁する一年三組は現在学年首位にあった。総合優勝も狙える位置だ。それに僅差で続くのがルイたち四組。
「ねぇ、ユイナ」とルイ。
「なに」
「ナオちゃんとまだ付き合っているの?」
「どうしたの急に?」
「付き合っているの?」
「今は普通に友達だよ。知ってるでしょ? 時々一緒に遊びに行く程度だよ」
「なにかされた?」
「え?」
「チューとか、それ以上とか」
「……まさか。ないよ。なんでそんなこと言うの?」
「そう」
グラウンドに呼び出しアナウンスが流れる。
『一年女子四百メートルリレー出場選手は、大会本部テント前に集合してください』
「ルイ、マミ頑張って!」
ユイナに激励され、ルイとマミが他の二人の選手と共に立ち上がる。ルイとマミは帰宅部ながら四組のポイントゲッターだった。特にルイの運動能力が際立った。外見は物静かな印象の少女だが、体力的には男子と同格なのだ。だがここまで三組に尽く阻まれ高ポイント獲得に繋がらない。このリレーが逆転最後のチャンスだった。
「男子に期待できない。わたしたちが勝つしかない」とルイ。
「どうしたのルイ? いつもと違うね? やっぱりナオくんとなにか……」
「わたしは優勝したいだけ!」
事実上ルイたち四組とナオ三組との決戦だった。全チームがスタートラインとリレーポイントに並ぶ。ルイとナオはそれぞれのチームのアンカーだ。
全校が注目する中、スターターの音がグラウンドに鳴り響いた。
第一走者から三組と四組が他チームを引き離しにかかる。三組がややリードする形で第二走者へと繋げた。これをキープしてアンカーのナオに繋げることができれば三組の優勝は堅い。だが第三走者へのバトンタッチで三組がミスを犯し、四組がトップに躍り出る。四組の第三走者はマミだ。高鳴る歓声の中、マミは三組との差三メートルをキープしたままアンカーのルイへと繋げた。リレーのミスはない。
ここまでナオは数多くの種目を全力で戦ってきた。体力的に限界のはずだ。いくらナオとはいえこの差を詰めるのは難しいだろう。誰もがそう思った。しかしナオの追い上げは神がかり的だった。あっという間にルイとの差を詰めていく。ルイがゴール寸前で横に並んだナオを見た。この一瞬がスキを生んだのだろう。二人とも倒れ込むようにゴールしたが、テープを切ったのはナオだった。
歓声を上げる三組の応援席。ハイタッチするナオチーム。リレーミスをした第三走者が泣きながらナオに抱きつく。頭を撫でそれを慰めるナオ。
ゴールに座り込み、呆然としているルイにナオが気付いた。歩み寄り「大丈夫か?」と手を差し出す。ルイはその手を無視して四組の応援席へ戻っていった。
その後三組は男子もリレーで一位を獲り、総合優勝を果たした。
◇
体育祭が終わり、休み明けの放課後。体育館裏。
ルイは女子上級生三人に呼び出されていた。ナオのファンクラブのメンバーらしい。僕はこのような状況において傍観者となる。冷たいと思われるかも知れないが、学校生活における諸問題は彼女たち自身が解決しなければならない。これはどの時代の、どの国の学校にも起こりえる、ありふれたシチュエーションなのだ。
「あんた何様のつもり?」
「ナオくんシカトするとか意味わかんないしぃ」
「黙ってないでなにか言いなよ。ひょっとして馬鹿なの?」
ルイは無言で三人の上級生を見つめていた。感情は読み取れない。
「なにか言えって言ってるでしょ?」と一人がルイの肩を小突いた。
「……るな」
「あん? なんか喋ったぁ?」
「もっと大きな声でぇ。ビビちゃって声が出ないのかなぁ?」
「聞、こ、え、ま、せーん!」
ルイが一際大きな声をあげた。
「汚い手で触るなって言ってるんだ」
三人の表情が強ばる。僕もルイが次に発した言葉に震撼した。
「群れなければなにもできない雌豚どもが」
ユニフォームに着替え、グランド片隅で準備体操を始めていた女子サッカー部のもとに、ユイナが走ってきた。
「ナオくん! ルイが!」
体育館裏へ駆けつけるナオとユイナ。
二人はその光景を見て愕然とした。ルイが上級生一人の髪の毛を掴み、コブシで顔面を殴っていたのだ。他の二人はしゃがみ込み、両手で顔を覆い泣いていた。
ナオが一喝する。
「なにをやっている!」
ルイがゆっくりと振り向いた。
「己がどれほどのクズなのか、教えて上げている」
そう言ったルイの唇に血がにじんでいた。髪と着衣の乱れからも、ここに至る過程の凄まじさが想像出来る。
「痛い、痛い。もう撲たないでぇ。お願いだからぁ」
ルイは泣きながら懇願する上級生に、顔を近づけ言った。
「二度とわたしの前に姿を見せるな。今度その顔見たら、顔の形が変わるまで殴ってやる」
ルイが手を離すと、上級生三人は泣きながらお互いを支え合い去っていった。
「なにやっているんだよ!」
ナオがルイに歩み寄る。
「ナオちゃんには関係のないこと」
ルイの両腕や手の甲に、爪でひっかいた跡があった。左手の指には上級生の髪の毛が大量に纏わり付いている。
「関係ないことないだろ。とにかく保健室に行こう」とナオがルイの手を掴む。
だがルイは「うるさい」とその手を振り払うと去っていった。僕はその後ろ姿に得体の知れない胸騒ぎを感じていた。ルイのシングルマインドはあまりにも激しすぎる。
◇
「助けて!」
ナナコとミズキが裏小路に追い詰めたのは、コンビニエンスストアで万引きをした十五六歳の少年だった。
「うわぁあああ」
地面が波打ち、少年が足を取られ転倒する。
「返す! 返すよ! これで良いんだろ!」
少年は盗んだワックスやジェルをポケットから取り出すと、ナナコとミズキに向かって投げつけた。
「良くないんだなぁ、これが。万引きは立派な犯罪なんだよ」 「そうそう。それソーオーのムクイを受けてもらわなきゃ」
ナナコがバトンを振った。アスファルトを突き破り、植物のツルが数十本出現する。それはヘビのようにのたうち絡みつくと少年を拘束した。
「な、なんだよこれ!」
「お仕置きターイム」とナナコがさらにバトンを振る。
ギリギリと音を立てツルが少年を締め上げた。
「ひぃいいい! 痛い! 痛……ぎゃあああ!」
くぐもった鈍い音が連続的に聞こえた。湿った枯れ木が折れるような不快な音。
ツルが消え少年がアスファルトに投げ出される。
「全治三ヶ月といったところかな」 「今度やったら殺しちゃうぞ」と二人が笑った。
「ミズキちゃん、今日はこれで帰ろっか」 「そだね。なんか食べてく?」
その二人に「待てよ」と声をかける影があった。
「お前ら、なにやっているんだ」
「なにって、悪者退治だけど?」
二人が自信に満ちあふれた声で答える。
かつて学芸会を連想させた二人の貧相なコスチュームは、ナナコがエメラルドグリーン、ミズキがセルリアンブルーの、それぞれ金属的な光沢を放つ鮮やかなコスチュームに変貌していた。容姿も洗練され、とても同一人物とは思えない。魔法の力も飛躍的に向上した。
「あ! ブラックってことは空間属性のナオさん、ですよね? 初めまして! あたし木属性のナナコです!」 「土属性のミズキです! お話はルイさんから聞いてます」
二人が満面の笑顔で挨拶をした。その足下で全身の骨を折られた少年が、うめき声を上げ横たわっている。
「ルイを知っているのか?」
「ルイさんはあたしたちのセンセーです」
「こんな事をやっている魔法少女がまだいたとは。ルイも同じ事をやっているのか?」
「当然です。世直しは魔法少女の義務ですよ?」
「クライン! なぜ今まで黙っていたんだ?」
「すまない。じき飽きると思っていたのだが……」
僕たち端末は厄災退治以外の魔法少女たちの行動に基本関与しない。魔法少女たちの行いは魔法少女たちが決める。これが原則だ。だから夜回りについても口頭で注意するに止めていた。ところがナナコとミズキの行動はエスカレートするばかりで、気が付けば事実上の「闇の処刑人」状態である。再三厳重な注意を行ったが、彼女たちはまるで聞く耳を持とうとしない。そこで今回やむを得ずナオの力を借りる事にしたのだ。
「ルイは今どこにいるんだ?」
辺りが柔らかな光に包まれる。
「ここだよ、ナオちゃん。また放火でもしていると思った?」
魔法少女ルイが空からゆっくりと降りてくる。ルイはナナコの横にふわりと降り立つと翼を閉じ、うめき声を上げ地面に転がる少年を感情のない目で見た。
「この人、なにをしたの?」
「コンビニで万引きして、それに気が付いて止めようとした店員を殴って怪我させました。だから手足と肋を何本か折ってやりました」とナナコが平然と答える。
「妥当なところね」
「はい」
「二人とも腕を上げたわ。この短期間でよく頑張ったね。おいで、ご褒美をあげる」
「はい!」
ルイは二人を呼び寄せるとそれぞれの頬を両手で包み、ナオが見ている前で唇にキスをした。ナナコとミズキが頬を染め、潤んだ眼でルイを見つめる。
ナオが眉間にしわを寄せ言った。
「それは俺への当てつけか?」
「そう思うのは、わたしに対してなにかしらの負い目があるってこと?」
「……」
「今わたしはこの子たちを育てるのに夢中なんだ。とても可愛い後輩たち。だから邪魔しないでくれる?」とナナコとミズキの肩を抱いた。
「育てる? どこがだ? ただの暴力じゃないか。ルイ、こんなこと後輩に教えて恥ずかしくないのか?」
「暴力? 違うよ。これはね、正義なんだよ。わからない?」
「わかんねーよ、そんなもん!」
「じゃあ……今から本当の暴力がどんなものか、見せて上げようか?」
ルイが不敵な笑みを浮かべた。二人の間に一触即発の緊張が走る。冗談じゃない! 魔法少女同士の衝突など前代未聞だ。なんとしても避けなければならない。特にこの二人の能力は尋常でない。街一つを破壊しかねない力を持っている。
「あ、あのー」
その緊張を崩したのはミユルだった。ナオの肩越しにオドオドとこちらの様子を伺っている。万引き少年治療のため僕が呼び出したのだ。
「えーっと。なんか、魔法少女が一杯いるんですけど。白い怖い人もいるんですけど。お取り込み中でしたら出直しますけど?」
集団の中にルイの姿を見つけたミユルは完全に萎縮していた。山での一件がトラウマになっているのだ。
「ミユル、到着早々で申し訳ないが、その少年の治療をしてやってくれないか。説明はあとでする」
「わ、わかりました」
少年にステッキをかざそうとするミユルにルイが声をかけた。
「ナオちゃんとはもうキスした?」
「え? キ、キス?」
ミユルのステッキが止まった。
「もっと先まで進んでいるのかな?」
「な、なに言っているんですか。わたしたち女の子同士ですよ? そんなことしません!」
「へぇ。ナオちゃんにしては珍しいねぇ。こんなに可愛い子なのに。ユイナにもまだ手を出していないそうだけど、どういう心境の変化?」
ナオは答えない。
「まぁいいわ。ヤマネさんって言ったかしら」
「は、はい?」
「ナオちゃんは女たらしよ。貞操には充分気をつけてね。処女を失うと魔法が使えなくなっちゃうぞ」
そう言い残すとルイはナナコたちと共に消えた。
ナオとミユルの間に気まずい空気が流れるのがわかった。
「そ、そうだ、治療……」
ミユルが少年にステッキをかざす。
「あの、これってさっきの人たちがやったんですか?」
「ああ」
「なんのために?」
「世直しだそうだ」
「世直しって、夏頃テレビで話題になったヤツですか?」
「ああ。あいつら未だに続けているようだ。万引きが全身の骨を折られるほどの犯罪なのかよ」
ナオのこの発言は、けして万引きを軽視するものではない。ナオの家も個人商店である。万引き被害の深刻さは充分理解している。
ミユルがステッキを納めた。
「よし、これで治療完了っと。この人どうします? 気を失ったみたいですけど」
「放っておこう。まだ凍死するほど寒い季節じゃないし」
「はい」
二人はジャンプして現場から離れた。高層マンションの給水タンクに着地する。
「あの」
ミユルが躊躇いがちに声を掛ける。
「ん?」
「ナオさんって……その、女の子が……好きな人なんですか?」
「……うん。気持ち悪い? 俺のこと嫌いになった?」
「いえ! そんなことないです! わたしも女の子大好きです。可愛いし、楽しいし」
「俺の前でそんなこと言うと、本当にチューしちゃうぞ。ファーストキス、まだなんだろ?」
「ファーストキスは……やっぱり男の子がいいかな」
二人が笑った。
「あの。ひょっとして、ルイさんと付き合っていたんですか?」
「うん。ミユルはあんな感じのルイしか知らないだろうけど、本当は優しくて、可愛くて、しっかりしたヤツなんだ」
ナオが天を仰ぐ。
「なんで信じてやれなかったんだろう。なんで疑ったんだろう。あいつがおかしくなったのは、全部俺のせいなんだよ」
◇
北のどこかで初冠雪があったと、テレビのニュースが伝えだした頃。ヤマネ・ミユルは一人下校していた。自宅近くの児童公園まで来たところで、見慣れない女の子二人がミユルの行く手を塞ぐ。それはミユルが初めて目にする素顔のナナコとミズキだった。
「こんにちは、ヤマネさん」 「ちょっと時間いいかな?」
半ば強引に連れ込まれた先は、近くのファミレスだった。
「寒くなったねぇ」 「ほんと寒くなった。でも変身すれば寒さ暑さは関係ないけどね」
ナナコとミズキがココアをすすりながら笑う。ミユルが警戒しながら口を開いた。
「用ってなんですか?」
「わたしたちの仲間になりなよ」とナナコ。
「仲間? 魔法少女はみんな仲間じゃないんですか?」
「そうなんだけどさぁ。わかるでしょ?」
僕は割って入った。
「ミユルに私刑の手伝いをしろと言うのか?」
「クーちゃん、うるさい。ちょっと黙っていてくれる?」 「リンチって言い方嫌ーい。なんか悪いことしているみたいに聞こえるぅー。お仕置きって言ってー」
「黙っていられるものか。何回も言うが、君たちの行動は魔法少女として間違っている。夏に犠牲者が出たのを忘れたのか」
「あれは大っぴらにやり過ぎたのが悪かったんだよ」 「そうそう。今みたいに地道にするべきだったんだ」
人が死んだというのに、この子たちはその重大性を理解していない。
「やっぱ光属性って便利なんだよねぇ、なにかと」 「存在自体レアだしね」
回復系魔法を操る魔法少女は数が限られる。攻撃系は多種多様な属性が存在するが、回復系は光属性と一部特殊な水属性木属性だけなのだ。日本では現在ミユルが唯一の存在だ。
「あなた方がピンチの時には必ず駆けつけます。でもリンチの手伝いはできません」
「ねぇ。ヤマネさん。あんた魔法少女になってから、その能力を一度でも誰かのために役立てたことある?」
「あなた方が骨を折った男の人を助けました」
「犯罪者助けてどうするの! 人や社会の役に立ったのかって聞いているわけ」
「魔法少女は世界の安定のためソンザイすると聞きました。いることに意味があるって。だからその力を一度も使わなくても、それはそれで構わないって」
「ヤマネさん。持てる者の義務って言葉、知っている? 力ある者はその力を社会にカンゲンしなければならないんだよ?」
ルイの受け売りだ。ルイのこの詭弁を免罪符に、彼女たちは魔法を暴力の手段として行使しているのだ。
「断ります」
状況次第ではナオを呼ぼうとも思ったが、全くの杞憂だった。ミユルはナオの良いところを素直に吸収している。ナオは性的嗜好に多少の問題を抱えるが、体育会系だけあって後輩の指導に長けているのかもしれない。
「まぁいいや。今日はここまでにしておく」 「まだ諦めたワケじゃないからね。行こっか」
立ち上がろうとするナナコとミズキに、今度はミユルが声をかけた。
「タカスギさん、ヤナギハラさん。わたしからもお話があります」
「ん? なに?」 「世直し活動はやめないよ」
「そうじゃないです。ナオさんとルイさんのことです」
ナナコとミズキが座り直した。
「言ってみて」
「二人を仲直りさせたいんです」
「ヤマネさん。今日のあたしたちの話し合いは平行線だったよね」
「はい」
「この問題が解決しないと、二人の仲って戻らないんじゃないの?」
「そうかもしれません。でも仲違いしてから一度も話し合った事がないって聞きました。せめて一度二人きりで話をさせて上げたい」
「無駄じゃないかなぁ。ナオさんが入り込む余地は、もうないと思うよ」 「そうそう。だってルイさんが愛しているのはあたしたちなんだから」と二人が再び笑った。
「脳みそが蕩けそうなキスって味わったことある? ……って言っても子どもにはわかんないか」 「気が変わったらいつでも声かけて。歓迎するよ」
二人が去っていった。
「……クーちゃん」
「なんだい」
「なんであんな人たちが魔法少女になれたの?」
「根は素直で良い子たちなんだ。素直ゆえシングルマインドが悪い方に向いている。あの子たちもナオの下につけば、立派な魔法少女になったと思うのだが」
◇
シネコン近くのスタバ。ユイナが拗ねた声を出す。
「ねぇ、ナオくん。聞いている?」
「え?」
「え? じゃないよ。酷いなぁ」
ユイナがキャラメルマキアートのカップをテーブルの上に置く。
「わたしの話、つまらない?」
「ごめん。ちょっとボーッとしてて」
「ボーッとなにを考えていたの?」
「い、今見た映画のこと」
「ウソばっかり」
珍しくナオとユイナが二人だけで街に出ていた。ユイナがどうしても見たかったという短期上映のインディーズ映画に、たまたま都合のついたナオが付き合っているのだ。二人きりといってもデートという感覚は既にない。知り合ってから半年以上が経過し、二人の関係は普通の女友達となっていた。
「ねぇ、ナオくん」
「ん?」
「ルイとなにがあったの?」
「なにもないよ」
「あのね。バレバレだよ。夏以降二人が変な感じになっているのが。ほとんど口聞いてないでしょ?」
「そうかな」
「そうだよ。二人って同じ小学校なんでしょ? 知り合いだったんでしょ?」
「まぁね」
「どう言う関係なの?」
「普通の友達だよ」
「まだしらを切るか。ルイもなにも教えてくれないし。わたしに言えないことなの?」
「ユイナ。心配してくれてありがとう。でも本当になんでもないんだ」
「そういう言い方ずるい。大人ぶって」
「ごめん」
「もう! だからその言い方! わたしたち友達じゃないの? マミも心配しているんだよ!」
「……ルイとは……ケンカした」
「原因は?」
「話せない」
「わかった、理由は聞かない。ナオくんはどっちが悪いと思っているの?」
「俺」
「じゃ、話は簡単だ。ルイに謝ろう。なんなら今すぐにでも」
「無理だ。絶対許してくれない」
「そんなの謝ってみなければわからないじゃない?」
「あいつの頑固さは半端じゃない。一度決めたことは必ず貫き通す。そういうヤツだ」
「詳しいんだね、ルイのこと」
「長いからな。幼稚園からの付き合いだ」
「え? そうなの? なんで隠していたの?」
「色々あってさ」
「……ふーん。ルイって……どんな子だったの?」
「昔から頭が良くて、しっかりしていて、正義感が強くて。女子を虐める男子とか絶対に許さなかった。俺も助けて貰ったことがある」
「ナオくんがルイに助けて貰った?」
「俺って昔からこんなんだったから、結構男子から虐められたんだ。オトコオンナとか言われてさ。もちろん一対一では負けなかったよ。けど一度三対一でさ、パンツ脱がされそうになったことがあって。その時正義の味方みたいに現れたんだ、ルイが。で、男子三人を一人でボコボコにしていくわけ。ユイナも見ただろ。あいつ、ああ見えてケンカ滅茶苦茶強いんだ」
「見た。正直ちょっと引いた」
「ボコられた男子の親がルイの家に怒鳴り込んで来たらしいんだけど、ボコるに至ったいきさつを事細かに説明して、逆にその親を俺の家に連れてきて謝らせたんだ。これが小学校四年のときの話だぜ。半端ないだろ?」
「確かに凄い……」
「俺はルイに取り返しのつかないことを言ってしまった。俺がルイを裏切ったんだ」
「諦めちゃダメだよ。ルイに謝ろう。誠心誠意謝ればきっと許してくれる。わたしも一緒に謝ってあげるから」
数日後。クリスマスを間近に控えたある日。
ユイナの部屋にナオとマミの姿があった。
「もっと早く相談して欲しかったな」とマミ。
「ごめん」
「確かにルイって頑固だけど、筋を通せばちゃんと理解してくれる子だと思うよ」
「その筋を通さないことを俺はしてしまった」
「ナオくん暗いよぉー。ナオくんらしくないよぉー。スパッと謝ってスパッと仲直りしようよ」
階段を上る足音が聞こえ、部屋のドアが開いた。
「さ、入って入って」
ユイナに促されルイが入ってきた。ナオの姿を見つけ立ち止まる。
「勉強でわからないところがあるって言うから来たんだけど?」
「まぁまぁ。そう言わずに。こうやって四人がウチに集まるのは久々だよねぇ。さ、上着脱いで座って。わたしお茶持ってくるし」
ユイナがドアを閉め出て行った。
ルイはコートを脱ぎ、ハンガーに掛けるとマミの横に座った。
「マミもわからないところがあるの?」
「ルイ。白々しいよ」
「なにが?」
「仲直りだよ」
「誰が?」
「ほんっと、頑固だねルイは」
「おまたー」とユイナがお盆を持って現れた。
人数分のカップとお菓子を盛ったボールを並べる。そしてユイナも座ると二人に言った。
「今日はね。二人に思うところをキチンと話し合って貰おうと思って。ルイを騙す感じで連れてきたことは謝るよ。でも見ていられなくてさ。さ、ナオくん」
「その……」
ナオが躊躇いながら口を開いた。
「ルイ。お前を疑ったことを謝る。済まなかった。もっと早く謝るべきだったとも思う。許して欲しい」
ナオが頭を下げた。ルイはその様子を無表情に眺めている。マミが言った。
「ルイ。ナオくんとルイの間になにがあったのか、詳しいことは聞いていない。ルイがここまで怒るんだから、ナオくんも相当酷いことを言っちゃったのかなって思う。けど許して上げて欲しいな。今日までナオくんも凄く苦しんだんだと思う」
ルイは頭を下げるナオをしばらくの間見つめ、口を開いた。
「卑怯だ」
マミの顔色が変わった。
「卑怯ってなに? ナオくん謝っているんだよ?」
「事情も知りもしないで勝手なことをしないで欲しい。この状況ではナオちゃんの謝罪を受け入れないわたしが悪者になってしまう」
「確かに事情は知らないよ。でもねルイ、ここはお互い謝る所じゃないの? 卑怯ってなに? 謝罪を受け入れないってどういうこと? ケンカ両成敗って言葉知っているでしょ? お互い譲らないと前には進めないよ?」
「わたしに非はない。だから謝る道理がない。そもそもそんな次元で語れる問題ではない」
「なにそれ? あったま来た! その道理とやらを聞かせて貰おうじゃないの! 納得のいく説明ができるんでしょうね?」
「話せない」
「卑怯なのはルイ、あんたよ! わたしたち友達じゃないの?」
「マミ、もういいよ。ルイが正しい。悪いのは俺なんだ。今日は謝れただけでも良かった。もう終わりにしよう」
「でもナオくん!」
「ねぇルイ」
それまで黙って聞いていたユイナが口を開いた。
「ルイとナオくんって付き合っていたの?」
ルイとナオ双方が沈黙した。
「付き合っていたんだよね。このあいだナオくんに、ルイとの昔話を聞かせて貰って確信した。なんとなく気付いてはいたよ? だって二人の間には不思議な空気感があったもの。なんで話してくれないんだろうと思ったけど、気が付かないふりをしてきた。わたしに気を遣っているのかなって。でもこのままじゃみんなバラバラになっちゃう。だから一度全て話してリセットしようよ。そうすればきっと上手くいく」
ルイが言った。
「話さなければ友達でなくなる。話しても友達でなくなる。よくわかったわ」
「決めつけないで! どんな理由があったとしてもわたしたちはルイの友達だよ! 話してみなければなにも始まらな……」
「わたしは男なの!」
部屋の空気が凍り付くのがわかった。
ナオが膝の上で拳を握りしめ、顔を白くしてルイを見つめる。
「男だか半陰陽だか正確には知らない。今となっては知りたいとも思わない。でもこれだけは言える。わたしが(・・・・)女じゃないのは確か(・・・・・・・・・)。わたしはナオちゃんを愛していた。ナオちゃんのためなら命を投げ出す覚悟があった。ナオちゃんもそう思っているものと信じていた。なのに裏切られた。これが全て。どう? これでリセットできた? 明日からまたわたしと同じように話せる?」
ルイにとっては魔法少女以上に重大な秘密。女性として生きていく上で欠かせない秘密。この告白はユイナ達に理解を求めるそれではない。決別を意味する告白だ。今それを理解しているのはおそらくナオ一人。
ルイは上着を羽織ると「さようなら」と部屋を出て行った。
「な、ナオくん、今のって……」 「じょ、冗談だよね? ね?」
青ざめ狼狽えるユイナとマミを部屋に残し、ナオはあとを追った。住宅街を全力で走る。
「ルイ!」
追いついたナオがルイの腕を掴んだ。ルイは振り向きざまにナオの頬を平手で打った。
「これで満足?」
「ルイ……」
「鷹峰中でのわたしの学校生活はこれで終わり。転校する、わたしを知る人のいない、どこか遠くへ。これで満足?」
「ルイ、俺は……」
再びルイの平手が飛ぶ。
「お前のせいだ、全部お前のせいだ! 全部!」
「聞いてくれルイ! 俺は!」
「もう二度と顔を合わせることもない。もう二度とだ! これで満足か! ナオ!」
三度手を挙げようとしたところでルイが倒れた。
「ルイ!」
慌ててナオがルイを抱きかかえる。
「どうしちゃったんだ?」
「失神だ。感情の高ぶりを制御しきれなかったんだろう」
「病院に連れて行かなくちゃ……」
「ナオ、残念だがその時間はなくなった。今、厄災が出現した」
クリスマス商戦真っ盛りの駅前は色鮮やかに飾り付けられ、人とジングルに溢れていた。小さな子どもの手を引く親子連れが目に付く。厄災の出現により一時閉鎖されていたショッピングモールも新装開店となり、賑わいを取り戻していた。
「あ、ヨッシーだ!」
子どもが指さし声を上げる。大人たちもそれにつられ顔を向けた。体高二メートルほどの、頭を肥大化させたダチョウのようなその生き物は、数十頭の群れを成し駅前広場中央の植え込みにいた。頭を盛んに動かし辺りの様子を伺っている。
「よくできているなぁ、この模型。これってジュラシックパークに出て来た、ヴェロキラプトルっていう肉食恐竜だよ。群れで狩りをするスッゲー凶暴な恐竜なんだぜ」
サラリーマン風の若い三人連れの一人が植え込みに歩み寄る。スマホを取り出し一匹を近接撮影しようとしたところ、大きな鉤爪の付いた後ろ足がその男の腹を蹴った。男は二メートルほど飛ばされ背中から転んだ。
「なにやっているんだよ!」
連れ二人が笑いながら男の腕を引っ張り立たせる。男の腹部からピンク色の塊がこぼれ出た。近くにいた女が悲鳴を上げる。それは男の腸だった。
女の悲鳴を合図に恐竜たちが一斉に通行人に襲いかかった。次々と人を押し倒し、生きたまま腹を裂き内蔵を啜った。その様子を間近に見た人々が我先にと逃げ出す。人の群れが車道に飛び出し、これを避けようとした路線バスがターミナルに乗り上げ横転した。
ナオ、ミユル、ナナコ、ミズキが駅前広場に降り立つ。
ナオが叫んだ。
「あいつ、人を喰っている!」
厄災による一般市民の死亡は実に十一年ぶりである。そしてナオたちが初めて遭遇する人死にの現場だった。蒼白になったナオが一匹の恐竜に向かってダッシュする。
「やめろぉ!」
ナオが恐竜の側頭部を殴りつけた。恐竜は一瞬よろめいたものの、ナオを睨みつけると牙を剥き「シャー!」と威嚇した。
「こいつ、超かてえ! 今までの厄災とまるで違うぞ!」
「ナオさん、下がって!」
ミズキがバトンを振った。地面が波打ち舗装を剥がしながら地津波となって恐竜を襲う。バランスを失い腰砕けになった恐竜に、今度はナナコがバトンを振るった。地面から出現した無数のツルが恐竜を捕らえ拘束する。実に見事な連係プレイだ。ルイの教育もそれなりの成果を上げているということか。なんとも皮肉な話しだ。
「上手いぞミズキ、ナナコ! よし、ミラクルショット!」
光弾が恐竜へ向けて放たれる。しかし恐竜は難なくツルを引きちぎると光弾をかわし、僕たちに向かって突進してきた。
「逃げろ!」
ナオの声と共に魔法少女が四方八方へジャンプする。恐竜の顎が空を切り、ガチリと嫌な音を立てた。外れた光弾が駅ビルに当たり、閃光を放って外壁をえぐった。
「みんな怪我はないか!」
「ナオ、魔法少女は全員無事だ。市民に膨大な被害が出ている。早く止めるんだ」
恐竜は素早い魔法少女を諦め、再び逃げ惑う通行人を追いはじめた。
電話ボックスに逃げ込んだ子どもが、ボックスの下から引きずり出されるのが見えた。ナオはミラクルブラスターをホルスターに収めると、再び恐竜に向かってダッシュする。恐竜が引きずり出した子どもを後ろ足で押さえつけ、頭に齧り付こうとしていた。
「このぉ!」
ナオがコブシを振りかざしジャンプする。
ドン!
ほぼ体当たりの、渾身の一撃が胴体に炸裂した。恐竜が横転し腹を見せる。
「ミラクルショット!」
光弾が恐竜を包み込み、長い尾だけ残して消えた。
「これでやっと一匹か!」
ナオが子どもに駈け寄り抱きかかえるが、首の骨が折れ既に事切れていた。
「ウソだろ! こう言うのって危機一髪のところで助かるんじゃないのか? ミユル! この子を助けてくれ! ミユル!」
「ナオ。一度死んだ人間はミユルの回復魔法では蘇らない。四期勤め上げた報酬の願い事でないと無理だ」
「そんな……」
「ナオさん、うしろ!」
ミユルの声に振り返ると、二匹の恐竜が一斉にナオに飛びかかるところだった。一匹を殴り倒したものの、もう一匹がナオをアスファルトに押し倒し腹に爪を立てる。魔法少女のコスチュームは重機のパワーを持っても破壊できる代物ではない。二三回引っ掻くと直ぐに諦め、今度はナオの頭に齧り付こうと巨大な口を開いた。突き出すナオの庇い手に恐竜が噛みつく。
「ぐわぁ!」
長さ十センチメートルもあるノコギリ状の牙がナオの腕に食い込んだ。ミラクルブラスターがナオの手からこぼれ落ちる。
「ナオさん!」
ミユルがバス停の電子掲示板を引き抜き恐竜に向かって振り下ろした。頭に命中し、スパークした火花が辺りに散る。驚いた恐竜はナオを放し逃げていった。ミユルが負傷したナオを抱え駅ビル屋上に退避する。ナナコとミズキも続いた。
「ナオさん、大丈夫ですか!」
「俺よりも早くあの恐竜を……」
そう言ったナオの両腕は引き裂かれていた。心臓の鼓動に合わせ、血が噴水のように吹き出す。ミユルのコスチュームを赤く汚した。
「ナオさん!」
ミユルが泣きながらステッキをかざす。ナナコとミズキも泣いていた。
「あんなのどうしようもないよ。数が多すぎる。いっぱい人が死んでいる。怖いよ! もう嫌だよぉ!」「ルイさんどうして来ないの! ルイさんなら一撃なのに! ルイさん!」
まずい。魔法少女たちがすっかり戦意を失っている。
その頃ルイは公園のベンチに横たわっていた。
「ルイ、起きろ! ルイ!」
反応がない。気を失ったままだ。やむを得ない。僕はルイの耳たぶをそっと噛む。
ルイが目を開けた。
「厄災が出現した。一般市民に多数の死傷者が出ている。早く駅前に行くんだ!」
ルイはベンチに横たわったまま宙を見ていた。
「ナオが負傷した。ミユルが治療している最中だ」
それでもルイは反応しない。僕の声が聞こえていないのか?
「ナナコもミズキも完全に戦意を失っている。被害は広がる一方だ」
「……」
「これを止めることができるのは君しかいない!」
ルイがなにか呟いたが聞き取れなかった。
「ルイ! 魔法少女の責務を果たせ!」
ようやく身体を起こした。
立ち上がるとその場で変身し、ひと羽ばたきで駅前広場上空に達する。
そこに広がる光景は凄惨を極めた。喰い散らかされた幾つもの遺体。立ちこめる血と臓物の匂い。ルイはその只中に降り立つと翼を閉じた。
横倒しになったバスの上に三匹の恐竜が群がっているのが見えた。車内に閉じ込められた人々を、ニワトリがエサでも啄むように喰らっているのだ。壊れた窓から肉片が啄まれる度に、バスの中から悲鳴が上がる。
「あ! ルイさん!」
駅ビル屋上にいたナナコとミズキがルイに気が付いた。
「ルイさん! ここです! ルイさん!」
泣きながら二人が手を振る。だがルイは二人を無視して恐竜をただ眺めていた。
様子がおかしい。やはり死体を見て動揺しているのか。
「ルイ。距離を取れ。こいつらは素早い。一斉に飛びかかられたらお終いだぞ!」
ルイの力はナオと違って「力の軌跡」が見えない。だから恐竜たちは回避できないはずだ。離れて戦う限りルイに勝機はある。
「一度に倒そうと思うな。一匹一匹を確実に仕留めるんだ」
ルイがゆっくりとクリスタルリングをかざす。
ドンと大きな地響きを立て、三匹の恐竜がバスごと地面にめり込んだ。同時にバスに閉じ込められた人々の悲鳴も途絶えた。
「ルイ! なんてことを! あの中にはまだ生存者が!」
ルイは羽ばたくと駅ビル上空十メートルほどの位置に静止した。そして辺りをグルリと見渡す。二匹の恐竜が男一人の奪い合いをしていた。血まみれに成りながらも男はまだ生きている。それに向かってルイは迷うことなくクリスタルリングをかざした。血煙が上がり肉と血だまりがアスファルトに広がった。
「待てルイ! 今君がしている事は……!」
人殺しだ、という言葉を飲み込む。機能停止寸前の負荷に耐えながら僕は言った。
「ルイ、今君は死体を見て動揺している。ナオとのことがあって正しい判断ができずにいる。君をここに呼んだのは間違いだった。一度変身を解くんだ」
僕の言葉を無視して、ルイが再びクリスタルリングをかざす。街中に次々と血煙が上がり、全ての恐竜が肉塊と化した。多数の一般人を巻き込んで。
……嘘だ。
これはなにかの間違いだ。
魔法少女が殺人を犯すはずがない。
シングルマインドを持つ者に殺人ができるわけがない。
どんな理由があろうとも、魔法少女は人を殺してはならない。これが半世紀にわたり守られてきた不文律なのだ。茫然とする僕に向かってルイが囁く。
「わたしね、前々から思っていたんだ。魔法少女モノにおけるジレンマ」
「なんの……話だ?」
「ほら、アニメによくあるじゃない? 多数と少数、どっちを助けるのかっていう二択。本来ならジレンマに値しないこの選択を、魔法少女モノでは主題として取り上げる。そして二択だって言っているのに、魔法少女はどちらも助ける第三の選択を行う。自身を窮地に追い込んでまで」
「それこそがシングルマインドだ」
「アニメの中では都合良く全員が助かって終わるけど、現実にはそんなことできはしない」
「そんなことはない!」
「そうかな。わたしが来なければ、もっと多くの人が死んだはずだよ。ナオちゃんが一匹倒している間に何人死んだ? 多数を助ける為に少数を犠牲にする。これは社会の基本なんだよ」
違う。多数のため少数を犠牲にする考え方は、魔法少女にあってはならない。そういった合理的な考え方をする少女は魔法少女たり得ない。シングルマインドの持ち主であるはずがないのだ。ルイのシングルマインドを再計測する。
数値は最大値を振り切っていた。
これは一体……。
「厄災は人の心の現れなのに。これを解決しなければ真の安寧は訪れないというのに。ただ三次元宇宙の安定を保つだけが、魔法少女の存在意義だなんておかしいとは思わない?」
「なにを……言っている?」
「これだけの力があれば不安の大本を断つことができる。これこそが魔法少女に与えられた真の使命なんだよ。わたしはそのためにこの力を行使する」
ルイの瞳が金色に光った。
あの時と同じだ。痴漢の足を潰したときと同じ不快な……いや、邪悪な気。
僕は悟った。今までルイを襲った厄災は、ルイ自身の不安が具現化したものだったのだ。一時世界的に厄災が増加したのも、ルイの不安が魔方陣に影響したものなのだ。通常個人レベルの不安が厄災として具現化することはない。しかしルイの持つ激しいまでのシングルマインドが高次元エネルギーの干渉を受け、三次元宇宙に影響を及ぼしていたのだ。
変身時の女体化により、表面的には魔方陣の安定に寄与していたように見えたルイ。だがその裏で、ナオとの確執によりシングルマインドがストレス化し、ルイの心を蝕んでいたのだ。そしてユイナたちの前で自身が女ではないことを告白したとき、限界まで膨れあがっていたストレスがルイの心を破壊したのだ。今は破壊された心に厄災が取り憑き、ルイの人格を再構成しているのだろう。
「ルイ。今すぐ変身を解き、ペンダント(ID)を返したまえ。今の君は魔法少女に相応しくない」
「わたしほど魔法少女に相応しい人間はいないよ。だってわたしは正しい魔法の使い方を知っているもの」
「拒否するなら高次元エネルギーの供給を強制遮断する」
ルイが薄ら笑いを浮かべた。
「そんなことをして魔方陣は大丈夫なの?」
「ルイが覚醒する前の状態に戻るだけだ」
高次元エネルギー供給回路を遮断する。しかしルイの変身は解けなかった。
「どう言うことだ?」
「エネルギーの流れを前々から観察してきたの。わたしは重力をコントロールできる。重力は空間をもコントロールできる。空間にバイパスを作ることぐらい、わたしには容易いことなの。知らなかった? クーちゃん」
空間にバイパスを開いただと? 直接高次元からエネルギーを得ているというのか? 限りなく高次元生命体に近い存在ということになる。ルイは危険だ。過去出現したいかなる厄災よりも。今目の前にいるこの少女は、人類史上最悪の厄災なのだ! 僕はナオに向かって叫んだ。
「ナオ! ルイを……」
ドン。
僕の身体がアスファルトにめり込んだ。骨格が砕け身体が肉塊と化す。
五感が途切れた。
……
システムエラー
システムに深刻な損傷発生
システム再構築の上、再起動
システム再構築中
システム再構築中
「第四期 セミルナティック」に続きます。