第一期・前 チュートリアル
僕は一人だが、担当地域全ての魔法少女の数だけ同時に存在が可能だ。高次元の存在である僕は、限定付きではあるが三次元的制約に捕らわれないのだ。
ナオが自室のベッドで漫画を手に言った。
「じゃあ、今クラインが俺の部屋でこうやって話している最中にも、もう一人のクラインがルイの部屋でルイと話しているってこと?」
「そう言うこと。ナオはがさつに見えて理解力は高いね」
「うっせえ。で、ルイは今なにしている?」
「宿題を終え風呂に入ろうとしているところだ。下着も女物なんだな。スポーツブラにパッドを入れているのか。性同一性障害とはいえ親の理解も善し悪しだ」
「ルイの悪口を言うな」とナオが僕を睨んだ。
「悪口ではない。女と決めつけるのが早いのではないかと言っているのだ。まだ中学生になったばかりだろう」
「そんなことはない。俺も幼稚園の頃から好きなのは女の子だった」
「ルイは学校でも女の子として生活している。ナオは?」
「女だ」
「ルイとは違うんだな」
「ウチの学校は制服がないからスカートを履く必要がない。だから今のままで問題ない。むしろ女でいた方が女子の着替えとか楽しい。プールの授業なんか俺にとってはパラダイスだ」
「プールの授業? ルイはプールではどうしているのだ」
「小学校高学年の頃から見学している。中耳炎かなにかの理由で。中学でもそうするんじゃないかな。チンコ付いたままスクール水着はアウトだろ。本当は水泳得意なんだけどな」
確かに見たくない。想像すらしたくない。
「プール開き、楽しみだなぁ。同じクラスのヒメノって子、すっげー巨乳なんだ。どんなおっぱいしているのか拝ませて貰うぜ。あ、今のルイには内緒な」
「……」
「さってと。俺も風呂に入って寝ようかな」
「僕もご一緒させて貰おう」
「このスケベ」
「失敬な。僕にとって少女は神聖な存在だ。疚しい心など持ちようがない。僕はそういう風に作られているのだ。ナオも僕にとってはアフロディーテに匹敵する存在なんだぞ」
少女を愛でる行為は、端末にとって糧とも言える貴重なひとときなのだ。
「あふろでぃーてってなんだ?」
「美の女神」
「俺が?」
ナオの顔が引きつった。
色気のない男物の下着が残念だが、ナオの身体は紛れもなく女の子だった。部活で日焼けした顔や手足とは対照的に、湯気ににじむ白い身体が美しい。膨らみ始めたばかりの胸。下腹部に茂みはまだ見られない。
ナオの家は代々酒屋だったが、近所に開店した量販店に圧され経営が悪化。数年前にコンビニエンスストアとして再出発した。両親は店を軌道に乗せるため、休みなく働いているという。そのため一人っ子だったナオは全くの放任状態で育った。ナオの男装についても両親は「そのうち直るだろう」程度の認識しかない。
「見てくれよ、この胸。最近出てきたんだ。マジありえねぇ。ペンチで潰してやろうかと思ったこともあったけど、一年後にはこの身体はルイのものになる。大切にしなきゃな」
身体を流し、湯船に浸かるナオ。
「昔、オヤジにチンコが欲しいって言って困らせたことがあったんだ。チンコっていつか生えてくるものだと信じてたんだよ。俺が女でそれが無理だってわかった時、絶望に押しつぶされそうになった。そんな話をルイにしたら、ルイも同じ事で悩んでいるのを知った。二人で一緒に泣いたよ。そして誓ったんだ。ずっと一緒にいようって」
二人のシングルマインドの高さは、共有する二人だけの秘密に起因するのかもしれない。
ナオが笑顔で言った。
「でももうすぐ夢が叶う。俺、頑張るよ。ミニスカートもスパッツはいて我慢する」
「ナオ。一つアドバイスさせて貰っていいかな」
「なんだ?」
「女の子がチンコチンコと連呼するのはやめた方がいい」
「じゃ、なんて言うの? いんけい?」
いや、そう言う意味じゃなくて……。
◇
ルイは性同一性障害と診断され、中学進学と同時に女性として生活することになった。過去を捨てるため通う中学は学区外だ。その生活は家においても学校においても女の子そのものである。現在は両親と三人暮らし。年の離れた姉は昨年就職し一人暮らしをしている。
新学期も数週間が経過し友達もできた。同じ四組のニナガワ・ユイナとミナクチ・マミの二人だ。休み時間を共に過ごし、お互いの家を訪れ、他愛のないおしゃべりに何時間も費やすごく普通の女友達である。しかし二人はルイが男の子であることを知らない。また学校側も一部教師にしかルイが男の子であることを知らされていない。
今日はユイナとマミがルイの家に遊びに来ていた。その様子を部屋の片隅でボンヤリと眺めていたら、ユイナと目が合ってしまった。
「わ。ルイ、これなに? ヌイグルミかと思った。いつから飼っているの?」
「フェレットの一種。クーちゃん。一ヶ月ほど前から飼っている」
「へーっ、これがフェレット? 超可愛い! フェレットってもっとイタチっぽいのを想像してたよ。触っても大丈夫?」
「噛みはしないと思う」とルイが僕をじっとりと見た。
当然だ。僕が少女を傷付けることなどあり得ない。少女は僕の崇拝対象なのだ。ちなみにルイは僕のことを「クーちゃん」と呼ぶ。僕が担当する十一人の魔法少女のうち、九人までがそう呼ぶ。呼ばないのはナオと……。
「クーちゃん、おいでおいでー。いやぁーん! フワッフワ! かぁーわぁーいーいー!」
「ホント。これ、ちょっとヤバイかも」
ユイナ、マミ両名に、身体の隅から隅までまさぐられる。少女を愛でる行為は何ものにも代え難い至福のひとときだが、少女に弄ばれるこの状況はそれを遙かに凌駕する。少々背徳的であるところに得も言われぬ趣がある。繰り返して言うが、僕はそういう風に作られている。
「マミのところはイヌ飼ってたよね。わたしもなにか飼いたいなぁ」
「イヌは大変だよ。毎日散歩させなきゃいけないし。よく食べるし、糞はするし。ルイ、フェレットってなに食べるの? ケージがないようだけど、部屋で飼っていて抜け毛とかトイレの躾けとか大丈夫?」
「えーっと。ほとんど手間、掛からないかな? 食べ物はドッグフードとか?」
ルイが曖昧な返事をした。そりゃそうだろう。僕は食べないし排泄もしない。抜け毛もなければ散歩の必要もない。今までルイの手を煩わせた記憶はない。あ、一度機能停止を起こして部屋に担ぎ込まれたことがあったか。まぁ、その程度だ。
ユイナが僕の喉をくすぐりながらポツリと言った。
「……ねえ、聞いてくれる?」
「なになに?」とマミ。
「わたしって変なのかな?」
「変? なにが変? ユイナのどこが変?」
「わたしね。好きな人ができたんだ」
マミとルイが「きゃー」と黄色い声を上げ、期待の面持ちで身を乗り出す。女の子は時代を問わずこの手の話題が大好きだ。恋話の為生きていると言っても過言ではないだろう。ただし今回は若干名イレギュラーが含まれている。
「で、誰? どこの誰?」
たたみ掛けるように問うマミにユイナが答えた。
「三組のユウキさん」
ルイから表情が消える。マミも困惑の表情を浮かべた。ユウキって……。
「ユウキさんって……女子サッカー部のユウキ・ナオ、さん?」
「うん」
やはり。
「まあ、確かに格好良いけど。並の男子より全然イケてるし」
「でしょ?」
「けど女子だよ」
「やっぱり変だと思う?」
「うーん。そういう話は良く聞くけどさぁ。後輩が先輩に憧れる的な?」
「憧れとかじゃない。本当に好きなの。朝目が覚めた瞬間から夜寝る時まで、今なにしているんだろうなぁって。やっぱりわたしって変なのかな?」
「どこで知ったの? きっかけは?」
「校庭歩いてたら、飛んで来たボールがわたしに当たって。で、駆けつけて来たのがユウキさんで。すっごく優しくして貰ったの」
「だぁー! なんちゅうベタな展開! あんたは昭和のラブコメか! お母さんの田舎にそんなマンガが山ほどあったわ」
「だって本当なんだもん!」
「ユウキさんって一部女子の間ですごい人気らしいね」と言ったマミに「どんな風に?」とルイがやや食い気味に聞いた。
「三組の子が言うには、毎日のように手紙貰っているらしいよ」
ルイの頬がひくりと動いたのを僕は見逃さなかった。ナオは学校において女子の憧憬対象にあるらしい。こういった宝塚的現象はけして珍しいことではない。半世紀前にも往々にしてあったものだが……。マミがユイナに向き直る。
「で、ユイナはどうしたいの?」
「どうしたいって?」
「コクりたいとか、付き合いたいとか」
「だからそれがわからないの」
「はぁー。こりゃ参った。マミお姉さんお手上げだわ。ルイはどう思う?」
ルイは一点を見つめたまま答えなかった。
「おーい。ルイちゃーん、どうしたぁ? 帰って来ーい」
「え? なに?」とルイが我に返る。
「女子が女子を好きになる話」
「いいんじゃないかな」
「どういう風に?」
「人が人を好きになるのに、理由なんかないと思う。たまたまそれが女子というだけ」
「へぇー。ルイはタッカンしているねぇ。なんかそう言う経験あるの?」
「ななない」
「普通そうだよねぇ」と笑うマミにユイナが言った。
「それってやっぱりわたしが変ってこと?」
「そうじゃないんだけどさぁ……」
結論が出ないまま時は過ぎ、二人は帰っていった。
「おや? ルイ、こんな時間からお出かけかい?」
僕の質問に答えずルイは家を出た。慌ててあとを追うと、向かった先はナオの家だった。僕は「ナオの家にいる僕」と合流する。「どうしたの?」と問うナオを無視してルイはナオの部屋に上がり込んだ。そしてベッドに腰掛けるとプイッと横を向き、頬を膨らませた。
ナオが僕に言った。
「なにかあった?」
僭越ながら僕は、原因と思われる事情を説明した。
「ははっ! それでヤキモチ妬いているんだ! 子どもだなぁルイは」
「笑い事じゃない!」とルイが口を尖らせる。
「ユイナって子は名前さえ知らなかったし、手紙貰っちゃうのは俺のせいじゃないと思うんだけどな」
「手紙、受け取らなければ良いじゃない」
「せっかく勇気出して手紙をくれたんだ。断ったら可哀想だよ」
「受け取った手紙はどうしているの?」
「目を通してそのままかな」
「そのまま? 返事は?」
「はっきり返事したことはないかも」
「貰いっぱなしで有耶無耶にしておく方がよっぽど可哀想! 無責任よ!」
「うーん、困ったな。クラインもなんか言ってやってよ」
さすがの僕もこれに対するアドバイスの用意がない。中学生の痴話げんかなど想定にない。
「ナオちゃんはわたしみたいなニューハーフより、普通の女の子の方がやっぱり良いんでしょ?」とルイが顔を覆った。
ナオがルイの横に座り肩を抱く。
「泣くなよ」
「知らない」
「ゴメン。これからは気をつけるよ。もうしない」
「本当?」
「ホント」
「約束する?」
「する」
「じゃあ、チューして」
二人が唇を重ねた。やはり実に熟れた所作である。
「ねぇ、君たち」
二人が同時に僕を見た。
「これ以上の行為には発展しないよね?」
「それはセックスのこと?」とナオ。
「平たく言えばそうだ」
「今はしないよ。でも男になったら真っ先にルイとセックスする」
「ナオちゃんのエッチ」
二人は再び唇を重ね、それに満足したルイはナオの家をあとにした。
結果だけみれば予定調和的収束ではある。しかし僕は念のためナオに意見する。
「君たちの関係は僕の想像の範囲外にある。くれぐれも言っておくが、処女でないと魔法は使えない。わかっているだろうね」
「わかってるよ。そもそも俺が男とセックスするなんてあり得ねぇーし。ルイとセックスするのは身体を入れ替えたあとだ」
「ナオ」
「なんだよ、しつこいな。もう良いだろ、その話は」
「そうではない。今、ルイが厄災に襲われている」
「なに?」
「ナオ、変身だ!」
魔法少女はもともと、変身するだけでオリンピックアスリートを遙かに凌ぐ、超人的運動能力を発揮する。しかし変身したナオは別次元と言って良い。一回のジャンプで街一つを飛び越えてしまった。飛びすぎである。蹴ったアスファルトは剥がれ飛び、着地した地面はえぐれた。慌てて引き返す。スカートとリボンが風を切った。
「ルイ!」
ジャンプしたナオが空中で厄災を発見した。厄災は黒いオオカミの姿を模り、ルイを追い立てている。「もう一人の僕」に誘導され逃げるルイ。厄災の顎が今まさにルイを捉えようとしている。ナオはそのまま厄災に向かって落下した。
「ルイに触るなぁ!」
落下の勢いのまま拳を繰り出す。爆音と共に厄災が一瞬で消し飛んだ。
なんという力だろう!
魔法アイテムを使わずして厄災を消滅させてしまった。パワーも最強クラスではないか!
「大丈夫か、ルイ!」
放心状態で座り込むルイにナオが駈け寄る。
「怪我はないか?」
「……うん」
「痛いところないか?」
「うん」
「良かった」
「ナオちゃん」
「どうした?」
「レギンス履かなくていいの?」
「あ!」
ナオが慌ててスカートを押さえる。
「い、急いで飛び出してきたんで忘れたんだ」
「ありがとう。ナオちゃん」
ルイが微笑んだ。
「お、おう。気にするな。俺はルイを守るため魔法少女に……」
パシャ。
カメラのシャッター音だ。振り向くと近隣の住民や通行人が、遠巻きにしてこちらにケータイやデジカメを向けていた。先ほどの爆音を聞きつけたらしい。
「あれってコスプレ?」
「なにかの宣伝かな」
「撮影だろ。芸能人? かなり可愛い。カメラどこ?」
「凄いねぇ。ほとんどパンツ丸見えだねぇ」
「近頃の若い子は全く」
ナオが顔を真っ赤にしてスカートの前と後ろを隠す。
「わ! 見るな! 撮るな!」
ギャラリーはなおも数を増やしていく。耐えかねたナオがジャンプした。尻を押さえながら空の彼方に消えてゆく。ギャラリーからどよめきが起こった。
「ルイ。僕たちも引き上げよう。衆人の中に警察へ通報した者がいる。君も事情聴取とかされたくないだろう」
「厄災はもう大丈夫なの?」
「次元の綻びは修復された。ナオは極めて優秀な魔法少女だ。魔法少女の歴史にその名を刻む存在となるだろう」
ナオの部屋に戻ると、変身を解いたナオが両膝を抱え、部屋の隅に蹲っていた。
「ナオ。見事だった。初陣にして圧倒的勝利。君を選んだ僕も鼻が高いよ」
だがナオは蹲ったままだ。
「どうしたナオ? 嬉しくないのか?」
「……死にたい」
「え?」
「あんな恥ずかしい格好を大勢の人に見られてしまった。死にたい」
ナオは泣いていた。
「君の願い事に一歩近づいたんだぞ。男の子になる夢が現実のものになりつつある。そう考えればパンツを見られたことぐらい、どうと言うこともないだろう?」
「あの格好が耐えられないんだ!」
なんとも手間の掛かる女の子だ。
「ナオ、君は僕が思っていたよりも、ずっと女の子らしい感性を持った子なんだね」
「なんだと?」
鼻水を啜りながらも、怒りに満ちた声でナオが僕を睨みつけた。
「男の子がパンツを見られたぐらいで泣くか? 女装を見られたぐらいで落ち込むか? ナオのように繊細な心の持ち主が男の子になれるのかな」
「う、うっせぇ! 俺は男になる! 男になるためならなんだって耐えてみせる!」
なるほど。シンプルな精神構造は男子そのものだ。君はきっと素敵な男の子になれるよ。
◇
「えー! マジで?」
「しぃーっ! 声が大きい!」
ユイナがマミの口を押さえる。
「コクって仮に相手がOKしたとして、そのあとどうするの?」
「わかんない」
昼休みの教室において、ユイナがナオに告白することを宣言したのだ。僕はルイのカバンの中からその様子を伺う。ルイのカバンの中に僕の入るスペースがあるわけではない。位相空間の窓をカバンの中に設けているのだ。のび太の机と同じようなもの、と言えば理解して貰えるだろうか。衣服のポケットに作ることも可能だ。
ユイナがマミとルイの顔を交互に見る。
「応援してくれるよね?」
「わたしたちはいつでもユイナの味方だよ。ね、ルイ」とマミがルイに同意を求める。
ルイは無表情に「うん」と答えた。
「でもねユイナ。もう一度確認するけど、ユウキさんは女の子なんだよ。そこはちゃんと解ってるんだよね? 告白したあとのことも考えて言ってるんだよね?」
「解ってるよ。解った上で決心したんだ」
「ふむ。ルイはどう思う?」
「本人がここまで言うのなら、納得のできるところまで、しても良いんじゃないのかな」
ルイが再び無表情に答えた。ナオに吐露した心情とは相反する答えに思えるが。
「わかった。応援してあげる。でも告白はちゃんと自分でするんだよ」
その日の放課後。体育館裏で待つユイナとルイのもとへ、マミがナオを連れ現れた。ナオがルイの姿を見つけ驚きの表情を浮かべる。だがルイは無表情のままだ。マミはナオをユイナの前に立たせると二人から離れた。
ユイナは微かに震えながら、一度もナオと視線を合わすことなく自分の足下を見つめている。沈黙のまま三十秒が過ぎたころ、「ユイナ頑張れ」とマミが小さく声をかけた。
「きゃ! きゅ……急に呼び出してゴメンなさい!」
顔を上げ、発したユイナの声は裏返っていた。
「わ、わたし、四組のニナガワ・ヒュ……ユイナって言います! 先週……先々週、校庭でボールが当たった、当たって……あの、憶えていますか?」
「うん。なんとなく」
「その節はありがとうございました!」
「うん」
「実はあの日からずっとユウキさんのことが忘れられなくて。ずっとユウキさんのことばかり考えていて……。で、ユウキさんにどうしても伝えたいことがあって」
「……うん」
「その、変な子だと思うかも知れないけど……。迷惑っていうのもわかっているんです。でも伝えなければどうしようもなくて……」
一呼吸置くとユイナは耳まで真っ赤にして言った。
「すす好きです! わわわたしと付き合ってください!」
「……はぁ」
ユイナとはあまりにも対照的なナオの冷めたこの反応。おそらくこういったシチュエーションに出くわすのは今回が初めてではないのだろう。しかも今日はルイが見ている。ナオが困惑の表情でルイの様子を盗み見た。ルイの表情は依然能面の様だった。
「えっと、ニナガワさん……だっけ?」
「はい!」
「気持ちは嬉しいんだけど」
ユイナの表情が一気に曇る。
「俺、好きな人がいるんだ」
「好きな……人」
「うん。だから……」
「あの……」
「ん?」
「それって男子ですか」
「えーっと。そうだな。一応……男かな。うん、男子だ」
「そうですか……」とうつむくと、ユイナは大粒の涙をポロポロと流した。
告白からわずか一分四十秒の出来事だった。
「えっと、ゴメン。俺、サッカーの練習あるし。ほんとゴメン!」
ナオが逃げるように走り去る。やれやれと言った表情でユイナに歩み寄るマミ。
シチュエーションはやや特異だが、ありふれた失恋の一シーン……僕はこの光景をそんな風に捉えていた。しかし今日はそれでは終わらなかった。ルイがユイナとマミを残し、ナオのあとを追って走り出したのだ。
「ルイ、どうするつもりだい?」
ポケットの中から話しかける僕を無視して、ルイは日頃の物静かな様子からは想像もできない勢いで走った。グラウンドに出る直前でルイの手がナオの襟首を掴む。
「おわっ!」
もんどり打って倒れるナオ。
「な、なにしやがる!」
見上げるとそこには、氷の眼差しをしたルイがいた。
「あんな言い方、ないと思う」
「あんなって。他になんか言いようがあるのかよ」
ドスッと鈍い音がした。
「痛っ!」
ルイがナオの背中を蹴ったのだ。
「女の子が告白しているんだよ」
「ハッキリ断れって言ったのはルイじゃないか」
ルイのつま先が今度はナオの脇腹を襲う。
「ぐふ!」
声色は女の子のままだったが、ルイの口調が豹変した。
「わかんねえのか、こら」としゃがみ、ナオの髪を掴む。
「女子から告白するのがどんなに勇気がいることか、考えたことあるのか? お前、それでも女なのか? 最近出て来たその胸は脂肪の塊か?」
「いや、その……」
「その、なんだ?」
「……ごめんなさい」
「今、お前。適当に謝っただろ?」
「いいえ」
「この場を逃れたくて、適当に謝っただろ」
「そんなことないです」
「じゃ、立て」
立ち上がったナオの、背中や尻に付いた砂をルイが丁寧に払う。背中に付いた靴跡だけは消えなかった。
「来い」
「ど、どこへ?」
「告白に対する返事のやり直し」
「なんて言えば……」
「自分で考えろ」
体育館裏に戻ると、マミがユイナを慰めているところだった。
ルイがにこやかに言った。
「ユイナ。ユウキさんが話したいことがあるって」
ハンカチで涙と鼻水を拭っていたユイナが、驚いて顔を上げた。
「あの、えっと……」とナオがチラリとルイを見る。
口元に笑みをたたえていたが、ナオを見るルイの目は依然氷のようだ。
「さっきはゴメン。言葉が足らなかった。その、友達としてなら全然オッケーなんだけど」
再びルイを見る。ルイが小さく頷いた。
「もし良ければ友達になって貰えるかな。それなら大歓迎なんだけど……」
マミがユイナの耳もとでなにか囁く。ユイナが鼻を啜りながら小さな声で言った。
「お願いします」
その日の夜。ルイはいつものように机に向かって宿題をしていた。
「今日のルイの行動は興味深かった」
ルイは答えず手を動かし続ける。
「以前ルイはユイナに優しく接するナオに対して嫉妬した様に見えた。しかし今日はそれとは相反する行動を取ったね。これは一体どう言うことなんだい?」
一向に手を止める様子はない。
「女友達との友情が恋愛感情に勝ったと言うこと?」
やはり答えない。完全な無視だ。
「ナオは今、部屋のベッドでうつ伏せに寝ている。蹴られた背中と脇腹が痛むようだ」
ようやくルイが手を止め僕を見た。
「どのぐらい痛がっている?」
「相当」
「病院行くぐらい?」
「それはないと思う」
「そう」と再び視線を机に戻すと手を動かし始めた。
「今、ナオにも同じ質問をしてみた」
「同じ質問って?」
「なぜルイの態度が以前とは異なるのかと」
「ナオちゃん、なんて答えた?」
「『俺に聞くなよー。俺に女心がわかるわけないじゃんー』と言った」
「ナオちゃんらしい」と口元を緩める。
「この場合の女心って、誰を指すのだ?」
「ホントだ。わたしにもわからないや」と笑った。
こうして笑っている分には本当に可愛らしい女の子なのに。
「ルイはああいった暴力的行動や、男の子的言葉遣いは良くするかい?」
「ごく稀にカッとなると男が出てくる時がある。根っこはやっぱり男の子なのかな。実は今わたし、もの凄くジコケンオなんだ」
自身の恋愛感情よりも友情を優先させる行為。これは低年齢の男の子に見られがちな行動だ。ルイの精神構造はルイが思う以上に男の子的なのかも知れない。
「ねぇ、クーちゃん」
「なんだい?」
「ナオちゃんにゴメンねって言っておいて」
「わかった」
◇
紫外線指数の高そうな絶好の行楽日和。朝八時の駅前に四人の「女の子」が集まった。タンクトップとジーンズいうマミのラフな格好に対し、ユイナとルイは「超」が付くぐらいガーリーな出で立ち。いずれもワンピースでユイナはパステルピンク、ルイはシャーベットブルー。迷彩柄のTシャツとアーミーパンツ姿で現れたナオが二人を見てたじろぐ。そしてウエストバッグの中にいる僕に囁いた。
「ルイとユイナが手にしているバスケットはまさか……」
「少なくともルイのは弁当だ。早朝から二時間掛けて作った。あのバスケットの中に四人分入っている。ユイナのものも同様だとすると合計八人分。ナオは自動的に五人分の弁当を食すことになるな」
「マジかよ」
それはゴールデンウイーク前の昼休みだった。
「遊園地?」
「そう。遊園地ならファンクラブの目も届かないでしょ?」
マミ情報によると先頃、上級生を中心とするナオのファンクラブが結成されたらしい。抜け駆けが発覚するとユイナの学校生活が立ちゆかなくなるという。女の子が織りなす社会は実に面倒臭い。
「初デートだし、初めはオーソドックスに映画とかって思ってたんだけど、ユウキさんがどうせ行くならみんなで賑やかなところに行きたいって」
「え? ユウキさんにもう話、通っているの?」
「うん」
「早い。早すぎるよマミ! まだ心の準備が!」
「なに言ってるの。告白なんて大胆なことしておきながら。それに普通に考えてみて。女の子同士で遊園地。ごくあたりまえのシチュじゃない? 嫌なら断るけど」
「行きます」
「素直でよろしい。もちろんルイも行くよね?」
「うん。行こうかな。ユイナが迷惑でなければ……」
電車に乗り込み移動開始。ナオとユイナが隣同士になった。
「ユウキさんはお休みの日に……」
「ナオでいいよ」
「ナオさんはお休みの日に……」
「ナオ。同い年なんだからケイゴなんか使うなよ」
「じゃ、ナオくんって呼んで良い?」
「うん」
「ナオくんは休みの日はなにしてるの?」
「サッカーの練習。ない日は一日中ゴロゴロして、テレビ見たり漫画読んだりしているな」
「どんなテレビを見るの?」
「動物が出てくるものは大抵チェックしているなぁ。東村山どうぶつ園とか」
「へぇ。動物が好きなんだ。なんか飼ってたりする?」
「最近フェレットを飼いだした。ちょっと変わったヤツだけど」
変わったヤツだけは余計だ。
「フェレット! へぇ! ルイも飼っているんだよ。フェレット! クーちゃんって言って超可愛いんだ。ねー、ルイ!」
「あ、そうなんだ」とルイが引きつった笑みを浮かべる。
「フェレットって流行っているの? わたしも飼おうかなぁ。今度見に行っていい?」
「いいよ」
気安くオーケーするなよ。同じ個体であることがバレたらどうするんだ。そもそも僕はフェレットじゃないし。
「……あの、ナオくん」
「うん?」
「本当に迷惑じゃなかった?」
「なんで?」
「その、好きな人……が、いるって」
「なに言ってるんだよ。俺たち女同士じゃん。全然気にする必要ないよ。なぁ?」
ナオが笑いながらルイを見た。返すルイの笑顔に僕は殺気を感じた。
ナオは自身が男であると主張する一方で、状況に応じて女を使い分けているようだ。この点においてルイとは考え方が随分違う。ナオが以前「プールの授業は俺にとってパラダイスだ」と言っていたのを思い出す。女であることを口実に、着替えをしている女子に対してどんな悪戯をしているのか、想像に難くない。
開園時間を少し過ぎた頃に入場ゲート前に到着した。荷物をロッカーに預けた四人が園内に躍り出る。
「よーっし! 遊ぶぞー!」とナオが空に向かって両腕を突き上げた。
ナオが遊園地に訪れるのはこれが初めてだという。家が自営業ゆえ旅行はおろか、家族揃ってのお出かけさえも記憶にないらしい。夕べは興奮のあまり、ほとんど寝ていない。
「まずはなにに乗る?」
満面の笑顔で振り向き尋ねるナオに、園内マップを手にしたマミが即答する。
「ジェットコースター」
「えー? いきなり? もう少しあとにしない? それってメインだろ?」
「ジェットコースターは混むから、空いている今が狙い目なんだ」
そう言ったあとマミがユイナを引き寄せ耳打ちする。
「初っぱなからアドレナリン全開にして、距離を一気に縮める作戦」
「そ、そっか」
ユイナが顔を引き締め頷いた。
乗り場に行くとそれでも少し列ができていた。いそいそと最後尾に並ぶ四人。女の子の黄色い声と共に、コースターが轟音を立て頭上を通過した。ナオがボソッと呟く。
「女の子ってどうしてああ言う悲鳴を上げるのかな」
「女の子だからよ」とルイがボソッと返す。
「そう言やぁ、ルイは悲鳴上げたことないもんな」
ルイがナオのつま先を踵で力一杯踏んだ。
「!」
無言で耐えるナオ。そんな二人をユイナが交互に見比べる。
「ねぇねぇ。ひょっとしてルイとナオくんって知り合いなの?」
ユイナの質問に「違う」「うん」と二人が同時に答えた。
「え? どっち?」
「同じ小学校だった、と言うだけで知り合いと言うほどものではないの」とルイが氷の眼差しでナオを威圧牽制する。
ルイにとって過去の話題はタブーだ。些細な思い出話が秘密の露呈に繋がりかねない。ナオとの関係を隠しているのもこれが理由なのだ。
「あれ? でもルイの出た小学校ってウチの学区外でしょ? お父さんの仕事の関係かなにかで。ナオくんはどうして鷹峰中学に来たの?」
「鷹中って公立だけど制服がないだろ。だからさ」
ルイは過去を捨てるため鷹峰中学に進学した。ナオはスカートを履くのが嫌で鷹峰中学に進学した。それぞれの住民票を親族の住所に移してまで。
「ナオくんってそんなにスカートが嫌なの?」
「うん。無理」
「でも足が長いから、ミニスカートとか似合いそう」
「ミニ……」
ナオがなにかを思い出し、表情を暗くした。
そうこうするうちに列が進み、四人の順番が来た。揃ってコースターの先頭車両に乗り込む。身体を固定する安全バーがロックされ、コースターが動き出した。
「ああ、ドキドキするぅー! この登っていく時間が一番怖い!」
はしゃぐユイナをよそにナオの表情が堅い。カンカンと鳴り響く金属音が緊張感を煽る。
コースターそのものに動力はない。軌道の最高点まで滑車等で運ばれたあとは、位置エネルギーの解放だけで動く実にシンプルな乗り物だ。中には三分以上滑走するコースターもあるという。ある意味ニュートン力学を追求した物理学的遊具といえる。間もなくコースターが最高点に達し、先頭部分が傾斜に差しかかった。
「これ、ちょっと高すぎないか。おい、レールの先が見えないぞ?」
ナオがうわずった声で叫ぶ。
「ヤバイだろ、誰か止め……」
コースターが落下した。一際大きな悲鳴が響き渡る。それはナオだった。
十分後。
「ナオくん大丈夫?」
ベンチにグッタリと座るナオが力なくユイナに答える。
「ジェットコースターが、こんなヤバイ乗り物だとは、知らなかった……」
「初めて乗ったの?」
「うん。下から見たときは大したことないと思ったのに……。なんでこんなモノをみんな喜んで乗るんだ?」
傍らに立つルイが嬉しそうにナオの顔を覗き込む。
「凄い悲鳴だったね。さすがは女の子」
「う、うっせぇ」と顔を赤らめるナオを見て「作戦失敗か……」とマミが呟いた。
「じゃ、次はもっと大人しいのに乗ろうか。あれなんかどう?」
ルイが支柱につり下げられた大きな船を指さした。
「あれはなんだ?」
「バイキング。おっきなブランコだよ。見ての通り前後に揺れるだけ」
「ブランコか。ブランコなら……」
バイキングを単純な振り子運動と考えてはいけない。遠目に感じる緩慢な動きに騙されてはいけない。ジェットコースターとは異なり、外部からの加速があることを忘れてはいけない。
十分後。
さらに消耗したナオがベンチに座っていた。
「ありえねぇ。マジ怖かった。ジェットコースターより怖い。オシッコちびりそうだった」
これが本当に数百メートルをジャンプする魔法少女の姿なのだろうか。
ルイが嬉しそうにナオの顔を覗き込む。
「大丈夫? 顔、真っ青だよ?」
ルイは明らかにこの状況を楽しんでいる。まるで幼少期の男の子が好きな女の子に悪戯をする行為のようにみえるが……。
「次、なにに乗ろう?」と問うルイに「ルイが言うもの以外!」とナオが叫んだ。
「ルイ。今度は本当に大人しいのに乗ろうよ」
ユイナが選んだのは最もオーソドックスな乗り物、コーヒーカップだった。
四人が一つのカップに乗るとブザーが鳴り、ゆっくりと動き出す。
「ああ、これは長閑でいいな。地味だけど結構面白い」とナオが初めて笑顔を見せた。
それでもランダムに動くコーヒーカップは思いの外スピード感があり、見た目以上にスリリングだ。
「地味? 今、地味って言った?」
ルイがナオの顔を見ながらカップ中央のハンドルを掴んだ。
「ルイ、それはやめておいた方が……」
マミの忠告を無視してルイがハンドルを回しだす。たちまちカップの回転速度が上がった。
「おい、なんだよ。急に速く回り出したぞ?」
ルイはなおもハンドルをグルグルと回し続ける。
「と、止めてくれ! 外に放り出される! 飛ばされる!」
ユイナとマミも悲鳴を上げる。ルイはそれを無視してひたすらハンドルを回し続けた。
一・二G、一・五G、一・七G……。コーヒーカップの限界を超えようというのか。
ルイの口元にかすかな笑み。
十分後。ベンチに横たわるナオの姿があった。
「目が回るぅー。吐きそー」
「情けないな、ナオちゃん。そんなことでわたしを守れるの?」
「うっせえー。コーヒーカップが拷問マシンだなんて聞いてないぞ。二度と乗らねぇ」
そこに売店でソフトドリンクを買ってきたユイナとマミが戻ってきた。
「はい、ナオくん。コーラ」
「ありがとうユイナ」
ユイナが頬を赤くする。どうやら名前を呼び捨てにされたところに反応したようだ。ナオは起き上がるとカップを受け取り、蓋を外してグビグビとあおった。
「ふぅー。美味い。生き返るよ」
「気分良くなった?」
「うん。スッキリした」
ルイがマミの持つ園内マップを覗き込みながら呟く。
「さて、次はなにに乗ろう」
「ええ? まだ乗るの?」
ナオがとうとう悲鳴を上げた。
「今度はミラーハウスにしない?」とマミ。
「乗り物ばかりじゃ疲れるよ。ねぇ、ナオくん?」
ミラーハウス入口に来ると「通路が狭いし二組に分かれよう。先にユイナとナオくんが行きなよ。わたしとルイは少し時間を置いて行くし」とマミがユイナにウインクした。
「うん。ナオくん、行こう」
ナオとユイナがミラーハウスに消えた。その様子をルイがむっつりと見送る。
鏡の通路にナオとユイナの鏡像が無数に映し出される。ナオが手を振ると鏡像も一斉に手を振った。
「うわ。超おもしれー! 燃えよドラゴンみたいだ」
「もえよどらごん?」
「古いカンフー映画だよ。知らない? ブルース・リー。家にDVDがある。今度一緒に見ようか」
「う、うん」
「あれ? どっちに行ったら良いんだろ? ユイナ、手、繋ごう。離れたら大変だ」
「うん!」
ユイナが紅潮しナオの手を握った。
なんて罪作りな男……いや、女だ。無意識にやっているぶん質が悪い。今までこのようにして数多くの女の子を惑わせてきたのだろう。
「あっれー? おかしいなぁ。進んでも進んでも真っ直ぐな道が続くぞ。こういうのって普通ジグザグの迷路になっているんじゃないのか」
「ナオくん、一度引き返さない?」
「そうしよう」
振り返ると鏡の通路が消失点の彼方まで続いていた。入口は見えない。
「なんだこれ?」
しまった。視覚情報に惑わされ、空間がシフトしたことに気が付かなかった。厄災が作り出した異空間に閉じ込められてしまったのだ。僕はすぐにルイとマミの入場を制止しようとした。しかし時既に遅く、二人ともミラーハウスに足を踏み入れたあとだった。
「ルイ、なにこれ! 入口がないよ! 消えちゃったよ!」
マミが震える声でルイにしがみつく。マミの前ではあるがやむを得ない。僕はルイのポシェットから顔を出し叫んだ。
「ルイ、これは厄災だ。不用意に動くな。ナオが必ずなんとかする。じっとしているんだ!」
「クーちゃんが喋った! ルイ、クーちゃんが喋った!」
マミがパニック状態だが今は構っている暇はない。
ナオのウエストバッグにいる僕も外に飛び出し指示を出す。
「ナオ! 変身だ!」
だがナオが一言呟いた。
「無理」
「なにを言っている。早くこの空間から脱出するんだ!」
「クーちゃん? が、喋っている?」とユイナが不思議そうに僕を見た。
人前では変身できないというのか!
「今は秘密うんぬんを言っている場合ではない。あとでなんとでも取り繕えば良い。直ぐに変身するんだ!」
「ユイナの前であの格好は無理」
まさかミニスカート姿が恥ずかしいから、変身できないと言っているのか?
「ナオ、良く聞け。ナオが変身しなければ最悪の場合四人は死ぬ。二人の魔法少女の損失は魔方陣を弱体化させ、他の魔法少女たちも危険にさらす。それでも良いのか?」
「だって……」
「『だって』は女の子特有の言い訳だ。君の本質はやはり女の子そのものなんだね」
「ちっ」
ナオは舌打ちするとユイナに言った。
「ユイナ、俺が良いって言うまで目を閉じていてくれないか」
「どうして?」
「どうしても」
「わかった」
ユイナが目を閉じた。それを確認したナオが首に提げていたペンダント(ID)を手に叫ぶ。
「ミラクルチェンジ、ゴー!」
光が弾け魔法少女が姿を現した。コスチュームが前回よりも洗練されている。それどころか体型が丸み帯び、胸も大きくなっていた。ナオは魔法少女として進化している。
「あ!」とナオが叫んだ。
「どうしたナオ?」
「ウエストバッグがない。なくなっている!」
「変身時、身につけていた物は一度全て分解される。変身を解けば元に戻るから安心しろ」
「そうじゃないんだ」
「?」
「あのウエストバッグの中にスパッツを入れておいたんだ。変身し直す」
「変身は一日一回しかできない! 早く銃を撃て!」
「だって……」
「『だって』?」
「あ」とナオが口を押さえる。
口を押さえたナオが遠くを見ながら呟いた。
「クライン、あれは……なんだ?」
消失点の向こうから、黒くうごめく物体が押し寄せてくるのが見えた。
「おそらく厄災の本体だ」
「なんか、すっげー気持ち悪いんだけど?」
「ナオ、攻撃だ」
「了解!」
ナオが右太もものホルスターから銃を抜き構える。
「ミラクルショット!」
放たれた光弾が、鏡に反射しながら消失点の彼方へ飛んでいく。光弾が黒くうごめく物体に当たった瞬間、周囲の鏡が砕け散った。ミラーハウスが跡形もなく消え去り、ナオとユイナ、ルイとマミが十メートルほど離れた位置にそれぞれ立っていた。通常空間に復帰できたようだ。日の光が眩しい。ナオがあたりを見回しながら呟く。
「なんだよ、これで終わりか? 随分呆気ない厄災だな」
「ナオちゃ……あっ!」
ナオに駈け寄ろうとしたルイが転倒した。見ると足首に何か絡みついている。それは鏡の破片から伸び出た触手だった。触手は滑りのある黒い光沢を放ちながら、ルイを鏡の中に引きずり込もうとする。
「ルイ!」
ナオが思わずルイの足もとに銃口を向けた。
「やめろナオ! その銃は威力が大きすぎる。ルイも殺してしまうぞ」
「くそっ」
ナオは銃をホルスターに戻すとルイに駈け寄り、「キショイんだよ!」と触手に蹴りを入れた。触手はルイを離すとスルスルと鏡の中に消えた。
「ナオ。直ぐにこの場を離れるんだ。鏡そのものはまだ異空間に繋がっているようだ。周りは鏡の破片だらけだぞ」
「わかった。ユイナ、こっちへ……」
しっかりと目を見開いたユイナがナオを見つめていた。
「だぁ!」とナオが慌ててスカートを押さえる。
顔が真っ赤になった。
「あなたは誰? ナオくんはどこに行ったの?」
一般人が魔法少女を視認するとき、自動的に脳にフィルターがかかる。例え肉親であっても別人と認識するよう保護プログラムが組まれている。変身中の姿を目撃されない限り、魔法少女の正体がばれる心配はない。
「と、とにかくここを離れて。危険だから!」
ナオがユイナを、ルイがマミの手を引きミラーハウスの敷地を離れる。その次の瞬間、無数の鏡の破片から黒い蟲が一斉に湧き出た。それを見たユイナとマミが「ぎゃあああ」と悲鳴を上げ腰を抜かした。無理もない。フランスパンほどもある黒い巨大な幼虫が、淡黄色の粘液をベチャベチャと吐き、鞭毛を振り回しながら次から次へと湧き出てくるのだ。
「ナオ、撃て! 今なら一斉に始末できるぞ! ナオ?」
ナオの顔が蒼白になっていた。
「どうしたナオ?」
「ムシ、苦手。無理」と後ろを向き、吐いた。
「しっかりしろ、ナオ! 取り返しが付かなくなるぞ!」
寝不足と絶叫マシンのダメージもあったのだろう。ナオは両手をつき、胃の中の物をゲロゲロとまき散らしていた。それを見たルイがナオのホルスターから銃を抜く。そして両手で構えると銃口を厄災へと向けた……って、まさか!
「やめろルイ! 君には魔法が……!」
射出された三発の光弾が、次々と閃光を放ち蟲の山を包み込む。光が消え去ったあと、そこには巨大な穴だけが残されていた。ルイはというと、しげしげと銃を眺め何事もなかったかのように平然と立っている。
「ルイ! 大丈夫なのか?」
「うん。凄いね、このピストル」
どういうことだ。ルイには魔法が使えないはずなのに。変身すらしていないというのに! 本来なら高次元エネルギーに神経を焼かれ、即死するはずだ。ナオのこの銃が特殊なのか、それともルイの体質なのか。
周りからパチパチと拍手がわき上がった。いつの間にか園内の客が集まっている。アトラクションかなにかと勘違いしているようだ。
「ナオ、ルイ。撤収だ。係員が来ると面倒なことになるぞ」
建物一つをまるまる消してしまったのだ。このままでは警察沙汰になりかねない。
ところがナオは依然地面に這いつくばり、ユイナとマミは腰を抜かしたままだ。ルイはナオのホルスターに銃を戻すと耳もとで囁いた。
「ナオちゃん、その体勢だとパンツ丸見えだよ。四つん這いで凄くエッチだよ。みんな写メ撮ってるよ」
ナオは跳び跳ねるように立ち上がると、スカートを押さえ口元を拭い言った。
「ロッカーまでジャンプする。ルイは俺に負ぶされ」
ナオはルイを背負いユイナとマミを両脇に抱えると、本当にロッカーまでジャンプした。ジャンプの衝撃でユイナとマミが気を失う。およそ考えられない跳躍力である。気を失ったユイナとマミを休憩室に運び込むとナオは変身を解いた。
ほどなく二人が意識を取り戻す。ユイナがぽつりと言った。
「なんだったの、あれ」
「わかんない」とマミ。
「さっきの女の人は誰?」
「黒緑のゴスロリ?」
「そう、それ! それに……クーちゃんは?」
「そうだ、クーちゃんいた。クーちゃん喋ってた! ルイも見たよね?」
そう主張するマミにユイナが言った。
「マミ。クーちゃんはわたしとナオくんと一緒にいたよ」
「嘘だぁ! ルイ、見たよね、クーちゃん喋るの」
「知らない」とルイが無表情に答えた。
「えー? なんで? クーちゃんいたじゃん、ルイのポシェットに!」
「ナオくん。クーちゃんはわたしたちといたよね?」
ナオが苦し紛れに適当な返事をする。
「えっと。二人とも……夢でも見ていたんじゃないかな」
「夢?」
ユイナとマミが顔を見あわせる。
「どこからどこまでが夢なの? あのムシも夢? 見たよね、あのキショイやつ! ああ、思い出しただけで鳥肌が立つ!」
「そうだ、ミラーハウスがどうなったか確かめに行こう!」とマミが立ち上がった。
ナオがウエストバッグ内の僕に囁く。
「クライン。どうにかならないのか?」
あまり推奨できる手段ではないが致し方ない。
ユイナとマミの動きが止まり、立ち上がっていたマミが脱力して椅子に座り込んだ。
「あー、なんだぁ、夢かぁ。超キモい夢見ちゃったなぁ」
「ホント、トラウマになりそう」とユイナも同意する。
「クライン、なにをしたんだ?」
「記憶操作。一人に対して何度も使える手ではない。彼女たちにはこれを最後にした方が良いだろう」
「ヤバイのか?」
「ああ。繰り返すと脳に障害が残ることがあるんだ」
そんな様子を無表情に眺めていたルイが唐突に言った。
「ねえ、みんな。ついでだからお弁当にしない? もうお昼過ぎだよ。わたし、お腹空いちゃった」
そして当たり前のようにロッカーからバスケットを取り出すと広げた。中にはサンドイッチとホットドッグが詰まっていた。ホットドッグに挟まれた、マスタード付きのソーセージを見た三人が「おえっ」と口を押さえる。
「しばらくそのカタチのモノ、食べたくないかも」
「そう? じゃあ、わたし一人で食べるね」
ルイは一人黙々とホットドッグを頬張った。
「ナオ。今日は反省すべき点が多い。わかっているだろうね」
ナオがベッドに寝そべり答える。
「はいはい」
「君にとってあの程度の厄災は雑魚同然のはずだ。なのに君は撃つべきところで撃たなかった。ルイはもちろん、ユイナやマミまで危険に晒すところだった」
「だってムシ、嫌いなんだもん」
「また『だって』か」
「だって嫌いなものは嫌いなんだもん」とベッドの上をゴロゴロと転がった。
とうとう開き直ったな。
「ナオ。厄災はルイに集中しているように見える。変身できない彼女が攻撃対象になっているのかもしれない。そこで応援を頼む事にした」
「応援?」
ナオがむくりと身体を起こす。
「他の魔法少女との共闘を行う」
「応援なんかいらない。ルイは俺が守る」と不満げな表情を浮かべる。
「そう言うな。来週二期先輩の魔法少女と顔合わせして貰う。横の繋がりは大切だ。ナオが助けて貰うだけではない。ナオが助ける側になるかも知れない。魔法の属性はそれぞれ異なる。得意な分野、不得意な分野が必ず出る。これをお互い補うんだ。いいね」
ナオが渋々承諾した。
◇
ゴールデンウイーク明けの学校、お昼休み。
新聞記事を前にユイナとマミが頭を抱えていた。
「陥没事故でミラーハウスが倒壊って。あれって陥没事故だった?」
「わかんない」
「なんでこう、頭がぼやけるんだろう。なにが起きたのかちっとも思い出せない。その場にいたはずなのに! ルイはどう?」
「わたしも思い出せない」
「いつミラーハウスを離れたんだろう。そもそもわたしたちって、本当にミラーハウスに入った? お弁当、いつ食べた?」
数日が経過し、記憶がますます曖昧になっているようだ。弁当はルイがほぼ一人で平らげてしまった事も忘れているらしい。ところが……。
「この人覚えている?」
マミが手にしたケータイの画面に、魔法少女姿のナオが写っていた。保護プログラムは写真にも有効だが、一体いつの間に撮ったのだろう。
「あ、この人覚えている! 超綺麗な人! 夢じゃなかったんだ!」
ユイナが食い入るように画面を見つめる。
「この画像、ちょうだい。待ち受けにする」
「いいよ」
「この人誰なんだろう。これってコスチュームだよね。ってことは遊園地の従業員さん?」
「でも他にこんなコスプレしている人いた? オレンジの制服ばかりだったよ?」
「うーん。思い出せないー。超イラつくぅー」
彼女たちには申し訳ないが、一生イラついて貰おう。
◇
魔法少女の親睦会は街外れのミスドで開かれた。
「ちーっす。わたしはキリシマ・ウララ。前畑中の一年だよ」 「わたしは妹のキララ。今、魔法少女三期目。小六から魔法少女やっているんだ」
キリシマ姉妹は一卵性の双生児である。それぞれ左右に振り分けたお下げ髪がトレードマークだ。小柄ではあるが双子だけのことはあって、二人のチームワークは全魔法少女の中でもトップクラスにある。個々の能力はナオに及ばないが、二人のチームワークは実力以上の力を発揮する。
「鷹中一年のユウキ・ナオだ」
「同じくマツナガ・ルイです」
ウララが言った。
「おっどろいたぁ! 話には聞いていたけど、この子が男の子だなんて信じられない! クーちゃんが間違えるのも無理ないや」
キララが言った。
「それにユウキさん、超イケメンじゃん? 変身後の姿が全然想像できない。ねぇねぇ、ここで変身して見せてよ」
僕はカバンの中から念のため意見する。
「ここでの変身はご遠慮願いたい」
「冗談だよ、クーちゃん」 「クーちゃん相変わらず冗談通じないよね。しゃべり方も相変わらずおじさん臭いし。てかおじさんだし」
心外である。こんなに可愛らしい僕をつかまえて「おじさん」だなんて!
本来僕をはじめとする端末が、魔法少女の個人情報を他の魔法少女にリークすることはない。しかし今回キリシマ姉妹に応援を頼むに当たっては、彼女たちにルイとナオの現状を正確に把握して貰う必要性がある。よって今回は当人の了承を得た上で、ルイが男の子であり、変身できないことを明かしている。
「キリシマさんたちもクーちゃんって呼んでるんだ」とルイ。
「クラウン(・・・・)なんて堅苦しくて」 「クーちゃんで充分。ね、クーちゃん?」
「クライン(・・・・)、だ」
半年経つのに未だ僕の名前を覚えてくれない。
「で、なんだっけクーちゃん?」 「ソーゴアンゼンなんとか?」
「相互安全保障協定。お互いがピンチの時、お互いを助け合う」
「お互いと言われても。わたしたちは今まで二人で充分やってこれた。助けるのは一方的にわたしたちになるんじゃないかな。実質そっちは一人なんだし」 「そうそう。助けてくださいって頭下げるのなら、考えてあげてもいいよ」
ナオがムッとした表情を見せた。僕は慌ててフォローを入れる。
「おいおいウララ、キララ。そんな言い方はないだろう?」
「クーちゃんはちょっと黙って。ウチらはもう半年以上も魔法少女やってるんだ。対等って言うのはありえないっしょ」 「ないっしょ」
「ルイ、帰ろう。こんな連中、こっちから願い下げだ」
ナオが立ち上がりルイの手を引く。
「ちょっと待ってくれナオ、もう少し話しを聞いてくれ。ウララもキララも、もう少し言い方があるだろうに!」
「ナオちゃん待って」
引き留めたのはルイだった。ナオを座らせると、ルイはキリシマ姉妹に頭を下げた。
「ナオちゃんを助けてください。お願いします!」
キリシマ姉妹が驚いた様子でルイを見つめる。
「わたしの事なんかどうでも良い。でもナオちゃんになにかあったら、わたし生きていけない。ナオちゃんはわたしのために魔法少女になったのだから! だからいくらでも頭下げます。お願いします。助けてください」
「ルイ……」
ナオがルイの手を握りしめた。
キリシマ姉妹がそんな二人をしげしげと眺めながら言った。
「なになに? 良くできたヨメってやつ?」 「ナイジョノコウだよ。羨ましいねぇ」
「お前ら、ルイを馬鹿にすると許さないぞ!」
「馬鹿になんかしていないよ」 「そうそう、むしろケイフクしているんだ」
二人が立ち上がり頭を下げた。
「ゴメン。ワザと嫌みを言ったんだ。本気度を試させて貰った。女装男子って聞いたんで、浮ついた気持ちで魔法少女やっているなら断ろうと思っていたんだ」 「二人の真剣な気持ちはよくわかったよ。本当にゴメン。許して欲しい」
ナオがムスッと答える。
「試されるのはあまり好きじゃない」
「お詫びと言ってはなんだけど、わたしたちの手の内を披露するよ」
深夜の河原。
「ダブルセットアップ!」
キリシマ姉妹は左右非対称のコスチュームを鏡対称に着ている。基調色は黄桃色、フリルは白。ペンダント(ID)はフェニックの羽をあしらった扇に変化する。
「わたしの属性は風」とウララ。
「わたしの属性は火」とキララ。
「わたしたちの魔法は四元素系のごくありふれた属性だけど、組み合わせる事で強力な攻撃力を発揮するんだ。キララ、火炎竜いくよ」 「オーケー、ウララ」
キララが扇を振りかぶりサイドスローで扇いだ。轟音と共に炎が噴き出る。それに続いてウララが扇ぐ。発生した風が炎を巻き込み竜巻状に集束する。赤み掛かった炎が次第に白く輝きを増してゆく。五メートル以上離れたこの距離でも凄まじい熱が伝わってきた。
「これが火炎竜。キララが発する炎は通常三百度。紙を燃やせる程度の熱しかない。でもわたしの風で集束圧縮させると、鋼鉄をも溶かす二千度の高温に達する。これをコントロールして厄災を焼くんだ。今までこれから逃れた厄災はいない」
再びウララが扇を振ると、火炎竜が生き物のようにのたうち消えてなくなった。
「他にもバックドラフトなどの技があるけど、これは大きな音が出るので深夜の街中ではちょっとお披露目できない。今日はここまでにさせて貰うよ」
火炎竜は大規模火災で発生する火災旋風からヒントを得た技だ。バックドラフトは酸欠状態から発生する火災爆発を利用した技である。彼女たちは風と炎をキーワードに、独自の技を研究開発する実に勉強熱心な魔法少女なのだ。
「凄い!」
ルイが手を叩く。
「凄いねナオちゃん。今の見た? 本当に竜みたいだった!」
「見た。確かにすげえ。それにあの双子、よく見ると超可愛い。チラチラと見え隠れする白いパンツがなんとも」
ルイがナオの足を蹴った。
「じゃ、今度はユウキさんのを見せて貰おうかな」
「ナオ、で良いよ」
「じゃ、ナオくん」
「ルイ、これ持っていてくれ」
ナオがレギンスの入ったウエストバッグをルイに渡す。
「ミラクルチェンジ・ゴー!」
光の中から魔法少女が出現した。
「おお! 黒い魔法少女だ! おっしゃれー! 変身の呪文が最悪だけど」 「髪型や体型まで変わっているよ! 変身のポーズがダサいけど」
キリシマ姉妹がナオに駈け寄りしげしげと観察する。
「光るリボン、良いなぁ。それ、わたしも欲しいなぁ」 「その胸Bカップはあるよね。ひょっとしてC?」
「C?」
ナオが両手で自分の胸を押さえる。
「うわあああ!」
絶叫が河原に響いた。どうやら今の今まで気付いていなかったらしい。
「おっぱいがある! おっぱいがある!」
ナオは一頻り騒ぐとその場でしゃがみ、落ち込んだ。ウララがルイに尋ねる。
「どうしたの、ナオくん?」
「複雑なのよ。女の子は」
答えになっていないような気がする。しゃがんだままナオが言った。
「ルイ、スパッツ」
「あ、うん」
ルイがウエストバッグのファスナーを開き、黒いレギンスを取り出した。
「ちょっと待って。それどうするの?」
キララの質問にナオが面倒くさそうに答える。
「履くんだよ」
「えー!」とキリシマ姉妹が叫んだ。
「ありえないっしょ!」 「絶対領域が台なし!」
そうだ。その通りだ! もっと言ってやれ、ウララ、キララ!
「こんなフリフリのミニ履けるのなんて、今の時期しかないんだよ!」 「そうだよ! 高校生より上でこんなの履くのを許されるのは、アイドルぐらいなものだよ? それ以外は全部変態」
「パンツ丸見えのこの姿は、中学生でも充分変態だと思う」
そう言ってナオはレギンスを履き出した。
「このホルスター邪魔だな。どうやって外すんだろう」
「ナオ。それはニーソックスと一体成型だ。外れないよ」
そう言った僕をナオはじろりと睨んだ。
「じゃ、この長いソックスごと脱ぐ」
「ナオくん、それは無理。このコスチュームは変身を解かない限り、靴一足脱ぐことはできないんだ」 「そうそう。わたしたちも試してみた。すでに確認済み」
キリシマ姉妹の言うとおり、コスチュームの着脱は変身以外に方法はない。簡単に脱げてしまっては激しい戦闘に耐えられないからだ。ナオはしばし思案すると、ホルスターから銃を抜きルイに預けた。そしてホルスターの上から強引にレギンスを履き出す。
「くそ、通らない」
格闘すること三分。ようやくナオが諦めた。
「ぶかぶかの短パンなら通るかな。サイドにチャックの付いた短パンってないんだろうか」
「介護用品でそういうのを見たことがあるよ」とルイ。
介護用品? おいおい、勘弁してくれ!
「仕方がない。今日はこのままやる」
ナオはルイから銃を受け取ると両手で構え、河原に不法投棄された粗大ゴミの山に銃口を向けた。
「俺の属性は空間らしい」
「クーカン?」
キリシマ姉妹が首を傾げる。
「ミラクルショット」
銃口から光弾が飛び出し、光球となって粗大ゴミを包み込む。光が消えると例の如く、地面に大穴を残し粗大ゴミの山が消えた。
「わ! 消えた!」 「どこに行ったの?」
「クラインが言うには、空間ごとどこかの次元に飛ばしてしまうらしい」
「どこかって、どこ?」
「わからない」
「怖っ! 技の名前が超ダサいけど」 「マジ怖っ! ある意味最強じゃん。技の名前がセンスなさすぎだけど」
「お前らダサいとか、センスないとか、いちいちうっせぇーぞ」
「だってイケてないんだもん」 「ないんだもん」
「ねーっ」とキリシマ姉妹がハモった。
「ちぇっ」
「で、ナオくん。ほかには?」
「ほか?」
「応用技とかないの?」
「連射が可能だ。かなりの広さを消すことができる」
そう。ミラーハウスの敷地をまるまる消してしまった。
「ほかは?」
「撃つのはこれがまだ三回目なんだ。よくわからないよ」
キリシマ姉妹が向き合った。
「どう思う、キララ?」 「撃ちっぱなしと言うのがちょっと問題だね」
「なんで?」とナオ。
「弾の速度が意外と遅い。草野球の球程度かな? これではすばしっこい厄災に避けられるかも。どんなに威力のある武器でも当たらなければ無意味だよ」 「そうそう。それに外れたら、外れた分だけ街中に大穴開いちゃうし。たまったもんじゃないっしょ」
さすがは実戦経験を積んだ魔法少女だけのことはある。指摘が的確だ。
「どうすればいい?」と尋ねるナオに「ウルトラマン方式」とキララが答える。
「うるとらまん?」
「打撃で厄災をとことん弱らせ、動けなくなったところでその銃を発射」
「おお。確かにウルトラマンはそうやっているな! あれは必殺技を確実に決めるための手段だったのか。お前ら頭良いな!」
「とーぜん!」
「でもナオちゃん」とルイ。
「なんだ?」
「この間みたいな芋虫、殴ったり蹴ったりできるの?」
ナオの顔が青くなった。
「無理。絶対無理」
「あんなのがもの凄いスピードで襲ってきたらどうする?」
「ひえええ。やめてくれ。考えただけで吐きそう」
「あ、ヌトヌト系ね」 「ときどきあるよね、ヌトヌト系」とキリシマ姉妹。
「お前らはどうやっているんだ? そのヌトヌト相手は」
「火炎竜はコントロール自由自在。敵を捕らえ、焼き尽くす」 「風と炎はバリヤーにもなる。攻守ともにわたしたちは無敵なんだ」と胸を張った。
「クライン、俺の弾もコントロールできないのかな」
「コントロール?」
「戦闘機のミサイルみたいに厄災を追っかけさせるんだ」
「ナオ次第だと思うよ」
「わたしたちも何回も何回も練習して、やっとできるようになったんだ」 「ナオくんもきっとできるようになるよ」
「よし。やってみる」
ナオが再び銃を構えた。
「ミラクルショット!」
光弾が射出される。その光弾に向かってナオが叫んだ。
「曲がれ!」
しかし光弾はそのまま真っ直ぐ飛んでいく。
「曲がれ! 曲がれ!」
「曲がらないねぇ」とウララ。
「……ねぇ。このまま飛んでいくと、あの橋に当たらない?」とキララ。
「うん。当たるかも」 「いや、当たるね。確実に」
ナオの顔から汗が噴き出す。
「曲がれ! 曲がれ! と言うか、止まれ!」
ナオの声が虚しく響く中、光弾が橋に命中した。閃光を放ち橋脚の一部が消え去る。支えを失った橋桁が地響きともに倒壊し水柱が立った。その様子を呆然と眺める魔法少女たち。しばらくしてウララが言った。
「それ、撃つときは、先になにがあるか確認してから撃った方が良いね」
ナオが力なく答えた。
「……うん」
「じゃ、わたしたち、もう帰るね。おやすみー」 「練習もほどほどに。またねー」
キリシマ姉妹がジャンプして去っていった。
「……ルイ」
「なぁに?」
「橋って……高いのかな」
「さあ。でもきっと家一軒より高いと思う」
「そんなに?」
「たぶん」
「……」
「……」
「俺たちも帰ろうか」
「うん」
◇
「うっわー。良くも集めたね、これだけ」
マミが感嘆の声を上げる。
昼休み、ユイナが机の上に並べたのは、プリントアウトされた写真だった。
「どうしたの。これ」とルイが一枚手に取る。
ミニスカート姿の女の子が四つん這いになり、オシリをこちらに向けていた。パンツが丸見えである。
「ネットで集めたの! こっちがこの間の遊園地の分。こっちはその前に松ノ木町交差点で撮られたもの」
それは全てナオの魔法少女姿だった。
「松ノ木町ってすぐ近くじゃん」
「そうなの! この人きっと、この近辺の人に違いない!」
誰もが常時カメラを持ち歩く時代だ。こういった画像の流出は避けようがない。しかしたった二回の変身で、これだけの数が出回ってしまうとは! おそらく歴代魔法少女のワースト記録だろう。
「なんでこんなもの集めているの?」
ルイが写真を一枚一枚眺めながら聞く。やたらパンチラ写真が目立った。撮影者の多くが男性なのだろう。ナオがこの写真を見たら首を吊るかも知れない。
「その……」
ユイナが言葉に詰まる。
「その?」
「好きになっちゃった」
マミがガタンと椅子からズリ落ちる。ルイも手にした写真を床に落とした。
ユイナはただただ惚れやすいだけの女の子なのだ。当然このような女の子はシングルマインドの数値が低い。魔法少女とは対極の存在と言って良い。マミが椅子に縋りつくように座り直すと言った。
「ナ、ナオくんは?」
「ナオくんはナオくんで好きだよ。けど……」
「けど?」
「この人超綺麗。スタイル良くて足長くて、まるでアニメに出てくる魔法少女みたい。どんな人なのか知りたい。できればもう一回会って話をしてみたい」
ナオが聞いたらどんな反応を示すだろう。
「ルイ、なんとか言ってやってよ!」とマミ。
「一回見ただけの人でしょ? 記憶も曖昧なんでしょ?」
「人が人を好きになるのに理由なんかないって言ったのはルイじゃない!」
「……そうなんだけど」
「絶対探し出してみせる」
ユイナが力強く宣言した。
◇
キリシマ姉妹の相似性はパソコンのコピペレベルにあり、顔だけで識別できるのは彼女たちの母親しかいない。学校では制服、家ではお揃いの服を着用しているので、第三者が彼女たちを識別できる唯一の方法はお下げ髪の振り方だけだ。
二人は実に仲がよい。半年間彼女らの生活を見てきたが、喧嘩しているのを一度たりとも見たことがない。趣味嗜好も完全に一致しており、意見が異なり議論になる事さえない。衣服は下着を含め全て共用。必ず一緒に風呂に入り、一緒の布団で寝る。また、どちらか片方が貰ったプレゼントやお菓子は必ず二人で分け、分けられないものは返すか捨てるという徹底ぶりだ。
彼女らの価値観でもっとも興味深いのが、現在付き合っているボーイフレンドへの対処だ。同じクラスのサワラギ・マサトはウララに告白をした。ウララは一日待って欲しいと返事を保留し、このことをキララに相談する。二人の出した結論は「二人同時に付き合う」というものだった。ウララとキララは交代しながらマサトとデートを繰り返しているのだ。もちろんマサトはこれを知らない。彼はウララと付き合っているものと今も信じている。
「話の辻褄が合わなくなったりしないのかい?」
「デートのあとで口裏をキッチリ合わせるから大丈夫」と二人は笑う。
「もしマサトがキスを求めてきたらどうするんだい?」
「中一でチューは早いでしょ」 「でしょ」
ああ。ナオとルイにはこの二人を見習って貰いたいものだ。
「ナオとルイは頻繁にしているよ」
「そうなんだ。あの二人、なんかエロいもんね」 「エロいよねぇ、なんか。でも片方が男の子になりたい女の子、もう片方が女の子になりたい男の子。これで恋愛が成立するの?」
「二人の関係については実のところ僕もよく理解できてない。常人には想像もできない絆が二人にはあるようだ」
「喋るミーアキャットがジョージンだって」 「超ウケるんですけど」
二人がケラケラと笑った。この二人は僕をミーアキャットと位置づけている。
ウララがキララに言った。
「でもマジでマサトがチューして来たらどうする?」
「どっちかが先にファーストキスとなるわけだ。これは確かに問題だねぇ」
「チューのある日とない日が交互にあった場合、どちらか片方は永遠にチューできないかも知れない」
「さらに言えばどちらか片方が永遠にショジョ! 永遠の魔法少女!」
二人が腹を抱えて笑った。
「ウララに譲るよ」とキララが涙を拭う。
「マサトがコクったのはウララなんだし」
「譲るって言ってもタイミングとかあるじゃん? キララとの時だったらどうするの?」
「『次回まで待って』って言う」
再び二人が爆笑した。
「この会話、マサトが聞いたらショックを受けると思うよ」
「うん。よく考えたら酷い話だよねぇ」 「なんかマサトが可哀想になってきた。わたしたちってアクジョ?」
「君たちはマサトのことをどう思っているのだい?」
「どうって……」
二人は顔を見合わせた。
「うーん、特には」 「けっして嫌いではないよ」
「それで付き合っているのか?」
「男の子に告白されたこと自体は凄く嬉しかった。これは本当。でもマサトには興味なかった」 「けど断る理由もない。好きだと言ってくれる気持ちをムゲにするのも可哀想。だから試しに付き合ってみようかなって。何事も経験じゃん?」
なんてドライな。頑張れマサト。僕は君を応援するよ。
「クライン」
ナオがベッドに寝そべり、漫画の単行本を手に言う。
「なんだい、ナオ」
「双子は今、どうしている?」
「なぜ?」
「なんとなく」
「今は風呂に入っている」
ナオがベッドからむくりと起き上がる。
「クラインも一緒にいるのか?」
「もちろん」
「なにをしている?」
「なにって、洗いっこだな」
「洗いっこ?」
「お互いの背中を流している」
「お互い? 双子揃って風呂に入っているのか?」
ナオが身を乗り出す。
「ああ。彼女らはなにをするにもいつも一緒だ」
「どんなんだ?」
「なにが?」
「その……双子の裸」
「……」
「教えろよ!」
「聞いてどうする?」
「妄想にふける」
「君はルイが好きなんだろ?」
「うん」
「ではルイのことを大切にしたまえ」
「ルイだってジャニーズJr.の切り抜き、スクラップしているんだぜ。妄想するぐらい良いだろう?」
ルイが? 彼女……いや彼にそんな趣味があったとは。
「で、どんなおっぱいしてる? 乳輪が小さくて、先っちょがツンと上を向いているのが俺の好みなんだけどな」
「第一期・後 アクティベイト」に続きます。