狼の肖像
楠が雑用係として隊に潜入して後、すぐさま一人の男と面識を得ることとなった。
その男は所作に荒々しさが満ち溢れ、典雅さでは楠の敬愛して止まぬ桂などとは比較しようもなかったが、しかし堂々たる美丈夫だった。
『よぉ、新入り』
楠が慌てて名を名乗っても、男は意にも介さない。
『俺ァ、昔っから人の面を憶えンのがどうも苦手でな』
その端整な顔立ちに悪童めいた笑みを閃かせ、
『だからよ、せめて俺が面を憶えるまでは、間違っても斬り死にするんじゃねぇぞ』
遺体の引き取りの時に困るからな、と甚だ物騒な事を言い放つや、豪快な笑い声を響かせ去っていった。
楠はただ、呆気にとられて立ち尽くす他なかった。
『…やれやれ、原田さんらしいや』
不意に背中に響く声に、楠は急ぎ振り向いた。するとそこには楠と年恰好の良く似た若侍が笑って立っている。
『ああ、気にしないで。あの人なりの励ましのつもりなんです。意外と照れ屋だから、あんな言い方しか出来ないだけでね』
そう言って、若い侍はクスクスと笑う。
…この男、いつの間に、と逆に楠の警戒心が急激に掻き立てられてゆく。
楠があの男に気をとられている、その一瞬の隙に背後を奪ったに違いない。その気になれば、背後から一突きする事も容易であったろう。
只者ではない…楠は内心、心底まで凍りつく様な戦慄に襲われていた。そんな楠の心情とは裏腹に、その若い侍はひどくのんびりとした口調で、
『ご挨拶が遅れました。私は沖田 総司といいます。よろしく頼みますね』
この飄々とした若者が、実は壬生浪士組きっての使い手などと、楠には思いもよらなかっただろう。
『…あの、さっきの方は?』
沖田への返礼もそこそこになるほど、楠にはさっきの男が何者なのか気になって仕方ない。
『ああ、原田さんね』
原田 左之助、それがあの男の名であるらしい。
別名を『死に損ねの左之助』という。かつて伊予松山藩で中間を勤めていた頃、上役と諍いがあり、その時に『腹の切り方も知らぬ下種』と罵られた。そこまではよくある話だが、原田の凄まじさは、いかに頭に血がのぼったとはいえ、その場で即座に切腹しようとした事だろう。
幸い、周囲の同胞が止めに入って一命を取り留めたものの、その腹部には未だに一文字傷が残ったままである。
当の原田自身、その事を恥とも思っておらず、むしろ酒に酔うとその逸話を自ら吹聴して回った。沖田など、その話を何十回聞かされたか、数える事すら煩わしい。
原田にとって、一生消えぬ、堂々たる腹の一文字傷は何にも勝る勲章だった。
『ね、変わった人でしょう?』
にこにこと、沖田は相好を崩さない。はぁ、と生返事を返す他ない楠を、沖田は悪戯っ子の様な目で見やり、
『あれ、まだご存知ない?楠さん、その変わったお人が、今日からあなたの上役ですよ』
少し驚いた楠の表情を見て、沖田はさも愉快そうに笑うのだった。